十一壊目「留まる・上」
「……ん、あっ」
「お兄ちゃん、カワイイ」
「んぃ」
「ぷにぷにしてる……」
「すぅ……す……」
「た、食べちゃいたい」
「ん、んぅ」
「……我慢……できないっす、隊長!」
「ん?」
「……あり?」
「何してる?」
「いや……えーっと……あぁ、お兄ちゃん、またうなされてたから……」
「んっ、確かに汗でぐっしょりだ」
「大丈夫?」
「大丈夫。それで八菜」
「なに?」
「頬が痛いんだけど。お前、また突っついたりしてないだろうな?」
「えっ! そ、そんなことしないですよ〜おにいさま〜」
「やったんだな?」
「やってないよ〜」
「やったんだよな?」
「……ごめんなさい」
「まったく……。いい加減に……?」
「どうしたの?」
「じゅ、十時……っ!」
ここは戦場。二つの大群が鎬を削る場所。一瞬の油断も許されない。刹那の気後れも死に直結する。だからこそ、最後まで気は抜かない!
「てめぇらっ! 勝つぞおらあぁぁぁっ!」
おおぉぉぉぉぉっ!
俺らは学校の校庭にいた。正確には、学校から少し離れたグラウンドにいる。平らに均された地面、ところどころに設置されている白いマスとライン、その両サイドに分かれているベンチ。ベンチといっても日よけの屋根がついているだけのものだが。
そして……、
「かっ飛ばせえぇぇっ! かっ飛ばせぇぇっ!」
「パラッパパラッパぁぁぁぁぁっ!」
「お前らはできると信じてるぞぉっ!」
「負けんじゃねぇぞっ、前橋っ!」
「花形にも勝るお前の力を見せてみろぉぉぉぉっ!」
凄まじい応援。
「えぇー、応援団の諸君! いや、諸君は我らチームの一員だっ! 一致団結してぶちのめそぉぉぜぇぇいっ!」
うおぉぉぉぉぉおぉぉぉっ!
そう、俺らは野球をやっているのだ!
相手は実際にある球団を尊敬しているのか、ユニフォームが著しく似ていた。マークも……。一方のこちらは白地に青のストライプで、キャップも青。これもどこかで見たことある気が……。
それはともかく、せっかくの野球なんだから楽しもうか。
「ところでとおちゃん」
「なんだ陸奥実? ちびったか?」
「いや、そうじゃなくて、真乃と棗さんの姿が見えないんだが……」
「あぁ。奈多弓ならほれ、あそこ」
とおちゃんの指差す方向には、ばっバッターボックス? ま、まさかっ!
「ほな、どんどんかましたるから覚悟したれやっ!」
木製バットをぶん回していた。
「ちょっと待て。何で棗さんが出てるんだよ?」
「いや、どうしてもやりたいっちゅーから……」
「なるほど、じゃなくて! 監督は誰だよ! さすがに女の子は危ないだろっ!」
「あぁ? ったく、陸奥実は男女差別が激しいやっちゃなぁ。ちょっと待ってろ、監督呼んでくっから」
男女差別とかの問題じゃなくて、体格や力の問題なわけで、それにボディタッチもないわけじゃない。そういう面でも……、
「はろ、大食いチャンピオン」
「!」
いきなりベンチにやって来たアロハシャツのおじさん。その後ろにとおちゃんがいた。
「……」
ちょっと待てぇぇっ!
「何で市長さんが監督なんだよ! どんだけ暇なんですかっ?」
「なに、不服なん? 戦力外通告出すよ?」
「性格最悪っ! 市長さんもこんなのに参加しなくてもいいんですよっ?」
「……男にはな、逃げたくても逃げてはならん時があるのだよ、小僧」
「いや、あんたは市長の仕事から逃げてきたんでしょっ!」
「どきっ」
「あからさまなリアクションはやめてください!」
まったく、花火大会の時もそうだったけど、どういう関係なんだ? 市長さんととおちゃんたちは……。
今日は三十一日。夏休み最後ということもあってか、盛大な野球をやることになった。楽しくできればいいかなと思っていたが、初っ端から出鼻をくじかれた。殺気に似た雰囲気が立ち込めている。
空は快晴、爽やかな微風が吹いていて、夏らしい乾いた天気だった。ただ、猛暑で日差しが強いので熱中症だけは気をつけないといけない。その対策か、ベンチの隅に給水タンクが三つ並んでいた。
試合はまだ始まっていないようだ。こちらが先に攻撃なので、投球練習をしていた。棗さんも入念にストレッチしている。
「まぁいいか。それより俺は遅刻してきたから、予定とメンバーが分かんないんだけど……」
「あぁ。試合は一時半からだぜぃ。あと味方のメンバー表、はい」
「え?」
一時半って、今は……十二時十八分だ。早すぎ……いやっまぁ、試合前の準備運動と軽いチーム練習をするからだと思いたい。そしてメンバー表……。
[前橋君とユカイな仲間たち
1、奈多弓……1st
2、朝山……2nd
3、陸奥実……キャッチャー
4、前橋……ショート
5、小笠原……ライト
6、馬場……レフト
7、松井……センター
8、藤野……3rd
9、東條……ピッチャー
監督、富士宮 山三朗
]
「俺がキャッチャーか。けっこう本格的だな」
市長さんの名前も。
「そらな。東條とバッテリー組んでもらったぜぃ」
「あいつがピッチャーっ? とおちゃんじゃないのか?」
「オレはピッチャーはむかん。豪快にぶちのめす方がいいぜぃ」
まぁ市長さん、じゃなくて監督がそう判断したのなら仕方ないか。野球はテレビで見るくらいしかないけど、何とかなるだろう。
「ここにいる人以外は?」
「そろそろじゃねぇか? ウォーミングアップしてくるっつってたな。ぞろぞろ行ったぜぃ。言っとくけど、マジでいくからな」
「あ、あぁ……」
あのとおちゃんがきりりとした目つきで言う。こんなとおちゃんは部活以外では滅多に見られない。意気込みが半端ではないことは容易に分かる。
俺は反対側のベンチを見る。当たり前だが、全員男子で肉付きがいいのばかりだ。そして投球練習してるピッチャー……。軽く流しているだけなのに、ものすごく速く感じる。……俺、打てるのかな……。
「おい陸奥実、みんな来たぜぃ」
「え」
後ろを見ると、
「むっつみおひさ〜!」
「相変わらずだな、陸奥実」
「今回もぶっ飛ばそうぜ!」
「流さん、よろしくお願いしますねっ!」
「陸奥実先輩、頑張りましょうね」
「ヘイヨー、マイブラザー!」
「…………」
後半二人ととおちゃん、ちょっとこっち来い。
「なっなに! 無言の圧力っ?」
「とおちゃん、なぜにこいつらがいるんだ?」
「い、いや〜! 今日はいい天気だぜぃ。絶好の野球日和だよなっ」
「明日から空を拝めなくしてあげようか?」
「すんません」
とおちゃんの話によると、小笠原さんは不慮の事故、松井さんは謎の事故で参加できなくなったらしい。だからピンチヒッターでこの二人を呼んだわけだ。よりによって何でこの二人なんだよ……。
「こやつらのポテンシャルは計り知れんものがある。これからの期待を込めてセレクトしたのだ」
「監督、二人とは初対面ですよね?」
「兵のみが持つ匂いよ」
「わたしは変な体臭なんかないしっ! レディにむかって失礼よ!」
「そういうことじゃないから! ……とにかく俺は反対しますよ、監督!」
試合ではなく“死”合いになりかねない!
「まぁそう急くでないぞ若者。実力を見てからでも遅くはなかろう。こちらが先攻だしの」
……しょうがない。
「分かりました」
俺は八菜とひぃちゃんに向いた。
「頼むから無理するなよ」
「分かってるよ、お兄ちゃん!」
「任せてください」
ということで、俺らのチームは女の子が四人いるという異例なメンバーで、試合に臨むことになった。棗さんと八菜はいいとしても、真乃とひぃちゃんの実力は未知数だ。チーム練習だけでは推し量れるものじゃないし、それに……、
「ところで真乃、野球やったことあるのか?」
「中学の頃、ソフトボール部でしたからね。何とかなりますよ!」
「じゃあ変化球とかは大丈夫だな?」
「いえ、私はピッチャーじゃなかったので」
……かつてない不安が過ぎった。
「よし! 整列しなさいっ!」
約束の時間通り、試合は始まりを迎えた。審判の指示に従ってホームベースに並ぶ。って審判とかちゃんといるんだ……。
「あれ? 高橋先生ですよね? 野球部の顧問の……」
「あ、あぁ。今日は先生とその仲間が審判を務めるからな……」
「?」
何か……怯えているような感じがするのは気のせいか?
「互いに、礼っ!」
おねがいしますっ!
お互いにそれぞれのベンチに戻っていった。
試合は九回でコールドはなし。本番さながらのルールでいくようだ。全員が燃え上がっていた。
「よっしゃあ! まずはワイからやでぇっ!」
棗さんが一番か。確かに俊足だからうってつけかもしれない。
「……あれ? あのピッチャー、どこかで見たような……」
「そりゃ、テレビでやってたからな。あるだろーよ」
「……へ?」
ということは、まさか……。
「甲子園に出場した……?」
「いや、優勝校だぜぃ」
キラリン、とグッドポーズで、じゃなくて!
「そんなの勝てるわけないだろっ! とおちゃんバカですかっ?」
「だってよ、強いやつと勝負したいって思うのは男の本能だろ?」
「それはそうだけど、限度ってものがあるだろ!」
「まぁまぁ、それにこれに負けたらよ東條が、」
「とおさんっ!」
真乃が後ろから声を張り上げた。
「? どうしたんだよ、真乃?」
はっとして、自分の行いに気づく。恥ずかしかったのか、顔を赤くした。
「ほ、ほら、応援してあげましょうよ」
「お、おぅ」
何か隠しているようだけど……、まぁ賭け試合っぽいから勝てば問題……、
「ストライク、ツウゥゥっ!」
それ以前の問題だな。
「さすがにやべーな。あの奈多弓が反応できないよ」
「バッチ、ありゃ様子見だよ。これからが勝負さ!」
「つーかめちゃめちゃ速くね? オレじゃミットに入った後に素振りするわ」
「まったく情けないわね、棗先輩! それでもわたしのライバルなの? ただの麦藁帽子じゃないっ」
「うっさいわ! 全部聞こえとるがなっ! これからがワイの、」
「ストライィィク! バッターアウトっ!」
えぇぇぇぇっ? 何で取られてるんですかぁっ?
「アホか! なに勝手に投げとんねんっ! 反則やぁっ!」
「いや、モーション入ってから、よそ見したからさ……」
「なにご高説たれとんやワレ! ちょっと来いやボケ! 晒し首にしたるわっ!」
「棗さん、落ち着いて! いきなり乱闘はまずいから、なっ?」
「なっちゃんっ! ダメですよ!」
「奈多弓さん!」
何とかベンチに引きずり戻した。本当に血の気が多いな。それに、キャラ変わってるし、関西弁怖い。
次は朝山君だ。
「気ぃつけや。ヤツはできるで。特にストレートは速いし正確やっ!」
「あぁ」
勢いよく出ていった。
「朝山に言うの忘れてたけど、陸奥実、今のうちにあそこにいとけな」
フジーニョが示した所には円が書いてあった。バッターボックスから程よく離れていて、でもすぐに準備できる距離だ。そういえば、プロ野球でもあったな。
俺は木製バットを携えてそこに行った。
「ストライク、ワン!」
ついでに観察しよう。
ピッチャーは百八十を超えていそうな長身で、普通の高校生といった感じだ。でも、
「ストライク、ツー!」
「ほあちゃぁっ!」
「朝山! 完全に振り遅れてるぜぃっ!」
「くっ!」
腕のしなりと身体の柔らかさ、見た目からは想像のつかない強肩で、力をそのままボールに伝えているようだ。変化球も使いこなせるに違いない!
「ストライィク! バッターアウッ!」
ついに俺か……。
悔しそうな顔つきで、朝山君がやって来た。
「任せたぜ」
そのままベンチに戻っていった。
き、緊張する……。こんなことは初めてに等しい。吐き気がしてきた……。
どうにか身体を動かして配置につく。もう右側でいいか。
ピッチャーとは離れているのに、大きく見える。何と言うか、経験者のオーラみたいなのが滲み出ている。そんな彼がマウンドから下りて俺の方へ近寄ってきた。
「あんたが陸奥実か?」
声が届くくらいで立ち止まる。それでもマウンドから二、三メートルくらいだ。
「そ、そうだけど」
声が震えてるよ……。
「あんたに東條は渡さんぜ?」
「え? それってどういうっ、」
質問する前に戻っていった。
真乃を渡さない……? つまり、
「ストライク、ワン!」
「!」
考えがまとまらない!
「陸奥実! なにぼーっとしてんだ! 早く構えろ!」
えぇい! どうにでもなれっ! 集中だ、集中……集中!
「むっ」
「お、おぉ……」
こちらが素人なのは相手は百も承知だ。なら、気合いで勝るしかないっ! 相手の手だけ、ボールだけ見るんだ……。
振りかぶって……、
「!」
投げたっ! 見える!
「ぐっ!」
しかし、ボールは左へと曲がっていく! 届かないぃっ!
「ストライク、ツーッ!」
「むっつみ! いい反応だぞっ!」
「とりあえず当てろ!」
そんな無茶な……。いや、当てるだけなら……!
俺はバットを構えた。
「お前さん、いい気迫だぜ」
後ろからの思わぬ言葉。でも、俺は前だけに集中する。
もう一回振りかぶって、
「!」
投げたっ! さっきと同じフォーム!
当てるだけなら!
「!」
すかさずバットを地面と水平にした。そして、
「つっ」
当たった! ボールは地を這って左へっ!
「前田!」
俺は既に全力疾走していた。
「うぉうっ!」
「くそ……!」
ボールの方が速い! こうなったら頭から突っ込めぇぇっ!
「うわあぁぁぁあっ!」
「間に合ええぇぇっ!」
まるで飛行機の着陸を自分の身体で体験するようだった。地面と擦れて振動する身体、汚れる服、そして目の前に迫る相手の足とベース。砂埃はそんなに立たない。だからこそ、標的を見失わずに両手を伸ばすことができた。
触った。触れた。間に合ったのか?
「……」
俺と相手のファーストは傍らにいる審判を見つめる。微妙なタイミングだったようで、見定めていた。きっと頭の中で今のシーンを何回も再生しているんだろうな……。
グラウンドは沈黙していた。審判もそうだった。
長い。長く感じる。俺らの体感スピードが早過ぎるのか。でも、心臓の鼓動は律動的だった。
判定は……!
「セエェェェフッ!」
セーフっ!
「うぉっしゃあぁぁぁぁぁぁっ! さすがは天才だぜぃっ!」
「流さあぁぁぁあんっ!」
「サイコーやでぇ!」
てぇんさい! てぇんさい! てぇんさい!
なんか……花火大会を思い出すな……。
しかし、ピッチャーは、
「!」
こちらを見向きもしなかった。
「村山、キレたな……」
ぼそりと聞こえた。
「キレた?」
俺は聞いてみることにした。
「あんたに負けたくなかったからな」
「その話なんだけど、その、村山君はなぜ俺を異常に敵視してるんだ?」
「知らないのか? あいつは東條さんの元カレだぜ?」
「へぇ」
そうか。何となく話は読めてきた。
「敵ながらも、ありがとう」
「いえいえ」
彼は俺が真乃を奪ったと勘違いしているようだ。だから、とおちゃんにこんな賭け試合を持ち込んだ。でも、それっておかしな話だ。こんなことをしなくても直接言えば済むことだ。まどろっこしいをする必要はないのに……。俺を完膚なきまでに叩きのめしたいのか? まぁ、男女の関係ほど複雑なものはないから、よく分からないけど。
次はとおちゃんだな。とおちゃんは、
「ふっ」
なぜか木製バットを四本持っていた。そして、
「あちゃあぁぁぁぁぁあぁぁあっ!」
全部へし折ったっ!
「よく聞け、背いたかノッポっ!」
挑発か!
「お前なんぞ、こんな感じでへし折ってやろう」
しかし村山君はボールを確認して、磨いていた。
「…………」
「なんかサブい……」
「あいつなにしてんだ?」
「ぶぷっ」
可哀相。そうとしか言えなかった。
「前橋、早くしろよっ!」
「相手待っとるで!」
「しかもバット全部折ってどうすんだよ!」
「……」
確かに。しかも丁重に燃えるゴミ袋に入れて片付けてるし。意外に几帳面だな。
「漫画のネタパクリ野郎に興味はない」
キツイ一言を放った。
「ふん。お前なんて、この部分で十分だぜぃ」
「!」
とおちゃんが手に持ったのは、バットの柄がない太い所だけだった。
「ナメてるのか? ちゃんとしたバットを使え。投げる気も起きないぜ」
「なんだ、もっと喋った方がいいぜぃ? どれが最後の言葉になるのか分かんねぇかんな」
「!」
明らかに表情を歪めた。とおちゃんはどうして挑発を……? 普段の勝負なら絶対にしないことなのに……。
とおちゃんが左のバッターボックスに立つと、村山君も呼応するかのようにマウンドで構えた。彼を見るだけで怒りを露にしているのかが分かる。血管が今にも浮き出そうだ。一方のとおちゃんは打って変わって涼しい、冷静な面持ちだった。さすがに競技は違えど、本番慣れしている。力の抜き所が分かるんだろう。
「お兄ちゃん」
そこに八菜がやって来た。
「ばか、何して、」
敵にばれないように耳打ちする。
「相手が投げた瞬間に、走ってね……」
「は、はぁ?」
有無を返す前に、投げてしまった!
「くそ!」
俺は走った!
「! 前田、盗塁だっ!」
「!」
キャッチャーが捕球した時には、三分の二くらいまで走っていた。そして諦めたのか、俺は盗塁に成功した。
「はぁ……、はぁ……」
しんどい……。
「く!」
「こんなちゃちな作戦に引っ掛かるとな」
そういうことだったのか。
「審判タイム! バット変えるぜぃ」
「分かった」
あのとおちゃんがこんな頭脳的(?)な作戦をやるとは。いや、まさか……。
俺はベンチを見た。ちょうど監督と目が合う。
「!」
OKサインで俺に返事してくれた。……間違いない。全てはあの人の仕業だ! 市長さんはただの暇なおじさんではなかった!
そして、敵陣も体勢を整えるべく、マウンドに集合していた。何を話しているのかは見当つかないけど、今のうちにストレッチしておこう。
「よし、行くぞ!」
相手も気合いを入れ直したようだ。とおちゃんは少し苦い表情だった。
「プレイっ!」
ピッチャー村山君は落ち着きを取り戻していた。とおちゃんの狙いは相手を焦らせることだった。だからここでこの状況は好ましくない。
一球目!
「ぐぉ!」
振り遅れてる!
「ストライク、ワンっ!」
とおちゃんでも難しいか。盗塁はできるわけがない。
「前橋! 意地でも打てえっ!」
「わぁーってるっ! よく見とけっ!」
続いての二球目は、とおちゃんの読みが当たってボールだった。とおちゃんも冷静だ!
「タコすけがよ。特大のホームランかち上げたらぁ」
しかし、
「ストライークっ! バッターアウト! チェンジッ!」
とおちゃんの気合いも虚しく、初回は無得点に終わった。
「わりぃな、みんな。討ち取られちまったぜぃ」
「仕方ない仕方ない! 相手は甲子園優勝校だぜ?」
「よし、今度はわたしたちが守る番よ! 気ぃ引き締めて行くわよ!」
「うっしゃぁぁぁぁっ!」
「我が黄金の右腕が血を吸いたがっているようだ」
「なら自分の吸わせてあげれば?」
「わ、ちょい待ち! 陸奥実ズシスター! 痛いから!」
「や、やぁちゃん、やめようよ……」
「確かに青髪の言う通りや。連中はワイらをまだナメとる。叩くなら今しかないんやで!」
「そいつは東條の右腕にかかってんな! 頼むぜ!」
「は、はい……」
「なぁ、皆、聞いてくれ」
俺は静かに言った。
「なんや? どうしたん? そんな暗い顔して」
「どうして野球をやることになったんだ?」
「いや、あのピッチャーが道場破りしてきたもんだからな。うちの野球部負けたし。その弔い合戦みてぇなもんだ」
「それに、真乃の件も加えてきたのか?」
「!」
「むっちゃん、それは敵の情報撹乱や。信じることあらへんよ!」
「嘘だな。彼は真乃とは中学の頃の元カノだと言ってきた。そうなんだよな、真乃?」
「……はい」
「どうして皆がここまで真剣なのか、とおちゃんが普段はしない挑発をしたのか、全てがそれの根拠だとしか思えないっ!」
「お、お兄ちゃん……?」
「俺はそんなの許さないぞ! 真乃を、人を賭け事の商品のように扱うなんて許さないっ!」
「むっつみ……」
「でもよ勝負は始まっちまった。こっちが勝てばいいことだろ?」
「朝山君、そういうことじゃないんだ」
「え?」
「敵も、皆も、そういうことを認めてしまったことが、俺は許せないんだ。しかも俺には真実を隠して……」
「お兄ちゃん、落ち着いて、ね?」
「俺は相手のベンチに行ってくる」
「!」
「陸奥実、あちらさんも結構キてるぜ? それにそれは試合進行上、問題あるだろ」
「関係ないっ! 俺を含めて皆は真乃の立場を分かって言ってるのか? 自覚はないかもしれないけど、ほんの一瞬でも物と見なされてるんだぞ!」
「流さん、いいですよ」
「何がだ」
「朝山君の言う通り、勝てば問題ありませんから」
「じゃあ聞くけど、どうして真乃はここに来てからずっと、笑ってないんだよ?」
「!」
「俺はこんなふざけた試合を……止めるよ」
「村山君とここの監督さん、少しお話があります」
「何でしょう?」
「早く帰れよ。試合始まんないだろ」
「ここでは申し上げにくい話ですので、ご足労お願いします」
「いいですよ」
「か、監督!」
「行くぞ、村山」
……
「この野球、賭け試合の可能性があります」
「なっ!」
相手の監督は驚きを隠せないようだった。
「君の仕業だな、村山君?」
「……知らないな」
「なら君のチームが勝っても、何も起こらないぞ。真乃は君のものにならない」
「……」
「どうなんだ村山!」
「……そう、です」
「このバカもんっ! 俺はお前がここと練習試合を組みたいからわざわざ出向いたんだぞっ? それがなんだ、よりによって野球を賭博に使うだとっ? 貴様なんぞ辞めてしまえっ!」
「……」
「……監督さん、この件は俺にも責任があるんです」
「なに?」
「村山君はかつての彼女を俺に奪われたと思い込んでしまったんです。俺がはっきりしていれば、こんなことにはならなかったはずです。だから、破門だけはやめてあげてくれませんか?」
「お前……」
「……いいでしょう。村山、彼に感謝するんだな。それと今回の件に関しては目をつぶる」
「ありがとうございます」
「……くそ」
「だが、お前は二軍スタートだ。負け犬は負け犬らしく、はい上がって来い! さらに扱いてやるからな!」
「……」
「…………」
「すごい監督だな」
「てめえ、卑怯だぜ……」
「お前の方が卑怯だ!」
「なにぃ?」
「真乃を賭け事の商品のように扱い、しかも野球をその道具にした」
「……確かにな。だが、お前はオレの東條を、」
「それは単なる思い込みだよ」
「違う!」
「なら本人に聞いてみなよ。俺たちは、気が合う友だち以上の関係じゃない」
「……」
「それに、彼氏から女の子を奪おうなんて複雑なことは俺にはできないよ」
「本当か……?」
「あぁ。でも、フラれても俺に文句は言わないでくれよ? 村山君に少なくとも失望してるだろうから……」
「……分かったよ。悪かったな、陸奥実」
「いや、俺は村山君を見てから、話をしたいと思ってたんだよ」
「マジかよ」
「あわよくば、友だちにってね」
「……あははは……呆れた」
「よし、じゃあ“交流”試合の続行といこうか!」
「あぁ! オレたちの実力を見せてやるぜっ!」
さすがは甲子園優勝校。俺ら素人軍団を寄せ付けない圧倒的な力で捩じ伏せた。結果は12対3と大敗を喫した。でも、お互いに楽しい時間だった。あの後から、一回のような険悪なムードはなく、長い間戦ってきたライバルのような、純粋さと緊張感があった。
真乃もそれを感じ取ってか、いつもの調子に戻り、現役引退とは思えない好投を見せてくれた。ちなみにソフトボール出身だから、アンダースローだった。
それで今何をしているかというと、
「皆帰ったぜぃ、陸奥実、奈多弓」
「あぁ。あとは二人だけだな」
「えぇのかぃ、ロメオ? カノジョ取られてしもうて」
「誰がロメオだ。むしろ逆だよ。村山君が先だったんだからな」
「じゃあ、陸奥実が先だったらどうすんだよ?」
「それはあくまでも仮定の話。現実は違うんだから、考えなくていいんだ」
「そうか」
学校の校門で真乃を待っていた。
会うのは久しぶりなんだから、二人きりにした方がいい。でも、ここで待っていてくれと頼んだのは真乃自身だった。
野球をやっていた時の青空は今はなかった。夕焼け空で、ぽつりぽつりと雲が遮る。その部分も夕焼けの色に染まっている。微風は肌寒いくらいに冷えていて、汗で湿る肌を撫でる。夏といえども少し寒い。でも、心地いい……。
「今日のむっちゃんはカッコよかったで。“人を賭け事の商品のように扱うなんて許さない”! とか、シビレたわぁっ!」
「や、止めてくれ。恥ずかしいから……」
〈関係ないっ! 俺を含めて皆は真乃の立場を分かって言ってるのか? 自覚はないかもしれないけど、ほんの一瞬でも物と見なされてるんだぞ!〉
「……今の……何?」
「ボイスレコーダーだよ〜ん」
とおちゃんがひらひらと俺に見せ付けた。
「うわぁ……」
「むっちゃんのファンは激増やなっ」
「あとでホームページに入れとくわ」
「……もう知らないっ!」
「スねんなよ、むつみ〜」
「素直に褒めとんやでぇ〜」
他人を嘲笑うような顔以外に見えない……。
俺が弄られて少し経った時に、真乃が戻ってきた。
「すみません、お待たせしました」
「どや?」
「はい。もう後腐れないように片をつけてきました」
「? それってどういうこっちゃ?」
「いいんですよ。それより帰りましょう?」
優しく微笑む。やっぱり笑った時の真乃がいい。
「どうしました、流さん?」
「あ、いや、何でもない」
「陸奥実、今、東條に見惚れたろ?」
「い、いや違うよ」
「違うんかぁ。残念やな、真乃やん」
「そうですねぇ」
「あ、いあやっそうじゃなくて…………」
「冗談やジョーダン」
「陸奥実もイジられキャラが定着してきたなぁ」
「とおちゃん、ブロック塀に頭埋めとく?」
「いや、なに恐ろしいことをさらりと言ってのけてんの?」
「石頭やし、やってみぃ」
「そのノリはピンポンダッシュのノリじゃね? ピンポンどころか、バキャアッ! みたいな音するから」
「ずいぶんと変わったインターホンですね」
「いや俺の頭が割れる音だから」
「あはは。俺よりとおちゃんの方がむいてるよ」
「何、インターホン?」
「どんだけインターホン引っ張んねんっ! ブロック塀に頭を埋める役やがな!」
「誰もそんな役やらないからっ! イジられキャラの話だよ」
「流さんも話を引っ張りますね〜」
「これは話を“戻した”んだよ!」
「あはははは」
「あはは……」
「なはははははっ」
「ぐべべべべべ」
「……」
「…………」
「……」
「何? なんかオレ、スベった?」
「早速、ブロック塀に頭を埋める役をやってもらいしょうか」
「だから誰もやらねぇって!」
「大丈夫やって。耐震強度を計るだけや」
「どんだけ命懸けの測定だよっ?」
「ほら、頭にコンクリート流し込むから動かないで」
「オレがブロック塀役なのっ? つーか、オレに死ねっつってんのっ?」
「信じるも信じないもアナタしだい」
「何を信じるんだぁぁぁっ!」
「……本当に愉快な仲間たちだよな」
「そうですね。ところで流さん」
「なんだ?」
「ありがとうございました」
「あ、いいっていいって」
「すごく嬉しかったです。あんなに必死になって……」
「も、もうそれは忘れよう。お互いに気持ちよくない話だったし」
「で、でも、」
「あ、真乃やん、あん時のむっちゃんのセリフ、聞く?」
「あるんですか?」
「あんなにカッコイイセリフはねぇよ。男として陸奥実に負けたぜ……」
「やめろってぇっ! もうっ!」
「またスねた」
「カワイイやっちゃなぁ」
「……あ。俺はここで」
「話そらすなや。……むっちゃん家に真乃やんは泊まってくん?」
「えぇぇっ! ま、まさかの、」
「早く帰れ!」
「分かった分かった。悪かった」
「流さん! それでは!」
「陸奥実! 次こそは勝ってやるから覚悟しろよぉ!」
「ほな、またな〜!」




