八壊目「伝える」
今日は二十四日、今は十時半を過ぎた頃だ。葬式から四日経った。岡本先生の謎の死……。正直、僕も戸惑いを隠せない。美浦さんのあのノートをちらちら見ても、現実味などない。僕でさえこんな状態なんだから、遺族の方々は……。もう想像を絶する。
僕の手元にはノートがある。だいぶ擦り切れていて、新聞紙の切り抜きのせいで本来の二倍くらいに太っている。
僕はそれの付箋のしてあるページを開けた。小さいコマの切り抜きに膨大な自筆が敷き詰めてあった。
[……ご遺体の腹部に二十二ヶ所の切傷や裂傷が見られた。口には粘着テープで縛られ、上肢から前腕中部にかけて擦過傷もある。よっていくらかの抵抗は示していたことになる。]
検死はここで行われたみたいだ。しかもちょうど美浦さんも助手として起用されたみたいだ。さすがに医療関係に勤めているだけのことがあり、表現の仕方が堅い。字を見れば何となく想像できるけど……。人の体についての記述が多い。僕はそこに目を凝らす。
[注目すべきは顔面や手掌、つまり身体の前面の凸部にに軽度の打撲と擦過傷。つまり犯人は後ろから岡本 雅俊を突き飛ばし、岡本 雅俊が地面への衝突を避けるための防衛行動をとったと考えられる。]
なるほど。ということは、これは二人がすれ違いになった後の話だ。でも、背後から不意に突き飛ばされたとはいえ、そんなに傷ができるものなのか……?
その答はここに、
「ひゃあっ!」
く、くびにへんなのっ、
「……」
全身から強張りと汗が滲み出てくる。僕は無意識的に離れた。
「瑠璃ちゃん、ひどい」
全然眉をひそめず、むしろ微笑を浮かべる。まるで体温が上がって目がぼやけているように、目がとろとろしている。
僕は急いで息を整える。
「気づいてくれたかな? 私が近づいてもちっとも見てくれなかったんだもん」
「す、すみません」
「でも集中してる時の瑠璃ちゃんはかっこいいね」
「? かっこいい?」
「うん!」
初めて聞いた。れいかさんが僕に対して“かっこいい”だなんて……。
「どうしたの?」
「い、いえ、考え事ですっ」
「確かに、岡本先生の事件とN事件が関係してるのか微妙だからね」
……おかしい。
「早夜ちゃんのためにも、犯人捕まえたいねっ」
「……はい……」
いつもの鋭さがない。それとも気付いてないフリを……? まあ、小さいことだからいいか。
とりあえず、読み進めよう。
[順番はおそらく、背後から口にテープ→刺す→突き飛ばす→殺害だろう。そしてこれだけ乱暴な犯行ならば血痕が気になる。現場に行けなかったのが口惜しい。もし当時の犯人の衣服に血痕があれば、動かぬ証拠になりうる。それにしても、どうしてこの事件が発生してしまったのか……。死亡推定時刻は八月十五日の十八時から二十時。花火大会が催された日だ。怠けた仕事の結果なのか、力不足なのか……]
「……」
いつもの(?)事件なのに僕を省きたがっていた。当初はそれほどでもない事件なのかと思っていたが、今は違う。完全に凶悪事件だ。それにこの事件はいろんな人を巻き込んでいる。虹にぃや徹さんはもちろん、たくさんいる。その中にれいかさん、陸奥実君も……。虹にぃは特別な思い入れを持っていたに違いない。
隣のページに進むと、そこには被害者のリストがあった。
「これは……」
「私の名前もあるね、二個」
確かに、一番最初と最後から三番目にある。
「瑠璃ちゃん」
「はい」
僕の肩にもたれる。胸の奥が押し込まれるように痛む。
「解りそう?」
「……そうですね。ほどほどです。でも僕は戦力外通告を受けてしまいましたし、虹にぃは色んなところに足を運んでいるみたいです。もう僕の出る幕はないでしょう」
「じゃあ、もう一つの方はどうなったのかな?」
「もう一つ? 何かありましたっけ?」
虹にぃが追っているのはそれだけのはずだが……。
「まぁ、いっか。……それより、何か食べよっか」
「え?」
「神地に買い出し行かせてもらえるように頼んだの。だからこれから行こうよ。歩いて十五分くらいにスーパーあるし」
「珍しいですね。目の敵にしていたのに」
「やっぱりそういうのは……ダメだからね」
皮肉るように、そして逃げたように聞こえた。
「んもう! 神地のうそつきぃ! せっかく心を入れ替えたのにっ」
「あははは……」
後でまたメス一本無くなっているかもしれない……。
それでもちっとも怒っているようには見えなかった。また微笑んでいた。
「倍以上かかっちゃったし……。やっぱりあのT字路は左に曲がるべきだったね」
「いや、本来ならずっと直進でしたよ。れいかさんが寄り道しすぎ、」
「そこのじゃがいも取って」
「はい」
言われるがままに従う。
暢気に話しながらカートを押していくと、
「あら?」
「どうも」
よく見知った人がいた。
「新戸くんやないかぃ! しかも彼女連れとは、なかなかやるがなっ」
ぼふっ、と顔を赤くするれいかさん。そういうのはあんまり慣れてないんだろうな。いつもそれ以上のことをしてくるくせに。
奈多弓さんと……お姉さんか。奈多弓さんはトレードマークの紫リボンの麦藁帽子を首にかけている。お姉さんは奈多弓さんのミステリアスさを全面に出した感じの人だ。姉妹なだけあって似ているところは似ている。
「瑠璃ちゃん……どちら様?」
そういえば知らなかった。人見知りでないにしろ、初対面はぎくしゃくす、
「新戸くんの彼女やねん」
「えっ?」
一気に青ざめた。
「違いますよっ! 何言ってるんですか!」
「そうなんだ……」
「なっなに真に受けてるんですかっ?」
「じょーだんやじょーだんっ」
「冗談に聞こえない」
「あ、あかん、堪忍してやぁ〜。悪ノリやがな」
「大丈夫だよ。私も大人だしねっ」
笑っていた。口だけ。僕を見る眼は、後で話があるよ、と訴えていた。間違いなくメスが二本なくなる……。
「あれ、ナツはあの子が好きじゃないのですか? ほら頭がよくて……」
「あぁっ! 椿ネェ! 何デタラメ言うとんねんっ! あれは真乃やんやっ!」
今度はそちらか。椿さんは僕を見て舌を出して微笑んだ。れいかさんより大人びている。というより本当に大人かも。
れいかさんが、僕のお尻に触る。
「っ!」
耳に顔を近づける。
「あとでい〜っぱいお話しようね……」
「こわいこわい……」
「ふふふ」
本当に怖い怖い……。
「えっと気を取り直して、こちらは奈多弓 棗さんです」
「すんません。悪ノリが過ぎてしもぅた。あとコレは椿ネェや」
「よろしくお願いします」
「はい。こちらは若海先輩です」
「はじめまして。若い海に礼って書いて若海 礼です。棗ちゃんに……椿さん、気軽に礼って呼んでください」
……?
「よろしくね、礼ちゃん」
「噂の礼先輩かぁ……」
「はい。……その、噂って何かな?」
女の子特有の話になりそうだ。しかし、引っ掛かるのは先程の自己紹介。若海……“礼”? “礼香”じゃなかったか?
「知ってる知ってる〜。例の彼でしょ?」
「むっちゃんはとにかく軟弱な男やから、今度鍛えよ思うんや」
「昔流行った草食系だね。瑠璃ちゃんも草食系なんだよ」
「それでは、礼ちゃんが狩ったということですね?」
「えぇっ? そ、そんな……狩るなんて……」
「そうか、それや!」
……まぁ、人の呼び方にこだわっている人はいるし、不思議なことじゃないか……。
でも、今日のれいかさんは何かおかしい。
「狩りやっ!」
「いや、さすがに無理だよ……」
「ゲームのCMみたいですね」
何か、嫌なことがあったのか……?
「……ところで、礼先輩、ちょいと新戸君借りてえぇかぃ?」
「うーん……、貸すのは気が引けるけど、変なことしなければいいよ」
「僕は物じゃありません」
「私の物だよ?」
真顔で言ったよ……。僕だけじゃなく、周りまで赤くさせる一言だった。あらあら、とか、熱いわね、とかひそひそ聞こえる。意味をわかっていないのは本人だけ。鈍いのか鋭いのかわからない人だ。
僕と奈多弓さんは逃げるように離れた。どうやら飲み物売り場みたいだ。ジュースがずらりと並んでいる。
「今からちょいとゲームせんか?」
「いきなりですね……。しかもこんな所でですか?」
「そうや」
意図がわからないが、ひとまずやってみることにした。
ゲームは単純。これから僕が選ぶ飲み物を彼女が当てるというものだ。ただしそれは買わなくてはならない。
「でも、種類が相当ありますよ? ゲームにならないのでは?」
「えぇねんえぇねん。ワイは予言者やで?」
ケラケラ笑い飛ばす。それなら構わないが……。
予言ということで、先に書いてから僕にその紙を渡すようにする。もちろん僕はそれを見てはならない。
「ちなみに僕は牛乳が好きですね」
「ほぉ〜、あんさん変わっとるなぁ」
「幼い頃から飲んでますから」
書き終えたみたいで、僕に渡した。
さて選ぼうか。
「ちなみに勝ったら何かくれたりするんですか?」
「そぅやなぁ……何がえぇ? ワイのカラダにしとくかぃ?」
「それは好きな人にしてください」
「……あんさんのことが好き言うたらどないする?」
「……え?」
一瞬ドキリとした。でも僕は……。
「……すみません。僕は……れいかさんが……好きなんです……」
これだけは裏切れない。
クスリと笑みを漏らす。
「……わかっとるよぉ、そんなことっ!」
なんだかすごく申し訳ない気持ちだった。
「あんさんは優しいんな。ジョークやのに、きちんと自分の気持ちを伝えた。中途半端やったらひっぱたいてたで」
「……飲み物、選びますよ」
とてもジョークには聞こえない。それほどの気迫が先ほどの言葉に込められていた。きっと……いや、もう考えるのは止めよう。
「そうやなぁ、お礼に事件のヒントでもくれたろかな」
「!」
事件?
「何のですか?」
「知りたいの一つ」
知りたいのなんて一つしか、……! いや、もう一つある!
「わかりました。僕が負けたら……好きなこと一つ、していいです」
B・B事件……!
「え?」
「そのままですよ」
彼女の目が潤む。
しかし、僕はなんて残酷なんだろう。
「……これです」
彼女の願いが叶うことはない。
「!」
僕が選んだ飲み物、それはお酒だった。
「あんさん、未成年やろっ? 買えるわけないやん!」
紙を見ると、違うものが書いてあった。外れている。
「だからこうするんです」
僕は奈多弓さんの手を掴み、缶チューハイを持って連れていく。行った場所は、
「瑠璃ちゃん?」
「二人とも、遅いですよ」
先程の場所だった。
「椿さん、頼みがあります」
「何です?」
僕は缶チューハイを見せた。
「代金は今お渡しするので、買っていただけないでしょうか?」
「別に……いいですけど、なぜ?」
「あんさんセコいでっ! 椿ネェを使うなんて! 女タラシやぁッ!」
そう。成年である椿さんに買ってもらえば問題ない。
「むっちゃんでもそれはしぃひんかったんに……」
「? 陸奥実君来てたんですか? しかも同じゲームを?」
ここで談笑していた二人は何のことだかわからない。彼女は小さく、しもぅた、と呟いた。
「まだまだ甘いですね、陸奥実君は……。それで、取引の件ですけど……」
「取引?」
れいかさんが反応した。
「わぁったよ、ほれ」
手渡されたのは、鍵だった。
「ホテル行こか。ワイの全てを教えたるよ」
「ぶほうぅっ!」
強烈なボディーブローがぁっ……!
「瑠璃ちゃん、こんなところで酔い潰れちゃダメだよ〜」
「酔い潰れるいうか、潰したよね? たった今潰したよね」
「ほらっ、寝ないのっ! 起きてっ」
「いや、渾身の力で眠らせましたよね」
「お、重たい……。ねぇ、二人とも見てないで手伝ってよ……?」
「は、はいぃぃぃっ!」
「とりあえず救急車呼びますか?」
「あ、やっぱいいです。……引きずりますから」
「き、気ぃつけてなぁ……」
「おっお大事になぁ……。あっそれと、新戸君に伝えといてくれんか?」
「お帰り……って、うわあぁぁっ! 瑠璃人くぅぅぅんっ?」
「神地、うるさい」
「いや、そりゃあ誰だってびっくりだわっ! 何で瑠璃人君、血まみれっ? クマにでも襲われたのかっ?」
「いるわけないじゃん」
「もののたとえだっ! いや、それより止血を、」
「いいよ、そんなの」
「良くない良くないっ! 死んじゃうからねっ!」
「お仕置きしたの。瑠璃ちゃんが浮気しないように……」
「浮気しないどころか普通の恋愛もできないしっ」
「瑠璃ちゃん、もう浮気しないよね?」
「うっ」
「ほら、頷いた」
「今ぼきっ、ていったよな? 瑠璃人くうぅぅんっ! 死ぬなあぁぁっ!」




