三悔目「金属」
「瑠璃人、お前、部活か……」
「当たり前です。誰かさんと違って家でのんびりしてません」
「その誰かさんは家でも苦労してるんだよ。妹の作った消し炭を食わされたりしてな」
「奇遇ですね。虹にぃも生ゴミを作るのが得意みたいです」
「……相変わらず厳しいな」
「普通です。でも確かに一足先に帰らないと大変ですね。それとも肌に合う部活がなかったのですか?」
「むしろやりたいよ。……けど……」
「まぁ、どんな理由にせよ、できないのはしょうがないことです。太らないように頑張ってください」
「…………じゃあな」
「はい、さようなら」
28日。6月最後の学校が終わった。次の月曜日には月が新しくなる。しかし、特に何か変わるわけでもない。夏休みが近くなるだけだ。
教室から出ると、空気が温かった。ドアの隙間から冷やされた空気が漏れたのだろう。しかし歩くにつれ、次第に空気が自然に還る。本来の気温になりつつあった。
「……」
陸奥実君と別れをして向かうのは、最上階だった。
この学校は五階建てになっていて、教室棟とは別の特別棟がある。それぞれの階に通路で繋がれているのだ。二年生の僕は四階に位置する。ちなみに僕の言う最上階とは特別棟の方だ。
「あっ、新戸か」
途中のその通路でばったり会った。
「お久しぶりです、木村副部長」
「まったく、少しは顔出せよ。それでもうちの部員だろ?」
「すみません」
彼女は木村 空先輩。僕が所属する部の先輩だ。ショートヘアで、やや真ん中で前髪を二方向に分けている。小さい丸眼鏡をかけている。背は高くない。見下ろしてしまうくらいなのだ。そして言葉遣いから性格まで男勝りだ……と思う。だからか、男女ともに好印象を持たれている。
「今日はやりますか?」
「とうっぜんっ! 今度こそ優勝してやるんだ!」
ガッツポーズをとる。背景に炎が似合いそう。
「頑張ってくださいね」
「おっまっえっは、やらんのかあぁっ?」
両拳で頭をぐりぐりやる。潰れるくらいに痛い。
「ど、努力します……」
ひとまず儀式が終わったところで、歩き出した。
汗ばんできた。今日もいつものように暑い。ただ、湿気が少ないので爽やかな暑さだ。
頬を伝う汗をタオルで拭う。夏では必需品だ。
「今日は練習していくのか?」
「いえ、ギターを取りに行きます」
「……ナメてんのか?」
「木村副部長、怖いです」
ちっ、と舌打ちが聞こえた。先に行く背中に別の炎が見える。
「それならさっさとしろよ」
「……すみません」
「謝るなら真面目にやってくれ。やる気のないやつは嫌なんだ」
「…………」
音楽室にたどり着いた。誰かから借りたらしき鍵を出す。
「新戸が入部テストをした時は、雪辱を晴らせると思ったのにな」
そして鍵を外した。
「……木村副部長……」
きいっ、と淋しく開ける。
「失望……って言うと酷すぎるけど、したよ……」
ドアの間を素早くすりぬける。
「……」
かちゃん、と淋しさを改めて強調した。
「期待に応えられるように努力します」
「…………」
多分出任せだ。
まだ部員は一人もいない。だからか、その後も延々と湿った話は続く。
すると漸く一人来た。先程の音が元気よく飛び出る。
「あれ? くぅちゃんと瑠璃ちゃんだ」
「よっ」
「“瑠璃ちゃん”は止してくださいと以前から言っているのですが……」
くすっ、と漏らす。
「いいでしょ? かわいい名前なんだからさっ」
彼女は若海 礼香先輩。僕をこの部に監禁している張本人だ。
ややパーマのかかったふっくらした髪は肩にかからない。くりっとした無垢な眼差し、柔らかい顔付きは誰にも穏やかな印象を持たせる。木村先輩くらいに高い。大人しいのに幼くて好奇心が旺盛な先輩だ。ちなみに好きな言葉は確か…………“かわいい”と“瑠璃ちゃん”。僕がそうなのではなく、響きとリズム感がいいらしい。
「……」
「わか、あんたからも言ってよ」
「え? ……何を?」
「だから、新戸のことだよ!」
小さく呻きながら考え込む。その間ずっと僕を見ている。いや、監視している。
「くぅちゃん……それは個人の自由だと思うよ。瑠璃ちゃんは入りたくて入ったわけじゃないもの。私が無理に誘っただけだし……」
「そっそうだけど……。ルールってもんがあるじゃん」
「瑠璃ちゃんは一応ルールに則ってる。最低限参加して大会にも出てる」
「……うん……」
こうなると言い返せなくなる。なぜか説得力がある気がする。
「気持ちはわからなくはないよ。でも……瑠璃ちゃんは“特別”だから……」
「……」
木村先輩は僕に視線を送る。きっ、と険しくなる。そして何事もなかったかのように、金色の楽器を取り出した。胸が締めつけられる。
鈍くて高い音色が響き渡る。
「若海部長、ここはフルートの場所ではありませんよ」
「知ってるよ」
「では、なぜですか?」
口だけで笑う。僕をじっと見る。
「……そういうことですか」
「いつか殴られちゃうよ? 一段と気持ちが荒れてたからね」
「仕方ありません。事実ですから」
つまり、これを見越してのことだろう。申し訳ない。
いつもに増して感情的になった木村先輩。若海先輩は既に見抜いていた。先輩は人を見抜くのに長けている。いや、見抜くというより気持ちがわかるというのが正しいかもしれない。そのおかげで部長に推薦されたのだと思う。優しいし責任感もある。
だから僕は……怖い。
「瑠璃ちゃんはどうしてそうなの?」
随分と大胆だ。
僕はもちろん若海先輩に隠れているつもりは毛頭ない。調子にのっているとか自惚れているとかなど全くない。僕がこの部に入り、退部せず幽霊部員になっているのには理由がある。
「こちらにも都合があるのです」
僕は警察組織に加担している立場にある。実際の警察官ほどではないにしろ、事件の追及に協力することもある。そしてそれは急だ。だから時間に余裕を持たす必要がある。僕にしてみれば部活動などより、こちらの方に重点を置いているのだ。
かといって疎かにできない。今後の進路を考えれば、この三年間は重要だ。部活動をやり抜いたというラベルは必ず武器になる。つまり酷く言えば、部活動も僕の夢を実現させるための道具に過ぎないというわけだ。
だから本音など言えるわけがない。彼女を傷つけるだけだ。それに今後の行動に悪影響が出る。僕の中で二番目に強欲で冷徹な部分だろう。
「部活……辞めてもいいんだよ……? 進路のためかもしれないけど、無理したら体を壊すだけ。……バイトとかかな?」
さすがに“見抜いて”いた。
「バイトはしていませんし、辞めたらつまらなくなってしまいます」
矛盾している。
「瑠璃ちゃんは何がしたいの?」
ほぼ無表情。
「それは、」
「ごめん、そうだったね。……もう止めよっか」
「?」
表情を見せず、そそくさと立ち去った。と思ったら、ドアからひょっこり顔を覗かせる。
「ギターは隣の準備室にあるよ。……じゃあ、いつものところで」
今度こそ行ったみたいだ。行ってみると確かにあった。暇なので、チューニングをして適当に掻き鳴らした。
「瑠璃ちゃん、帰ろ」
「だから、それは止めてくれませんか?」
「どうして?」
「いや、別に理由はないですけど……」
「早く帰ろ!」
僕らはいつも校門で待ち合わせている。彼女が気分で決めたらしい。
しかしどうして僕なのだろう? 若海先輩は誰とも仲が良いし、ましてや僕よりも親しい人もいる。なのに一緒に帰るのは僕なのだ。別に嫌っているわけではないが、多少なりともそこに疑問を感じる。
「……」
辺りはもう暗かった。部活は夜遅くまでやる。普通は6時くらいだが、夏ではさらに遅い。……虹にぃは大丈夫だろうか。
帰り道に沿って電灯が照っている。空間的にぼんやりしていた。そこに小さい虫たちが群がり、明かりを求めている。殺虫剤を撒けば凄いことになるだろう。
昼間は業火に晒されていたにもかかわらず、熱帯夜ではない。やや温もりがあるが、むしろ肌に馴染みやすい。夏にしては最高の状態だ。目をつむればぐっすり眠れるだろう。……これは今の僕のことだ。うとうとしている。幸いにも先輩は気付いていない。
「綺麗だなぁ……」
辺りはもう暗かった。……瞼が閉じかかっている。節目に真四角に象る光があった。それが道の奥まで続いている。それだけしかわからなかった。月が……とか、星が……とかはない。
「そう……ですね……」
気持ちが変だった。
「瑠璃ちゃん、声が変だよ?」
「……え……? そうですか……?」
「うん。なんだか眠そう……」
その通り。眠くなる寸前は危ないことを言うかもしれない。それだけは注意しないと……。
「大丈夫です……」
「ってまだ早いよっ。今8時20分くらいだよ?」
「もう寝る時間ですね……」
「どんだけ早いの? 小学生だってこんなに早くないよ」
「普段頭を使っていない人にはわからないのです……」
「あ〜っ、そうやって言うんだ。後でひどい目に遭っちゃうからね」
「はぁ……、例えばどういうのですか……?」
ぐっと右肩に力がかかる。
「こういうのっ」
突如風を感じた。そこは……耳……!
「ひゃぁっ!」
全ての神経が目を覚ました。ぞくりとよじる。バランスを失いかけた。
「あれ? 弱点発見? マニアックだね〜」
まだ顔がそこにいる。いつの間にか立ち止まっていた。
「もう起きました。大丈夫ですっ……うぁぅっ!」
ふうっ、と吹きかける。耳を中心に熱くなってきた。……やはり夏だ。
「かわいい……。耳噛んでいい……?」
彼女をぐいっと遠ざける。どうやら背伸びしていたみたいだ。
「何を考えているのですかっ? セクハラですよ!」
「違うよ。先輩“後輩”のスキンシップだよ」
「うっ……」
ず、ずるい……。
「あははは」
きゃぴきゃぴ笑う。普段の柔らかくて優しく見える笑顔が、今では小悪魔だ。
彼女は僕を弄るのに凝っているらしい。迷惑この上ない。
そういえば部活を辞めない理由がもう一つある。それは礼香さんにある。彼女がいると僕は例外なく調子が狂う。原因がわからないがとにかく僕が僕でなくなるのだ。その僕は部活を辞めたがらないみたいだ。
いざ退部しようかと思うと、必ず彼女が側にいる。なぜなら、退部届けは“部長”に見せてから顧問に提出しなければならないからだ。
「瑠璃ちゃん」
「何ですか?」
「かわいいね」
「いきなり何ですか? しかも“かわいい”と言われても嬉しくないです」
「そうかな? 瑠璃ちゃんは背も高いしクールだから“かっこいい”だけど、私から見れば“かわいい”だよ?」
「ど、どうしてですか?」
僕の顔をじっと見る。長い。時間が遅くなるというのに……。
「………………」
「…………」
あまりの恥ずかしさに視線を逸らした。目尻を上げて下品に微笑む。
「あ、それそれ! 瑠璃ちゃんの行動一つ一つが女の子っぽいんだよ。純だなぁ……」
「は、はぁ?」
「肌も白いし……声は裏声使えばいいね。今度の大会はいけるかもね……」
「や、止めてください! 何を考えているのですか! いい加減にしてくださいっ!」
「……!」
ふっと視線から解放される。そのかわりに彼女は俯いた。……少し言い過ぎたか。いや、悪ふざけもほどほどにしてもらわないと困る。
それにしても何の大会だ? 少なくとも木村先輩の目指す大会ではないだろう。
「…………」
「…………」
「……」
「……?」
しゃっくりのような声が聞こえる。事細かに、湿っぽく。……まさか……泣いている?
彼女は黙って歩み出した。僕も慌ててついていく。
それは続いていた。途端に……何と言うか、罪悪感のようなものが芽生え始める。もともと彼女の悪ふざけが原因だ。むしろ謝るのは向こう……。
「……っく…………ぇっ……」
「…………」
別の意味で汗かいてきた。
どう考えても彼女が悪いはず……なのに、雰囲気的に僕のせいっぽくなっている。くっ……………………。
悶えている僕がちょっと可愛かった。いや、可愛くない! 違う! これは僕じゃない! ひとまず落ち着いて……。
「わかりました。僕がいけませんでした、すみません。何でも弄っていいですよ、どうぞ」
「え? いいの? 女装してみてよ。見てみたかったんだぁ……」
先程のは嘘泣きかっ! だが、余計に落ち着ける。
「前言撤回です」
「冗談だよ。……“女装”はね」
女装だけかい。こうなるのは目に見えていた。この人にはブレーキが備えられていない。
でも、なんやかんやで僕は楽しんでいる。やはり辞められない理由はそれに他ならないのかもしれない。ただ……悪ふざけは止めてほしい。切実にそう……思う。




