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五壊目「印す」

 苦しい。心臓を誰かに掌握されているような、命を司られるような、そんな気分だ。正直に言えば死んだ方が楽になれるだろう。しかし、そう思っている自分はそれを許さない。同じ自分なのに矛盾を抱えている。それもストレスとなって身体に訴えてくる。


「……瑠璃、大丈夫かい?」


「……」


 今日は……十八日。僕はベッドと小窓以外に何もない部屋にいた。ベッドはその窓辺の方の奥隅にぴったりと置かれ、向かい側の壁にはスモークガラスが一面だった。

 今日こんにちまでの記憶がほとんどない。だからか、虹にぃが今までの出来事を話してくれた。虹にぃが真剣な眼差しで僕を見ている間、ずっと身体が震えていた。おぞましくて恐ろしい……怖かった。

 虹にぃはそんな僕を見て、頭を撫でてくれた……。


「ごめんなさい」


 それからもう、どのくらい泣いたんだろう? 分からない。泣きすぎて目が腫れて鼻水が出てきて、しゃっくりが止まらない。それでも泣き続けた。そしてずっと謝り続けた。ごめんなさい、ごめんなさいって……。こんなことだけで許してくれるはずがない。いろんな人たちを傷付けたんだ。その罪悪感で朦朧としたり嘔吐感を覚えたりする。


「大丈夫だよ、瑠璃。もう大丈夫」


 嘘だ。虹にぃの肩を見れば一目瞭然だ。包帯ぐるぐる巻きで無事なもんか。……僕は虹にぃを……殺そうとしたんだ。唯一の“義兄”を……。殺人未遂だ。


「……虹にぃ、あの、」


「逮捕はしない。何があってもしないからね。それで逮捕したら、自分も処罰される」


 さすがに分かっていた。


「今日は陸奥実君のところへ行ってくる」


「陸奥実君はまだ入院しているんですか?」


「いや、先日の花火大会の催し物でお腹を下したそうだ」


「はぁ……」


 かき氷でも早食いしたのか?

 そう言って虹にぃはこの部屋から立ち去った。

 あまりに無機質で殺風景な部屋だ。僕は入院しているというより、収獄されている気分だ。でも、それほどに罪は重い。全てが片付いたら、打ち明けよう。たとえ、こんな身になっても犯罪者なんだ……。虹にぃだってその覚悟のはず。


「……虹にぃ」


 ベッドにうずくまるしかなかった。いっぱいいっぱいシーツを湿らせて、罪悪感と悲愴な気持ちに浸りながら。

 そんな時に、


「は、はい」


 ノック音がした。僕以外の生きてる音……。


「入って、いっいです」


 徹さん? それとも……。

 ドアがぐっと開けられ、入って来たのは、


「!」


「やっぱりね」


 八菜さんだった。


「こんなことだろうと思ったよ」


「どうして八菜さんが……?」


「わたしがここで話したこと、覚えてないの?」


 話したこと……? 一体何のことだ?


「そのマヌケ面だと覚えてないみたいね。まぁ、たいしたことない話だから忘れていいけど」


「……」


 しっかりと閉め切って、僕の方に来る。


「礼先輩に犯されて精神崩壊しかけて、ホントにゴキブリみたいな生命力だこと」


「……僕のことはどうでもいいんです。れいかさんは、れいかさんは、無事なんですかっ?」


「けっ! 自分よりも自分を襲った女に気をかけるなんて、けっ!」


 何しに来たんだろう……?


「モヤシから聞いてるでしょ? 礼先輩は大ケガっ! 無事なわけないでしょっ!」


「……そうですよね」


 僕は虹にぃだけじゃなく、れいかさんも傷付けたんだ……。


「けど、生きてる」


「!」


「生きてれば何回だって仲直りくらいできるし、そんなことで泣くなっ! 男でしょっ?」


「いや、泣いてないですけど……」


 そうか、“生きてる”か。結局は生死の問題に尽きるものなのか。確かにそうかもしれない。


「ありがとうです」


「!」


 ぷいと顔を逸らした。


「べ、別にあんたなんかどうだっていいんだからっ! ……でもまあ、どういたしまして」


 顔を赤くして頬をカリカリ掻く。本当にツンデレだなぁ……。


「それで、他に用ですか?」


「切り替えはやっ! もっとタメなさいよ!」


「ま、まあまあ……」


 ギャーギャー言うので、何とか宥める。


「まったく……、いい? 大事な話だから聞きなさいよ?」


「……はい」


 ずいっと顔を近付ける。確かにどことなくそんな雰囲気を醸し出していた。僕も真剣になろう。


「ここに来たのは、お兄ちゃんの秘密の話……」


「陸奥実君の……?」


 陸奥実君がどうかしたのか?


「お兄ちゃんってあんまり自分のこと知られたくない人だからね。それで、家族以外で一番お兄ちゃんを知ってるのは新戸先輩だと思ったの。だから先輩には話しとこうって」


「分かりました。僕も秘密にします」


「ありがとね」


 ニッと笑った。


「単刀直入に言うよ? 前に女装コンテストの時に乱入してきた、あの黒服の人なんだけど、」


「分かります。陸奥実君ですよね?」


「うん。それで、秘密っていうのは、あの目のこと……」


 ……よく覚えてる。あの茶色というより赤いに近い瞳。栗原さん家のおばさんがカラーコンタクトだって言っていた。


「カラーコンタクトですよね。よくあんな格好しましたね」


「違う」


「?」


「あれはお兄ちゃんの本当の瞳の色なの……」


「え?」


 あの赤目はもともと……?


「で、でも陸奥実君の亡くなった両親が外国人だなんて話は、」


「当たり前よ! 今まででも国際結婚したことないしね。でも本当の話よ」


 突然変異か何かか? 生物でもそんな内容の授業やったような気がする。遺伝の話だ。


「八菜さんも……?」


「わたしはこんなの、気にしなかったしね。問題ないしっ。でも、お兄ちゃんは……“あれ”のせいで小さい頃からイジメられてたし、女の子っぽいから言い返せなかったし、……辛かったと思うよ。中学の時でも本当に友達がいなかったの……」


 あの交通事故の前の話は知らなかった……。“慣れている”とはそういうことだったんだ。そんな状況で、交通事故で家族を失った……。


「ここだけの話、実はね、うちのお父さんとお母さんもお兄ちゃんを引き取るの、躊躇ったの」


「えっ……」


「世間体ってヤツ。うちの親戚はお兄ちゃんのこと全部知ってたから、その間じゃ疎まれてて。……わたしは大好きだけど」


「じゃあ、何で陸奥実君を引き取ったんですか?」


「決まってるじゃない……」


 眉を曇らせる。歯軋りが小さく聞こえた。


「遺産目当てよっ……!」


「!」


「結局は……金目当てだった……」


 話している彼女でさえ、涙を堪えている。

 どうして……? どうして陸奥実君を、そんな扱いにできるんだ……? 陸奥実君はずっと仲間がいなくて苦しくて、家族を失って心を病んで、それなのに……。そんなことが現実にあっていいのかっ!


「お兄ちゃんは悪くないはずなのに、みんなお兄ちゃんを蔑んでる……。今でもそう。でも、その今がいいって言ってた」


「え?」


「笑い合える友達がいる、真の理解者がいる、普通のことなのに、それだけでいいって……」


 陸奥実君は全てを受け入れていた。抗わず逃げず、現状を受け止めて生きている。虹にぃにだって僕にだって、その辛さを見せなかった。


「あっ……」


 似てる。れいかさんと……似てる。同じ強さだ。辛い過去と向き合って、それを隠すのでなくかてとして生き抜いていく強さ。


「お兄ちゃんはこうも言ってた。いつかこの目を、皆に見せるって」


「!」


「お兄ちゃんが唯一受け入れられないところ。……すごく怖いと思う。もし、以前と同じようになったら、」


「それはないです」


「……!」


「あのおバカな連中が、目の色が違うだけで軽蔑したりしません。むしろ前橋君なんか羨ましがると思いますよ」


「え……?」


「友達とはそんなものです」


「……うん!」






 陸奥実君の瞳、八菜さんの髪のように、陸奥実君の親戚では、そういう異常がほぼあるという。でもだいたいは目立たない所が多く、消滅することもあるという。そうならなくても、できるだけ隠しているらしい。

 八菜さんが陸奥実君を特に慕うのもこれで納得がいった。彼女は陸奥実君を守っているんだ。だから“彼”の適切な処置も分かっていたし、陸奥実君を大切にしていた。

 実を言うと、僕はこの時、他の事も考えていた。まさかとは思うが……、いや、でも……。親戚や身内で色の異常がよくある。さらに八菜さんが陸奥実君を慕う理由。もし遺伝でこうなるとしたら、……それは……ないことはないが、あってはならない。……インセストの可能性がある。

 そして殺人事件紛いの交通事故、陸奥実君に相続された遺産、それごと陸奥実君を引き取った八菜さんの家族、表立つことのなかった交通事故のもう一つの家族、それを隠し通したのは……。……………まさか!


「瑠璃?」


「は、はいっ?」


「どうしたんだい? 陸奥実君に会えなくて残念かい?」


 ぼ、僕は何をしてたんだっけ?


「え、えっと、そのっ」


「考え事みたいだね」


「すみません……」


 そ、そうだ。僕は陸奥実君の聞き込みを終えた虹にぃと部屋に戻っている途中だった。


「陸奥実君がクロかったなら、それをネタにして、僕のオモチャにしようと思ったのに……」


「……えっ?」


「あぁ、いや、なんでもないです。……あはは……」


 僕の妄想通りなら、陸奥実君を守らなくては。八菜さんはきっと僕だけに伝えたかったんだ……!


「瑠璃、岡本さんが亡くなったのは知ってるね?」


「……はい」


「検死が終わったから、明後日くらいにお葬式があると思う。行ってきなさい」


「はい」


「ところで、瑠璃は調子はどうだい?」


「……まだ、歩くのが……辛いです」


「そうか。これから部屋でゆっくりしてよ」


「はい」


「それと、八菜ちゃんとは何を話してたんだい?」


「……! ただの自慢話とか、」


「嘘はやめなさい」


「ど、どうして、」


「全部あそこから見てたのさ」


「!」


「瑠璃は夏休みいっぱいは静養してるんだ」


「嫌です! こうしている間に、」


「また麻薬事件のように、命を落としかけたらどうするつもりだっ!」


「……!」


「事態は急転したんだ!」


「そ、それでも、」


「……頼む、瑠璃。大切な“弟”をこれ以上、死地に向かわせるわけにはいかない」


「それでも嫌です! 陸奥実君が死ぬことになるんですよ……?」


「違う! 危ないのは陸奥実君じゃない!」


「え……?」


「自分と八菜ちゃんと……瑠璃だ!」


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