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三壊目「覗き込む」

「どうした? ―――? どうして泣いてるんだ?」



みんながなかまはずれにするんだよ? どうして? なにもわるいことしてないのに……



「―――も知らず知らずのうちに悪いことしてるかもしれない。その子たちに聞いてみなさい」



……うん。わかったよ、パパ!



…………



「どうだった?」



うん! パパの言ったとおりだったよ! ごめんなさい、って言ったら、みんなあそんでくれて、なかまはずれにしないって言ってくれたよ!



「それはよかったな! これでお前も成長したぞ」



せいちょう?



「お前はいくつも学んだんだ。素直に謝ること、正直に言うこと、勇気を持つこと、……今日のことは絶対に忘れちゃダメだぞ?」



うんっ!



…………



「ただいまぁ」


「お帰り。……あなた、またお酒飲んで……」


「ん? 仕事の祝勝会だ! とりあえず迎え酒くれぃ」


「ちょっとは控えてよ。―――、ちょっとこれ持ってってあげて」



うん!



「おぉ、小さいウエイターだなぁ。あんまり調子のってると、ずっこけるぞ」



だいじょうぶ! だって……あ!



「うぶぁ、ちゃぁっ!」



パパ、ごめんなさい! たおる、



「てめぇ、何しやがんだよ!」



! いだっ!



「! あなた、何してるの!」


「見てくれよ。こいつがよぉ」


「―――に手をあげるなんて……」



ま、ママ……、いたいよ……



「ちっ。悪かったよ」



…………



「……! これ……どういうことだ……?」


「もうあなたとは付き合いきれない……」


「どうして! 訳を言えよ!」


「……浮気してるところを見たの。もう信用できない」


「浮気なんてしてない!」


「じゃあこれは何? この写真のこの女は誰っ?」


「それは……妹だよっ! お前のプレゼントを買おうとして、」


「そんな安っぽい嘘なんか騙されない! とにかく別れて! でなきゃ勝手に出ていくわっ!」


「―――は……? ―――はどうするんだよ! お前1人じゃ……」


「実家に帰ってやるわ!」


「そんな……。頼む、信じてくれ! 本当に妹なんだよ! なんなら電話して確認させようかっ?」


「よしてよっ! 胸糞悪いっ!」



……パパ、本当のこと言った方がいいよ……。ちゃんと言えばママは許してくれるよ……。



「うるせぇなっ! それでどうなんだよっ! ガキのてめぇが首突っ込むんじゃねえ!」



「! あなたっ!」



ぎゃっ!



「止めて! ―――は関係ないでしょっ!」


「ったくよ、ウジウジしてるくせに生意気に言いやがってよ! 前々からその喋り方がウザかったんだ!」



……!



「だからてめぇはいつになっても仲間外れにされんだよっ!」


「もう止めてぇぇ!」



いたい、いたいよ……。やめて、いたいっ!



「止めてぇぇぇっ!」



うぅっ……、ぅえぇぇぇ……!



「うるせぇな! 泣くの止めろ!」



ぎゃぃ! えぇぇぇぇぇ……!



「分かりました! あなたと別れます! ここから出て行きますっ! ―――に暴力振るう男なんかと一緒に住めません! 野蛮ですっ!」



……!



「俺も住めねえよ! あばよ……」


「……」



んっく……



「―――、大丈夫?」



……だいじょうぶ……です



「なんでこうなるの……」



…………



「それじゃ、―――を頼みます。私は心の傷を癒します……」


「分かった。―――は任せて。あんたの子供は苦にはさせない。ゆっくりしてからここに来な」


「うん。ありがとう……またね、―――」



ママも……休んでくださいね



「―――も元気でね。それじゃ……」



……ママ……



「……………………行っちゃったね。そうだ。―――のお兄ちゃんを紹介するよ。……おーい、コウ! 下りてきなさい!」


「あぁ!」



お兄ちゃん?



「そうだよ」


「なに、母さん? ……ってその子は?」


「この子は―――。―――、こっちはコウだよ。これから兄弟になるんだ。仲良くしてやってね」


「へぇー。よろしくな、―――」



よ、よろしく……お願いします……コウ兄ちゃん。



「なんか、兄ちゃんとか照れるな」



…………



「ほらほら、どうした―――? 全然遅いぜ!」



ま、待ってください、コウ兄ちゃん! 速いです〜!



「速くしないとカブトムシ逃げちまうよ!」



虫取り網で取ればいいじゃないですか!



「バカか! 昆虫は素手で取るのが基本だ! 虫取り網はチキンのすることだ!」



ぼくは鶏肉じゃないですっ!



「そういう意味じゃねえ! 臆病者ってこと、あ〜! 逃げられた!」



あ〜あ……



「どうしてくれんだ! 逃げられたじゃねえか!」



ご、ごめんなさい……。ぶたないで……いたいのやです……



「……」



い、いたぃ!



「まったく、そんな弱虫じゃあ、この厳しい社会に生きていけん! 俺が直々に鍛えてやる!」



……いたいのやだよ……うぇぇぇ……



「……な、泣くなよ……。ご、ごめんな。泣かせるつもりはわかったんだよ……」



…………



「……母さんから聞いたぜ」



何をです?



「ここに来る前、ヒドイことされたこと……」



……いいんです。ぼくがいけなかったんです。生意気だから……



「アホ!」



いたっ!



「そういうのは我慢しなくていいんだよ! ……これからは俺たち家族とずっと楽しく暮らそうぜ!」



……ママは……?



「あ……あぁ! もちろん、お前のママともさ! 来る前のことはキレイさっぱり忘れて、これからを楽しもうぜ!」



……はい!



 僕の人生はここから始まった。






「あれ、……ここは?」


 ……知っている。この頃は僕が高校受験を控えていた時だ。つまり中学時代。そしてここは……、


「……」


 高校だ。僕が高校受験の下見に学園祭に来たんだ。でも、あまりにもつまらなくて、よくは覚えていない。確か、虹にぃがいたはず……。

 僕がその時の風景と虹にぃを思い浮かべると、


「……ほら、瑠璃。行くぞ」


「はい」


 少し青い虹にぃと中学時代の僕がにわかに現れた。そして風景は……高校の校門。傍らに学園祭の看板があった。この看板は書道部が書いたもので、かなりの達筆だったので覚えている。校庭や学校以外のその他の風景は黒塗りにされていた。

 中学時代の僕は幼い頃と打って変わって、本当にいけ好かない男だった。バスケ部だったので、部活の連中とは戯れていたが、他は知り合い以下しかいない。そのせいか、僕のことを嫌っている人もたくさんいた。それでも……当時の僕は全く気にしていなかった。

 下見ということもあってか、楽しむというより見に来ている方が強い。学校に入っても出し物をほとんどスルーしている。

 さすがの虹にぃも呆れて、


「ちょっと……もうちょっと楽しまないかい? これじゃあ走ってるだけだよ」


 若い僕に言った。


「いいのです。僕は遊びに来たわけではないので」


「ん〜……」


 頭をかいて、困り果てていた。

 客観的に見ると、本当に冷めている。唯一の理解者の虹にぃに対してでさえ、つっけんどんな態度だ。ツンデレでなくツンツンしている。

 4階に上がろうとした時、


「……?」


「この音は……」


 遠くの方から“音”が聞こえてくる。


「フルートだね」


「フルート……?」


「知らないかい?」


「少しは」


 この時のメロディーは覚えている。それほど印象的だった。けど、曲名が分からない。今、思い出しても……明るいけど少し淋しかったのだけは覚えている……。


「一人みたい。個人練習かな? 相当上手いね」


「虹にぃはやったことあるのですか?」


「ちょっとね。吹奏楽は体育館でやるものだと思ってたけど……行ってみるかい?」


「それって……邪魔になるのではないですか?」


「いいんだよ。学園祭なんだしね」


 ちょっと強引な気もする。でも好奇心が勝って行くことにした。

 今思えば、騒がしい教室棟から聞くのは難しい。でも、聞こえたのはなんでだろう? ちょっと分からない。

 音を頼りに進んでいくと、やはり教室棟から離れていく。特別棟と呼ばれる建物に向かっていった。

 窓の外は黒く塗り潰されていた。


「上ですね」


 奥の方に階段があるのが見える。二人はそちらに歩いていく。

 きっとその間も何か話はしていたのだろう。だが、僕には口パクしている風にしか見えなかった。声が聞こえない。

 階段をずっと昇っていってすぐ右に、


「この部屋からだね」


 “音楽室”があった。ドアの上縁にプレートが貼ってある。ここが最上階の5階だ。


「入るよ」


「はい」


 ガラスのないゴツいドアを開けていく。


「お邪魔しま〜す」


「!」


 音楽室は一段が長い階段状になっていて、床に緑のマットが敷かれている。そしてその一段ごとに机が並べられていた。ぱっと見、六列六行ある。

 その真ん中の段に一人いた。そして動揺していた。それはそうだ。でも、姿が分からない。同じように黒塗りにされている。ただ、フルートだけはしっかりと色付けされている。


「あ、あの……ここは……関係者以外は……」


「知ってる」


「でっではちょっと退出して、」


「うちの瑠璃が興味持っちゃってね。そのフルートの音に吸い込まれたんだよ」


 銀色にきらきらと魅せる。


「こ、虹にぃ! 何を言って、……!」


 その時、初めて目を合わせたんだ。


「……」


「…………」


 変な気分になって、鼓動が速くなるのが分かって、急に恥ずかしくなって……、


「どうした瑠璃?」


「な、何でもないですっ」


 声も震えていた。これも覚えている。僕が初めて体験した気持ちだから。

 虹にぃの背中に隠れるしかなかった。こそこそ隠れるものの、真っ赤な顔だけ覗かせる。自分で言うのも変だけど、初々しい。


「じゃ、自分はトイレ行ってくる」


「え!」


 にやついていた。

 虹にぃは木の葉のようにその場を立ち去った。あっという間に、


「い、意地悪しないでくだ、」


 ばたん、と置いてきぼりにされてしまった。

 音楽室に見知らぬ二人。非常に気まずい。若い僕は俯いてもじもじする。


「……」


 見てくる見てくる。僕まで恥ずかしくなってきた……。


「とりあえず、そこ座ってていいよ」


 若い僕は椅子に座らせてもらった。そしてその人は隣の席に座る。フルートは専用のケースに丁寧にしまわれた。


「君、“瑠璃”っていうの?」


「ち、違います。僕は“瑠璃人”って名前です。新戸 瑠璃人です」


「へぇ〜。変わった名前だね」


 まともに目も合わせない。その人の一言一言にどぎまぎしているのが、よくわかる。緊張しすぎだ。


「緊張しすぎ。楽にしていいよ」


「き、緊張してないですっ」


「してるしね。カチコチだよ……」


 苦笑いした。


「それで、ここに入るの?」


「分からないです。まだ決めてなくて……。でも、僕の兄の仕事場がここの近くなので、かなり遠いですけど、許可をもらえたら……」


「そうなんだ。お兄さんの仕事場が近くか……。お兄さんが好きなんだね」


「……」


「答えなくても顔に書いてあるよ。なんか、かわいぃ……」


「え?」


 か、かわいい……?


「そうだ! 君のこと、“瑠璃ちゃん”って呼んでいいかな?」



あ……



 その人から、黒いのがぺりぺりと剥がされていって……、


「すごくかわいぃ名前だよね、“瑠璃ちゃん”」


 彩色が施されていく……。


「あはは。ねぇねぇ、瑠璃ちゃんっ?」


 柔らかい笑顔、とろとろした瞳、少し細長い眉毛、短くて艶っぽい睫毛……。何の会話もなくても、和やかで緩やかで……時間がゆったり流れていく感じがする。


「どうしたの、瑠璃ちゃん?」


 この時から、


「ねぇ、瑠璃ちゃん?」


 僕は……、


「……はっ!」


「どうしたの? ずっとぼーっとしてたよ?」


「あ、あれ……?」


 どうして目の前にっ? こ、ここは……? だってさっきは学校だったはずじゃなかったか? 今は……、


「どうして?」


 帰り道……? いつの日かの帰り道だ。思い出せない。思い出せないけど、確かにそうだ。

 空は真っ黒だった。太陽も雲も何もない、ただの黒。建ち並ぶ家も道も黒、電柱も、ブロック塀も、道路も黒だった。唯一カラーなのが僕と礼香さん、あとは着ている制服だけだ。

 そのありえない情景に、思わず足が止まった。


「どうしたの?」


「……いえ、何でもありません」


 ふ〜ん、と返事して、再び歩き出した。そして上機嫌なのか分からないが、鼻唄もし始める。

 僕はどうして礼香さんと歩いているんだっけ? ここにいたるまでのプロセスが完全に欠落している。まさか、礼香さんに聞くわけにはいかないし、このまま放っておいても気になる一方だし、……とりあえず家に帰ってからにしよう。

 いや、そもそも僕は礼香さんに話があって、音楽室に行ったんだ。そこからの記憶が……ない。

 疑問を抱いたまま、礼香をちらっと見ると、


「……!」


 右腕が……治っていた。そんなに早く、いや、一ヶ月近く経っていたし……でも傷痕は残るって徹さんが言っていたような気がする。それとも僕の記憶が混乱しているのか? もしかして、あの日より前の日なのか……?


「なんか初々しいね」


「? どこがですか?」


「ん〜、何て言うかな……、……“人間観察”って感じ」


「は、はい?」


 あっ、やばい。ばれたかもしれないっ。


「初めての娘と話す時って、何話そうかな、とか考えたりしない?」


「……それは当たり前ですよ」


「あはははははっ……! だから初々しいなぁってね、あははは……!」


「いい気分しないですね。よくわからないです」


「いいんだよ。……瑠璃ちゃんは素直だね。弄りがいがあるよ」


 その笑顔、笑い声……、僕がどんなに救われたことか。そして自分が一番苦しい思いをしてきたはずなのに、それを周囲に感じさせない……強さ。きっと当時の僕はその片鱗すら掴めていなかっただろう。どうして気付けなかったのか、どうして察してやれなかったのか、僕に残る気持ち、それは後悔しかなかった。だから、


「……それで、言いたいことがあるんでしょ?」


「……!」


 今、伝えなきゃいけないことがある。


「瑠璃ちゃんは口数が減ると、質問コーナーに入る癖があるからね」


 伝えなきゃきっと、後悔するから!


「……では、お言葉に甘えて……」


 僕は一呼吸置く。緊張はもちろんする。でも、目を逸らさない。彼女の目を見て、伝えるんだ……!


「え、えっと……」


「……えっ……?」


 彼女もそれを察したのか、僕を見つめる。


「あの、ですね」


「うん」


「うんと……えっと」


「……うん」


 呆れないで、真剣な眼差しで返事してくれる。全身に力が入りすぎているのが自他ともに分かる。……落ち着こうなんて思わなくていい。想いを伝えられればいいんだ!


「れっ、礼香さん」


「はい」


 きゅっ、と自分の手を握る。


「ぼっ僕はあなたが……苦しいことを味わってきたのを……知りました」


「え、え……?」


 真顔が一瞬に崩れ、困惑する。やっぱり、あまり触れてほしくない出来事だった。


「恋人を亡くしたこと、心身ともに傷付けられて、ぼろぼろにされたこと……僕は知りませんでした」


「う、うん」


 瞳が動き回るのが分かる。


「なのにそれをちっとも見せず、僕に笑いかけたり、励ましてくれたりしてくれました」


「うん」


「本当に……ありがとうです」


「……」


 僕は彼女の目の前に行った。


「礼香さん、僕は、あなたのことが……好きです」


「……うん……」


 俯いて、いつも以上に低い声。やはり駄目なのか……?

 そう思っていると、


「私も聞いていい?」


 逆に聞かれた。


「もちろんです」


 顔を近づけて、


「誰がそれをばらしたのっ!」


 ……泣いていた。

 ぐいっと胸倉をつかまれて、ブロック塀に押し込まれた。ぼろぼろと涙を零して、僕の胸を思い切り叩く。……痛い。


「ねえ、誰がばらしたのっ! 何で瑠璃ちゃんが、知ってるの……!」


「礼香さん?」


「どうして知ってるのっ!」


 とうとう泣き崩れてしまった……。

 確かに、この時はまだ事件も何も起こっていなかった。だから礼香さんのことが露見されることはない。

 もしかして、逆効果……?

 手を差し延べ、


「れ、礼香さ、」


「さわらないでっ! ……うぅ、ううっ……」


 手を叩き落とされた。じんじんする……。


「……っく、んぅっ……ううっうぅ」


 もう何も言えない。


「う、ぅっ……る、瑠璃ちゃん」


「……はい」


「瑠璃ちゃんなんか嫌い……」


 ……ずきりと胸が痛む。


「だぃっきらいっ!」


 目をこすって、立ち上がった。キッと僕を睨みつける。


「ふっ……ふっ、ふぅっ」


「わか、りました……。ごめんなさい。僕はっ、さらに傷付けて……しまったみたいですね」


 目が熱くなって、


「もう、礼香さんとは……関わらないですから……」


 いや、いいんだ。自分の想いを伝えられたんだから。どうこう思うより立ち去ってしまおう。

 真っ黒の背景に溶け込むように歩いていく。鋭い視線を浴びながら、彼女を置いていく。きっとまだ睨みつけているのだろう。でも振り返らない。恨まれても……辛くない。どうせ後で壊されてしまうんだから。

 そういえば虹にぃはどうしたんだろう? 陸奥実君は? N事件は? 誰か解決したのか? ……もういいか。何も考えたくなくなってきた。早く眠ってしまいたい。

 意識がだんだん薄くなっていく。身体の力がぎりぎりまで抜け落ち、まぶたも重くなっていく。でも、


「……いたい」


 痛い。ずきずきする。剣山で心臓を直接擦るようなざらざらした痛み。そして圧迫感。苦しい。呼吸しても息苦しい。僕は息をしてるのか? これじゃあ眠れないな。

 しかも熱い。誰だ。邪魔するのは。もういいよ。ほっといてよ。僕は……、


「待って」


 腕を掴まれていた。


「待って」


 礼香、さん?

 下を向いていた。そこから表情は窺えない。


「ごめん。瑠璃ちゃんに酷いこと言って……」


「いいです。それがあなたの気持ちですから。もうほっといていいですよ」


 それを振り払う。でも、


「違うの、違うの! あれは違うの!」


 今度は腕に抱き着く。いや、しがみつく。


「私ね、瑠璃ちゃんには知ってほしくなかった。重いし面白くないし、汚れてる。だから笑ってごまかすしかなかった。……瑠璃ちゃんは私が眩しくて見れないほど、素直で正直で綺麗だったから、私なんかで汚したくなかった……」


 僕の腕から、彼女の生きている音が伝わる。そして微かに聞こえる嗚咽。


「私は、」


 どくん、


「瑠璃ちゃんが、」


 どくん、


「大好きなんだよっ!」


 どくん、


「れい、かさん……」


 どくん、


「礼香さん」


 どくん、


「礼香、さん」


 彼女は僕を見る。僕も見る。涙目で鼻をすすって、赤く腫らす。それでも堪えきれなくて、つぅっと何粒も伝う。僕は手を離してもらって、指先でその涙をすくった。じわりと湿って、伝わる。涙の熱さ、頬の温もり、柔らかさ……。

 身体の中心に、何かが集まる感じ。そして込み上げてくる気持ち。どうにもならない。収まらない。もっと触れたい……。


「なんか、くすぐったい」


 その触れる手をそのまま重ねてくれた。


「瑠璃ちゃん、好き。……瑠璃ちゃんと一緒にいる時だけ、自分が洗われてる気がするの」


 そして撫でてくれた。愛おしむように。

 身体が熱い。運動してるみたいに息が荒くなってきて、興奮する……。爆発しそうだ。


「でも、後ろめたい気持ちもあったよ……」


「……亡くなった恋人ですね?」


「うん。あの人のことも大好き。でも瑠璃ちゃんも大好き。……裏切った気がして、ずっと苦しかったよ」


 そっと頬から手を剥がす。


「それで決めたの。……瑠璃ちゃんを愛したいって」


「それは……その、言いづらいことですけど、」


「うん、……分かる。切り捨てるのとは違う。かと言って瑠璃ちゃんを本気で好きにならないわけじゃない。あの人との思い出を大切にして、大切にして、……今を、瑠璃ちゃんを好きでいたい。すごく難しいけど……二人ともかけがえのない人だから……」


「そう、ですか」


「正直に言って? 瑠璃ちゃんは嫌かな? そういう中途半端なの……」


「……僕」


 僕は無理矢理、笑顔を作った。


「礼香さんの意志を……尊重しますよ」


「ありがとっ」


 彼女も作ってくれた。やはり、笑顔が似合う。


「……うん」


「今度は瑠璃ちゃんの番」


「え? 僕は何もないです」


「あるでしょ? 心の痛みを理解できるのは、知ってるから。瑠璃ちゃんは私を理解してくれた。だから瑠璃ちゃんにも辛いことがあったはずなんだよ?」


「……」


 僕らは道の脇にあるベンチに座った。

 今思えば、通行人が一人もいない。背景の大部分が黒塗りなのは変わらないけど。


「私のこと、知ってるんだから、瑠璃ちゃんのことも教えて、ね?」


「……はい」


 幼い頃の僕は泣き虫だった。そのせいで友達もできなくて、いつも泣かされていた。でも父さんと相談したら、普通に友達ができて……。だから、父さんはすごいと思った。もちろん母さんも炊事洗濯と熟していて、すごい。

 ……でも、悲劇は突然だった。父さんと母さんが離婚してしまった。母さんに引き取られたものの、信用ある友人に僕を託してそのまま蒸発。……そのせいで、二人の顔と思い出は記憶の奥底に抑圧された。二人の容姿はまったく思い出せない……。

 それでも良かった。虹にぃが僕の義兄になってくれたから。あの二人のことなんか忘れて幸せになれ、と虹にぃは励ましてくれた。。だから前を見て、生きることを決めたんだ。

 幼かった僕にとって、それが辛いことなのかは今は分からない。でも礼香さんのようにカウンセリングを受けていなかったし、陸奥実君のように二重人格になったわけでもない。きっとうまく逃がせてたんだと思う。虹にぃのおかげで。

 この粗筋を礼香さんに話した。陸奥実君のことは伏せて。


「やっぱり辛かった?」


「いえ、すぐに忘れましたから」


「嘘だよ」


 膝に乗せていた僕の手を握りしめる。


「辛くなかったら、“敬語”になってないよ」


「!」


「瑠璃ちゃんは相手を傷付けないために敬語になってたんじゃない。暴力されるのが怖くて敬語になってたんだよ……」


 そう、なのか……? 分からない。分からない。


「私は、絶対にひどいことはしない。約束……ううん、誓うよ。だから、いっぱい優しくして、甘えていいからね。ほら、ぎゅうってしてあげるよ」


 でも、彼女は僕よりも何万倍も苦しかったはずだ。


「礼香さん、我慢しなくていいんですよ」


「え?」


 僕は逆に、力一杯抱きしめた。


「えぇ? えっ?」


「甘えるのは、礼香さんです。お姉さんぶって、結局駄目じゃないですか」


「わ、わ、わわあぁっ」


「我慢しないでください」


「……うん」


 ぷしゅう、と顔を真っ赤にして、僕の胸にうずくまる。






「……ほ、本当にそんなことが……」


「分かったでしょ? わたしはお兄ちゃんが心配で来ただけ。あの事件のことは本当に知らない」


「そうか」


「後で確かめればいいよ。よく見れば分かるから」


「でも、どうしてそれを教えてくれたんだ?」


「わかんない。ガングロ、モヤシ、先輩はお兄ちゃんをお世話してくれたからじゃん?」


「ありがとう」


「かっ勘違いしないでよ! あんたたちなんかに借りを作りたくないだけなんだから!」


「そ、そうか……」


「ところでモヤシはどこ行ったの?」


「ん? ああ、若海さんのところだよ」


「雛のお姉ちゃんね」


「え? あの娘、妹いたんだ。そういう話はちっともしてくれないから。……彼女は事件について何か知ってそうだから、虹が行ったんだ」


「ったく、あのモヤシはお年頃の女の子の気持ちを分かってないのよね−。仕方ない。わたし、行ってくる」


「え! ちょ、ちょっと待ってくれ。そういうのは一般人には、」


「なによ! ガングロのくせに警察ヅラしないでよっ!」


「が、ガングロ……ガングロ……ガングロ……」


「……何か感づいてたらまずい。最悪……」



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