二十七悔目「鷹狩」
いくら考えても分からない。それが自分の求めた答なのか? 別の道は無かったのか? いや、そんな余裕は無かったに違いない。生き延びることを考えるだけで精一杯だった。身も心も神経も削られていた。でももう、そんな呪縛から解放された……。
それでも自責の念は尽きない。自分のちっぽけな命のために、他人を壊してしまった。しかも、2人目に好きになった人。もうあの日常は返ってこない。完全に崩壊してしまった。……こんな人生、歩く意味なんてあるのかなぁ……。……教えてよ……瑠璃ちゃん……。
「……」
「ばかやろう! 一体どこをほっついてた!」
「……捜査に決まってるじゃないか」
「瑠璃人君が危険だったんだぞ! 危うく……」
「……」
「とにかく、私は見損なった。見舞いの一つもしないで、ほったらかしにして……! 何考えてるんだ!」
「これは自分と瑠璃人の問題だ。徹には関係ない」
「関係なくてもいい! 私は弟を見殺しにするつもりかと聞いてる!」
「……自業自得さ」
「なっ……!」
「瑠璃人は独自で勝手に調査した。第一被害者である若海 礼香に異常接近し、命を落としかけた。自分のどこに落ち度がある? 瑠璃人はそれを承知でやったんだ」
「……」
「それに前々から伝えている。禁止区域に足を踏み入れたらどうなるか? 麻薬事件の時にね」
「だが、心配の一つもしないのか……! 瑠璃人君は……」
「いつもしてる! この約二週間だって断腸の思いだった! けど、瑠璃人や徹を信頼してたから切り出せたんだ……!」
「…………」
「……」
急いで帰って来て、徹に会った瞬間だった。自分の知らぬ間に、瑠璃人が勝手な行動をしていたことを教えられた。……それに関してはそんなに怒っていない。仕事上では非常に厳しい状況に陥ってしまったかもしれない。それもいいんだ。何とか取り返しはつきそうだから。……でも……、
「……瑠璃は……どうなんだ……?」
「……」
徹のその表情が、並大抵の事態でないことを悟らせる。
変な感覚に襲われていた。頭の中が水中に沈められていく感じ。気持ち悪い浮遊感と焦燥感が入り混じっている。そのせいで胸が苦しい。いくら息をしても何かが足りない。
「……」
徹は口を開かない。自分と目を合わせようとしない。
「……はっきり言ってくれ、徹……」
徹は椅子に腰掛け、コーヒーカップを手に取った。
「……いいのか? えぐい話になるぞ? お前は男だからいいがな、女だったらセクハラにされるくらいだぞ?」
啜りながら聞いてくる。
「ああ。……覚悟はできてる」
「そうか。ならば発見当初から話そう」
それをカップ受けに戻した。
「私を含めた救急隊が駆け付けた現場は学校の音楽室だ」
「音楽室……?」
「遮音性に優れているからだろうな。そしてそこに瑠璃人君のみいた。……いや、その前に……部屋は異様な臭いがしていたんだ。生臭い動物性の臭いだ」
「……」
「発見した時、私たちも息を呑んだ。両手両足は縛られ服は引き裂かれ、生傷で血だらけに……、何よりも白く汚されていた……。意味分かるな?」
「……うん」
「つまり、彼は犯されたんだ。……身体はおろか、性器や肛門まで……。よほどの怨みがあったようだが、瑠璃人君が怨まれるような人間には思えない」
「……問題は……心の方か……?」
「あぁ。生命機能は一応保たれている。だが看護師だけでなく私にさえ怯えきっている。身体に触れたら発狂して、絶頂をむかえてしまう……。……惨すぎる……」
「……っ……」
……くそ……くそぉぉぉ……!
「それでも私たちは全力でケアにあたるつもりだ。あとは……お前だぞ?」
「……分かってる」
自分は徹に連れていかれた。まともに歩けない。よろよろと千鳥足のようで、スロープに掴まっていないと駄目なくらい、歩けない。
またしても瑠璃を守ってやれなかった……。
「ここが瑠璃人君の部屋だ。私はあっちの部屋にいるから、何かあったら呼んでくれ。……瑠璃人君を……」
「うん」
向かい側の部屋に入っていった。
瑠璃のいる部屋のドアに“面会謝絶”と貼紙がしてある。きっとずっと面会謝絶だったのだろう。
躊躇いなくドアを開けて、中に入った。
「……瑠璃……」
殺風景な部屋だった。機器類とベッドしかない。冷房は効いているようで、暑くもなく寒くもない。でも、恐ろしく身体は暑かった。それをぐっと堪えて、目の前の光景を目に焼き付ける。
「…………」
瑠璃はベッドの中で仰向けになって息をしている。それだけだ……。自分に気づかない。いや、今見ている情景さえも認識しているのか……。
瑠璃の元へ歩み寄る。
「……」
首に痕がある。首を絞めた痕。……話には無かったが、絞殺する意志はあったに違いない。
「……る……り……」
何も言わない、しない。過ちが今更込み上げてきて……。
「ごめん……」
耳に留まらないだろう。もう直視できなかった。
「……ごめん、瑠璃……」
その時だった。
「!」
いつの間にか対峙されていた。構えるその手には……拳銃が……。なぜ……?
「……!」
自分のが……ない! 今日はたまたま着けてきていたが、どうしてそれがある位置が分かったんだ? いや、そんなことはどうでもいい。
「瑠璃!」
「静かにしてください」
落ち着かなければ。変に気を煽って大惨事を招いてはならない。
瑠璃の口調はとてつもないほど淡々としていた。恐ろしく冷静だ。だが焦点が合っていないように目が虚ろだった。
「これ以上、僕に付き纏わないでください」
「な、何を言ってるんだ……! 虹だ、虹だよ……?」
「? 何を惚けたことを吐かすのですか? あなたが虹にぃのわけがありません」
「…………」
自分が誰なのか分からないのか? 記憶喪失? 徹を呼ぶ前に取り返さないと……、
「動かないでください。今、僕の指は心許ないです」
「瑠璃、落ち着こう……? ゆっくり話そう。自分は虹だ。今ならまだ、」
「虹にぃの口調で言わないでください。僕を馬鹿にしているつもりですか? 虹にぃは出張中です。N事件の捜査中なのです」
瑠璃の中で時間が……止まっている?
今、自分を完全に証明できるものはない。変に免許証などを見せたら、逆上するかもしれない。
「わかった。もう出ていくよ。だから銃を返してくれないかい? この状況で揉め事を起こすのは、互いにメリットはないはずだ」
「揉め事は起こしません。しかし、こうなった以上はそれは駄目です。助けを呼ぶ可能性があります。今度こそ僕の息の根を止めるのでしょう?」
まさか……犯人と……? いや、でも瑠璃を襲ったの、
「死んでください」
「な、何?」
ポケットから何かを放り投げた。床を転がり、自分の足元につく。
「それを使って、僕の前で自決してください」
め、メス……?
「何を馬鹿げたことを……」
「頸動脈か胸に突き刺してください。無理ならば仕方ありません……」
かちり、とハンマーを鳴らす。
「僕が殺すまでです」
拳銃が初めてとは言え、数メートルの至近距離だ、命中は確実。これ以上話を続ければ、命を落とす可能性も……。負傷覚悟でいくか……?
「……」
……メスか……。
「どうしたのですか? 早く死んでください」
こうなったら一か八か、
「…………」
「……?」
急に手元が震え出していた。しかも視線を辿った先は自分ではない。後ろの方を凝視している。つまり、誰かいるのか……?
「……あ……あぁ……」
明らかに動揺している。何があったんだ? 誰がいるんだ……? 振り向けないから分からない。
そして遂に、
「……っ……」
銃口をそちらに向けた。
感情が高ぶり始めている。まずい。
「瑠璃、落ち着いて……」
「……はぁっ、はぁっ……はぁっ……」
耳にも入らないか。一体誰がいるんだっ?
「2人とも動かないでね」
「!」
声からして女だ。
後ろから歩いて自分の前に来た。……まさか……。
「! あっ……」
「久しぶり、“瑠璃ちゃん”」
瑠璃の血の気が引くのがわかった。
「うわあぁぁぁぁぁぁっ!」
発狂した。今しかない。
「徹! てつうぅぅっ! 早く来てくれえぇぇぇっ!」
「無理だね。あのヤブ医者、コーヒー好きだから、おねんねしてるよ」
あいつ、簡単に盛られやがって……!
「瑠璃ちゃん、それを置こうよ」
彼女は徐々に歩み寄る。
「来ないでくださいっ! 撃ちますよ!」
瑠璃は後ずさる。
「耳……覚えてる?」
「!」
耳?
「うわぁぁあああぁぁぁっ!」
乾いた音が部屋を突き抜けた。瑠璃の両手が思い切り上がる。
「ぐぁっ!」
「わ、若海!」
彼女の右肩に……! くそ! もういくしか、
「大丈夫……ですっ」
右手で自分を制止した。……馬鹿な。大丈夫なわけがあるか!
「もう少し、だから……」
何がだっ?
彼女はなおも続けた。
「瑠璃ちゃん、いくら撃っても、心臓を撃っても私はここから離れないよ……」
右手から、ぽたぽたと垂れ落ちる。床に円く広がっていく。
「なら、試してみますか……?」
「や、やってみれば……えへへ……」
「いい加減にしなさい瑠璃! それ以上発砲したら、」
「ぎぃっ!」
今度は左腕……!
「……はぁ……はぁ……」
本来は自分がしていることだ。どうして……?
「んぐ……あはは。どうしたの? 私を殺すんじゃなかったの……?」
「……くっ……」
瑠璃人に迷いが生じている。彼女の身を呈した説得が、確かに瑠璃人の心を取り戻しつつあるんだ……。あとは自分が機を窺うしかない。もう少し……辛抱だ……。
「瑠璃ちゃん、人を殺めることは辛いんだよ……? 殺された人と同じくらい辛いんだよっ……?」
「!」
「それだけじゃない。遺族の人たち、加害者の家族だって……皆苦しくなっちゃう……。私……分かったの……。その時の自分の顔が、死人と同じように死んでたの……! そんなの……生きてる気がしない……」
「……」
瑠璃はまた、ハンマーを下ろす。……まずい……!
「だから私は……あなたを殺せなかった……。瑠璃ちゃんを壊すだけに留まったの……」
「若海……」
「……だから何ですか?」
「……ごめんね、瑠璃ちゃん……。私、どうかしてたの。ううん、今も頭おかしいよ。いっぱい嫌なこと経験してきたけど……今が一番辛いよ……」
今も銃口は真っすぐ額に向けられている。少しも気が緩んでいない。決意したか……?
「それなら解放してあげます。いい加減、あなたも殺してあげますよ」
「刑事さんはダメ! 殺すなら……私だけにして……。酷いことした相手に、ましてや好きな人に殺されるなら本望……」
「!」
まさか、彼女は最初から……!
「馬鹿なことは止めるんだ!」
死ぬつもりか!
若海は不意に瑠璃に近づいた。しかし瑠璃は怯んでいたのか、容易に近付かせた。そして若海は銃口を彼女に向けさせる。
「瑠璃ちゃん……今までありがとね。……それと、あの時の返事もするよ……」
もう駄目だ!
「……私も……瑠璃ちゃんが大好きだよ……」
「……れいっか、」
「わかう、」
「…………」
「……」
「……!」
「……」
「そ、……そんな……」
「虹っ! ……!」
「こう……にぃ……」
「若海さん、虹……」
「虹にぃ……いやだ、死んじゃ……やだ……」
「おい、やろうどもぉぉっ! 急いで2人を運べ!」
「はい!」
「やだ、やだ……」
「瑠璃、ちゃん……。刑事さんは……生きてるから、心配しないで……」
「虹にぃ、こうにぃこうにぃ……やだやだ、死なないで……」
「若海! とっとと乗れや! てめえも傷が化膿し始めてんだよ! くたばりてぇのかぁっ!」
「……ごめん、瑠璃ちゃん。私も……もう行かなきゃ……」
「美浦は瑠璃人君の保護! 渡辺は橋本医師呼んでこい! 私は虹の緊オペだっ! 他はサポとオペの用意だ! てめぇら! ぐたぐだしてたら、2人ともあの世行きだぞっ!」
「はい!」
……
「瑠璃人くん! しっかりして! お兄さんは絶対助かる! 徹先生の腕は知ってるでしょっ?」
「ぼくが、ぼくが殺した……こうにぃを殺した……やだしんじゃやだやだやだ……ころしたころしたあははは……」
「瑠璃人くん!」
「先輩! とりあえず眠らせませんか! 落ち着かせましょうよ!」
「……く……」
「やっぱりね」
「! あなたは誰っ? 出ていってちょうだいっ!」
「こっちに来れてよかった。わたしがいなかったら、絶対に廃人になってたよ」
「それ、どうい、」
「せ、先輩! あな、」
「……」
「…………」
「ころしちゃったころしちゃったあはは、こうにぃちゃんころしちゃったよ、あはははぼくがぼくがころしちゃったんだあはは」
「落ち着いて。瑠璃お兄ちゃん……」




