二悔目「悪魔」
虹にぃは凄腕の刑事だ。二十六歳という異例の若さながら、先輩刑事に腕を買われ、仕事を熟している。ただ、その先輩刑事は約二年前に殉職したらしい。名前は教えてくれなかった。新聞にもどこにも記録がない……。しかも、どういうわけか虹にぃは警視総監と付き合いがあるらしい。意外と謎めいた部分がある。
徹さんは虹にぃのほぼ親友で、いわばサポート役。医者という違った視点で、民間人と深くさりげなく探ることが出来る。ただ、その時の徹さんは本職をほっぽらかしている。医者がそんなことをしていいのだろうか。第一、どうやって知り合えたのだろう?
こんな形で不思議な関係が続いている。
「……」
僕は虹にぃを尊敬している。虹にぃみたいな警察になりたい。そして徹さんに負けないくらいにサポートしたい。これが僕の夢だ。
「……」
そのためにも日々勉学に励んでいる……はず。
「…………」
今日は25日。今の授業は数学のはずだった。しかし、岡本先生が出張のため、自習となった。しかも次の時間も数学。僕らにとっては天国のような時間だ。
今は11時ちょっと。三時間目の途中にあたる。
相変わらず冷房が効いている。僕は冷房は好きではない。窓を締め切るから息苦しいし、空気が汚れているようで気持ち悪い。しかし、同時にそれに助けられているのも事実。だからはっきりとは言えない。
僕の隣にある壁の奥は灼熱地獄となっているだろう。
「そろそろいいだろ……」
僕の後ろの方から聞こえた。
僕がいるこの2−Aは三十六名いる。六列あり、僕は黒板に向かって一番右の前から四列目に座っている。
「同志よ……すまないが集まってくれ」
沈黙を破ったのはある男子だった。その声にほとんどの男子全員が反応し、彼のところに集う。陸奥実君は……いなかった。
陸奥実君は一番左の一番前に座っている。疑問ありげに集団を見ている。女子は女子で集まって自習課題をやり合っているようだ。
「え〜、ここに集まってもらったのは言わなくてもわかるであろう……」
「いや、わかんないから」
「そこ空気読めよ」
「だから朝山はよぉ!」
「じゃあお前はわかるのかよぉ!」
「落ち着きたまえ、同志よ」
それが上から目線に聞こえるのは僕だけだろうか。それはどうでもいいか。僕は仕事に……。
「…………」
視線が気になる。そちらを見ると、陸奥実君がさりげなく手招きをしていた。相変わらず淋しがり屋だ。
僕はペンを置いて向かった。
「どうかしましたか? わからない問題でも?」
まさか、と呟いた。近くの椅子を借りて座った。
ふと外が見る。しかしカーテンが遮っていた。
「あの集団はなんだ?」
「僕に分かるはずないじゃないですか。怪しいですし……」
「あれを仕切ってるのはもちろん……」
僕に投げ掛ける。
「えぇ、前橋君ですね。尚更不気味です」
「とりあえず嫌な予感はする」
集団は教室の片隅に移動していく。そこにいた女子も危険を察知し、速やかに避難した。
その“不安”は見事に応えてくれた。
「ここに集まったのは、陸奥実の…………妹の件だあぁぁぁぁぁっっ!」
うおおぉぉぉぉぉぉぉっっ……!
…………、それのために……?
「くだらない……」
「……」
陸奥実君も呆れ気味だ。それより心配することがあるのでは……?
「まずは諸君に資料を配布する。軽く目を通してくれ。順を追って会議を行っていく」
会議? 陸奥実君の妹について何かあるというのだろうか? 正直僕もかなり気になる。今まで彼に妹がいるなんて聞いたことがない。
陸奥実君は家族を事故で亡くし、一人暮らししている。彼女はおそらく“義妹”だろう。よって陸奥実君は彼女と二人暮らしになっているかもしれない。……まさか……それか? いや、ありえない。その事実はこの学校で僕と一部の先生しか知られてない。
「おれぁあいつに妹がいるなんて今でも信じられねえ」
「しかもカワイイしツンデレだしアニメっぽい髪型! ん〜、ブラボォッ!」
「それよりも“お兄ちゃん”……と……」
「“お兄ちゃん”はヤバイであります! ダイナマイト級の破壊力でありますっ!」
「バカヤローッ! 問題はそこじゃねえ! 絶対領域だろうが! 制服でありながらだな、その存在感を……」
異様な空気が漂う。期待感が先走るような重みを感じる。そしてあそこも灼熱地獄となっていた。冷房の中なのに汗をかいている。仕方ないことだが……。女子たちもドン引きだ。
ひとまず、離れよう。巻き添えをくらう。
「諸君、落ち着きたまえ! その議論は早過ぎる! ……さて、資料の三ページ目を見てくれ」
一体何ページあるのだろう?
「な、なぁっ瑠璃人……」
「はい」
うろたえている。陸奥実君の瞳がやけに動いていた。
「あれってプライバシーの侵害だよな……?」
「えっ……えっと……」
救いを求めるその姿も惹かれる。うるうるっ、と眼で哀願していて余裕がなさそう。本当に男なのか……?
「まぁ、一応ぎりぎり大丈夫ということで」
「……お前、気になってないか?」
「気にならないわけがありません。何と言ったって陸奥実君の“義妹”ですから」
「資料って言ってるんだぞ? 盗撮されてるかもしれないじゃないか」
「ということは陸奥実君もされていますね。今頃、インターネットで……」
「今日のお前はとことん気持ち悪い」
「あなたのせいですよ」
「……っ……もう知らない! 近寄るな!」
「冗談ですよ」
なんとか宥める。あの時に比べて、感情が豊かになった。だから、わかりやすい。
それを余所に、怪しい会議は進む。
「こ、これは……!」
「なんだ、この詳細なデータはっ!」
「驚いたか? そこにはコードネーム“8”のあらゆるディティールが示されている。ただし、BWHは私、前橋の目測となっている。安心したまえ。私の眼はマサイ族並みに発達している」
「しかし、……なんという妹体型じゃ……!」
「……」
怪しいどころか変態の領域まで達している。もう取り返しはつかないかもしれない……。いや、元々無理か。
「ところで瑠璃人、さっきから“ツンデレ”とかなんとか聞こえるが……、何なんだ?」
「え? 知らないのですか?」
意外。
「ってことは知ってるんだな?」
「あっ……そのですね」
「あいつらと同類か?」
「えー、……えーっと……」
「そうなんだろう……?」
「うっ……あの……」
こうなってしまうととても面倒だ。先程の仕返しだろう。
「全ては知りません」
「一部はわかるんだなぁ……?」
眼が生き返っていた。
「面倒ですね。……つまり、…………」
したり顔をしている。もう黙り込むしかなかった。あちら集団よりこちらの一人の方が厄介だ。かなりつまらなくなってしまった。もうどうでもよくなってしまった。
それを察してか、悪い悪い、と小さく謝罪した。
「まあ……知らない方がいいかもしれません」
「悪口なのか?」
「えっと……、……そうですね、簡単に言えば、良い破廉恥です」
「ハレンチにいいも悪いもあるかっ!」
ごもっとも。
だんっ、と金属混じりの叩く音がした。
「いいかっ? 問題はそこではないっ! 性格や体つきは、いわばおまけだ!」
「……お、おまけって……」
「問題は、究極で……理想の妹像、“お兄ちゃんっ子”だあぁっ!」
「……!」
「!」
……もはや突っ込む余地がない。
「ま、前橋! いいや、ミスタープレジデント! それは我が国の最高機密に値しますぞっ!」
「それはわかっている! しかし、二次元から三次元に出現した今、我が国は混乱しているっ! このままでは全世界にまで混乱を招いてしまう! だから我が国だけで留めなくてはならない! そして再び議論し直すのだ! “お兄ちゃんっ子”とは本当に存在するのかどうかをっ!」
おおぉおぉぉぉぉっっ!
教室の一部から拍手が溢れたと同時にチャイムが鳴った。しかし、理解不能の会議は続けられるという。
あの眼はおふざけでやっていない。本気だ。あそこまで純情(?)だと呆れてしまう。……騒がしいし。
陸奥実君は立ち上がった。
「仕方ない、ほっとくか」
「? いいのですか?」
「冷静になって考えたけど、あいつはとおちゃんたちの手に負えるやつじゃない。返り討ちに遭うだけだな」
「は、はぁ……」
素っ気なく言い放つ。
僕も立ち上がり、彼についていった。どうやら昼食を忘れたらしい。まだお昼ではないが、食堂に行って予約しに行く。
「まったく、260円は高いよなぁ……」
「そこら辺のよりはまだ安いと思いますよ。美味しいですし」
「まぁな……。でも、260円だぞ? スーパーのセールがあったらどれだけ得した気分になるか……」
彼はどこと無くけち臭いところがある。主夫の性ともいうべきか。
「二人暮らしは大変ですね」
「そうでもな……、ちょっと待て」
ちょうど教室を出たところで立ち止まった。予想とは裏腹にあまり暑くなかった。余韻が効いている。
「どうしてそれを知ってる? まだ誰にも伝えてない」
「……簡単です。あなたの事実を知っていれば」
「っ……! 誰にもばらしてないだけマシか」
そして秘密主義。というより、振り返りたくないのだろう。
「僕は口は固いですから大丈夫です」
口が裂けても言えない。僕にはそんな勇気と権利はない。
また歩こうとした時、とんとんっ、と右肩を叩かれた。例の悪戯かと思い、左に振り向いた。そこには……、
「お兄ちゃん」
ちょこん、と彼女がいた。
「や、八菜……、お前っ何しに……」
彼女は両手で何かを持ったまま、陸奥実君の腹を殴った。直撃だった。あまりの衝撃に倒れる。擬音的に、ぐしゃあぁっ、みたいに聞こえたが……………………駄目だ。10カウントだ。
「はい、これ」
「ん?」
何とか立ち上がる。
「お兄ちゃん忘れていったでしょ? だから……」
なるほど。弁当を届けに来てくれたわけか。見た目に反して優しい。……陸奥実君に対してのみだが。
それを渡すと、僕を鋭い目つきで威嚇してきた。いちいち疲れないだろうか?
「ふん。まあまあの男ね」
「お前、言葉遣い気をつけろ。一応先輩だぞ」
「これでもれっきとした……、……! 陸奥実君……周り……」
「! いつの間に……」
先程の集団が僕らを囲んでいた。熱気と汗くささが充満していた。暑苦しい……!
「むつみぃ……どうしてオレに教えなかったぁ……?」
「こうなると思ったからだよ」
ゾンビのように近づいてくる。
「何なの、この人たち」
「よくぞ聞いてくれたっ! 我々は、」
「やっぱいい。あんたたちみたいなムサイの嫌だし」
完全拒否。意見がはっきりしているというか、毒舌というか……。
「んだと! どんだけツンデレなんだよ!」
「第一、男としてもお兄ちゃん以外認めてないし、あんたたちは人としてもキモい」
いくらなんでも酷すぎる。性格とかの問題ではない。彼女の方が人としてどうかと思う。
集団が葉っぱが萎れるように倒れていく。彼の言う通り、人の手に負える代物ではなかった。……もしかして僕も敵扱いだろうか。とりあえずそうではないことを祈る。
「まぁ、この優男はギリでセーフだね」
彼女は僕を指差した。さすがに陸奥実君も顔が険しくなった。
「……や、八菜! いい加減にしろ! 一体なにさまの、」
素早くその口を手で覆った。
「陸奥実君、いいですよ。あなた方は血の気が多いみたいですね」
彼女は少しむっとする。
随分とおいたがすぎた。こういう子には少しお灸を据えたほうがいい。
僕は彼女を見る。一瞬だけあの眼は怯えに染まった。僕を見たのか彼を見たのかはわからない。これは僕みたいだ。平静を保っているはずだ。しかし僕を取り巻く空気が何かを悟らせたらしい。抵抗するためにまた睨む。
「えっと、八菜さん……でしたよね?」
「なっ何よ」
わずかに震える。
「もし僕を含めた前橋君たちが人として気持ち悪いのなら、あなたは人として成っていません」
「!」
「るっ瑠璃人……!」
僕は彼女の真ん前に立った。一歩後ずさる。僕は一歩詰める。また後ずさる。それを繰り返す。集団は道を開けてくれて、一本の道ができた。その終りは壁だった。……時間がない。手短にしよう。
「来ないでよ!」
「あなたこそ一体何ですか? 陸奥実君に弁当を届けるまではよかったです。多少の無礼も許しましょう。しかし、物事には限度があります。それに僕らは先輩なのですから、多少気に食わなくても、敬語で話すのが常識です。あなたはそんなことも理解できないのですか? 小学生にだってわかりますよ。ただ、使いこなせないと思いますが。そしてあなたの言葉は全て誹謗中傷に当たります。外見や体質は仕方がありません。直せません。なのにそれを馬鹿にするということはその人の個性を蔑むことになります。そのようなことを平気でやるあなたは……そうですね……、人間のクズ……いや、人間の“欠陥品”がお似合いでしょうかね」
「! ……あんたはどうなのよ」
「僕ですか? これは中傷ではありません。“批判”です。あなたに良くなってほしいので、赤の他人の僕が批判しているのです」
「……」
「そろそろ時間です。早く戻った方がよろしいかと思います。では、さようなら。人間の“欠陥品”さん」
ちょうどよくチャイムが鳴った。僕は人を掻き分け、その場を後にした。
これほど長く感じた休み時間はない。
「陸奥実君」
「ん? どうした?」
「あの、妹さんに申し訳ありません、とお伝えしてくれますか?」
「あぁ、大丈夫だよ。気にするな」
「……はっきり言ってしまったので……」
「意外と神経質なんだな」
「……すみませんでした。今回のは忘れますし、なるべく彼女に出会わないようにします。彼女にとって僕は完全に敵になりましたから」




