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十九悔目「水蓮・下」

 陸奥実君の病室を去り、僕は帰ることにした。もう夜だからか、院内は一層陰っているような気がした。看護師たちがまだ働いているものの、薄気味悪い。それは冷房が助長して、いわゆる背筋に悪寒が走るような感覚を似せている。深夜の病院は虹にぃと一緒にいても嫌だ。

 通路の壁に張り出されている案内板に従って歩いていく。まるで大規模なショッピングセンターのようで、ここの広さを改めて感じさせる。

 ふとして、その中の妙なところが目についた。通路の外れに部屋も何もない行き止まりがある。これを見るかぎり、一本道みたいだ。設計ミスか、それともここに新たに何かを設置する予定なのか。興味があったが、変にうろついて迷子になるのが怖いのでやめた。僕は再び歩きだした。

 礼香さんに続き陸奥実君までも襲われた。これら一連はN事件と関係があるのか? それとも片方? あるいはどちらも別々の事件……? ……落ち着いて考えてみる。

 N事件は全国各地で起こっている連続無差別傷害事件で、それらの犯行がすこぶる似ていることからそう判断されている。その犯行は刺したり殴ったりしてすぐ逃げる、という通り魔的なものだ。具体的な犯人の情報はなぜか無いが、犯人像は複数犯で、老若男女の可能性があるらしい。

 礼香さんの事件は一回目が暴行と強姦未遂、二回目が通り魔による傷害だ。陸奥実君の事件も同様。ただ、彼らの事件はN事件と違い、犯人の特徴が割れている。もし全てが同一犯ならば、この二つを解決することはN事件を解決に導く可能性が高い。

 こんな時に虹にぃがいれば……。僕だけでは限界がある。僕にできることは礼香さんに話を伺うくらいだ。

 そういえば、なぜ虹にぃは初めから礼香さんを疑って……、


「……!」


 一瞬、ふっと通路を横切る人。


「……」


 本当に一瞬だが、僕の眼と記憶に問題なければ今のは……、


「……7時14分か……」


 礼香さん……だ! つまり、美浦さんの返答だ。

 院内で走ることは禁止されている。そもそも走っていては目立つし、足音でばれるかもしれない。あの美浦さんが慎重だったのだから、そこまでの配慮は必要だ。

 しかし何て言葉をかけようか? 見つからない。ごく普通にしよう。正直に言うしかない。


「……!」


 ここは……どこだ? 確かに後を付いていったはずなのに、変な所に来てしまった。行き止まりで何もない。何のためにこの空間があるのかがわからない。そうか、あの時見た所か。でも、それならどうして誰もいない? ……まさか幽霊……? 急いでひきかえ……。

 何かが腰に当たる。


「……」


 感触から、小さくて尖っているものとわかる。動けば……僕も陸奥実君と同じだ。

 相手はそれが分かったのか、びりびりと何かを破いたような音がして、僕の両手を腰の後ろに組ませて絡めた。これって……粘着テープ……? そして、


「っ!」


 耳に息を吹きかける。肩と背中に温もりが伝わっていた。妙な感触も。でも僕にはそれらは物理的なものにしか感じない。


「動かないでね……」


 温もりながら清涼感溢れる声が耳を貫く。吐息をたっぷりと聞かせてから、耳たぶに噛み付いてきた。歯でなく、唇で……強弱を……つけて、……焦らす。身をよじらせると、腰に鋭い圧力がかかった。

 こんなことをするのは一人しかいない。


「久しぶりだね、瑠璃ちゃん……」


 顔を耳から離さず、ぎゅっと後ろから抱きしめられた。胸が高まる反面、足が震える。


「ふふ……耳が赤い……。かわいい瑠璃ちゃん……」


「ん……ぅ……」


「遠慮しないでよがっていいよ。人来ないから……」


 耳元で熱をこもらせて囁く。

 逆に言えば助けを呼べない。


「やめて……っ、ください……ぅ……」


「いつもより敏感……。病院だから興奮するのかなぁ……。かわいぃ……」


 まるで子供扱いにするように、小さく笑った。


「や、やめ、んぅ!」


 今度は僕の上半身をまさぐる。


「うぁっ」


「へぇ……。ここもかわいい……」


 服の上からくっくっ、と執拗に擦る。身が強張り、立つことが辛くなる。かといって、腰の圧力はまだ続いている。

 さらに首筋に沿って舌を這わせた。ぞぞぞっ、と背中が緊張する。

 気持ち悪い声も……出る。


「そんなことないよ。見た目も声もかわいいんだから……」


「……」


 歯を食いしばって堪える。今までで一番激しい責めだ。

 その僕の唯一の努力を嘲笑うかのように、


「んんっぅ!」


 耳たぶの先端から側面を伝って舐めていく。


「ここ、弱いんだ……」


「や、やぇて……ん、んぅ……」


 情けない声が……。まともに喋れない……。


「また被害者出ちゃったねぇ……」


「!」


 それってまさか……。


「あぁっ……んくぅっ」


「どうして止まらないのかなぁ……?」


「い、いやっつ、摘まないでっぁっ」


「もう4ヶ月も過ぎてるのに……」


「……ん……んっ……」


「警察はお馬鹿さんしかいないのかなぁ……?」


「ちがっう! ……んぁあ!」


「違くないよ」


 つぅっと舌先で伝わり、わざとらしく水音を立てる。温もりがだんだんと熱を帯びていた。仄かに香る彼女の匂い。背中に密着しているせいか、匂いがしている。気持ちが落ち着くものなのに……。


「……は……は……」


「警察なんて名ばかりのものだよ。名声と地位と金が欲しいだけの連中。まともな人なんかいない。あなたのお兄さんだって、どこかの誰かさんに媚び売って得たポストにすぎないし……」


 ……どうして……? 違う、違う……! そんなの違う!


「知らなかったんだ……。それは尊敬されてるからね、そもそも人に言えることじゃないし。相当がっぽり貰ったそうじゃない」


 確かに、ちょっと不思議なことが重なった時はあった。けれど、虹にぃのおかげで僕は虹にぃの仕事場の近くの高校に行けた。一緒に引っ越して二人暮らしもできた。仕送りも多少あるけど、自分たちでも何とかできるようにはなった。

 虹にぃは汚い人間なんかじゃない……!


「所詮は人柄と金とコネで物事を決めるゴミ虫どもと代わりはないってことだね。大丈夫だよ? そんなのは本当に虫のようにうじゃうじゃいるからね。あっはははははははははははは!」


「……!」


 僕の中で糸が切れた。


「虹にぃを馬鹿にするなぁっ!」


「……!」


「ふ……ふう……ふう……」


 彼女は意外な反応にたじろいだ。


「虹にぃは努力してきた! 本当にぼろぼろになっても血ヘドを吐いても頑張ってきた! だから刑事になれたんだ! 僕が知ってる、そして見てきた! 虹にぃを馬鹿にするやつは誰だろうと許さないっ!」


「……」


 怯んだようだ。今なら、


「だからどうなの? 私を殺すの?」


「!」


 でも……、


「……もう……、だめ……」


 とうとう足の力が抜け、倒れそうな僕を壁に押し寄せる。手が使えないから額を壁につけて、バランスを保つ。それでも膝が折れ、床にひざ小僧がついてしまった。しかし後ろから襲う。…………怖い……。


「私は怖かったのに」


「おちつい、っうぅ……ぁ……」


「相手してくれないからこうなるんだよ」


 僕の口に手が覆った。そして人差し指と中指を口に入れられる。頭の中まで一緒に掻き回す。


「あっふぅ、あっぁぅ」


 苦しい。うまく息ができない……。景色もだんだんとはっきり映らなくなって……。


「口の中……きもちい……。瑠璃ちゃんもきもちいでしょ?」


 僕はそれらから逃れるように、頭を強く横に振った。

 それを不快に感じたか、歯ぎしりのような音が聞こえた。


「もっとしてあげるね」


 その声を合図に、口内を掻き混ぜられた。執拗に、長く、笑いながら……。

 ようやく満足した頃には、酸欠みたいに頭がぼうっとして、床にはよだれが散っていた。それと嘔吐感を覚えた。


「……はぁ……はぁ……ぅえっぐ……」


「もう、瑠璃ちゃんのよだれでねちょねちょ……。これ、どうしよっか?」


 僕にその指を見せ付ける。電灯で照らされた妖しい光沢。もう何も見たくなくて目を逸らして閉じた。

 そのせいで不意を突かれた。


「ふあっ」


「き〜めた!」


 ま、まさか、もしかして……。


「止めてくださいっ。これ以上は、」


「……やめるわけないでしょ? 初めてなのかなぁ……?」


 くるりと体を反転して、僕の上に乗った。僕の両腕は床と体に挟まれて、血が止まりそうだ。

 微笑んでいた。口だけ。その他は無表情。特に目は違う。淡々と流れ作業をこなすかのような……感情の入る隙間も無い目。


「あなたはされるしかないの。あの時とは違う。抵抗できない、助けも呼べない。私が満たされるまで壊れるしかないの……」


 これ以上も駄目だ。助けを呼ぼう。

 仮にここで突き放したとしても、凶器が体のどこかに突き刺さるだろう。逆に言えば彼女の取る行動は分かっている。致命傷を避けることができれば……。彼女相手にリスク無しで出し抜こうとは思わない。


「……考えてるね」


「んっんぅっ!」


「どうやって抜け出そうかってね……あはは」


 ついに、手は分岐点をはいずり回る。


「ふっあっ!」


「熱くてカタくて辛そう……。今ほぐしてあげるからね……」


「うっうぅ……」


 か、考える余裕が一気になくなる。礼香さん……目を覚まして……。今なら間に合うから……。


「……うぅ……っぅ……」


「泣いちゃった? 泣いちゃった? ……泣いちゃった瑠璃ちゃんもすごくかわいい……。怖かったんだね、怖かったんだよね? 大丈夫。優しくしてあげるから……」


 嘘だ……。僕にだってそれくらいは分かる……。


「そうだよね。これは復讐なんだから優しくするわけないし、あはははははははは……!」


 復讐……誰に?


「さて……ほら、こうして……うん、かわいぃ……。瑠璃ちゃん、こんにちは〜。瑠璃ちゃん泣かないで。いっぱい壊してあげるから……」


「止めて……。今ならまだ間に合います、なかったことにできますから……。お願いです、礼香さん……」


「今の瑠璃ちゃん、かわいくない。あれだけ弄ったのにかわいくならないなら……、」


 側に置いてあったメスを手に取った。そして僕の下腹部の方に……。


「女の子にしちゃおっかな?」


「うぁ……あぁ……」


 僕のそこにメスがひたりとつく。

 舌なめずりして、眼が本気だ。……殺される……。嫌だ……やめて……!

 あまりの恐怖に涙がさらに溢れ、


「あ、ああ……」


 してしまった。


「瑠璃ちゃん、おもらししちゃったの? 先っぽからちょぽちょぽ出ててかわいい……。床に零しちゃって犬みたい……あはは」


 男としての辱めを受けて、めちゃくちゃにされて、頭がおかしくなりそうだ……。

 メスが遠ざけられた。


「なーんてね。瑠璃ちゃんはしーしーしちゃってかわいいね。かわいいわんわんだ〜。それでね、」


 今度は喉に銀色のメスが突き立てられた。覆いかぶさるように馬乗りになって、真正面に顔があった。満足げで悪魔で卑猥な顔つき。


「余興はおしまい」


 その顔を近づける。僕は両腕の封じられた身体をいっぱい動かして抵抗する。まるで芋虫のように。でも身体は恐怖で縮こまり、力が入らない。

 僕は死ぬよりも恐ろしいことをされるんだ……。助けて虹にぃ……助けて……。


「あなたはどうしていつも“敬語”なの?」


「!」


 それはいつか聞かれたこと。


「それは、他人を恐れているから」


「ち、ちが、」


「あなたは純粋無垢、言葉も性格も嘘をつけないし率直に言ってしまう。正直すぎる言葉は相手を傷つけ、厭われ、嫌われる。過去にそれで苦しい経験をしてきたから、それを恐れるから敬語を使う。相手を傷つけまいと脅えながら言葉を交わす。そして正直な言葉は感情が乗り移る。あなたは極端に自分の気持ちを知られたくない。それで痛い思いをしたから。見放されることを恐れている。経験しているから無意識に恐れている……」


 押し寄せてくる言葉の波。


「……あ……あぁ……」


 それより目の前の瞳に圧倒された。怖くて怖くて……身体が震えっぱなしで、首を掴まれた……。


「さっきまでの威勢はどこにいったのかな?」


「虹にぃ……助けて……」


「……うるさいな……」


「にぃ、虹にぃ、虹にぃ……」


「うるさいな!」


 メスが振り上げられた。






「そこまでよ、若海さん」


「! ……美浦……陽」


「彼を放しなさい。裸にひん剥いて腹いせをしようなんて、患者のあなたでも容赦しないわよ?」


「何が患者なの? ただの薬漬けじゃない……」


「私に感謝なさい。……楠波」


「はいはい。じゃあ若海さん、お部屋に戻りましょうね〜」


「私に触らないでっ! 汚らわしいっ……!」


「大丈夫ですよ〜。消毒しときましたから……」


「……」


「…………」


「……ふう。ほら、服着て……」


「ぁ…………ありがとうございま、あっ、いっ今体は、触らないでください……」


「……なんて酷いことを……。大丈夫。人目につかない所でも、早めに処理するわ」


「……男の僕がこれでは情けないですね。……何も抵抗できなかったです……」


「分かったでしょ? これからは会わない方がいいわ。次は完全にあなたを壊すわ。自分がやられたようにね」


「……自分がやられたように……ですか……。礼香さんも……」


「それで、聞けたの?」


「………………」


「そうなの……。とりあえず、あなたが大丈夫で良かったわ……」


「……」


「ここは信用ある私の後輩に任せる。大丈夫よ、さっきの楠波のことだから。私はあなたを家まで送るわ。何があるかわからないからね」


「い、いいです……。一人でかえ、あっ、そのっん……」


「ほら! 身体が竦んでろくに歩けないでしょう? それとも私よりも神地先生の方がいいかな?」


「……そうします……」


「先輩!」


「楠波……と神地先生?」


「手っ取り早く呼んできました!」


「でかしたわ。では、私たちはここの処理をします。先生は彼を……」


「わかった。……瑠璃人君、安心しなさい。もう少し落ち着いたら家まで送ろう。ちょっとごたごたがある中で抜け出してきたから、婦長さんがキレてね。うちの婦長さんは鬼教官で有名で、いつも胸ポケットにバリカンと脱毛剤を入れてるんだよ。危うく頭を、」


「変な気遣いはいりません。さっさと運んでください。僕は動けないのです」


「いつものに戻ったな? それじゃあ、行くぞ。立てるか?」


「動けないと、さっき言いました。耳の穴の奥の脳の方まで脱毛した方がいいのではないですか?」


「相変わらずの毒舌……」


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