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十九悔目「水蓮・上」

「徹さん、陸奥実君はどうなのですか?」


「命に別状はないが、傷が深い。形状からして包丁か何かだな」


「陸奥実君に至近距離まで近づくなんて、大胆です。返り血を浴びかねません。しかも、黒のドレス姿らしいですし……」


「彼女の件といい、彼といい、一体何が起こっているんだ?」


「僕も戸惑っています。こうも立て続けに起こるとなると、上の方々も黙ってはいられないでしょう。とにかく、虹にぃが出張でいないので、どうにもできません。でも、ただの通り魔ではないことは確かです。明らかに何かを意図しています」


「とりあえず私は様子を見に行く。瑠璃人君はどうする? まだいるか?」


「僕は彼らが帰った後に行きます。少し話したいことがあるので」


「わかった」






 30日の午後6時。東條さんたちは帰ったらしい。

 礼香さんもここにいる。見掛けたら、そちらを優先するつもりだ。しかし、そうなることはなかった。十分に間を空けてから彼のいる0626号室へ向かった。

 軽くノックし、中に入った。


「失礼します」


「お、お前は……」


「邪険に扱わないでください。お見舞いの品は忘れましたが、今度来るときに持って来ますよ」


 あからさまにご機嫌ななめだ。

 彼はベッドに横たわっていた。窓際に付けるように設置されていて、その傍らに点滴やら何やらの機器があった。


「お前にだけは来てほしくなかった」


「全く、感謝の言葉の一つもくださいよ」


「感謝なんかしたくもないな。……虹さんは?」


「生憎、出張中です。妹さんはどちらへ行かれましたか?」


「ジュース買いに行ったよ。ここは迷路みたいだから、当分帰って来れないだろうな」


「そうですね」


 互いに笑いあった。ちらっと見ると、腹を押さえて笑っている。

 昨日、手術したばかりだというのに、大丈夫……なわけはない。すごく無理をしている。顔から滲み出る汗がそれを物語っている。それでも無理をする理由が彼にはある。僕はそれを尋ねるような野暮なことはしない。そんなに古い付き合いではないが、言ってみれば戦友のようなものだ。あのふてぶてしさに顔を立ててあげることが、彼には一番いい。

 そろそろ本題に移ろうか。


「さて、どうしたものでしょう。腹を刺されたなんて、驚きですよ」


「俺もだよ。風穴空けられてずきずきするし気持ち悪いし……、朦朧としてる」


「それははしゃぎすぎです」


「ついさっきまで真乃たちがいたんだ……」


「そうでしたか」


 僕は知らないふりをする。当然、彼はこれを見抜いている。


「容赦しないですからね……」


「ラーメン食わされたしな。あっ、そうだ。今度、近くのスーパーで特売やってるから、俺の代わりに買っといてくれないか?」


「それ……今頼むことですか?」


「来週までなんだよっ!」


 いたたたた、と辛そうに押さえる。そこまでして心配しなくてもいいと思うけど……。


「陸奥実君は長い入院生活を強いられるのですから、その必要はありませんよ」


「俺じゃない。……八菜だ」


 ……なるほど。妙に納得できた。


「あいつ、自分の好きな物しか絶対買わなくなるだろう? だから今のうちに野菜買っといて食わせないとだな、近頃の若者のくせに野菜食わないとか、不摂生すぎるんだ。しかもそれだけじゃなくてコンビニ弁当で3食済ませようとするかもしれない。だから……ぶつぶつ……」


 思春期の子供を持つ母親みたいな台詞だ。確かに正しいことかもしれないけど、気にしすぎだ。


「全く、人の心配より、自分の心配をしてください。危うく内臓をほじくり出されるところだったのですよ?」


「表現がエグイよ……。しかも八菜と同じこと言ってるしな……」


「当たり前です。陸奥実君がそんなことをぬかしているからです。やれやれ……これでは陸奥実君はシスコンではないですか」


「シスコンじゃないって」


「八菜さんがブラコンで陸奥実君がシスコン……相思相愛ですか」


「……お前の頭に点滴刺していいか? 三本くらい」


「刺してもいいですが、お腹の傷がさらに大きくなりますよ?」


「……」


 ごめん、と小さく聞こえた。陸奥実君は本当にいじらしい人だ……。


「それで、誰に刺されたのですか?」


「誰にって……わかるはずないだろう」


「特徴はありますか?」


「多分女。比較的に背が高くて、金髪だ。もちろんマスクやサングラスはしてた。服装は……ワンピースというか何と言うか……真っ黒で、肩にヒラヒラがついてた」


 わかりづらい。これが男女の違いということか。

 東條さんと同じだ。しかし、金髪に真っ黒のドレスは目立ちすぎる。これはすぐに捕まりそうだ。


「わかりました。虹にぃに伝えますから」


「俺のことは気にするな。他の事件をやれよ。小さいのにかまってる時間が勿体ない」


「事件に大きい小さいはありませんよ」


「……そう……」


 それからずっと沈黙した。


「それにしても懐かしいですね」


「? 何が?」


「二年前の交通事故ですよ」


「……いいよ。その話は……嫌だから」


 ぷいと僕から顔を背けた。

 僕は覚えている。あの時の大惨事を……。






 ……そこは道路だった。広い道路。車が4台並んで走れるくらいの幅があって、半分ずつ分かれている。真ん中に遮る物は簡素な石垣だけだ。

 その道の途中で立入禁止のテープで遮断された場所がある。しかもブルーシートで中を完全に見せないように施し、警備員が各所で見張っている。とはいうものの、既に深夜だったため、野次馬はほとんどいない。

 周りには建物はあった。日頃の交通量を狙ってか、ファミレスや本屋などが道路に沿っていくつも建ち並ぶ。ただ、立入禁止区域には何もなかった。

 確か夏頃……いや、残暑くらいの時か、事故が発生した。ゴツいワゴン車とか細い乗用車との衝突事故。乗用車は真横から追突され、見事に“く”の字にひしゃげられている。一方のワゴン車は傷が激しいしボンネットがぺしゃんこだが、車内までは酷い損傷はなさそうだ。ただ、衝撃が伝わったのは確かだ。

 鑑識や刑事、警察官が雑踏し、捜査を行っている。ワゴン車を所有していた一家は既に別の場所に移動されていた。きっと事情聴取だろう。そして乗用車を所有していた一家は……、


「どうだい? カンさん」


「見ての通りです。確認するまでもないほどに……無惨な……」


 どこにもいなかった。

 見慣れている鑑識でさえ、口を覆いたくなるような光景だった。車内はまるでミキサーにでもかけられたかのように、散乱していた。さらに座席や足踏みマットなど、中にあったものの大体が赤く染まり、生臭さが立ち込めている。肉系の生臭さだ。


「どうすればこんなになるんだ……?」


「わかりません……。ものすごいスピードで追突され、当たりが悪かったとしか……」


「……ふむ……」


 その時だった。


「……何か聞こえなかったか?」


「……はい。確かに……ぬちゃぬちゃと……まさか……」


 急いで“元”車をこじ開けると、


「おいっ! 誰か手を貸してくれ! 生存者がいたぞっ!」


 少年が座席の足元に横たわっていた。少年は頭から大量の誰かの血を被っていて、やはり生臭い。警察官たちは迅速に毛布と着替えを用意した。

 少年は気を失っていたみたいで、奇跡的に助かっていた。しかし、問い掛けには一切の返答はない。ただただ毛布にうずくまり、身を震わせているだけだ。涙も出ていない。しかし、まるで血の涙を流しているように、頭から血を流している。自分のではない、誰かのを。


「この子の身元を特定できるものは!」


「ポケットに何かあるみたいですが……いかがいたしましょう?」


「そういうことなら、そっとしといて。それは後からでもできることだ。……瑠璃、この子の側にいてやってくれ。自分はいろいろと見て回らなきゃいけないから……」


 そう言って、どこかに逃げていった。

 血だらけの体。むせ返るような生臭さ。とても見るに堪えないしいづらい。しかし頼み事はやらなくては。

 少年……というより少女だった。いや、少女だ。可愛いというより綺麗に属している。本当に不憫すぎる。これからどう生活していくつもりだろう。

 それは単なる好奇心。別に関係あるわけではないし、ましてや友人でも何でもない。正直、この子が死のうがどうなろうが関係ない。ただ、頼まれたことを果たしているだけにすぎない。


「……」


 焦点が合っていない。気が動転しすぎて目が虚ろになっている。それとも……精神崩壊を起こしたか? 震えていて可哀相に。

 そんなショーケースに入っているおもちゃを見るが如く見ていると、


「…………」


 目がこちらを向いた。発狂するのかも、と思い、耳を閉じたが、その手を握ってきた。血はついていない。手だけは洗ったようだ。


「……る…………り……」


「!」


 僕は胸がどきりとした。声が澄んでいて綺麗……、しかもその儚げで弱々しくて、まるで散る直前の花のような……そんな感じがした。

 不謹慎ながらも、一瞬僕はこの少女に愛しさを感じてしまった。でもそれはすぐに消え去る。


「……る……り……、る…………り……」


「……」


 完全に壊れてしまっている。無理はない。かけがえのなかった家族がミンチにされてしまったのだから。

 そこで、やっとこ帰ってきた。


「どうだい、瑠璃?」


 言うまでもないことだ。虹にぃに見るように催促した。


「る……り……る…………り……」


 虹にぃも一瞥したが、すぐに僕に目を合わせる。その顔は険しい。


「救急車が来る。徹が乗ってるから、瑠璃、一緒についていってあげて。……この子には同伴者がいないから……」


 赤の他人のことなのに、僕は逆らえなかった。虹にぃの頼み事だからだと思いたい。

 その少女は救急車に乗せられてからもずっと僕の方を見つめ、るり、るり、と呼んでいる。何の感情も込められていない。だけど覚えたばかりの単語を繰り返す。それが不気味で気色悪くて……胸が張り裂けそうに痛い。僕とそんなに歳は離れていない。まだ中学生だろう。

 そう。彼女は赤の他人。僕には関係ない。どうなろうとも知ったことではない。


「……瑠璃人君」


 僕の向かい側に少女を診る徹さんがいた。


「顔色が良くないな。……誰でもそうか」


 徹さんは他の人との目の色が違う。本職を果たそうとしているのか、それに逃げ込んでいるのか……。


「瑠璃人君、彼の手を握ってやってくれ」


 ……どうして僕が? でも、そちらに見遣ると、震えていた。まだ繰り返し呼んでいる。もしかして、この子と僕が友人関係にあると勘違いしているのではないか? ……冗談じゃない。


「どうした?」



どうして僕なのですか?



「君の名前を呼んでいるじゃないか」



僕は赤の他人です。この方を知りません



「手を握るだけさ。頼むよ……」



それなら、徹さんがすればいいではないですか



「彼が求めているのは君だ」



どうでしょうかね。精神崩壊をきたして意識も何もない。言わば死人と代わりはないです。ただの譫言うわごと



 いきなり、頬に激痛が走った。左だ。鋭かった激痛が、今度は鈍く広くなっていく。何が起こったかは激痛が走る前に分かっていた


「死人などとぬかすんじゃないっ! 必死で生きようとしているんだぞっ? 本当の死の瀬戸際で頑張っているんだぞっ? ばかやろぉっ!」


 それは単なる自己満足。たとえ生き延びたとして、そこから死より壮絶な苦しみがやってくる。ならば、ここで死んでしまった方が楽になれるはずだ。

 それはただの仕事。医師という職に就いたがための本能だ。助けなければ今後に支障をきたす。だから何とか助けようとしているにすぎない。


「瑠璃人君、いいから協力してくれっ!」


 徹さんの必死そうな眼。何度か見たことがある。それは医師としてでなく人としてのお願いだ。そんなことは分かりきっている。

 その気迫で、無意識に手を握ってしまった。……温かい。こんな風になってしまっても人の温もりがある。握り返してはこない。でも確かにある。生きたいという意志の表れか、ただの生物学的な“生”のサインか。

 ……面白い。もし、この僕の手ごときに彼の運命を左右させる力があるなら、どうか助けてほしい。そして彼の末路を見届ける権利がほしい。






 その二日後、僕らは彼に会うべく、徹さんのいる病院に向かった。病室番号はなぜか伏せられていて、代わりに名札がふってあった。名前は……“陸奥実 流”? 変な名前だ。人のことは言えないけど。


「失礼します」


 虹にぃが先に中に入っていった。それに気を取られていた僕は小走りについていく。


「……陸奥実……くんだね?」


 ベッドの形を少し変えて、上体を起こして横になっていた。しかし依然として俯き、生気を感じられない。

 本当に男か……、と思ってしまうくらいに綺麗だった。肌が白くて、つぶらな瞳で、外見は美少女と言っても過言ではない。


「……」


 彼はゆっくりと僕らの方を見た。そして頷いた。


「その……あの出来事は交通事故と……なりました。この度の事故で……心中をお察しします……。それで、その……」


 必死に言葉を選んで話しているのがよくわかる。虹にぃは口下手な方ではないが、今回が今回だけに、相当慎重になっていた。

 それを察してか、彼は微笑んだ。


「……いいです……。お気遣いなく、お話しください」


 声まで……。ちょっとだけ声は聞いたが、凛とした美麗な顔立ちと反対に、可愛らしい声だった。裏声とかでなく、素の声だ。


「……自分は……刑事としてでなく一個人として、君にお見舞いしに来ました」


「ありがとうございます……。そのお気持ちだけでも、嬉しいかぎりです。……ところで、そちらの方は……?」


 僕にふるのか……? 内心どきっとした。


「弟の瑠璃人です。陸奥実君とちょうど同年代で、」


「すみません、帰ります!」


 僕は無意識に出ていってしまった。

 とは言っても病室を抜け出しただけだった。下手に歩けば迷子は確実。結局、ドア一枚隔てて待つしかなかった。会話は小さいが聞こえてくる。


「すみません……」


「いいです。こんな身なりをしていたら、気持ち悪がられますから……」


「そんなことは……」


「慣れていますから」


 ずきりと胸が痛む。彼は……この事故以前からも苦い経験をしてきたというのか……? 何ということだ。


「……他にもお見舞いに来てくれた方がいるんですね?」


「これから養子にしてくださる家族からと、親戚……。意外に少なくないんです」


「それは良かった」


「……時間……」


「あ、失礼しました。そろそろ帰ります、」


「急いでください。厄介な連中が……」


 厄介な連中……?

 そう思っていると、通路の奥から誰かがやってくる……。女の子、って何だあの頭……。いろいろと問題がありそうだ。

 づかづかとやって来て、ドアの前にへたり込んでいる僕を、


「邪魔」


 足蹴にして、中に入っていった。僕も勢いに任せて戻った。

 女の子が彼に抱き着いていた。


「お兄ちゃん、遊びに来たよ!」


「落ち着いて、ね……?」


「はぁーい。……んで、このモヤシは誰? 見たことない」


「モヤシ……」


 強ち間違いではないが……なんて言い草だ。


「邪魔だから帰って。あんたたち誰よ?」


「刑事さんと弟の瑠璃人さん……」


「何だってっ?」


 血相を変えて睨みつけた。


「このモヤシ! お兄ちゃんに何しに来たのよ! もう関わらないで! 帰って!」


「いいの……。せっかく来てくれたんだから、」


「ダメっ! こいつら、お兄ちゃんを疑ってるから、お兄ちゃんを手玉に取ろうとしてるの!」


「……お二人ともごめんなさい。気分を悪くしないで……」


「何でお兄ちゃんが謝るのよ! いいからあんたたちは帰ってっ!」


 僕らは部屋から追い出されてしまった。


「……なんて乱暴なんだ……。苦労が絶えませんね」


「いや、自分は安心したよ。あれだけ陸奥実君を大事にしてくれる人がいるんだからね。きっと、陸奥実君を引き取ってくれる家族の娘さんだ」


「……はい」


 もういいや。これで綺麗さっぱり忘れられる。

 その時、病室から彼が出てきた。歩けるのか。


「……また、来てくれますか……?」


「……また来るよ」


 涙をいっぱい零して、微笑んだ。






「……今となっては懐かしい」


「その話は止めろ」


「陸奥実君はそうして僕らを見ていました。自分以外は全て、」


「止めろ」


 陸奥実君がこんなにもこの話を敬遠したがっている。一番辛い過去。僕はそれにも用があった。だから執拗に責める。


「僕には衝撃的でしたよ。あなたみたいな、女の人が持つ凛々しさと容姿を持つあなたが、男だったなんて、」


「口を閉じろ」


 拒絶というよりも怒り。腹の痛みは消されているようだ。それほどにまで怒りに打ち震えている。


「そこら辺の女性より、陸奥実君に興味を抱きましたよ」


「止めろっ!」


「血みどろに、肉片に埋もれた一人の少年が、どんな人生を歩んでいくの、」


「止めろって言ってんだろっ!」


「あれは僕ら以外に話していないのですか?」


「やめろおぉっ!」


「それとも、未だに受け入れられないのですか?」


「もう、やめてえぇぇぇっ!」


 ついに頭を抱え発狂した。


「ぅぁ……やめて……」


 あんな体験をして、体や心に何の異常もなく生活していけるわけがない。陸奥実君の場合はそれを“二人”に分担することで乗り越えられた。一人は普通の陸奥実君。つまり、学校生活や私生活で見せる普段の陸奥実君だ。ちょっと生意気で生真面目で、ごく普通の学生。もう一人は……あの時の“彼”だ。


「ほんとうにいやだ……やな……。もういじめないでよ、やな……」


 あの女々しい頃の“彼”。性格も口調も全てが女々しい。後から聞いた話によると、この性格は亡くなった姉にそっくりだという。特に親しかったそうで、優しく素直な方らしい。“彼”は姉に憑かれた姿だと言ってもいい。

 これはおそらく僕と虹にぃと徹さん、そして養子家族しか知らないだろう。

 僕は“彼”に用があったのだ。


「あなたと話したかったのです。許してください……」


「…………」


 あの頃と全く変わらず、目の光が消えていた。そして俯き、震え、死人のように生気がない。


「……ゆめ……みた……」


 やはりそうか。

 僕は静かに言葉を待つ。


「おとうさんとおかあさん……にいさん、ねえさんが……ベッドに……白い布をかぶせられてて……泣いてるゆめ」


「…………」


 本当の夢だ。現実はそうならなかった。無数の死肉の破片と血の海に溺れていたのだから。


「どうしていきてるんだろう……」


「……」


「あれから何回死のうとしたか……おぼえてない……。くるしい、苦しいの……。どうしておまえだけ死ななかったんだ……いっしょに死ねばよかったのに……とんだ呪いの子だよ……って蔑まれてる気がして……。おとうさんたちが、どうしてこっちにこなかったんだ、って毎晩ささやいてくるの……。苦しいよ、やな……やなぁ……」


「…………」


 極限に不安定だ。今まででもこんなになったことはない。少なくとも、普段なら僕との会話が成立できているが、目の前にいる僕が誰なのかすらも認識できていない。僕がここに来なければ、おそらく……自決していた。


「……陸奥実君……」


 僕は手を握る。熱がなかった。


「……」


「……」


 かける言葉が見つからない……。何て言ってあげたらいいんだ……?


「……」


「……たすけて……」


「…………」


「…………ぁ……あぁ……」


「……」


 僕の気持ちを……素直に言おう……。


「僕はあなたになれません……。でもあなたの親友として、苦しみを分かち合えます。……だから……一緒に……受け入れませんか……? あの事故を……」


「! きやすくいわないで!」


 僕を突き倒した。床に頭をぶつけた。……痛い。


「うけいれたら……みんないなくなっちゃう……」


「あなたの家族はもういないのですよ……?」


「……うるさい……」


「受け入れることができれば次へ進めます。でも、それができずに座り込んでいては何も出来ないのです。自分を責める以外は、」


「うるさい!」


「亡くなった家族の分まで力強く生きようと思いませんかっ!」


「うるさいっ! あなたになにがわかるの! 人のきもちも知らずにのうのうと生きてきたくせに!」


「知らなければ言う資格がないのですか? 知らず者ですからこの際、僕はとことん言いますよ! “あなた”は陸奥実君に取り付いた亡霊です! 陸奥実君が頑張って生きようとしているのを邪魔する亡霊です!」


「ちがう! あなたなんかより苦しみを分かち合ってきた! 傍観者になることを選んだあなたより! もう会わないで! あなたの方が邪魔なの! だから、」


「何してんのっ!」


 僕の後ろにはいつの間にか彼女が来ていた。手にはペットボトルのゴミがあった。


「口喧嘩なんて珍しいじゃない」


「やな……」


「! お兄ちゃん……」


 さすがにわかったようだ。すぐに駆け寄って、陸奥実君の容態を調べる。小さい声で、大丈夫だから……、と宥めるのが聞こえる。


「先輩も……知ってるの?」


「はい」


「どういう経緯かは知らないけど、止めてよ! いや、知ってるならなおさらだよ! お兄ちゃんに負担をかけないで!」


「あなたもこのままでは駄目だと思わないですか?」


「……でも、お兄ちゃんは傷つきすぎてる。休ませてあげたいの。もう……」


「死ぬまで……ですか?」


「! それは……、」


「それともう一つ、当時の新聞では家族全員亡くなっていることになっています。僕も知りませんでした。まさかと思いますが、」


「帰って。……お願いだから……」


「……わかりました。お邪魔しました」


 僕は振り返らずに、その場を立ち去った。






「お兄ちゃん、ごめんね。わたしが一緒にいるのに何もしてあげられなかった。あの時だってもっと庇ってあげれば……」


「やな……こわい、たすけて……やな、やなぁ……」


「大丈夫、大丈夫だよ。怖くないよ……。いっぱい甘えていいから、怖いのがなくなるまでずっと甘えていいから……」


「……やな……やな」


「落ち着いて……。わたしの胸の音を聞いて……。怖くない、怖くない……。八菜はここにいるよ」


「うん……」


「聞こえるでしょ? とくんとくんって……。ちゃんとここにいるから、ね? 落ち着いて、お兄ちゃん……」


「……やな……」


「うん。八菜はここにいるよ……」


「……うん。ありがとう……」


「もう大丈夫だね。おやすみなさい……」


「……」


「…………」


「……」


「……あいつら……許さない……」


「…………や、……八菜?」


「あっ、お兄ちゃん!」


「あいつは?」


「帰ったよ。もう夜遅いもん」


「そうか」


「…………」


「どうした? らしくないぞ。そんな暗い顔して」


「……ごめんね。わたしがいながら……」


「? 何が? え?」


「あんなに苦労してるのに……」


「料理か? お前は本当に下手くそだもんな。それが後継者のすることかよ」


「う、うるさい! お兄ちゃんがうますぎるんだよ!」


「俺が居ないときに火事なんて起こすなよ。ただでさえ近所迷惑してるんだから。特に錬金術は止めてくれ」


「錬金術じゃなぁぁぁいっ!」


「うるさい」


「あいたっ。ごめんなさい」


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