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十八悔目「呼吸」

 29日。手筈通りなら今日と明日は入院していることになっている。でも、今日は行かない。美浦さんの話によれば、二日間の入院なので、二泊三日ということになるわけで、ある程度中で慣れてもらってからの方がいいとこのこと。そして、その間になるべく自然な形で出会わせるとのことだ。つまり、仕込む時間が必要ということだ。そこまで用心深くしなければならないのか……。

 とりあえず念のため電話をかけたのだが、返ってこなかった。相手は大人。時間などあるわけがない。

 僕は正直に言うと、焦っていた。礼香さんが殺されてしまうのではないか? でも、どう切り出せばいいのか? もし本当に僕の妄想通りだとしたら……? 虹にぃたちが先回りして事情聴取をしているのでは……? 昨日に関しては木村先輩から連絡が来たからよかったものの、今日は美浦さんからも虹にぃからも来ない。

 僕らは土手にいた。高台に伸びる道、下方にはそれに沿って流れる河、また互いの岸に行くための橋があった。雑草が茂る河原で稔ちゃんが走り回り、僕がそれを斜面から眺めている。


「瑠璃兄ちゃん……」


 そこに、体操座りでいた僕の膝を広げ、飛び込んできた。


「瑠璃兄ちゃん!」


 むすっ、と頬を膨らませている。


「す、すみません……」


「みぃ、つまらない!」


「すみません……」


 朝からずっと心配と焦りと不安が頭を支配している。食事も喉を通らないし、変に神経質になっている。それを見抜いてか、おばさんが稔ちゃんと散歩しておいで、と勧めてくれた。確かにあれから気が張りっぱなしだった。来るべき時のために体を休めることも大切だ。

 見た感じ、今は多分10時くらいだろう。時間を調べる物は何もないから、感覚だけど。

 昨日の曇りは続いていたが、ところどころに空があった。暑さは昨日と変わらないが、異様な涼しさが流れている気がする。気持ち的なものなのか……。


「瑠璃兄ちゃん、ずっとこわいかおしてる。どこかいたいの?」


「……いえ、大丈夫です。痛いところはないですよ」


「じゃあ、あそぼうよ!」


 子供というのはそういうことに鋭く感じる。意味がわからなくても。……僕もまだ子供か……。


「……」


「もう、瑠璃兄ちゃん、つまんない〜!」


「……稔ちゃんはいつもぷんぷんしてますね」


「ちがうもん! 瑠璃兄ちゃんがつまらないからだもん!」


 本当に、この無邪気な表情を見ると……何だか気が楽になる。そしてイジりたくなる。礼香さんもこんな風に僕を見ていたのかもしれない。しかし、さすがに手を出すことはしない。


「あ、みぃに負けたのがくやしいから、くらいんだ! 年上のくせにおそいもんね!」


「……」


 僕は軽く息を吐く。


「相手は小学生です。僕が本気になるほどでもないということです」


「じゃあ、みぃがおにしてあげる!」


「本気ではないですが、一生追いつけませんよ」


「ぜぇったいつかまえ……ぁ……」


 僕から目を離し、後方を見る。誰か来たみたいだ。稔ちゃんの友達か……、


「にいとおぉ……」


 ……な……………………?


「きさまあぁぁぁぁぁっ! 貴様にも妹がいたのかあぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 絶対に稔ちゃんの知り合いではなかった。

 一番面倒臭い人たちだった。彼の後ろに女の子が二人。もちろん知っている……嫌でも。その二人は僕を見てにやりと口角を上げた。……思い出したくない。そして頼むから変なことは言わないでほしい……。

 近付いてきた。


「新戸君、久しぶりやなぁ!」


「お久しぶりです、新戸さん」


「奈多弓さんに東條さん。どちらに行くのですか? 陸奥実君家はこちらではありませんが……」


「いや、ちょっと仕掛けをなぁ……」


「ここにですか?」


「ん……まぁ、そうや」


 ここに仕掛けを施して何をするのだか。誰かをはめるのか?


「ほら、あそこに竹林あるじゃないですか。いい具合の竹と草を刈りに来たんです」


 東條さんの指差す方、つまり高台の道の奥に、竹林がある。そこから風で靡いて聞こえる囁き。それが異様な涼しさなのかもしれない。……落ち着く。

 確かにあるにはあるが、ますます意味がわからない。第一、誰かの所有物ではないのか?


「おい、無視すんな」


「大まかな構想はあるさかい、テストがしたいねん。協力してくれへんか?」


「いきなり出会って頼み事ですか……」


「えぇやろ? ワイらの仲やし……なぁ?」


 両手で、“ワキワキ”と変な仕草を見せる。……脅迫だ……。


「お姉ちゃん、こんにちは!」


「お、なかなかカワエぇなぁ! 新戸君の妹かい? それとも……コレかぃ?」


 ピンと小指を立てる。


「な、なななっなっちゃあぁぁぁんっ! それだけはダメですっ!」


「なんで真乃やんが取り乱すんねん!」


「きさま……こんな幼い娘に……! 男の風上にも置けんケダモノめが!」


「二人してテンパりすぎです。この娘は近所の娘さんの稔ちゃんです」


「みぃです! 小学3年生です!」


「し、小学生やてぇっ! ロリコン道まっしぐらやないかぁ!」


 急いで稔ちゃんの耳を塞ぐ。


「新戸ぉ! 近所の娘に手を出したんだなっ! なんてことを……!」


「新戸さんは真面目な人だと思ってたのに……」


 ……分かる。今なら分かる。陸奥実君がどんなに苦労しているのか……。この3人は見事な連携プレーで面白おかしくするプロだ。彼ら独自の空間に足を踏み入れれば、否応なしに被害に遭う。よく我慢できたものだ、陸奥実君は……。僕はそんなに甘くはない。

 稔ちゃんを解放して、目を合わせるためにしゃがんだ。


「稔ちゃん、いいですか?」


「なぁに?」


「この3人のような身勝手でおバカで品性のカケラもない高校生になっては駄目ですよ? 友達みんなに馬鹿にされますからね」


「うんっと……、よくわからないけど、お姉ちゃんたちみたいなおバカにならないようにするねっ!」


「がびーん!」


「ぐさっ」


「ずきずきっ」


 3人してどんよりと地に伏した。純粋な子供の放つ言葉こそが一番心に突き刺さるものだ。僕に浴びせた罵詈雑言ばりぞうごんより応えたはず。細かい連打よりも破壊力のあるカウンターだ。まさに肉を切らせて骨を断つ! ……って僕は何を言っているのだろう……。

 とりあえずいろいろと謝ったり、言葉を撤回したりとした後で、話を進めることにした。


「んとな、午後からむっちゃんと鬼ごっこすんねん。あの優男、ワイにどんだけ恥かかせたか……、ワイはキレたで……、もう我慢できん! そこでここに我が渾身の怨念を込めたトラップを仕掛け、肉を貪り骨を砕き、臓器を垂れ流しにしてそんでもって、」


「えっと、つまり、流さんを遊びに誘って、鬼ごっこで復讐するというです」


 ナイスタイミング。多分このまま続けたら耳に毒だ。

 ところで、陸奥実君が奈多弓さんに恥をかかせたって……。気になる。でも、聞いたら話がややこしくなりそうなので、流す。

 東條さんが僕に耳打ちしてくれた。


「……なっちゃんが数学で、9×8を間違えちゃったんですよ。それを流さんが馬鹿にしてしまって……」


 なるほど。お互いにそれぞれ別の意味で酷い。

 奈多弓さんはその時のことを思い出しているようで、意味不明に喚きながら前橋君を踏ん付けて虐めている。恨みつらみといったレベルではない。怨念だ。

 僕はそんなことに興味はないので、


「すみません。僕ら帰ります」


 撤収。


「ニガシマセンヨ。バラサレテモイイノデスカ?」


「オトナシクシタホウガ、ミノタメデハナイノカ?」


「コノコガドウナッテモエェンカ?」


 み、稔ちゃんが人質に……! いや、人質というか鬼ごっこをしたいから、奈多弓さんに抱き着いているように見える。もう好きにしてくれ……。


「それで、何を仕掛けるのですか?」


「ん〜、まず、定石通りにまきびし撒くか」


「んじゃ、足引っ掛ける草の輪作るで」


「私は竹槍落とし穴作ります。問題は安全確保できる場所ですね」


「ワイは……あそこの橋の裏に張り付けばええな」


「私は水遁の術で水中に隠れます」


「じゃあオレは隠れみの術で……」


「……」


 発想が江戸時代だ……。


「どう考えても、鬼ごっことは関係ないですし、危なすぎますよ! 死人が出ます、絶対!」


「当然だ。ここは戦場だぞっ?」


「ただの河原です。現実逃避をしていないで、もう少しマシなこと考えません?」


「あんさんはバカや! そういう甘さが命取りに繋がるんやで! 気を抜くんやない!」


「あなたの血の気を抜いてほしいです。東條さんの安全確保できる場所という考えはいいと思いますね。陸奥実君を鬼にした後、そこに隠れれば、」


「新戸さん、なっちゃんは流さんを攻撃したいんです。攻撃は最大の防御なんですよ」


「別に鬼ごっこは相手を攻撃する遊びではないのですが……」


「新戸、キサマはそのバズーカで稔ちゃんを、」


「前橋君、ここの草を食べますか? ここら辺の草は美味しいらしいですよ? しかも食べてくれれば草むしりをする必要がなくなりますし、食料に困ることはないですし。特に前橋君は陸上で体力を消耗していますから、ほら、口を開けてください。美味しいですから」


「ふがぁぁっ! ふがぁっぁぁっ! はがぁっ! わふがっだぁぁっ! ほへががふがっがぁぁっ!」


「え? じゃんじゃん持ってこいと? そんなに焦らなくても、腐るほどありますよ。腐っているものもありますが、前橋君の強靭な胃袋ならば問題ないでしょう」


「ふごぉぉ! おぅぇぇっ! おぼぼぼ……」


「怖いです……」


「むっちゃんよりSやで……」


 結局、鬼ごっこは一度もせず、作戦会議のみで午前を締め括ってしまった。


「……おにごっこ……したかったな……」






「陸奥実君、どうかしましたか?」


〈……〉


「? ……陸奥実君?」


〈……新戸先輩……〉


「おや、八菜さんですね。でも、なぜ八菜さんが?」


〈お兄ちゃんが……刺されたの……〉


「! 刺されたって……?」


〈わかんない……。今、手術室にいて……〉


「……わかりました。近くに知り合いはいますか?」


〈前橋先輩とか……雛とか〉


「……僕は今は少し外せない用事があるので後ほどに伺います」


〈お兄ちゃんが死んじゃう! 死んじゃうよぉっ! ねぇ! 何とかしてよっ! ちょ、ちょっとあんた、何すんのよ! 返して、…………新戸か?〉


「……前橋君ですね? 八菜さんは?」


〈今、東條と奈多弓、八菜ちゃんの友達で落ち着かせてる。普段のツンデレ具合が全くねぇ。めちゃめちゃ取り乱しちまってる……〉


「どうしたのです? 午後は鬼ごっこをしていたはずではなかったのですか?」


〈やってたんだが、あいつ、橋の方まで上っていっちゃってな。そこで不審者に腹刺されたんだ……〉


「なるほど。その不審者の容貌は?」


〈オレが見た時にゃ、そいつは走って逃げてて、陸奥実を助けに行くのに精一杯で……。悪い……〉


「むしろお礼を言いたいです。被害者保護が一番優先すべきことですから。他に知っている方はいますか?」


〈お前、刑事みたいだな。ちょっと待ってろ……〉


「はい」


〈…………もしもし〉


「東條さんですね?」


〈話は聞きました。……流さんを刺した不審者は長い金髪で体型的に女性だと思います。でも、帽子とサングラスとマスクで顔が……。服装は……黒いドレスに肩掛けをしていました〉


「……そうですか」


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