一悔目「参加」
ザワザワザワザワザワザワ………………
身体からほとばしるように垂れる汗。それがYシャツに染み渡る。肌との距離を無くし、うっすらと肌色が現れた。むろん気持ち悪い。その原因は二つある。
一つは季節。夏真っ只中の今日、6月24日はなんと33度を超えるという。温暖化の速度は明らかに増している。友人との会話の二言目は必ず“暑い”系の単語が入っている始末だ。
二つはこの劣悪な環境。天井が金属で覆われた体育館に千人近くもの人が集まっていた。暑苦しいしむさ苦しい。服装を乱したくなる。団扇が欲しい。
「新戸……あっちくないの……?」
僕の後ろにいる男の子が言った。彼は馬場 洋君。170くらいある僕より少し高い。長く黒い髪が嘘のようにぴんと垂れ下がっている。いわゆる“ヴィジュアル系”だ。
「暑いですよ。でも慣れてますから」
「慣れるとかの問題じゃないっしょ……」
手で顔を仰ぐ彼。そこへ担任の岡本先生がやってきた。ちょうど半世紀を迎えたらしく、記念に短い髪を黒染めしたらしい。
「こら、藤野! 馬場! シャツを出すなぁ!」
「せんせぇもあっちくないんスか……?」
「心頭を滅却すれば火もまた涼し、だよ! つーか藤野、お前早く髪を直してこい! 引っこ抜くぞっ」
「ひい〜! 助けて〜!」
馬場君の後ろにいるのは藤野 秋也君。僕と同じくらいの身長だ。茶色がかった髪は同様に真っ直ぐになっている。それは先生たちの眼を光らせる。
この二人はとても仲良しで、僕はたまたま知り合った。二人ほどではないが仲良くなっている。僕としてはそんなに付き合ったことのないタイプだが、根は全く悪くない。
「にしてもよ、何で集会なんてやるんだよ?」
「どうやら留学生みたいです」
「マイケルかっ! トーマスかっ!」
「バカヤローッ! シオドアに決まってんだろ!」
「あまり聞かないですね……。どれにしても違うと思いますが……」
一通り先生の話が終わる。時間は十時過ぎくらい。ここに来て一時間待たされている。暑いからいらいらしているだろう。
その数分後、遂にその姿を現す時が……、
「……」
「…………」
「………………」
「…………」
「……」
「……?」
来なかった。
「……ビビらせるなよ。思わず息止めちゃったじゃん……」
「つーか遅すぎだろ! もう待てない! アツイ!」
「まあまあ……、何かあるみたいですよ」
察するに、この生徒は問題ありげな生徒みたいだ。
おにいぃぃちゃあぁぁんっっ!
「!」
スピーカーからいきなりの爆音。耳がおかしくなるかと思った。甲高い音がざわめきを一掃する。そして直後始まった。
「おにい……ちゃん?」
“お兄ちゃん”を呼んだみたいだ。ということは在校しているということになる。だが、周りを見回しても相当する人物は見当たらない。外国人ではないとすると……?
「留学生ではなく転校生ですか」
「今の声……カワイイかったな……」
「誰だよ、気になるなぁ……!」
……さっきまで嫌がってたくせに……。
そしてやっと、姿を現した。何事もなかったかのようにステージを歩き、真ん中に立つ。手にはマイクが握られている。
「!」
「えっ?」
「………………」
僕らは、いや学生全員は彼女に目を奪われた。
まずは何と言っても、髪の毛だ。どうしてそれを許したのか? その紫と青を混ぜたような色を。明らかに髪を染めている。誰かさんが飛び付いてくるに違いない。そしてそれを頭の両側に束ねて、飛び出させている。いわゆるツインテールだ。
高校生にしてはあどけなすぎる顔付きだが、目が少し鋭い。
背は高くない。見積もっても145センチをぎりぎり越えてるくらい。
「可愛くね?」
「やべぇ! 完璧にアニメに出てきそうじゃん! 実写版か!」
「それにしても、誰の妹さんでしょう?」
あの容姿からは判断できない。
「いや、それは言えないだろっ。お兄さんは独り占めしたいんだから」
「……」
彼女はマイクをにぎりしめた。
「私はお兄ちゃん以外の男はカッコイイって認めてないから!」
「………………」
自己紹介からではないのか、普通……。しかもそれに関係ないことだし……。
「“リュウ”お兄ちゃんしか認めてないからっ!」
「お兄ちゃんが好きなんだ……」
「って馬場君、なにを悦になっているのですか? かなり危ない発言ですよ」
「いいんだよ! 愛に形はない!」
「カッコイイ!」
なんか疲れてきた……。……そういえば……。
「……リュウ……?」
“リュウ”というのは名前だろう。ちょっと珍しい気もする。でも、校内には何人もいるだろう。
「確か、うちのクラスにも同じのがいたな。……思い出せん」
「こういうときの前橋だろ? なぁ前橋、いるか!」
一番後ろから二番目にいる坊主頭のスポーツマンが、前橋 透気君だ。180センチ近い長身で、陸上界のプリンスと自称している。筋肉質の体を持ち、厳ついイメージがあるが、なぜか眼が丸くて優しい。そして、何事にも情熱的になる性格は呆れるほど真っ直ぐだった。ちなみに“炎”が一番好きな言葉らしい。
僕からもっとも掛け離れた人だ。
「……」
「前橋君、気分が悪いのですか?」
俯いていた。
「違うぜぃ……」
「あれ? そういえば陸奥実君は?」
すぐ後ろにいるはずの彼がいない。……あっ。
「そういや…………あぁっ!」
「陸奥実…………流!」
「むつみいぃぃいぃぃぃぃっっ! あのヤロオォオォォォォッ! さっき保健室に逃げ出しやがったあぁぁぁっ!」
「なぁぁにいぃっ? やっちまったなあぁぁっ!」
「男は黙って血祭りじゃあぁ、血祭りじゃああぁぁぁぁっ!」
「馬鹿三人! 黙りなさいっ!」
もちろんこの三人はこの後、先生たちに叱られたことは言うまでもない。
彼女の名前は陸奥実 八菜。高校一年生だ。僕らの一つ下に当たる。ものすごい気が強そうだ。なのに陸奥実君には慕っている。兄妹だからかもしれないが、差が激しい。
ヤツは“ツンデレ”だ、前橋君がそう語った。
僕らは2‐Aのクラスにいる。集会が終わり、あとは帰るだけだ。
「まったくよ、陸奥実も水臭いぜぃ。こんな可愛い妹がいるなら紹介しろってんだ!」
「いや、無理だと思いますよ」
「なんでじゃい!」
そこに、誰かの腕が前橋君を襲った。
「ごふっ!」
ツッコム具合に鳩尾を直撃した。その腕は程よく日焼けしている。
「アホやなぁ! あんさんみたいな暑苦しいのに紹介できるかい」
「頼むから言わないでくれ……ヘコむから」
効果は抜群のようだ。
その腕の持ち主は奈多弓 棗さんだった。肩まで垂れ下がった真っ黒のショートに、少しおかっぱ気味の前髪。凛々しい輪郭なのに笑うと幼さが滲んでいる。なにより、関西弁(?)が爽快さを際立たせてくれている。
でも、人を小ばかにしたような目つきは見逃さない。実際はわからないが、僕にしてみれば一種の謎が漂っている。大人びた見た目とは裏腹に活発で元気な女の子だ。
「あの、それより……」
「わぁーっとるっわぁーとるっ。むっちゃんやろ? ラブラブで帰っていきよったわ」
「例の妹さんとですか?」
「あーちゃうちゃう。真乃やんやねん」
「と、東條と? むっつみのやつ、やるなぁ」
奈多弓さんいわく、陸奥実君と東條さんは付き合っているとか。それがなんなんだと言われれば何とも言えない。しかし、当事者がともに否定してるので、皆で弄るネタにしているわけだ。
ちなみに今日初めて一緒に下校したらしい。
「んじゃ、ワイは帰ろうかなぁ〜」
「お、ちょい待ち、奈多弓」
「なんやねん。まさか、告白かぃ?」
前橋君の顔が噴火した。
「ち、ちげーよ! 今日マネージャー休みだからよ、付き合ってくんねぇか? そろそろ気合い入れなきゃなんねぇ時だからよ」
「わかった。そういうことならしゃあない。いくでっ!」
「わ、わりぃ! じゃあな、みんな!」
二人は騒々しく教室を駆けていった。僕と藤野君と馬場君が残された。
「では、藤野君、馬場君、部活頑張ってください」
「あぁ、じゃあな!」
「またテニスやろうぜ!」
「はい!」
僕は教室を出ていった。
「ただいま……」
「おっかえりぃ! 瑠璃人君!」
「瑠璃、お帰り」
僕はいくつかの部屋があるアパートに住んでいる。二人暮らしだから広すぎるくらいだ。入ってすぐ居間がある。そこから僕の部屋と虹にぃの部屋が隣り合っている形だ。
入った途端に押し寄せる匂い。もわっとしている。酒臭い。目の前で堂々と二人が酒を浴びるように飲んでいた。
真ん中のテーブルを挟むように座っている。僕から見て左が神地 徹さんだ。つんつんに髪を立てて、肌黒いのが印象的だ。明らかに運動会系なのに医者をやっている。右には虹にぃが、肘をついてうなだれている。僕の尊敬する兄であり、刑事だ。前髪が散らかっている。長身であらゆる武術を熟している。見た目が気弱そうなのは爪を隠しているからだ。
二人とも顔が真っ赤だ。
「また愚痴ですか?」
「愚痴じゃない、っく、報告だよぉ〜」
「……すっかり出来上がっていますね。まぁいいです。虹にぃも控えてくださいよ。それとひそかに僕の分を用意しないでください」
「瑠璃も二年生なんだから、そろそろ大人付き合いをだねっ、みにつけぇっないと……」
「せめて、まともな大人と付き合わせてください。では」
僕は匂いから避難する。隣にある自分の部屋に着くと、バッグを机に放り投げる。そしてベッドに転がり込んだ。
まだ夕方だからか、部屋が橙に馴染んでいる。眠りもせず、何もせず、ただ天井を眺めていた。




