回顧 ――高校二年生 夏―― 3
翌日の放課後、再び俺は図書館の二階に赴いた。
坂内の奴は、部活。
人に面倒ごとを押し付けて、いい気なもんだ。
昨日坂内がメモしていた本を、机に全て並べてみる。
全部で十五冊。
あいつは、古文が苦手。
なら、とりあえず歌集は外すべき。
歌は解釈をしようとすれば、何通りもできる。
その背景を一つ一つ調べながらレポートに起こすのは、普段読み込んでいなければ難しいだろう。
十五冊の内、三冊を避ける。
あとは、馴染みのあるものが一番なんだよなぁ。
少しでも内容が分かれば、嫌にならずに読めるから。
残っている本の中から、少しでも内容を知っていそうな本を選んで残りを本棚に戻した。
史実と物語と。
どっちの方が面白いかだけど……
そう思いながら、とりあえず一番上の本のページを捲った。
久しぶりの図書館の雰囲気。
好きな古典。
読書の時間。
すっかり、俺は自分の世界に入り込んでいた。
時間も何もかも、まったく気にせずに。
「すみません、閉館の時間になるのですが……」
そう控えめに声を掛けられて、やっと意識が現実に引き戻された。
「えっ、閉館?」
驚いて窓の外を見ると、さっきまでまだ明るかったのにとっぷりと夜の闇に沈んでいた。
腕時計に視線を移すと、夜の七時を指していて。
既に閉館時間を過ぎている事に、慌てて立ち上がった。
「すみません、すぐに片付けますので……」
そう言って、横に立つ人を見下ろして……そのまま固まった。
驚いたように見上げてくるその人は。
目を見開いたその表情は。
幾度か見たことのある、その表情を浮かべる彼女は……。
「と……こさ……」
呟いた声は、掠れて。
嬉しさと怖さが、心の中を渦巻く。
机に両手をついたまま、俺はその人を見つめた。
とーこさん。
ずっと、ずっと会いたかった、とーこさんが目の前にいる。
会いたくて仕方なくて。
幾度かしか見たことのない、笑顔を思い出しながら。
焦がれても踏み出す事が出来なかった俺の目の前に、突然、その人が現れた――
「あ……」
会いたかったのに、会えたのに。
何を言っていいのかわからない。
何も言えず薄く口を空けたままとーこさんを見ていたら、少し首を傾げた後怪訝そうな表情を浮かべた。
「もしかして……、要くん?」
――要くん
その声は、自分を呼ぶとーこさんの声が、心の中に甘く響く。
拒絶のない、ただまっさらな疑問の声。
その声に身体から力が抜ける。
「とーこ、さん」
やっと、彼女の名前を呼ぶ事ができた。
とーこさんは俺の声を聞いて、物珍しげに顔を覗きこんでくる。
「やっぱり要くんなのね? 見違えたわね、最初分からなかったわ」
そう言って、微かに口元を緩ませた。
見違えた……?
その言葉に、あぁ、と内心納得する。
そういえば、身長はあまり変わらなかった。
むしろ目線で行けば、とーこさんの方が上だった。
今、俺は彼女を見下ろしている。
身長が伸びたのと同時に、声も低くなった。
坂内に第二次成長期と馬鹿にされるほど。
「あ……、とーこさん……。お久しぶりです」
出てきた言葉は、間が抜けていて。
とーこさんも、思わずと言った感じで目を細める。
「そうね、お久しぶり。さすがにカウンター業務が終わると、接点がないから本当に会わなかったものね」
とーこさんの言葉に、安堵する自分。
瀬田の言った事が本当かどうか、それは分からないけれど。
信じたい自分は、まだ存在していて。
その上でとーこさんはまったくそれを知らなかったという事を、今の彼女の態度から知る事が出来た俺は、二人に対して持っていた恐怖が薄れていくのを感じていた。
とーこさんはふと気付いて腕時計を見ると、申し訳なさそうに俺を見上げる。
「ごめんなさいね、もう閉館時刻過ぎているから。外に出てもらってもいいかしら」
「あ、はいっ。すぐ片付けます、すみません」
俺は慌てて机の上にある本を持つと、本棚へと返す。
それを見ていたとーこさんは、目を細めながら口を開いた。
「私はまだ見回りがあるから、ここで。またね」
「えっ」
行っちゃうの?
思わず出そうになった言葉を、すんでのところで飲み込む。
「あ、はい。すみません、お時間取らせて」
「いいえ、久しぶりに会えて嬉しかったわ。それじゃ」
そういうと、とーこさんは階段に向かって歩いていった。
その後姿を、立ち尽くしたまま見送る。
とーこさんと最後に会ってから、既に半年近く。
久しぶりに見るとーこさんは、俺の目に甘くて。
込み上げてくる想いが、身体を震わせる。
あの時は、そこまで強く思わなかったのに。
触れたい……
目の前のとーこさんが、俺の都合のいい幻じゃないってそう思えるように――