はじまり-1
「間宮さん、斉藤さん、本当にありがとうございました」
そう言って俺たちに頭を下げる彼女……久我さんは、とても幸せそうな表情を浮かべていた。
今まで、見たこともないような。
きっと、彼女はずっと“自分”を、押さえて生きてきたんだろう。
それが例え、意識的だろうと、無意識だろうと。
ここ数ヶ月、彼女にとってとても辛い日々だったに違いない。
思ってもみない人から告白され、その為に周りから妬まれて。
後輩に、怪我までさせられて。
一時期、彼女が消えてしまうんじゃないかと思うくらい精神を消耗していた。
それが今日、やっと上手くまとまったと聞いて、月曜だというのに彼女だけを飲みに誘ったんだけど。
なぜか、課長まで付いてきた。
それだけ、一緒にいたいってことなのかな。
そんなことを考えながら、その場にたたずむ。
「久我、幸せそうだな」
久我さんと課長の後ろ姿を見送りながら、隣に立つ斉藤がぽつりと呟いた。
その顔は、まったく身内を見る顔。
こいつは、周りと壁を作らない。
それは羨ましくもあり、妬ましくもある。
「そうだな」
そう言いながら、くるりと踵を返す。
「あれ、間宮。お前帰らねぇの?」
本来向うはずの駅ではない方に歩き出す俺に、怪訝そうな斉藤の声。
「あぁ、また明日」
軽く片手を上げて歩き出すと、間髪いれず、斉藤の声が背中から追いかけてきた。
「そーいえばお前、明日午後出勤になってたな。とーこさんに、よろしくー」
「……はいはい」
何を言っても、仕方ない。
斉藤の言うとおり明日午後出勤だから、もともととーこさんちに今日は行くつもりだったとはいえ、それを説明しても歪曲してとられるだけだろう。
なら、誤解されたままでいいさ。
久我さんと課長にあてられたって。
地下鉄の駅に向いながら、コートのポケットに片手を突っ込んで溜息をつく。
……俺も頑張ってみようかな
そんなことを、朝、久我さんに言った。
久我さんが見せるその笑顔を、とーこさんにもしてもらいたくて。
どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべる、俺のとーこさんに。
どうしたら、伝わるだろう。
どうしたら、彼女のように幸せに笑ってくれるだろう。
俺が、君を好きなんだ。
俺が、君を離したくないんだ。
どんなに言っても、彼女の心に伝わらない。
あの時から、ずっと焦がれているのに。
あなたの、その存在に――