幕間 ――朝――
「……なめ……か、なめく……要くん?」
「……ん?」
自分を呼ぶ声に、ゆっくりと瞼を上げる。
目を閉じるまで人工的な光に照らされていた部屋は、明るい陽の光で満ちていた。
視界に映りこむとーこさんが、その向こうの窓から入る光で眩しい。
幾度か瞬きをして目を開けると、目の前のとーこさんに向けて微笑む。
「とーこさん、おはよう」
「おはよう、要くん」
俺の言葉に答えながら、とーこさんは屈めていた上体をゆっくりと戻した。
それにつられるように、俺も身体を起こす。
「朝、なんだ」
つい呟いてから、両腕を上げて身体を伸ばした。
とーこさんはダイニングテーブルに珈琲を置いて、こっちを見る。
「えぇ。昨日はそこで寝てしまったの? 風邪をひいてなければいいけど」
「大丈夫、全然平気」
心配そうな声に笑みを浮かべて否定しながら立ち上がると、椅子に腰掛けて珈琲のカップを手に取った。
「今日は午後出勤なんだ。とーこさんは? 図書館司書のバイト、来週までだったよね?」
とーこさんはテーブルにトーストとサラダを置いて、そのまま椅子に座った。
その姿はいつも通りで。
昨日、背を丸めて寝ていた彼女の姿は、微塵もない。
「えぇ、来週の金曜まで。今日は休みだけれど、瀬田の叔父の手伝いに行く予定」
「瀬田の? じゃあ、送っていこうか?」
一度アパートに戻って、車をとってくる時間はある。
そのまま出勤してしまえば、帰りも迎えに行く事ができるだろう。
内心そこまで考えて口にした言葉だったが、とーこさんには伝わらない。
「いいえ、圭介が迎えに来るの」
瀬田が……
その言葉に、諦めと落胆が心を占める。
迎えに来るのが瀬田なら、何を言っても俺が送っていく事は出来ないだろうから。
「そっか。瀬田も今日は休みなの?」
「そう」
瀬田はとーこさんの両親が経営しているイタリアンレストランを継ぐべく、他店修行中で。
確か、今年中には戻る予定だとか言ってた。
トーストを食べながら瀬田のことを考えていたら、同じように食べていたとーこさんが、そういえば……と口を開いた。
「要くんは、お昼どうするの? 食べるなら、圭介が作るって言ってたけれど」
「俺が来てること、瀬田は知ってるの?」
「えぇ、要くんが寝ている間に連絡来たから……。食べるなら、予定はオムライスだそうよ。デミグラスソース持参」
瀬田の料理の腕は、本当に凄い。
今だって、修行なんてしなくていいんじゃないのってくらい、おいしい料理を作る。
けれど、瀬田はそこで止まらない。
とーこさんの両親から受け継ぐ店をつぶさないように、いろいろ試しながら変えていきたいと前に会った時言ってた。
「食べてからいこうかな。せっかくだし」
そう言うと、とーこさんは頷いて携帯を手に取った。
「材料の事があるから、早めにメールしろっていわれたの。ホント、料理のことになると圭介はうるさいから」
本の事になるとうるさいのは、俺達だけどね。
そんな事を考えながら、たどたどしくメールを打つとーこさんを見る。
パソコンを打つのは早いのに、どうして携帯でメールを打つのはヘタなんだろう。
面白い人だ。
少し時間を掛けてメールを送った後、再び朝食を食べ始めるとーこさんの手元には何枚かの書類。
瀬田の父親、とーこさんの叔父は大学の教授をしている。
古典文学を愛するその人柄は、瀬田……息子の方と比べて寡黙で温和。
とーこさんにそっくり。
そこの助手が、とーこさんの本業。
その傍ら、研究と執筆をしていて。
かといってそれだけで食べていけるわけでもなく、今みたいに、図書館司書などのバイトをしている。
だから。
分かってる。
俺がいなくても、俺が……彼女を守らなくても、一人で生きていける。
何か一つ、なんでもいい。
彼女が俺なしじゃないと生きていけない、そんな確証を、たった一つでも欲しいと願うのは……大人になりきれていないから、なのだろうか。