回顧 ――高校一年生 夏―― 8
「え、なんでどーして?」
どーして瀬田の家に、とーこさん?
今日、休んでいたはずなのに、何でここで本を読んでるの?
少しだけ戸惑ったような表情のとーこさんの前まで歩いていく。
「要」
それを引き止めるように、後ろから瀬田に腕を掴まれた。
体が傾いで、瀬田に寄りかかる。
それを支えるように、瀬田の手が俺の肩を押さえた。
「俺との話が終わってないだろう?」
「え?」
この状況で、天然物の話はいいよ。
俺は、それより……
「とーこさん、体調悪いの? 今日、お休みしたって聞いたけど」
風邪ひいているとかそういう風には見えない。
大体、具合が悪かったらこんなとこにいないはず。
「要」
後ろから瀬田が俺を呼ぶのと同時に、とーこさんの右足に視線が止まった。
「足、どうかしたんですか?」
右足に足首と甲を覆う白い包帯が、ひざ掛けの端から覗いている。
ゆっくりと手を伸ばそうとしたその腕を、瀬田に再び止められた。
「捻挫。要、あのな……」
「圭介」
その言葉を、とーこさんが遮る。
二人のやり取りに何か入っていけない雰囲気が漂っていて、なんとなく面白くない。
だから瀬田の手から腕を振りほどいて、とーこさんの足元にしゃがみこんだ。
「とーこさん?」
さっきの返事を、瀬田からじゃなくとーこさんから返して欲しくて。
とーこさんは瀬田から俺に視線を移すと、右手を伸ばして包帯に触れた。
「昨日、階段を踏み外してしまったの。包帯なんか巻いているけれど、たいした事ないのよ」
そうして、少しだけ目を細める。
「本当に?」
だって今日、休んだのに。
話したくもない女の先輩と、いる羽目になったのに。
俺の考えている事が伝わったのか、少し困ったような表情でごめんなさいねと呟いた。
「一日は安静にしているように言われたものだから。明日はちゃんと行くわ」
「桐子」
瀬田の強い口調が、とーこさんを呼ぶ。
それは強く何かを諫めているようで、それほど捻挫が酷いのかとがっくりと肩を落とした。
「とーこさん、無理しちゃダメですよ?」
明日来て酷くなって、また休みじゃ意味がないし。
そう言って覗きこむように顔を上げると、とーこさんの表情がふわっとほころぶ。
「子犬みたい」
そう言って包帯に触れていた右手を、俺の頭で軽くバウンドさせた。
「あのね。大丈夫だから、心配しないで」
何か面白いのか、バウンドさせた手が頭を撫でる。
多分いつもの俺なら“子ども扱いするな!”って怒るところだけど、そんなことよりもとーこさんの表情に意識を奪われた。
口元に名残を浮かべて、既に無表情に戻りつつあるその顔をじっと見つめる。
「と……こさん」
あまりの驚きに、声が掠れる。
俺の状態に撫でていた手を止めて、とーこさんは首を傾げた。
「とーこさんが、笑った」
「え?」
「初めて見た。とーこさんが笑ったのって」
「え、と……要くん?」
俺は困ったような、でも無表情ベースのとーこさんに満面の笑みを浮かべた。
だって、嬉しいんだよ。
すでに一ヶ月は一緒にいるのに、笑顔、見たことなかったんだから。
とーこさんは戸惑ったように、眉を顰める。
その変化さえも嬉しく感じる俺は、どこかねじでもとんでるんだろうか。
とーこさんは見上げる俺から視線を外して、後ろに立つ瀬田を見た。
「かーなめ」
後ろから、瀬田に頭をがしっと掴まれる。
「撫でてほしいなら、俺が存分に撫でてやろう!」
そのまま両手でわしゃわしゃと髪をかき回されて、慌てて立ち上がる。
「何すんだよ、瀬田!」
「呼び捨てにすんなよ、後輩」
瀬田は立ち上がった拍子に外れた両手を“降参”みたいに上げて、おちゃらけながら後ろに下がった。
「とーこさんの読書の邪魔をしちゃ、だめでしょう? ほら、何か読みたいなら物色しなさい」
「えっ、いいの? だって話が……」
先に瀬田と話してからって……
そう言って首を傾げると、瀬田は苦笑して後ろを向いた。
「本好き人間に、“おあずけ”は可哀想だからね」
「先輩、ありがとう!」
「調子いいんだから」
瀬田のボヤキを背に、俺はさっきの部屋に駆け出す。
今までの事、水に流してやるよ! 一瞬だけ!
ほくほくと続きの部屋を一歩出たところで、ふと、立ち止まった。
「どーした、要」
その声に、ぐるりと二人を振り返る。
「ていうか、なんでとーこさんが瀬田んちにいるの?!」
――根本的な疑問を、今更思い出しました!!