回顧 ――高校一年生 夏―― 6
「……瀬田会長」
後ろから聞こえた声と、前にいる先輩が呟いた名前で人物が一致する。
後ろを振り返ると、案の定、そこには瀬田が立っていた。
瀬田は片手を挙げてカウンターの前に来ると、隣に座っている先輩に“もういいよ”と笑いかけた。
「え、もういいって……?」
意味が分からず首を傾げる先輩に、瀬田は爽やかな笑みを向ける。
「カウンター、俺が代わるから」
「え、でもまだ閉館まで時間が……」
困惑したような声を、瀬田は遮った。
「これから雨が酷くなるらしいんだ、だから女の子は早めに帰してあげたいからね。どうもありがとう」
で、ダメ押しのにっこり笑顔で、その先輩は顔を真っ赤にして鞄を手に掴んだ。
「あっ、ありがとうございます。それじゃ、その……お先に……」
ぺこぺこと頭を下げて、自動ドアから校舎の方へ歩いていった。
「さて、要……。何、その嫌なものを見る目つきは」
その先輩の後姿が見えなくなって振り返った瀬田に、じっとりとした視線を送る。
奴は“何”と聞きながらも、俺が何を思っているのか分かっているらしく、カウンターを廻って横の席に腰を下ろしながら呆れたように笑った。
「要もこのくらい出来ないと、男としてどうかと思うけど?」
「なんか、たらしっぽい」
「あはは、要らしい言葉」
俺は指を挟んでいたページに、ブックマーカーを挟み込んでそれを閉じた。
「大体、あんなあからさまな視線を向けられて、気付かない要が凄いよ。ある意味天然物だよ」
「天然物ってなんだそれ」
天然とか天然記念物とか、言葉違くないか?
瀬田は食いつくところそこか? と笑いながら、館内放送用のマイクを手元に引き寄せた。
「本日の閉館時刻は、通常より一時間早く、六時となります」
云々かんぬんと、とりあえず閉館時刻が早まるよ、的な放送を二回繰り返してマイクのスイッチを切る。
「なんか雨、酷くなるんだって。今日は早く帰ろうな?」
ぽんぽん、と頭を軽く叩かれてイラッと目を細める。
凄い、子ども扱い。
ムカつくんですけど?
瀬田はにやにやと笑いながら、放送を聴いて貸し出し登録に来た学生の対応を始める。
俺も仕方なく怒りをおさめて、それに続いた。
六時になり、入り口の自動ドアの電源を落とす。
そのまま簡易ロックだけを掛けて、瀬田と二人で館内へと足を向けた。
蔵書類の多さ、その貴重さからセキュリティーを掛けるのが常。
図書委員は閉館後、見回りをしてからセキュリティーと施錠をする。
いつもとーこさんと見回る場所を、瀬田と一緒に歩いていく。
しんとした館内に響くのは、上履きのゴム底が床を擦る音だけ。
本当はムカムカしていたけど見回りだけは重要な仕事なので、諦めて歩く。
それでもだんまりを通したまま。
二十分程時間をかけて全ての階を見回り終えると、自動ドアを外から施錠して今日の委員会の仕事は終了した。
酷くなると言った雨はだいぶ小降りになっていて、傘立てに突っ込んであった自分のそれを手に正門へと歩き出す。
瀬田もこのまま帰るつもりなのか、同じ様に傘をさしたまま歩き出した。
正門をくぐってそのまま何も言わずに歩く瀬田に、思い切って声を掛ける。
「瀬田」
「なに?」
奴は振り返らず、その長い足でどんどんと先を行く。
少し早足になりながら、天然物ってなんだよ、と呟いた。
途端、ピタッと動きを止めた瀬田に、勢いを止められずそのまま顔面を背中にぶつけた。
歪んだ傘から弾けた雫が、顔にかかって冷たい。
「痛いなっ」
鼻を押さえて恨みがましそうに睨みつけると、顔だけ俺の方に向けて右手で頭をぽんぽんと叩いた。
「要くんはお子様だねぇ」
「なんでだよっ」
食って掛かろうとした身体をするりとかわされ、瀬田は軽々と二・三歩先に進む。
暗い風景に、鮮やかな青がくるりと回った。
「それはね……」
瀬田がそう言って人差し指を立てた時。
小雨だった雨が、ものすごい勢いに変わって俺たちの上に降りかかってきた。
「えっ、わっ!」
雨の勢いとその量で、周りがまったく見えない。
少し前に立っていた瀬田が、俺の腕を強く掴んだ。
「こっち」
こっちといわれてもまったく意味が分からず、瀬田に引きずられるまま俺はその後をついていく。
瀬田に引っ張られるままにたどり着いたのは、高校から徒歩二十分。
瀬田の家だった。