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貴族の庭園で行われた、ある婚約破棄の顛末

作者: 水主町あき
掲載日:2026/01/18

 それは、何組かの貴族家が招かれた、庭園のパーティで起こった出来事だった。


 問題を起こしたのは、マルティナの婚約者エベラルドの幼馴染――フロリタという、厄介な少女である。


 豊かな金髪の巻き毛、若草色の美しい瞳、薔薇色の頬。

 彼女が身にまとう淡いピンクのドレスは、背中から優雅なプリーツが流れ、繊細なレースが袖口を飾っている。

 庭園の薔薇に囲まれた姿は、見た目だけなら純粋無垢な、花の妖精のようだった。


 フロリタが砂糖菓子(ドラジェ)のようならば、マルティナはほろ苦いチョコレートのようだ。

 濃い茶色の髪は、左右に整えられた巻き髪にしている。(きら)めく焦げ茶の瞳と、控えめに結ばれた唇が、静かな気品を感じさせた。

 マルティナは大人びて見えたが、フロリタは実年齢より幼く映った。

 ただフロリタは、小さな顔に浮かぶ無邪気な表情の裏で、思いのほか強かに状況を量っていた。


 彼女の中では、「私はヒロイン」「私は愛されている」「邪魔なのはエヴォ様の婚約者」という三点セットが、疑う余地のない真実らしい。

 幼馴染とはいえエベラルドを愛称で呼び続けているのも、その表れだろう。


 だからマルティナに対する行動も、実に分かりやすく稚拙だった。


 パーティの最中、フロリタの頭から、リボンの髪飾りが外れた。

 それは絹糸で織られた繊細な薄紅色の品で、幾重にも重ねられた薄布が、光を受けてやわらかく揺れる。

 髪を結う細工リボンとしては、かなり上等なものだった。


 フロリタはマルティナの目の前で、そのリボンをテーブルに置き、何事もなかったかのように立ち去った。


 マルティナがそれを手に取った、その瞬間。


 再びフロリタが現れ、声を張り上げた。


「ひどいわぁ! 私のリボンを()るなんて……っ!」


 その髪飾りが、フロリタのドレスとおそろいであることは、誰の目にも明らかだった。


「その髪飾りは、わたくしのドレスと同じ生地で作られた特注品ですの……っ」


 しかし、マルティナは取り乱さない。


「こちらのテーブルに置いてありましたわ。ご覧になっていた方も、他にいらっしゃいますでしょう?」


 数人の令嬢が、おずおずと手を挙げる。


「決めつけは、よくありませんわ」


 その言葉に、フロリタはすぐさま涙ぐみ、芝居がかった声を出した。


「まあ……ひどいですわ。勘違いをしただけですのに……」


 責任転嫁の作法だけは、一人前だった。


 極めつけは、マルティナとすれ違いざまの出来事である。

 フロリタは不自然なタイミングで、自ら派手に倒れ込んだ。


「いたぁーい! マルティナ様……、ひどいですわ……」


 一瞬、周囲が静まり返る。


 だが、描かれた不自然な放物線。転ぶ前の、妙に気合の入った動き。

 そのすべてが、自作自演であることを雄弁に物語っていた。


 目撃者は多数。

 しかも全員、同じ目線の高さから、その茶番を見届けていた。


 なお、婚約者のエベラルドといえば――


「フロリタが嘘をつくはずがないだろう! マルティナ。君が謝るまで、僕は君と口を聞いてやらないぞ!」


 感情のままに声を荒らげ、赤茶の髪を振り乱し、濃い青の瞳で真っ直ぐに相手を睨んでいた。

 事実確認、論理、因果関係。

 彼はまだ、それを理解できていなかった。


 マルティナは、胸の奥が熱くなるのを感じた。――この不条理に、屈したくない。


「……もう、いいですわ」


 静かに、しかし毅然と言い放つ。


「エベラルド様。あなたとの婚約は、今この時をもって破棄いたします。さようなら」


 マルティナはフロリタの方を向き、「あなたの振る舞いは見逃せません。あなたの家へ抗議させていただきます」と淡々と告げた。


 証拠は揃っていた。

 髪飾りについての言いがかり。

 そして――「エヴォ様は、わたくしのものですわ!」という、あまりにも直球な宣戦布告。


 逃げ道は、最初から存在しなかった。

 泣き叫ぶフロリタ。


「だってぇ! わたくしがヒロインじゃないと、おかしいじゃない! ずっと一緒にいたんですもの!」


 マルティナが空色のサックドレスを翻し、背を向けたその時。

 少し離れた場所で見守っていた一人の少年が、静かに手を差し出した。

 夜のように濃い髪が揺れ、そこから覗く瞳は、同じ闇を宿しながらも、どこか冷えた知性の光を帯びている。


「……あんな人たちは放っておいて、僕と遊びませんか?」


 彼はこの集団の中で、ひときわ高い評価を得ている存在だった。

 年齢にそぐわぬ落ち着いた仕草と物腰が、自然と周囲の視線を引き寄せていた。


「……ええ。喜んで」


 その瞬間――


「はい、皆さま。外で遊ぶ時間はお終いですよ。そろそろご両親のところに戻りましょうね」


 明るい声が、世界を一変させた。


「はーい!」


 先ほどまで激しい人間関係を演じていた面々は、一斉に行儀よく返事をし、それぞれ両親のもとへと帰っていく。


「フロリタさま、あくやく上手でしたね」


「つぎは、僕が婚約はきする!」


 芝生の端には、使われていない小さな剣が数本、無造作に転がっていた。


 復讐も、婚約破棄も、新しい恋も。

 それらはすべて、貴族の邸宅の片隅で行われていた、少し背伸びをした「ごっこ遊び」の一幕に過ぎなかった。


 もっとも、当人たちは至って本気である。

 フロリタは悔しがり、マルティナは誇らしく、エベラルドは理不尽だと思っていた。


 だからこそ――数年後、成長した彼らがこの日を思い出したとき、悶絶しながら枕を殴る「黒歴史」になることは、想像に難くない。


 少し離れたテラスでは、ティーカップを手にした大人たちが、その光景を穏やかに眺めていた。


「……あの子たち、ずいぶん迫真の演技ね」


「ええ。最近あった、あの婚約破棄騒動を題材にしているのでしょう」


 苦笑まじりの声が漏れる。


「ほら、例の伯爵家の件です。ご夫人のご友人の娘が、まるで我が物顔で屋敷に入り浸っていたとか」


「幼馴染、でしたかしら。令息はそちらばかりを優先して、婚約者を飾り物のような扱いをしていたそうですわ」


「……最初から、その令嬢と縁を結べばよろしかったのでは?」


「家格が釣り合わないからと、より相応しい縁談を選んだ結果だそうですの」


「友人であっても、そのあたりは実に現実的ですこと」


「その娘、『私はヒロインなのよ』などと口にしていたそうですね」


「まあ……」


 誰かが、しみじみと息をついた。


「子供というものは、すぐに真似をしたがりますからね」


「ええ。とりわけ――大人が本気で揉めた話ほど」


 庭園では、何事もなかったかのように、子どもたちが笑っている。

 悪役も、婚約者も、裏切りも――すべてを演じ切った満足感だけを残して。


 だが彼らはまだ知らない。

 それが実際の貴族社会では、決して「遊び」で済まされない出来事だということを。


 夕暮れの庭園に響く声は無邪気で、大人たちの微笑みを誘っていた。

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― 新着の感想 ―
何だこの可愛い生き物たちは・・・
是非やらかし寸前予備軍の人たちの前でごっこ遊びしてあげて欲しい。 無邪気な子供たちが中身を理解せずやる方がグサっと刺さるし客観的に見れて効きがよさそう(笑)
思い出すと枕バンバン叩きたくなりそうな可愛い思い出だ
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