41 混戦-闖入者、三人
血の膜が空に広がって、破裂音の余韻を残しながら体中に纏わりついた震動が抜け去って行った。自分に覆い被さろうとする禍身の血液が、透明な結界に妨害されて垂れ流れる様子を、孝里は見上げた。
影倚と別れた後、すぐに苛燐が廃宗教施設への道を上空から探して、彼女のナビゲーションを頼りに山の中を疾駆した。夥しい数の禍身が跋扈している。奏士郎が今しがた倒した禍身が何十体目なのか不明だ。しかし、奏士郎という忍備役の実力は凄まじいもので、数多くの禍身との交戦を繰り返しながらの移動でも滞ることが一度も無い。瞬殺ばかりである。
廃宗教施設の建物のホールが見えて来た。一直線に伸びる石畳。その両側に敷き詰められた薄汚れた白砂利は、禍身の肉片や骨が散らばり、大量の血液で白が際立って見える。
「数が多いな」
「でも、見えてきましたね」
眉根を寄せて、孝里は胸元を押さえた。第二の鼓動と自分の心臓が胸の中でセッションをしていて苦しいのだ。
「どうした? 痛いのか? 臭いで酔った? 吐くか?」
異変に気付いた奏士郎が刀身を鞘に納めながら駆け寄って来た。
「苛燐、上空から警戒してくれ。近くに禍身がいたらすぐに殺すんだぞ」
「うん」
苛燐は引き続き空を旋回する。
禍身の出現に適した季節等無いが、今が夏じゃなくて良かったと思う。日差しに血が煮えて腐り、更なる悪臭が頭痛や吐き気等の体調不良を引き起こすからだ。特に現在は禍身が大量に山の中を犇めいている。ほんの少しの不調に気を取られることが、死に直結する可能性は高くなる。
「いえ、その、違うんです」
「でも、苦しそうだ」
奏士郎は孝里の不調の原因がわからないので、とりあえず孝色の背中を大きく擦り始める。
背中に染み込んでくる熱を感じながら、孝里は言った。
「悪穢を感じる場所とか、近くに禍身がいる時、自分の物じゃない鼓動を感じるんです」
「自分の物じゃない鼓動……?」
奏士郎が目をぱちくりと瞬いた。そして孝里の胸元を凝視する。しかし当然、鼓動は目に見えない。それでもえ奏士郎は何かを探し出そうとしているかのようだった。
「まるで、ここは危険だ、とか、逃げろ、とか警告するみたいなんです」
「……守られてるみたいだな」
「守られてる……確かに、そうですね」
あ、そういえば。と思い出したことを、奏士郎にも伝えることにした。
「あの、失礼な話かもしれないんですけど……鳳越さんに会った時も反応したんですよ」
「おいおい、俺を禍身だとでも思ったのか?」
苦笑顔が上げられ、孝里も同じ表情で謝罪を表明する。
しかし、奏士郎の初対面時に感じた第二の鼓動は、禍身や悪穢の際に感じる不安や恐怖、焦燥や警戒――不穏に対する危機感を掻き立てるようなものでは無く、むしろ歓喜だったように思える。けれども、同時に寂寥感もあった。
会いたかったけれど、会いたくなかった。そんな矛盾のある意思が、昨晩の鼓動には込められていた。
鼓動の意思――。過った「可能性」に、孝里はまさかな、と思った。
「あの……」
と、声をかけた瞬間、その先を言うのが、奏士郎――特に、苛燐という干戈と生まれながらに主従関係のある、そういった家系出身の相手にはとんでもなく恥ずかしいことだと思って続いを躊躇った。この考察が間違っていたら、自分はただの勘違い野郎だからだ。否、確実に大間違いなので、これ以上口に出したくはない。
「何だ何だ? どうした?」
「いえ……」
「気になるだろっ。言~え~よ~」
脇腹を突かれて身を捩る。
「ぼ、僕ってもしかしたら、憑器なんじゃないかなって……」
「え?」
奏士郎の無邪気な笑みに困惑が混ざって濁る。やはり、言わなければ良かったと孝里は頬の内側を噛んだ。羞恥心で頬が火照るのを感じる。
「そ、そんなわけないんですけどね!! 半擬神が憑器なわけがない! ねっ、そうでしょ!」
「……はは、何でそう思った?」
「鳳越さんに会った時、何だかその、鼓動に懐かしさとか嬉しさとか……悲しさとかも感じちゃって。……もしかして何ですけど」
「……」
「僕達、昔どこかで会ったことありますか? この第二の鼓動は、意思を持っていて――貴方のことを、知っているんじゃないかって……だから、そう思ったんですけど」
「……」
奏士郎は笑んだままだったが、眼差しが凍り付いたのが見えた――何となく、もしかしたら。そんな曖昧模糊とした、靄のような想像だったのに、奏士郎の反応は想像を事実だと無言で固定しているかのようだった。
「……いや」
――否定。不自然なくらいの、完璧な笑みを作って。黎明社に入ったら全て教えるという後回しの常套手段を使うのではなく、奏士郎は嘘をついた。奏士郎が自分に真実を明かさないつもりだと孝里は察する。だがそれこそが、過去に何かしらの接点や交流があったことの証左に違いなく、奏士郎が隠すつもりで肯定していることになる。
隠す理由は何だろうか。こうもあからさまに嘘をつかれると、不満が湧くというものである。
孝里は口を開いた。
「嘘吐き」
奏士郎は大きく目を見開いた。今の発言は、孝里の声が奏でた怒りでは無かった。孝里の唇から漏れたのは、言葉になり損ねた吐息。「全てが終わったら教えてくださいと」と乞うつもりだった言葉は胃の中へと落下した。
奏士郎の眼は、孝里の肩越しに何かを見ている。
孝里の眼は、自分の腹部を見下ろしている――二本の腕が回されている。袖の広い黒衣から突き出た白い腕は華奢だ。若い女の腕だとわかったのは、「嘘吐き」と突如として介入した嘲笑混じりの澄んだ声が少女の物だったからである。
「え……?」
身体が後ろへと引き込まれる。背後にあるのは、どこぞから飛ばされて来た巨大な岩のはずだ。一歩でも下がれば背が着く程の距離だった。しかし、孝里の背は柔らかな肉と重なり合った衣類の厚みに触れるばかりで、まるで落ちるように後退する。
視界の端に、茫と光る赤い枠が、鈍色の空見えた――空間転移枠だ。そして、落ちると感じたことは事実だった。
孝里は少女と共に落ちている。奏士郎が手を伸ばした――無防備を晒す彼の前後と背後に、新たなる三つの転移枠が出現し、数体の禍身が牙を剥き、爪を突き出し、呻き声とも咆哮とも取れぬ深く響く声を叫びながら雪崩出てきた。
孝里から見て正面。奏士郎の背後に、赤茶色の蓬髪の黒衣の青年が立っているのが見えた。その青年が転移枠を出現させている異能力者だろう。
「鳳越さんッ‼︎」
孝里が身体に回された腕を振り解こうと藻掻いた瞬間、頭にポンと置かれる物があった。それは髪を撫で、額に降りて来る。指の感触。何者かの掌だ。少女の物では無い。更なる闖入者だ。
奏士郎は凄まじい剣戟を以て禍身の斬り捨て、返り血を防ぐことさえも忘れて孝里に再び手を伸ばした。
「――オモカゲ」
少女の声が唱える。その瞬間。
「ゔあ゙ッ‼︎」
脳の皺に電撃の如き激痛が駆け巡った。幻覚か現実か、視界に眩い火花が見えた。黒衣の人物が奏士郎へと猛進する姿を最後に、孝里の意識は闇に落ちた。
「――ジジイっ!」




