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40 混戦-大弓と大太刀


 いつかは、死なねばならないと考えていた。希死念慮とか言われる類の意思だが、それは自殺願望では無い。言うならば、それは義務感である。


「だって僕、半分は擬神なんですよね。いつか、誰かを喰い殺す可能性があるってことじゃないですか」


 人を見て美味しそうだとか考えたことは一度たりともない。無論、負傷した人物の血の香りを嗅いだ時も、食欲を刺激されることもなかった。

 だが、本当に自分が半擬神だったとして、食人衝動にいつ覚醒するか定かではないのなら、他害する前に死んでしまった方が得策なのは間違いないだろう。


 せめて、日澄よすがをこの手で討ち果たしてから死にたいのが本望だ。しかし、自分は生きているだけでリスクが高い。


「キミじゃない」


 影倚が言った。


「その危険性があったのは、瑞里チャンの方だったんだ――とにかく!」



 影倚は孝里を引っ張り上げると、そのまま背後に回り込んで枠の中へと押しやって行く。枠のノイズが大きくなっている。もう時間が無い。


「終わったら全部説明するよ。だから今優先すべきことは、瑞里チャンの奪還と、死なないこと殺されないこと! キミは、自分が生きていることで他人に迷惑をかけるー、とか、自分は生きてちゃいけないんだーとか思っちゃって、今そんな苦しみとか葛藤で精神的に辛いだろうね。でも、ちょっと厳しいこと言うとね、死なれた方が迷惑がかかるんだよ」

「苛燐」


 奏士郎が呼び付けると、苛燐は孔雀青の翼を羽ばたかせて飛翔する。


「先に行け」

「わかったわ」

 

 翼を折り畳んで矢のように枠を越えた苛燐は、そのまま上昇していく。索敵のためだ。


 「孝里、早く」


 奏士郎も枠を越えた。

 

 苛燐が離れたことで禍狩達も動き出した。素早い動きで散開し、川を飛び越え両サイドから急接近する。


 孝里は枠の中へと押し出された。一瞬の目眩がして、風景が幹の茶色と植物の緑の二色に染まる。気温は低く、匂いは土や血が際立った。樹冠が僅かばかりの陽光さえも遮って、視界が数段暗い。


「いってらっしゃい。また後でね。絶対に死んでも殺されても駄目だからね」


 優しく念を押す声に振り返る。枠がついに獣道の先をチラチラと透かし始めている。


「支塚さん!」


 慌てて引き込もうと伸ばした手は急速に数歩分遠ざかった。突如として服が後ろに引っ張られ、背後からの干渉に油断していたためめ相手の目論み通りに枠から遠ざけられたのである。


「大丈夫だ、孝里」


 奏士郎は影倚を気に掛ける素振りも見せずに、獣道の傾斜を進んで行く。心配していないことなど瞭然である。


「よりんさんは、強い」


 赤狗の面が振るう干戈の白銀が冷徹に煌いて、無防備を晒す影倚に迫り――枠は完全に消失した。


◆◇◆◇


 枠が消失するのと同時に、影倚の笑みは瞬く間に抜け落ちた。


 害意、敵意、殺意、自分達とは違う形の正義――それらが攻撃に込められている。黎明社も禍狩も、目的の行きつく先は同じなのに、その工程や手段、譲れない事柄等が正反対過ぎて、いつも争いになり、干戈を交えることになる。


 名を呼ぶことも、命じることも無く、影倚の干戈は素肌を這って右手に移動していた。握りしめると、それは筒のような細く長い質量を膨らまる。

 

 振り向き様に、横一閃。影倚の右手に顕現した羅門(らもん)ノ大弓。その(はず)の刃が、火花と甲高い鉄の強打の音を散らす。影倚は干戈契約の恩恵たる豪力を発揮するが、禍狩達とてそれは同様だ。しかし、体格の差もあり、弾き飛ばされるように後退したのは赤狗の面だった。彼は空中で軽業師のように身体を捻って着地すると舌打ちを放った。その時の表情がどんなものか、赤狗の面に隠れていて見えないが、影倚にはわかる――笑みを浮かべている。口角を縫い留められているかのような、口元だけの笑みを。


「――んで、小犬チャン達はなぁんであの子を殺しにかかってんの? 孝里クンを殺すことで何が起こるか……知らないワケじゃないんだよね?」


 嘲笑混じりに厭らしいイントネーションを駆使しながら問いかけると、赤狗の面は鼻で嗤った。


「殺すつもりは無かったぜ。ただ、逃げらんねーように半殺しにしておこうとしただけだ。流石に死なせるわけねーだろ」

「あは。その薄汚れたワンコは本気で()ろうとしたみたいだけどね」


 少年の姿をした干戈と共に身構える赤狗の面へと視線を滑らせる。車を襲撃し、苛燐によって投げ飛ばされた主従だ。目を細めて睨み付ければ、気圧されて足を引いた。靴底で砂利を転がす音が心底不快だ。影倚は深く溜息を吐いた。


「キミの躾がなってないんじゃないの? 明空(みよく)クン」


 明空(じゅん)は部下を庇うように位置をずれた。


「まあ、赦せよ。十年前の遺族だ」

「そう、それはご愁傷様。でも、復讐する相手を間違えてるよ」

「いや? 間違えてはねえだろ――あのガキの存在は、この世にゃあ地獄だ」

「……」


 影倚は眉間に皴を深く刻みながら首を傾げ、やがてニヤリと嗤った。


「ビビリが」


 明空は素早く複数の苦無を放った。影倚は大弓を風車のように回しながら弾き飛ばしていく。両手を塞がれたその隙を狙って、他の禍狩達が一斉に飛び掛かる。


 影倚は羅門を手放すと肉弾戦に持ち込んだ。刺突を繰り出した腕を躱して掴み、足払いをかけて宙に浮かせる。主から離脱して人型となり太刀を振り被った干戈を、主をぶん回して薙ぎ払っていく。影倚はそれだけで使い捨てにはせず、掴み場所を幾度となく持ち替えて振るい、同胞を蹴散らせていく。干戈では無い生者を武器のように扱うその姿に、明空は仮面の中で「うわ」と声を引き攣らせた。


「このっ!」


 人間ヌンチャクを強制されている禍狩職員が、遠心力や重力に逆らいながら腰元に手を伸ばす。携帯している短刀の鞘を握った所で、天がぶわりと接近したように見えた。一瞬の滞空時間。急速に天が昇って行き、背面を激痛と衝撃が襲った。肺や胃から全ての空気が叩き出され、呼吸を忘れ、そして思い出す間も無く横腹をサッカーボールのように10メートル程蹴飛ばされた。


「大丈夫か?」

「は、はい!」


 明空が部下の援護に入った。


「――羅門」


 影倚は干戈の名を口ずさんだ。


 影が降り注ぎ、囲まれる。漆黒の糸が滝のように流れ落ち、それを黒の爪紅を塗った巨大な手――人ひとりを容易く掴んでしまえる程の女人の手の甲が持ち上げる。


 灰色の陽光が差し込み、素肌を晒すその干戈の胸元を照らした。生白い肌に、罅割れのような灰色の血管が浮かび上がっている。


「出やがったな」


 明空は見上げるほどの巨女を睨んだ。


「 あ゙ゔゔ…… 」

 

 口角は頬を断つかの如く切れ、細い注連縄で縫合されている。左右に三つずつの紙垂が垂れ下がり、形の良い唇は唐紅が塗られて艶かしい。しかし、その唇から声は太く、高く、悍ましい。


 影倚を見下ろす黒い眼球の、黄金色の虹彩を縁取る目の形は穏やかだが、その眼差しは過度な執着と愛情で純真ではなく、いっそ穢れて見える。


 影倚の胸元が煌めき、数本の矢が放たれる。その矢は一直線を辿らず、まるでミサイルのように禍狩を追尾する。一斉に禍狩達は散開した。合間見えた経験のある者達は知っている。この矢は、ただ突き刺さるだけのものではない、と。その為、黎明社の支塚影倚と対戦する際の鉄則を、部下や後輩達に説くのだ。


 支塚影倚の矢に触れるべからず。可能であれば全身を結界で覆え。強度は己が最強を発揮せよ。不可能であれば障害物を駆使して免れろ。


 しかしそれは、誰が放ったやであっても当然のこと。だが、支塚影倚は黎明社の忍備役を統率する者であり――干戈の使い手なのである。


 彼の矢は、それに付加された異能が恐ろしいのだ。


 明空は足元の部下の前に立ち塞がり、硬直している新人を乱暴に引き寄せると周囲に結界を張った。向かって来るのは一本の矢だ。見かけは石の矢尻だである。しかし、矢は結界に触れた瞬間閃光を散りばめ、炎と黒煙を膨張させて爆発を起こした。周囲からも爆発音が連続し、煙のにおいで鼻腔と肺の中が干からびるような乾燥を覚えた。


「おい新人、気を付けろ」


 ヒッ、ヒッ、と呼吸を幾度となく損ねて酸欠になり掛けている新人の胸元を押して後退させながら警告する。羅門が作り出す影の中の影倚で、影倚はニヒルに笑んでいる。怯える新人の姿が滑稽でたまらないのだ。


「黎明社忍備役頭、支塚影倚の干戈【羅門ノ大弓】は、荒御魂――堕ちた女神だ」


 明空は右手の手袋を外した。中指に指輪が――干戈がある。


「お前らは先に行け。ここは――」


 赤い煙に巻かれながら、一振の――明空の小柄な身長とほとんど変わらない程の大太刀が姿を現した。影倚は再び弦を引いた。

 

 明空は赤狗の面を外した。若々しく整った顔立ちをしている。童顔と揶揄されるほどだ。しかし、外見年齢に不相応な世を知り過ぎたかの如く光の無い黒々とした目をしているり。無感情においても笑みを形作る口元が、故意に釣り上げられる。


「俺じゃねーと無理だ」



 


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