39 混戦-生きる限り厄ネタ
「まず、キミを狙っている二つの組織だ。一つは禍狩。もう一つは斎場衆。彼らがキミを狙う理由は――」
「日澄よすがの息子だから、ですよね」
皆まで言われずとも理解していることだ。当然、影倚が首肯することなどわかり切ったことだった。
「それもある」
「――それも?」
胡乱な眼差しで影倚を見遣ると、彼も横目でこちらを見下ろしていた。耳のリングピアスが首筋を這い降りて襟の中へと侵入していくのが見える。契約者の意思を汲み、干戈が武器化しようと移動しているのだ。
「それだけじゃないんだ。言葉を選ばずに言っちゃうとね、キミとんでもない厄ネタなんだよ。そしてそれは、キミがよすがクンの息子だからって限定的なことだけが理由じゃない」
「その他にも、何かあるんですか?」
「うん。よすがクンの息子だからっこと以上に重大で深刻なネタがね」
「え……?」
動揺に足が竦んで一歩が絡まった。こうなることを見越していたかのように、影倚によって背中に添えられた手が体を強引に前へと歩かせる。しかし、強引ではあったが決して悪意は無く、小さな子供にするように、背中を掌で優しく叩かれた。
「孝里、孝里、大丈夫か?」
おろおろと右往左往しながら奏士郎が問いかけた。眉がぺしょりと下がっている。正直、大丈夫なんかでは無かったが、そう聞かれると反射的に大丈夫ですと答えてしまう――それが常だった。
言葉が喉の奥で蜘蛛の巣に絡んだかのように出てこない。いや、それ以前に言葉を練ることさえ困難だった。思考を硬直させた孝里に、影倚は容赦無く続ける。
「特に今回危険視しておいて欲しいのは、斎場衆――その中でも、天原祇雲……というか、釈魂永楽会の奴らだね。確実にキミを殺しにかかってくるよ」
「……天原祇雲、は、どうして僕を?」
何とか声を絞り出した。他にも聞きたいことは沢山あったが、現状を鑑みて最優先で把握しておかなければならない事情を得ることにした。
「……この土地に、神は二柱も必要ねえってことだろうな」
答えたのは奏士郎である。苛燐は置き去りにされた車体の上に乗って、蒼炎を弄んでいる。
「神? どうして急に……阿蝉山の氏神は、それこそ天原祇雲が殺したはずじゃ……」
「ああ。だが、新たに増えた――数年前、この町にやって来たんだ」
奏士郎の孔雀青の眼が、一瞬躊躇うように揺れた。
「お前だよ」
「え?」
「この町にやって来た神ってのは、お前なんだよ、孝里」
橋を渡り終え、枠の手前で三人は足を止めた。枠の中から真っ直ぐに吹き付ける風と、横から広く吹く風とが混ざり合って砂塵を巻き上げた。
「――僕?」
掠れ声だった。今なら川の水をコップ一杯分、僅か数秒以内に飲み干せるほどの渇きが、喉から歯の裏まで張り付いている。
「そうだ。まあ、こんなこと言われても、何馬鹿なこと言ってんだって感じだよな」
「それは、その……はい」
口の中で、僕が神様? と呟いてみる。そんな自覚はないし、異能だって持っていない、運動神経だって平均よりも上ではあるが、あくまで人間の域を越えない。荒唐無稽が過ぎる話だ。
だが、この二人は本気でそう思っている――そしてそれは推測や憶測ではなく、確信に基づ伝えているのだ。
――黎明社が持ちうる全てを知りたい?
影倚はそう言っていた。黎明社は自分以上に自分のことを知っているのだと、この時になってやっと仄めかされていた奥底の真意を掴んだ。
枠の奥からバァンッと革袋が弾けるような音が鳴り響き、血のにおいが風に乗って吹き出てきた。血膨破裂が、近い距離で発生したらしい。しかし、こちらに接近する気配は無い。禍身を討伐した何者かは枠の存在には気付いているはずだが、警戒しているのだろう。相手からは三人の姿は死角に入っていて見えていないようだ。足音が遠のいて行った。
「……とは言っても、完全なる神じゃない」
「そして人でも無い。けどだからこそ、瑞里は治療法の無い病に罹って入院生活を余儀無くされていた。しかし事実は、病気じゃ無かったがな」
「瑞里が入院していたことまで知ってるんですね」
「調べたからね」
影倚は肩を上下させて言った。おそらく、彼が調べたのだろう。
「――え? 待って下さい。病気じゃ無かったって?」
聞き捨てそうになった言葉を慌てて掴む。
病気じゃ無かった? そんなはずはない。瑞里は不治の病だった。病名も無く、治療法も無い、どれだけ栄養価のある物を摂取しても徐々に餓死していく、癒えず満たされない苦しみと緩やかな死を齎す病だった。
思い出のは、骨に皮を張っただけのように痩せ、少しでも元気な姿に見えるようにと血色の良い色のリップを塗った八歳の瑞里の、健気にも気丈に振る舞う姿だ。病では無いのなら、何が瑞里を苦しめていたのか。
「――あ……」
吸ったのか吐いたのかも判じ得ない呼吸の中に、唐突な理解に漏れ出た声が混じる。
瑞里を苛んでいた未知の栄養失調。つい先ほど奏士郎から告げられたことこそが、根源であるかどうかは不明だが、要因であることは間違い無いだろう。
「僕が神なら、瑞里も神様……?」
「そうだ。だが正確には、半神だな」
「ハンシン?」
「完全なる神では無く、そして人でも無いって言ったしょ? キミ達双子は、神と人の子……つまりは、半神なんだよ。しかも、ただの半神じゃ無い。キミ達の半分は――擬神だ」
擬神――堕獄した罪人が、科せられた刑罰の苦しみからの救いを乞い、この苦しみを知らずに生きる現世の人々への厳罰を請う、いわば神頼みが地獄という霊場で悪意の代行者を創り出した存在だ。時折現世に現れ、甚大な被害を残す。十年前の地獄顕現災害の際にも、現世に現れた何百もの擬神は猛威を振るった。当時、神志名白呂を筆頭に護国五指師達が奮戦し、近代の神話とも呼ばれる大戦を繰り広げた。地獄顕現の崩壊によって擬神達も地獄に引き戻されたが、後少し長期化していれば生者側の敗北だったかもしれないと冷や汗を拭う状況だった。
擬神の等級は甲三級から始まる。甲級に次ぐ序列である乙級でも、まず足元にも及ばずに肉片や鉄の欠片と化す。退獄師と干戈が対峙するだけでも必要最低の等級は甲三級で、国内では決して適応する等級の人数は退獄師は多くない。
擬神の起こりは信仰だ。信仰によって神格が形成され、肉体は地獄の亡者達が刑罰によって失った血肉の寄せ集めで生成される。擬神も、ある意味での半神とも言える、偽造の――擬えの神だ。
そんな擬神と人間の子供? 僕達が? それは流石に、設定を盛り過ぎなんじゃ……。
ここまで言われると、揶揄われているのではないかと思うほどだ。何故なら、ただでさえ父親は世界中に名を轟かせる、日本を滅亡に一番近しい状況にまで陥らせた悪虐なる大犯罪者なのだ。その実子であるだけでも最悪な肩書きと不利不遇を負っているのに、更にキミの血肉の半分は擬神だと言われても、まるで漫画やライトノベルのキャラクターのように過剰なステータスではなかろうか。
流石に言い過ぎですよ、孝里は苦笑を交えて呈するつもりだった。だが、出来なかった。
日澄よすがは黎明社出身の退獄師でありながら、地獄信奉テロ組織一員だった。そのことが脳裏を過ぎったのだ。
有り得ない話かもしれないが、有り得るかもしれない推察を思い付いた。
日澄よすがは、退獄師という社会的信用のある立場を利用し、擬神の子供達を育てる命を受けていたという可能性である。孝里と瑞里は父親に似ている。父親は日澄よすがで間違いないだろう。つまりは、母体は母親? そうであれば、あの写真、母の――同級生であった祈瀬美縁とは、自分達にとって、一体何だったのか。
祈瀬美縁のことは写真でしか知らないし、聞いても死んだと簡潔に、最早淡白なまでに返され、問い縋ってもはぐらかされるばかり。
しかし。
――母親を殺せ!
リフレインする怒号。祈瀬美縁は生存していた。そして、日澄よすがを止めるため、十年前に参じ、闘ったのだろう。彼女が現在どうしているのか、どうなっているのかが気になる。生きているのか、それともあの日、父に殺されたのか。
それにしても謎だ。どうして日澄よすがは斎場衆の組織内で半擬神である双子を育てなかったのだろうか。
……しかし、今はもうそんなことを考えてはいられない。もう過去のことだ。これからのことを考えなければ……いや。どうしなければならないのかは、本当はずっと前から決めている。
水中から水面を見上げるかのような眩暈がした。
轟音と共に山肌が爆散し、土や石礫、そして木々が驟雨となって降り注ぐ。奏士郎が瞬時に手を天空へと翳して屋根のように展開させた結界がそれらを防いだ。木や岩などの巨物が地面に叩き付けられて足元を揺らす。三人は体勢を低くして事象の終息を待った。後方で何重層もの金属が割れるような音がけたたましく鳴り、振り返ると車が巨岩に圧し潰されていた。苛燐は飛翔して避けており無事だ。禍狩も更に遠くへと距離を取っている。
爆発の残響がを空へと波打つように広がっていく。雨雲が揺れ、今にも雨があわや土砂降りが始まるかと思われたが、何とか止まった。
落下物もついに止み、影倚と奏士郎は立ち上がった。孝里は二人の足元で蹲っている。
「お~、ビビったね。まあ、今は時間が無いし、瑞里チャンを取り戻して黎明社に行ったらじっくり話そう。枠も消えかけてる」
枠の風景に小刻みなノイズが走り始めている。消失の前兆だ。あれが消える前に枠を通過し、禍狩からの干渉を断たなければならない。
「どこに繋がってるかはわかんないけど、あの中に入った方が良い。孝里クン、とにかく大事なことは――」
「あの」
「ん?」
「よくわからないんですけど、あんまり、わかってないんですけど……」
慄く唇に何とか力を込めながら、言葉を継ぐ。
「僕、死んだ方が良くないですか?」
孝里はようやく顔を上げた。顔色は地面に落としてしまったかの如く、死体に似た白色をしていた。




