37 花枯れー決まった覚悟、決められぬ覚悟
「もしも、日澄よすがに家族がいたらどうする?」
いつも人の目を見て会話する孝里が、鈴ヶ谷の裏庭のフェンスをじっと見つめながら問いかけて来た。その眼差しは意識的に眼前の物体を見ておらず、本当に視ているものは、どこか遠くにある何か――過去や未来など、そんなものを見ているかのようだったことを思い出す。
「当然、殺すに決まってんだろ。」
秀作はそう答えた。至極当然の答えだった。
日澄よすがは数多の命を奪った大事件の主犯である。今なお奴の罪は絶えず、毎日国内のどこかで死傷者が数えられている。奴の血の入った子供など、絶対に碌な存在ではない。会ったことは無いし、そもそも存在しているかも定かでは無いが、そのような絶対的な確信があった。世界的に悪名を轟かせる男の子が善人であるはずがないのだ。きっと今頃は、斎場衆は日澄よすがの子として崇め尊ばれながら呑気に怠惰に過ごしていることだろう。もしも存在しているのならば、いずれかは父の背に習って第二の地獄顕現災害を引き起こす大悪党になるに違いない。世界の為にも、大勢の無辜の命の為にも、血縁は皆殺しにしなければ。
「大勢殺されてんだ。オレの両親も。奴一人の命じゃ到底償えねえよ。それに、もしも日澄よすがに子供がいるんなら、父親の遺志を継いで地獄を顕現させるかもしれないしな」
「……そっかぁ」
吐息を笑わせた孝里は言った。どこに笑う要素があったのか、と横目で睨むと、柔い表情を浮かべている孝里の横顔が見えた。その時は、双子の仇が討伐された時の想像でも思い浮かべているのだろうと、勝手に解釈していた。孝里は、双子である瑞里を日澄よすがによって殺害の後に干戈にさせられて、強制的に殺傷の犯罪を科せられ忌蔵に封印されたという過去があるせいだ。
秀作は、孝里に対して同族意識を抱いている。自分と同じように、日澄よすがによって、大事な人を奪われた者――特別な存在だと。
「叶うよ、絶対」
「はあ⁇ 適当だな。何を根拠に……」
「うーん、何となくじゃ駄目かな」
曖昧な返しだったが、こちらを向いた孝里の眼差しが、決して自分を煽てる言葉ではないと断言するかのように光っているので、秀作は自分に向けられる期待と信用に少し気恥ずかしくなって鼻を鳴らして誤魔化した。
「最優先でぶっ殺すのは、日澄よすがだ」
「うん。じゃあ、打ち合いを再開しよう。まずは、打倒日澄よすが!」
もしも男の言うことが本当だったとして――百パーセント有り得ないが、そうだったとしたら、拳と竹刀を青藍の空へと突き出して鼓舞する孝里は、一体何を思っていたのだろうか。自分の正体を知らないが為に、自分を殺すと宣言した秀作に、一体何を思っていたのだろうか。
窓の外からくぐもった足音が接近し、玄関のドアが開け放たれた。硬い靴底が階段を駆け上がって、部屋の中に飛び込んで来る――安西昇と宮地佳奈子ノ太刀だ。
安西は、愛娘の無惨な姿を一目見た瞬間、発狂して悲鳴を上げた。
「ゔあ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙あ゙ぁ゙ッ‼︎ 日華ぁッ‼︎」
「嘘よぉッ‼︎」
二人は自分と契約者の部屋に逃げ込み、血塗れになって事切れている最愛の一人娘へ縋り付いた。甲高い号哭は引き攣って掠れながら、何度も何度も繰り返された。藤田と立松が追い付いて現れ、目の前に広がる惨状に息を呑んだ。
「竹内のクソ野郎が‼︎」
立松は拳で膝を殴り付けて立松が怒鳴った。その声はほとんど絶叫に近く、空気をビリビリと震わせた。
「知ってたのか?」
「ああ。下田から武器庫から魂縛符が盗まれてるって聞いて、監視カメラの映像を確認してたんだ。昨晩、孝里から禍身出現の通報を受けて鈴ヶ谷を空けたんだよ。その時にアイツ、正面玄関からパスキー使って堂々と入りやがった。まるで、禍身が出たことを知ってたみたいなタイミングの良さだったよ」
「秀作! お前は大丈夫だったのか?! 安西が、お前が襲われてるかもしれないって……」
藤田は目を真っ赤に充血させて安否を問いかけてくれた。秀作は首肯して、涙が乾いて硬い感触のする瞼を腕で拭った。
「日華を干戈にした男が来たんだ」
「何ですって⁉︎ ソイツ、退獄師だったの⁉︎」
宮地が泣き濡れた顔を憤懣に歪ませて、かつてない声の厳しさで秀作に問いかけた。
「違う、斎場衆だった。忌蔵襲撃に参加するはずだったって言ってだんだ、間違いねえよ」
「竹内は斎場衆と手を組んだってことか……!」
怒り猛り低い声音で藤田が唸った。
「斎場衆の男が言うには、竹内は洗脳されたらしい。けど、洗脳はただの後押しに過ぎねえよ。竹内は日華を自分のモノにしたがってた」
「でも、洗脳って誰が……」
藤田が問いかける。
「釈神だ」
「釈神……?」
安西が生気無く反応を返した。絶望と失意に翳る目を剣呑に細めて、振り下ろされる刃から必死に命を庇おうとしたことが察せられる刺傷と裂傷だらけの日華の赤い手を握り締めている。
秀作は首肯した。
「斎場衆の奴がそう呼んでる奴だ。釈神に自分の施設に連れて来られた、とか、雌猫とか言ったから、天原祇雲が名前を変えてんだと思う」
「独尊から釈神……ついに神を名乗り出したか……そうか……アイツはもう、この町に帰って来てるんだな……阿蝉山の爺さんと狛犬達のみならず、俺の娘……日華まで奪って……」
安西はゆらゆらと揺れながら、ぼんやりとした声で正気無く呟いた。
「竹内は釈神に殺されたらしい。ジジイの双子――祈瀬瑞里ノ太刀は正当な契約者じゃないと剥がせない特殊な封印の札が貼られてあって、釈神はそれが解かれるまでの……使い捨ての干戈として、竹内を殺して日華を……」
「俺の娘を使い捨てだと⁉︎」
瞬発的に秀作を怒鳴り付けた安西は、滂沱の涙を流している。あの涙が枯れたら、今度はきっと血が出るはずだ。
「そんなことさせねえよ」
「!」
安西の表情が硬直した。秀作は、自分の真紅の虹彩のように充血して痛々しい目を真っ直ぐ見つめた。
「オレはもう、泣いたから動ける。日華を取り戻しに戦いに行ける。釈神のクソ野郎をぶっ殺しに行ける」
「……殺しに行く? そう言ったってお前、ただ刀に特攻符を貼り付けただけの武器で戦うつもりか? そんなんで満足に戦えるなんて」
「思ってねえよ。三年前、身に染みてわかってる。……日華だ」
安西が眉を顰めた。すぐに表情は解れたものの、また眉を顰める。その表情新たに加わったのは驚愕だ。
「秀作、お前まさか――日華の契約者になるつもりか?」
「ああ。オレは禍狩に合格して入学が決定してる。銃刀法違反として処罰される枠組みから外れた」
今ほど、この制度を有難いと思ったことは無い。だが、例え制度に抵触してしまう立場であったとしても、自分は絶対に同じ方法と同じ道を選んでいただろうと、秀作は確信している。
「でも、オレ一人じゃ無理だ。戦う術がない。だからオレを、日華のところまで連れて行ってくれねえか」
すぐさま反応を見せたのは藤田だった。拳を握って一歩を踏み出した。
「何言ってんのかわかってんのか、秀作」
「わかってる」
「いや、わかってない。禍身が何体いるかもわからない、釈神の戦闘力も不明。そんなところに干戈も持たない退獄師でもない子供を連れて行くことの危険性を考えたのか?」
「死ぬかもしれないんだぞ」
言い聞かせるように声音を柔らかくそう言ったのは立松だ。彼も。秀作の提案には反対らしい。秀作はそのことに反感を抱くことはなく、むしろその反応こそが当然であり真っ当であると受け入れている。
――ガキを守りながら戦えって? 馬鹿かよ、状況によっちゃあ何人も死ぬぜ。
――守られる立場としての責任感が無さすぎる。
かつて、クラスメイト達に痛烈に言い放った自分の言葉を思い出す。それがまるまる跳ね返って来ている。
そうだ。オレは、命を賭けてくれと言っている。それがどれほどまでに傲慢なのか、命を賭けて守られて経験のある自分が一番良くわかっている。
だけど。
それでも。
安西は秀作から顔を逸らした。日華の顔にかかる前髪を整えて、心の中で何かを問いかけているかのように口を閉ざしている。
沈黙が煙り、窒息してしまいそうなほどの息苦しさを感じた。やがて安西は対話を終わらせ、幾分かの生気を取り戻した目で秀作を真っ直ぐと見つめた。
「――日華は、まだ生きてんだもんな」
その声は、まるで自分に言い聞かせているかのような印象を抱かせた。気力を発したとはいえ、娘を失った絶望からは簡単に立ち直れるものではない。それでも安西は立ち上がった。日華はただ殺されたのではない。強制的に干戈へと転生させされ、地獄信奉犯罪組織の一員である男によって支配されている。肉体は殺されたが、魂は生きているのだ。しかしその魂も、使い捨てとして再び殺されようとしている。
「釈神のクソカスドブ野郎に、これ以上日華を利用されてたまるか。――秀作」
安西は青白い顔で、気丈に笑んだ。
「お前を、日華の契約者として認めてやる。取り戻しに行くぞ」
「……おう!」
拳を合わせた秀作は日華の傍にしゃがみ込んだ。
「――絶対に、お前のこと取り戻してやっからな」
全てが終わったら、日華の亡骸を弔おう。葬儀を上げて、火葬にはついていけないだろうが、墓を建てて線香を焚いくのだ。
秀作は、自分の中に新たなる将来の夢が誕生したことを自覚した。日華のように理不尽の犠牲になる無辜の命がこの世から最大限失われるよう、我が身の不幸に通じている日澄よすがを殺し、斎場衆を消滅させる――戦いの果てに勝ち得る未来を希った。
背後で、緊張を追い出すかのような深いため息が吐き出された。
「本当に行くんだな?」
問いかけたのは藤田だった。秀作の中に少しの躊躇も無いかを計る目で見定めている。
「ああ」
意志の固さを思わせる力強い首肯に、藤田は厳かな表情を少しの間継続させていたが、やがて崩れ落とした。
「わかったよ。日華ちゃんを取り返して、釈神のクソ野郎をぶっ殺そう」
「オレは行ったところでまともには戦えない。だから、日華ちゃんの遺体の護衛は任せてくれ」
戦場には推参せず、避難補助などの後方支援の主力である忍備役である立松は、その道を選んだことからも戦闘は不得手である。そんな自分を不甲斐無いと感じているようで肩を落とした。しかし、日華の傍にいてくれるだけでも十分心強い。もしかしたら、戦火は阿蝉山一体だけには留まらずに柳谷町全土が戦場と化す可能性だってあるのだ。遺体を喰い散らかす禍身に襲われるかもしれない。
「頼んだ」
安西が応える。
秀作は、男が言っていた重大な内容を思い出しながら伝えていく。
「さっきの赤い彗星は、禍身の大群だ。だけどあれが全部じゃ無い。あれが飛来する前には、すでに釈神の信者達が施設に集まってたって言ってた。最低でも三百体以上はいる」
「三百⁉︎」
立松が驚愕のあまり声をひっくり返した。秀作は首肯する。藤田は表情を強張らせたが、前言を撤回することはなく、殊更決意と覚悟を固めた。
「大丈夫だ。黎明社の人達だって戦ってくれる」
黎明社――孝里。
奏士郎と影倚と共に行動を共にしているはずの孝里を連想した。
――祈瀬孝里って知らねえ? 日澄よすがの息子の。
あの男が言っていた言葉がリフレインする。次第に、まるで毒を飲んだかのように冷や汗が滲み、体内から震え出し、精神が猜疑と不安に侵される。
祈瀬孝里を信じたい。いや、信じている。そのはずだ。
だって、言っていたんだ。「僕は、あんまり不誠実なことをしたくないんだ。基本的に、最大限、善良な善人でいたい」と。
だって、乞われたのだ。「友達で、同じ志を抱く同志として信用して欲しい」と。
秀作は逡巡と自問自答を繰り返しながら、良い答えばかりを導き出して自分に言い聞かせる。
「クソ……」
何度も思う。どうして自分はこんなにまで孝里を疑っているのだろうか、と。
そして、何度目かの「もしも」を想像する。
祈瀬孝里が日澄よすがの息子だったとしたら――果たして自分は、かつて本人に宣言した通りに、祈瀬孝里を殺すのだろうか。




