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36 花枯れー告げる者


「あ、この子だったのか」

 

 肩越しにひょっこりと何者かの横顔が見え、若い男の声が耳の中に侵入した。

 

「⁉︎ 誰だテメエ‼︎」

 

 振り向き様の勢いを活かして、強烈な裏拳を鼻っ面に叩き込もうと放つ。侵入者は上半身を大きく退け反らせて回避すると、こちらも手を突き出して一撃を繰り出した。狙われたのは顔――ではなく、スマホだった。

 

 秀作の手からスマホが奪い取られ、通話を切られる。その間際、通話越しの異変を聞いた安西の「秀作⁉︎」という驚愕の声が聞こえた。安西に余計な、そして更なる心労を与えてしまったことへの激甚たる怒りが、秀作の攻撃の加勢となった。打撃、蹴撃(しゅうげき)――鍛錬で培って来た体術の数々が、全く通用しない。いとも容易く交わされ続け、得る効果は己への疲労と焦燥ばかりだ。

 

 何の気配も物音もしなかった。忍者のような漆黒の衣装に身を包み、フードを被っているので顔立ちが如何様なモノなのかも不明だ。声の年齢から、同年代ほどだろうと推測している。

 

「一体、何なんだテメエは⁉︎」

 

 放った拳が、目深に下ろされていたフードに掠って男の相貌が露わになった。敵は、やはり若い男だった。孝里と同じくらいの年頃に見える。赤茶色の蓬髪は鳥の巣のようで、太めの眉の下の目は茶目っ気を感じさせる形をしており、髪と同じ赤茶色の虹彩をしている。人懐っこそうな溌剌とした美男子の風体だ。

 

 男は秀作が評した相貌を気怠そうに歪めた。その途端に、印象が覆る。

 

 男はため息を吐いた。

 

「あぁー、先客がいるとは思わなかったぜ。まあいいや、その子の処理、よろしくな」

「ッ‼︎」

 

 まるでゴミの処理を頼むかのような言い様を残して踵を返して部屋を去ろうとするその背中に、秀作は殴りかかった。

 

 男は舌打ちをして体を斜めに傾けて躱した。扉の縁を掴んで左足を軸に、右足を半月状に薙いで秀作への足払いを仕掛ける。秀作は飛んで後退した。

 

「あーもー、やめてくんねぇ?」

「やめるわけねえだろッ! テメエ、何を知ってる?!」

「何をって……」

 

 男は目の前に立ち塞がる秀作を避けるように体を斜めに反らして、日華の遺体を指差した。

 

「その子を殺した奴と、殺された理由」

 

 そして、表情に作り物の哀れみを貼り付けて続け様に言う。

 

「あーあ、可哀想に。その子、無駄死だぜ」

 

 ――目の前が真っ赤に染まる。

 

 無駄死にだと? 無辜の命を理不尽に奪っておいて、無駄に殺した命だったと、人の尊厳と今後有るはずだった価値を投げ捨て踏みつけにする言葉だ。

 

「無駄死にだと? 巫山戯んじゃねえぞ‼︎」

 

 怒鳴り付けると、男はどうどうと荒む馬を宥めるかのように両掌を見せて前後させた。

 

「ヤ、だってさあ、その子が欲しくて殺した奴、もう殺されちまったし」

「日華が欲しくて殺した? どういう意味だ」

 

 秀作は目を大きく見開いて絶句した。まさか、と思い立つものがある。血塗れの魂縛符を見下ろし、それの用途と効能を素早く思い出す。

 

「日華を干戈にするために殺したのか?」

「おっ、御名答! ま、その呪符がそこにあるんなら、そうとしか考えらんねーけどな」

 

 秀作は拳を握り込んだ。爪が掌に刺さり、血が滲み出す。

 

「ぶっ殺す‼︎」

「えーっ、俺じゃなくて釈神の奴を殺せよ。殺人犯を唆してっつーか洗脳して、その子を殺すように仕向けたのはアイツだし。俺はただ、その子を干戈にしただけだぜ。あ、何になったか知りたい? 教えてやろうか?」

 

 干戈にした? こいつ、退獄師か!?

 そうすると、この男は干戈を所持しているかもしれない。秀作は警戒心を更に高めた。

 

「いやでも、俺って可哀想なんだぜ? 忌蔵襲撃に備えて寝ようとしたら、急に釈神のクソに叩き起されて自分の施設に連れて行かれてさあ。しかも、すぐに俺を置いてけぼりにしたんだぜ? しかもその後、新しく作った信者と血塗れの魂縛符を紹介されてさ。この子を干戈にしなさーいとか命令してくる訳よ。襲撃にも参加出来なくなったし、しょうがないから言われたとーりに干戈にしてやったんだよ」


 男は忌々し気に鋭い舌打ちを放った。


「んで、今さっき。釈神の雌猫共が大本命の干戈、祈瀬瑞里ノ太刀を持って帰ってきたわけよ。これ、駄目なことね。釈神風情が使役していい干戈じゃねえから。でも、その干戈は匣に封印されててさ、正当な契約者しか呪符を剥がせねえの。当然、釈神には無理な話だ。だから、その場しのぎの干戈が必要になった。雌猫共は、その一つの干戈しか持って来られなかったから、必然的にその子が必要になる。釈神は、その子を自分に差し出すよう命じた。でも、竹内は少しだけ嫌だって意思を見せた」


 男は日華を指差した。


「奪い合いにもならない程、呆気な無い終わりだった。雌猫が一口で竹内の頭を噛み砕いたからな。そのあと、あろうことか釈神のカス、俺のこと殺そうとしやがってさあ……流石に三百以上の禍身を相手取るのはしんどいから、逃げ出してきたんだよね」

 

 男はまたため息を吐いた。

 

 秀作は戦慄した。男の発言を信じられない気持ちで反芻する。

 

「三百以上の禍身……?」

「そうだよ。釈神の信者達。さっきの赤い流星、禍身の大群な。誰かが射った矢でまあまあ死んだっぽいけど、すでに施設の方は信者が揃ってる。俺は忌蔵に行けず仕舞いだったからさ、戦う術がなかったんだ。俺の異能って、戦闘向きじゃないからなあ。……まあ」


 信じるか信じないかは、お前次第だけど。


 男の赤茶色の目が、ぼんやりと光を帯びたように見えた。しかしそれはすぐに消失した。錯覚だったのかもしれない。

 

 男は日華を眺めた。

 

「ホントかわいそ。金髪の小太りオヤジに殺されて、俺に干戈に転生させられたかと思えば、ソイツ殺されて今度は釈神の使い捨て用の干戈として無理矢理契約させられちゃうんだもん」

「金髪の小太りオヤジ……?」

 

 秀作に思い付く、その特徴を持った人物は一人しかいない――竹内だ。

 

「アイツが日華を殺したのか……!」

「知り合いだった? まあ、仇討ちしようにも、もう殺されちゃってんだけどね。じゃ、もう行っていい? 俺、もう一回施設に行かなきゃんなんだわ」

「何しに行きやがる!」

「釈神……裏切り者を駆除しに行かないといけないんだよね。オレの相方達も町に到着したみたいだし、加勢しに行かないと怒られちまう……」


 男は秀作に背中を向けたが、「あ」と呟き上半身を捻った。


「わかんないと思うんだけど……祈瀬孝里って知らねえ? 日澄よすがの息子の」

「は?」


秀作は大きく目を見開きながら、耳から魂が引っ張り出されて行くかのように、音が遠のき聞こえなくなっていく錯覚を感じていた。ついには何も聞こえなくなり、視界が暗む。


「日澄よすがの息子……どういうことだよ、そんなのが存在してんのか……?」


 頭のてっぺんから血の気が引いて、冷たい床に染み入るかのような感覚が駆け抜けていった。


 男は秀作の生気の無い問いを聞いて、孝里のことを知らないと解釈したようで、全ての興味を無くしたかのように表情を失せた。


「この町にいるって、釈神のクソ言ってたんだけどなあ……やっぱホラかも。知らねぇんならいいや。じゃーな、死にたくなければ逃げろよ」


 そして、今度こそ男は去って行った。秀作は追いかけることもできずに、ぐるぐると脳内を不明や疑問といった未知に翻弄されていた。脳が熱を放ち始めて頭痛がする。胃液が沸騰しているかのように吐き気がした。


 きっと、あの男の嘘だ。日澄よすがの名前さえ出せば、記憶を掻き分けて対象の存在を強引に思い出させようとする、そんな手口だろう。そのはずだ、そうに違いない。何故、孝里の名を知っていたのかは、そして持ち出したのかは疑問ではあるが、きっと良いように利用されたのであろう。秀作は無理矢理結論付けて、この思考を遮断しようと躍起になった。


 でなければ――ジジイはどんな気持ちで、お前の父親を殺すって豪語してるオレの話を聞いてたっていうんだよ。


 そう考えて――考えてしまって、秀作は自分が孝里を疑っていることに気付いた。どうして自分がこれほどまでに孝里を猜疑しているのか、秀作はそれにさえも惑う。見ず知らずの、日華殺害に加担した男の言うことを信用しそうになっている。強制的に理由を与えるならば、何故ならあの男は――斎場衆の、日澄よすがの仲間だからだ。忌蔵襲撃に参加するはずだった旨を自白していたのだから間違いないだろう。ただそれだけに過ぎない。なのに、胸の妙なざわめきは何なんだ?

 

「……ぁ」


 どういうわけか、孝里が唐突に質問をして来たことを思い出した。阿蝉山での事件から一年が経つか経たないかくらいの、ある日のことだった。


 

 

 


 


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