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33 花枯れ−いざ、向かえ

 空が赤く染まり、町並みが作り出す影が濃く大きくなっていく。その現象に伴って肝を凍り付かせたのは、一体どれほどだったのか――全員である。想像、推察、想起が一瞬で脳を掻き乱し、現在と過去の記憶が入り混じる。


 十年前の地獄顕現災害。国内中に溢れた禍身の大群。禍身を擬えた偽の神の出現。斎場衆による蹴撃。ことあるごとに「地獄だ」と嘆く人々が、正真正銘の地獄の中で過ごした一日。


 地獄顕現災害は一日で収束した。だが、その短い期間の中で統計された死者は全国で十万人以上にも及び、現在に至るまで二次災害たる禍身による殺傷事件は後を絶たない。


 あの日のような、今の空色。

 

「――赫蝕(かくしょく)現象?」

 

 孝里は問うた。誰に宛てたものだったのか、自分でもわかっていなかった。いや、誰でもよかったのだ、この赤い現象が何なのかを答えてくれる者ならば。

 

 か細い孝里の問いが聞こえていなかったかのように、回答者は少しの間現れなかった。「いや」と否定したのは奏士郎だった。

 

「継承箇条を思い出してみろ」

 

 諭されて、孝里は記憶に刻まれた歴史の警告を思い出し始めた。


『【継承箇条】

 災禍の使者 その身捧し時 それは来たれり。

 紅穹(こうきゅう)に荒波が立ち 蠢きし時 それは来たれり。

 煮え滾る血 香り立つ時 それは近けり。

 血肉の如き濁流の門 天に架かりし時 それは来たれり。

 生を喰らいし者 魂魄(こんぱく)を砕きし者 罪過に身を歪めし者 来たれり。

 危機せよ 危惧せよ。

 しかして 真なる災いは 悪心祈願が受肉し 世界を屠りし (なぞら)えの神である。』


 これを現代語訳にすると、


『【継承箇条】

 災いに仕える者(斎場衆)が 自らの命を犠牲にして それらを呼び込む。

 空が紅蓮に染まり 荒波のように蠢いて 天変をもたらすとき (赫蝕現象) それはやって来る。

 血を沸騰させているかの如き血のにおいが香る時 それはもう間もない。

 血液と肉が集まってできた濁流の如き巨大な門(迎神門) が 天まで聳えて建つ時 それらはやって来る。

 生者を食べる者が 魂を砕く者が 地獄に落ちて異形に変貌した者(禍身) がやって来る。

 危機せよ 危惧せよ。

 けれど 本当の災いは 地獄で罪人の悪しき心が願い 信仰を得て 肉体を得た 世界を壊す 偽造の神(擬神) である。』


 地獄顕現は人為的に執り行われる。禍身を呼び、地獄を顕現させ、地獄で創り出された神を召喚するための儀式だ。孝里が危惧した赫蝕現象とは、地獄顕現の初期現象であり、今のように空が赤く染まる、その色は夕暮れの色ではなく、血の如き赤色。よくよく嗅覚を研ぎ澄ませてみる。沸騰した血液のような臭いは感じられない。奏士郎の助言を皆が実践し、安堵の空気が流れたものの、疑問が残る。何故、空が赤く染まっているのか。

 

「通り過ぎるね」

 

 影倚は確信めいて言い、立ち上がって左腕を伸ばした。彼の左の耳たぶで鈍く光りを放っていた銀色のリングピアスが蛇のように蠢き、肩から腕、そして手首へと巻き付くように移動を始める。影倚の干戈だろう。それが何になるのかを見守っていると、銀の蛇は影倚の掌に到着し弓に変じた。しかし、ただの弓ではない。全長は孝里の身長と同じ位の長さをしており、両側の弭の先には薙刀のような刀身が鈍く光っている。

 

「――羅門(らもん)

 

 それが干戈の名なのだろう。そしてその声音は命令のようであった。影倚の指先に一本の矢が出現すると、彼は番えた。

 

 発光する赤いモノが窓の横縁から現れたのはその時である。まるで彗星のようなそれは、悍ましい悪穢を纏って阿蝉山を目指して進路を真っすぐに進んでいる。第二の鼓動が狂乱するように跳ねているのを孝里は感じていた。いや、自分の心臓かもしれない。何故なら、どういうわけか鋭敏に、あの光と悪穢の中に瑞里の気配を感じるからだ。

 

「瑞里」

 

 吐息のように名が零れる。影倚が矢を射った。

 

 高く、短く、澄んで、そして研ぎ澄まされた弦音が鳴る。赤い彗星に流星が立ち向かっていくかの如く、影倚が射った矢は奔った。そして矢は彗星の頭に的中し、爆散させた。飛沫のように光が飛び散っていく。それに紛れるよう、細い糸のような白い光が離脱するるように、阿蝉山の裏に墜落していくのが見えた。

 

「うわっ」「ぎゃっ」

 

 一斉に事務所内のすべての電話が鳴り響き、鈴ヶ谷の職員達は跳び上がったり縮んだりと銘々な反応で驚声を上げる。どれもこれもが、この天空で巻き起こされる一連の事象に関する通報だろう。通報がなくとも、自分達だって当事者であり目撃者だ。何が起こっているかを知っているものの、通報に対応しなければならない。慌ただしくデスクに走り、電話を取り始めた。

 

「武器庫開けて、道具とかの準備しといてくれ」

「わかりました」

 

 安西が下田に指示を飛ばし、自分も電話対応に入った。下田はキースペースから武器庫の鍵を取って駆け足で出て行く。

 

「秀作、日華を地下避難シェルターまで送り届けてくれ」

「……わかった」

 

 秀作も無用に逆らわずに素直に応じて出て行った。

 

「黎明社も動こう。(さん)

 

 影倚が命じると、黎明社職員が次々と窓から飛び出して行き、阿蝉山へと忍者の如く疾駆する。あっという間に米粒のように、砂粒のように姿を遠ざからせて、すぐに見えなくなった。残っているのは、書類を作成していた職員のみである。

 

 孝里はよろめくように足を動かし始めた。阿蝉山の裏手に向かうつもりだった。光が墜落した場所である。位置的に、廃村の土地であることは確実で、釈魂永楽会の帰来を予想している話を聞いていたので危険性も充分把握している。だが、身体が誘われていく。少し遅れて心も。何故なら、あそこに瑞里の半分がいる。近くまで来ている。やっと会える――。恍惚とした気分が湧き上がる。扉への振り向きざま、奏士郎が立ち塞がってぶつかった。いつの間にか手ぶらになった影倚が、部下から一枚の紙を受け取って内容を確認するように目を滑らせている姿が、奏士郎の背中へと隠れた。

 

「待て、孝里」

「待てません」

「いーや、待ってもらうよ~」

 

 奏士郎の背後から影倚がひょっこりと上半身を出す。

 

「これ、書いてくれる?」

 

 一枚の書類を差し出された。もどかしさに心が荒ぶものの、書面に目を走らせた。それはどうやら同意書のようだった。

 

「黎明社入学同意書……?」

「退獄師、または忍備役じゃない者が干戈を手にすると犯罪として処罰される。まあ、銃刀法違反みたいな感じ。それよりももっと罪状は大きくなるけどね。でも、退獄関連養成学校に入学が決まっている者は、その枠組みから外される。干戈の譲渡、継承、そんな形で受け継がれる場合や立場の子がいるからね。それに、君には多大なメリットがある。さっき説明したろ?」


 1.黎明社のパトロンである統導家によって得られる恩恵。

 2.学費、寮費、治療費の無償。

 3.討伐報酬。

 4.慰安イベントの開催。

 5.右腕の完治。

 6.忌蔵干戈との契約の簡易さ。


 思い返してみて、最後の一つがまだ教えられていないことに気付いた、それは影倚も同様のようらしい。

 

「ラッキーセブン! 結局言ってなかったね。じゃあ、発表します――我々黎明社に見初められた人物は、何者であっても、どんな境遇であっても関係なく受け入れます。どんな子でも、ね」

「孝里、黎明社が何て呼ばれてるか覚えてるか?」

 

 ――ゲテモノ揃いの黎明社。罵倒じみた兜を被る、日本の二大退獄機関。

 

「だからこそなんだ。そう呼ばれているのは」

「え?」

「個人個人が訳を抱えている。世上から掃き出されるような訳をな。俺だってそうだ。怒りに任せて本家を襲撃した。鳳越家に同心する奴らにとっての造反者になった俺の処遇を明かせば、どこにも居場所はない」

「奏士郎クンね、死刑囚なんだ」

 

 片耳から話が聞こえていた安西がギョッとして振り返った。影倚は気にせずに続ける。

 

「有事処刑対象……まあ、退獄界に仇成すようなことしたら殺すねーってリストに入れられているんだよ。流石に、この子以外にそんな対象になってる子は、うちに今の所いないんだけどね」

「黎明社は、そんな俺を受け入れて、庇護してくれてるんだ」

 

 奏士郎の眼差しに縋るような微光が宿った。

 

「お前が俺らを警戒しるのはわかるぜ。でも、俺は……俺達は、お前を守りたいんだ」

「……どうして、そこまで?」

 

 何故、奏士郎及び黎明社が自分を守護しようとしているのか、その理由が理解できずに孝里の中に戸惑いが浮かぶ。両親が黎明社の卒業生だったということが最もたる理由であろうが、それだけでは浅薄過ぎるのではないだろうか。ただそれだけで動くようであれば、守っている世間に対してあまりにも軽薄だ。

 

「孝里クン、黎明社が持ちうる全てを知りたい?」

 

 影倚の問いは、孝里の渇望を呼び覚ます。覆ったこれまでの認識。自分が知っている正解は何で、何を知らないのか。孝里にはそれすらもわからないのだ。

 

「知りたいのなら、黎明社においで。キミは、入学資格を満たしているし、これに署名さえしてくれればいい」

「僕は……受験をしていませんよ……」

「キミは奏士郎クンに見初められてスカウトされている。これだけでも合格なんだ」

 

 無茶苦茶過ぎやしないだろうか。影倚はペン立てからボールペンを拝借して差し出してくる。

 

「あとは、君の意志だけ。黎明社は、仲間を終生大事にする。命を懸けて守るよ。絶対に誓う」

 

 影倚は飄々とした表情を収めて、真剣に誓いを持ち掛ける。奏士郎の表情にも嘆願が浮かんでいる。今、この二人は切実だ。孝里にもそれがはっきりと伝わった。

 

 正直、どうしてここまで必死なのか理解不能だ。日澄よすがの息子だから危険視されているのではないかと不信が過るが、順守に守護の意志しかない眼差しの強さに、不信感も溶けていった。

 

「……瑞里のことも、守ってくれますか」

「もちろんだ」

 

 力強く奏士郎が答えた。

 

「僕のことよりも、大事にしてくれますか」


 それは、孝里にとって、何よりも重要な条件だった。いずれは、自分達のことは世間に露呈することだろう。排他が始まり、やがて恨みや義憤に駆られた何十万もの狩人達が、大波のように襲い掛かって来るかもしれない。そんな時、そんな場合、せめて瑞里だけでも守ってくれる存在が欲しい。瑞里はこの十年間、ずっと辛苦を受けて来たのだ。瑞里を最優先に、自分のことは二の次でも三の次でも――見捨ててもらっても構わない。

 

「それはできない」

 

 否定したのは影倚だ。

 

「キミと瑞里チャン、二人のことは同等にしか大事にできない。これから何があっても、矢面(やおもて)に立って命懸けで守り抜くよ」

「……わかりました」

 

 孝里はペンを受け取った。二百円以下で売られている安物のプラスチック軸なのに、鉛のように重い。


「お二人を、黎明社を……信頼します」


 影倚が書類を机に置く。孝里は座り直して、名前記入欄に姓名を書いた。

 

 震えた「祈瀬孝里」。横から指輪が光る人差し指が降りて来て、余白のスペースに触れる。

 

「ここにも。書き足すんだ――契約干戈、祈瀬瑞里ノ太刀って」

「ああ、そうだね、確かに……」

 

 従って書き足す。影倚が書面に目を滑らせて、満足そうに大きく頷いた。

 

「うん。忍備役頭兼、神志名白呂の秘書として受領します。これで、祈瀬孝里クン並びに瑞里チャンは、正式な黎明社の一員です。おめでとーっ」

 

 孝里は、影倚と同じテンションにはなれなかった。実感が薄い。むしろ、無いのだ。

 

「それじゃあ、行くか」

 

 奏士郎が枝垂れかかるようにして孝里の肩を組んだ。ずっしりとした重量に身体を傾かせながら、孝里は訊ねる。

 

「あの、どこへ?」

「瑞里の所だ」

 

 そう言って、視線を窓の外に流す。阿蝉山には異変が可視化されている。黒煙の如き靄が、山全体をドームのように覆っている。山の中が異界同然に変貌しているのが、遠くからでも察せれた。あの中に一人で立ち入ろうとしていたとは浅はかだった。冷静さを取り戻してくれた二人に感謝する。

 

 孝里の覚悟はすでに決まっている。だが、武器が無い。特攻符を用いようにも限りがあるし無理がある。三年前の阿蝉山の事件で物理的込みで痛感したことだ。

 

「大丈夫だ。俺がついてる」

「アタシもいるわよ」

 

 今まで沈黙を保っていた苛燐の声だけが響き渡った。突如として知らない女の声の出現に、鈴ヶ谷の職員達がキョロキョロと周囲を探る動きが総じた。

 

「待ってくれ。危険過ぎる」

 

 安西が眉根を寄せて引き留めた。

 

「いくら黎明社の職員だとしても、丸腰の人間を連れて行くなんて無茶だ。あの山に、一体何匹の禍身が潜んでいるのかもわからないんだぞ」

 

 語気が力んでいる。

 

「わかってる。でも、連れて行くしかない」

 

 凛然と奏士郎は反論した。

 

「シェルターに避難させるのが一番安全だろう」

「ダメだ。最早孝里にとって、安全な場所は黎明社の職員の近くのみに限られてる」

「何で!」

「禍狩が来るからだ」

「むしろ安全なんじゃないのか」

「むしろ、危険なんだ……これ以上は」

 

 奏士郎が孝里を一瞥した。

 

「機密だ。言えない」

 

 車内で明かした内容を省いて、奏士郎は早々に切り上げた。

 

 機密とはパンドラの箱のようなものだ。特に退獄界にとっての機密は、国家機密にも勝るような重要で重大で決して詮索してはならない代物である。時に、知った者が抹消される可能性だってある。黎明社は退獄界の王族である統導家と直接的な接触がある、様々なパンドラの箱の守衛であり番人たる組織だ。いくつかの管轄が四貴家や十二師家に移管されているとはいえ、立場は覆らない。そんな組織の職員から直々に「機密だ」と警告と牽制を受けたのだ。安西は不満を醸し出しながらも、引き下がることしかできなくなった。

 

 安西の視線が移り、孝里へ。不安と心配が表情を曇らせている。孝里は大丈夫だと言うように頷いた。本人までもが状況を肯定するのであれば、増々自分のお節介は無用の長物であろう。

 

「……わかった。気を付けて行ってこい。孝里を、よろしくお願いします」

 

 安西は奏士郎にしかと言い付けるように語調を強めた。奏士郎は頷いた。

 

「行こう。車、借りますね」

「これを使ってくれ。ナンバーはネームタグに書いてある」

 

 安西がポケットからキーを取り出して影倚に手渡した。

 

「ありがとうございます」

「窓から行くぞ。孝里」

「はい」

「窓枠に座れ」

「はい。……はい?」

「いいから、ほら、早く」

 

 背中を押して急かす奏士郎を何度も振り返りながら、孝里は言う通りに窓枠に座った。何をするのだろうと不安にもう一度振り返った瞬間、背中をトンと押されて浮遊する。

 

「よろしくお願いしますねーーーッッッ‼」

 安西が絶叫を上げて窓辺に駆け寄った。彼の目には、孝里が斜めに空中を滑り下りていく背中が見えている。

 

 一方、背中を押され宙に突き飛ばされた孝里はと言うと、

 

「っぎゃ」

 

 と、短く悲鳴を上げた。途切れたのは墜落したからではない。浮遊の時間は一秒にも達さず、すぐに尻が硬く滑らかな感触の上に乗り、そしてそのまま滑り台を滑るかのように緩やかな傾斜を滑り落ちていく。正しく、目に見えない滑り台を滑ったのである。これが何なのか、すぐにわかった。結界だ。奏士郎は結界術を応用して様々なことができると豪語していたが、それは本当だったのである。

 

 結界術自体が難しい業である。通常、張れたとしても畳一畳の平面一枚程度。二枚以上はさらに難しく、全身を囲うとなると至難の業とまで謳われるくらいだ。しかし、いとも容易く緩急を作り出して強靭に展開する実力。結界術の使用頻度が高い忍備役では重宝されるはずだし、退獄師としても充分に高等級に君臨することができるだろう。

 

 尊敬の眼差しで二階を見上げると、奏士郎は自分で展開した結界を用いずに生身で呼び下りて来た。そのまま軽やかに着地し、足にかかるであろう負荷さえ感じさせない佇まいで、後続の影倚を見上げる。影倚も同じように跳躍して、足音軽く着地した。

 

「孝里、大丈夫だったか?」

「はい、怖かったです」

「すまん」

 

 本心からは思っていないだろう。多少笑いが含まれている声音だった。

 

 ネームタグの番号とナンバーを一致させ、影倚は車を見つけ出した。

 

「行くよー」

 

 と催促されて、孝里は小走りで足を進めた。


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