32 花枯れ-刃と鞘
影倚は、昨晩奏士郎が安西達に説明した通りの内容を説明した。鈴ヶ谷は様々な反応を見せた。弱体化から回復しつつあった神とはいえ、それでも神殺しを成し遂げた相手との戦闘に怯む者や、手柄や功績の獲得のチャンスにやる気を漲らせる者、冷静に勝算に講ずる者などだ。黎明社の方に至っては、流石余裕綽々である。爪や毛先をいじったり、和やかな雰囲気で緑茶を啜ったりと、この任務の成功をすでに確信している様子だ。
「あ、でも残念なことに」
と影倚は継いだ。これより語られるは、怯む者をさらに怯ませ、やる気ある者のやる気を挫かせ、黎明社の余裕を崩す情報である。
「ちょっと、難易度が上がります。間もなくニュース速報やら何やらで情報が入ると思うんですけど、実は~……忌蔵が襲撃、しかも突破されまして。多くの干戈が奪取されちゃったんですよ」
数秒の沈黙。初耳に者達がしっかりと内容を咀嚼するための数秒と、現実を受け入れがたいと脳が把握を抵抗したことにより抵抗の数秒だった。喚声がどよめき、そして悲鳴に変わる。黎明社の職員達も「えっ」と肩を強張らせた。影倚は、黎明社の職員達にこの情報が共有されていないのではないかという予想があった。見事に的中である。
もー、社長ったら、自分が鈴ヶ谷に行くからってズボラ出したな~?
響の対応を終え次第、彼女は孝里と瑞里の対応を始めることだろう。それまでに、孝里の黎明社入学の証拠を獲得しなければならない。早朝にメールで忍備役の部下に指示は出しておいた。影倚は部下を一瞥する。命じていた仕事は間もなく終了しそうだ。
心のうちを漏らさず零さず。影倚は二つの任務をもう片方へと切り替えた。
「しかも、釈魂永楽会の教祖、天原祇雲……これから自分達が戦う相手っすね。こいつも関係してるっぽいんですよ。干戈を所持しているはずなので戦闘力も増していることでしょう。流石に禍身が干戈を振るうことは無いだろうけど、人間の側近だか信者には持たせているはず」
「そ、それは、干戈を所持した斎場衆との全面戦闘になる、ということでしょうか?」
優作が指をもじもじと擦り合わせながら訊ねた。そうなれば、ちょっと難易度が上がる、どころではない。皆の不安を払拭するかの如く、影倚は軽やかに否と首を振った。
「全面戦闘にはなんないでしょう……忌蔵を襲撃してる斎場衆や禍身の逃げ遅れは、捕縛か死ぬかします。奪った干戈を人員に配給するには時間がかかるし、何より等級を巡って内部での争いが勃発するはず。それで余計に時間を食うかもですね。干戈と契約するも無理矢理使役するも、力を消費する。自分に合わない干戈なら尚更だ。精々、干戈を使うのは五人程度でしょう」
「ですが、この人数で戦うのですか? 相手は斎場衆の一員と禍身となった信者達。我々は小さな退獄会社で人手も少ない。黎明社さんも、いらしてくれているのは十二名。正直に言いますと……少々心許ありません」
「大丈夫ですよ。また後で何人か増えます」
「そうですか! それなら……」
優作のみならず、鈴ヶ谷の多くが肩の力を抜いた。
パソコンを使って作業していた人物がマウスをクリックさせる音が高く響いて、プリンターが作動し始める。ガザガザとした音の中で、話は続けられた。
「しかし、奴の居場所は?」
問いかけたのば安西だった。影倚はにっこりと笑む。
「この地に戻って来ます」
「……奴らが何かをしでかそうとする時、きっとここに戻るかもしれないと考えてはいましたが、その根拠は?」
釈魂永楽会の集団自殺事件の当時を知っている者も、教えられて事情を知っている者も、以前から危惧していたことだ。廃村への民間人の立ち入りを何人達とも禁ずるための脅し文句などではない。しかし、内心では確証は持てていなかった。自分達が警戒されていることを、唯一生存していた天原祇雲が予想できないはずがないのだ。力を増して思い上がっているのであれば、有り得る話ではあるが。
「忌蔵を襲撃した斎場衆が、真に求めるモノがここにある」
答えたのは奏士郎だった。
「それは一体……? もしも今、確保が可能なモノであれば、すぐにでも動いた方が良いのでは?」
優作は前のめりになった。鈴ヶ谷の面々も椅子を引き下げて立ち上がりそうな体勢へと変わる。
「刃です」
影倚が言う。車内でも、神志名と確認を取り合っていたモノだ。
「あの、刃って……?」
車内で、神志名と確認を取り合っていた何かしらの情報だ。孝里は奏士郎を見上げて質問した。これは退獄師と忍備役の職務の話であり、請け負いの特殊清掃員が参加して良い話ではないとわかっている。手を出すことができるのは、戦闘の後始末以外のみだ。なので、孝里は祈瀬孝里という一人の関係者のつもりで訊ねた。天原祇雲に奪われた干戈は、自分の双子の片割れなのだから知る権利がある。眼差しでそう主張した。
「……祈瀬瑞里ノ太刀……その刃だ」
孝里は、自分の瞼が力んだのを感じた。
「瑞里の刃……?」
鈴ヶ谷に動揺がさざめき立った。
「それって、孝里の双子さんだろ?! 何で狙われてるんだ!?」
「にしても、刃って……?」
藤田と立松が対照的な熱量で疑問を呈する。孝里も同じことを考えていた。
祈瀬瑞里ノ太刀の刃。それは、刀身のことを言っているのだろうか。しかしそれならば、忌蔵に封印され、そして斎場衆に奪取された祈瀬瑞里ノ太刀とは、一体何だったのか。
孝里はありのまま問いかけた。
「それじゃあ、忌蔵に封印されてた瑞里って、一体何だったんですか?」
「鞘だ」
奏士郎が短く答え、どういうわけか後ろめたそうな顔をして背けられる。
「色々と知りてえことはあるけどよ……ジジイの双子の刃を奪いに来るってこたあ、この町のどこかにあるってことだよな? どこにあんだよ」
秀作は冷静に思考を巡らせているようだ。コピー機の音が止み、黎明社の職員が一枚の紙を持って影倚に歩み寄る。差し出された書類を影倚は片手で受け取りながら言った。
「ありがと……祈瀬瑞里ノ太刀チャンは今、二分されてます。刃と鞘です」
忌蔵に封印されていたのは鞘だったのか。
「鞘の方は忌蔵に封印されており、刃の方はずっと行方不明でした……いや、在り処は判明していたんですよ? でも、その在り処こそが行方不明で……なんせ、動きますから」
影倚の眼差しが、孝里にゆっくりと向けられる。
「祈瀬孝里クン――自分達はずっと、キミを探していたんだよ。特に、奏士郎クンがね」
「鳳越さんが?」
ちらりと見上げると、奏士郎は表情を凍り付かせていた。異様で奇妙な反応だ。
「それにしても、よかったね、奏士郎クン。ずっと探してた子に再会できて。キミの躁鬱も少しは良くなるんじゃないかな。孝里クン達と離れてから加速した鬱だったし。何年振りかな。何か思い出話でもした? 祈瀬瑞里チャンの鞘が封印された時だから……七、八年振りくらいじゃない?」
「よりんさん!!」
奏士郎の怒声に大勢が肩を跳ね上げさせた。秀作もそのうちの一人である。しかし、孝里は激突してきた内容の衝撃が強すぎて、奏士郎の大声さえも聞こえないほどの思考の海に沈没していた。
――瑞里の鞘が封印されたのは、七、八年前? 令架地獄顕現災害が発生したのは十年前で、瑞里が干戈になったのも同年だ。それに僕が災害後に目覚めたのは、今から六年前……。
今までの認識が覆る。把握していたはずのことの何もかもの辻褄が合致しなくなった。
「あ、の……僕は、地獄顕現災害で頭に大怪我をして……目覚めたのは六年前なんです。それ以前に鳳越さんと出逢ってたって……いや、ちょっと待ってください。瑞里が封印されたのって、十年前じゃないんですか? 鞘……え? 刃、鞘……なに、何が起こっているんですか?」
混乱で頭痛がしてくる。痛む頭で物事を整理しようと考えると余計に激痛が走る。
奏士郎が失望したかのように顔を掌で覆ったのが見えた。格子のような指の隙間から、影に暗む孔雀青の目がこちらを窺っている。
ずっと探していた子ども。思い出話? 影倚の言葉は、奏士郎が以前、孝里と交流を持っていたことを示すものだ。そういえば、廃工場で奏士郎が訊ねててきた――「お前、俺のこと、知らねえ?」
今になって本意を理解した。あれは、自分の知名度を問ういているのではなくて「俺のことを覚えていないか」と訊いていたのだ。そんな記憶、まったくない。
僕達と離れてから鬱が加速した? 達、って誰だ。誰のことを指している? 僕と瑞里? 僕達は、いったいどこで出逢っていた? ――いったい、今も昔も、何が起こっている?
今度は影倚が眉を寄せ、梟のように首を曲げる。
「――彼の異能か」
ぽつりと零された言葉もまた意味深である。しかしその瞬間「まあ、いいや」と軽やかに話題は捨て去られた。
「とりあえず、話を瑞里チャンと孝里クンのことに戻そうか。不思議なことが起こったりはしてなかったかな。例えば、夢に瑞里チャンが出て会話するーとか、周囲を自分だけにしか見えてない瑞里チャンが浮遊してるーとか」
「そんなことは、全然」
もしも起こっていたのなら、寂しさなんて感じていないだろうし、自分を刺したことへの疑問も解決していたことだろう。どうしてそんなことが起こっていると勘違いをしているのだろうか。孝里は影倚の不真面目な列挙に眉を寄せた。
「え、マジ? おかしいなあ」と影倚は言葉を継ぎ、痒くも無いだろううなじを掻いている。反対側に首を折った。何がおかしいのかはすぐに判明されそうだったので、何も言わずに待った。
「瑞里チャンって、今――」
突如として影倚は言葉を絶った。孝里はそれを不思議にも思わなかった。彼も呼吸を不意に途切れさせたのである。二人だけではない。それぞれが銘々に思考や呼吸、動作を急停止させ、同様に遥か遠くからやって来る強大な気配を感じていた。その気配は――悪穢。近付いてくるごとに背筋を舐める悪寒が強まり、肌が粟立つ。それは鈴ヶ谷にいる全員が総じている感覚だったが、孝里にはもう一つの感覚を感じていた。
――第二の鼓動が激しく胸内を叩き始めたのである。これまでにない荒々しさ、強さで。しかし何だろうか、その鼓動は歓喜し高揚しているかのようにも思える。孝里の鼓動は緊張と恐怖であるのに対して、相反しているのだ。
「――来た」
呟いたのは奏士郎だった。窓の外を見ている。孝里も目先に誘われるように窓を見ると、急速に落日していくかのように、外が赤く染まり始めていた。




