29 忌蔵襲撃-メリット・ラッキーセブン
施錠をして下に降り、一同はSUVの近くに集った。冷たい風がうなじを撫でて、あっという間に体が冷え込む。一刻も早く車に乗り込みたい。
「それじゃあ、出発しましょうかねえ~」
取り仕切るように影倚が言った瞬間、孝里は肩に重みを感じた。奏士郎と影倚の腕が肩に回されて、はたから見るとまるでチンピラに絡まれている哀れな少年のような構図が出来上がっている。
「後部座席は、俺と孝里とよりんさんな」
「はあ!? アンタらも乗っていくのかよ!!」
「下田さんには許可もらったよ」
「何で同乗!? 五人乗りとはいえ狭いだろ!」
奏士郎と影倚はニンマリとチェシャ猫を想起させる笑みを見せた。
「「黎明社に絶対来るよう口説き落とすため♡」」
「乗れよ!!」
秀作が力強く後部座席のドアを開いた。
「よし。レディゴーレディゴー」
「イケイケGOGO〜」
先に影倚が乗り込み、次に背中を押されながら孝里が、最後に奏士郎の順番だ。狭い。原因は両サイドからの筋肉だ。影倚は一見するとさほど筋肉質ではないように見えるが、実際はしっかりと鍛えられている体格をしているらしい。無意識的に奏士郎と比べていたのかもしれない。苛燐は指輪に化けて、いつもの定位置で大人しくしている。前のシートにも下田と秀作が乗り込んで、エンジンがかけられて車体が震えだす。
「それでは早速……」
「祈瀬孝里が黎明社に来ることによって得られるメリットを開示して行くぜ」
「よ、よろしくお願いします……」
車はゆっくりと発進し始め、黎明社の忍備役二人のスロットルも上がり出した。
「黎明社の歴史は邑町時代(1336〜1573年)後期に、我らが社長及び、黎明社立退獄関連養成高等専門学校の学園長であらせられる、神志名白呂が創立したことから始まる。……知ってる? 神志名白呂。チョー有名人ではあるんだけど」
「護国五指師の一人だろ」
「秀作クン正解。流石、近い未来の犬猿の犬」
「ケッ。所属自体の仲は悪くても、オレとジジイの仲は変わったりなんかしねえよ」
秀作は挑発的に舌を出した。ずいぶんと嬉しいことを言ってくれる。普段は絶対にこんなことを言ってはくれないのに。どうやら浮かれているらしい。顔の火照りと表情筋の制御が不可能になり、孝里はニコーッと赤ら顔で笑った。
「ウェーイ、仲良ぴ〜」
「仲良ぴっぴ〜」
「そのノリやめろ」
「すみまめーん。じゃ、話を続けるぞ。孝里が黎明社に来たら、まあすぐ退獄師になれるわきゃねえんで、高校一年生として入学してもらう。学科は退獄師科と忍備役科があるんだけど……孝里は退獄師科だよな?」
「はい」
答えると、奏士郎はほっと安堵した。
「だよな! よかった。もしも忍備役科だったらオレの受け持ちから離れちまうところだったぜ」
「鳳越さんは教師なのかよ」
「今年から初めてな。生徒と一緒にぴよぴよの一年生だ」
「生徒の人数はどのくらいなんですか?」
「いや、そもそも、黎明社は受験生を応募なんかしてたのか?」
「応募はしてねえよ? スカウトとか、事情あって他の学校じゃあ扱いにくいガキを親御さんから預かって、退獄師やら忍備役として育てる、ってやり方だ。俺は後者でよりんさんは前者になるな。毎年新入生が入るわけじゃないし、今年入学する生徒を合わせて、全校生徒は今んとこ五人だな」
「「「少なっ!」」」
「在籍職員でも四百人……行くか行かないか……」
「「「少なっ!!」」」
鈴ヶ谷も退獄会社ではあるが職員は少ないが、それは田舎町の会社であるし、地元と近隣の市町村にしか知名度がないくらいの中小なので当然だ。しかし黎明社は、日本中に通用するネームバリューを有している。それなのに、在籍職員が四百人前後とは、あまりにも少なすぎる。比肩して二大巨塔を誇る禍狩の支部本部合計しての在籍人数は十万人に触れるほどで、やはり比べてみると圧倒的な差だ。それでも戦績や功績は同率。再認識すると、凄まじさに驚嘆することしかできない。いったい、個々の強さや優秀さがどれほどなのか。
そんな場所に僕が勧誘されている……? 孝里の身体はプレッシャーで震え始めた。無理無理。
「で、はい。今度こそ黎明社に来ることで得られるメリット発表ターイム。その一~」
「パトロンが統導家~」
いきなりビッグ。統導家×黎明社なんて強大過ぎる。しかし誰も驚かなかった。孝里は昨晩聞いたことだし、秀作と下田も把握していた。「昨日説明したので省略~」。奏士郎が掌で払い除ける動作をした。
「その二。学生のうちは寮生活が義務化されております。しかし、寮費は無料。その他にも、滅茶苦茶美味しい学食や社食も無料。そしてさらに、学費や負傷した際の治療費なども黎明社が支払いますので無料でございまーす」
「その三。学生とはいえ、等級に合わせての実戦実習と、討伐依頼を自分で選んでの自己実戦がある。これにはもちろん、討伐報酬が支払われまーす。まあぶっちゃけ、これはどこの養成学校でもある制度なんだがな。モチベと意欲は上がるぜ」
「その四。退獄師や忍備役、干戈として今後生きていくわけですが、だからといって戦うだけの人生ではないよ。春夏秋冬で何かしらの慰安イベントが開催されます! 例えば花見、海水浴、焼き芋パーティーや遊園地行ったりとか、国内旅行とかね。海外旅行にも行きたいんだけど、何かあった時のために国内にいなくちゃいけないのがネック~……」
「いつか、パラオとか行ってみたいよな。んで、その五。これは、孝里個人に嬉しいメリットだ。昨日も簡単に説明したよな。その腕の完治だ」
「――……え」
秀作が勢いよく振り向いた。車は丁度赤信号で止まり、下田もシートベルトに固定された腹部を捩じって後部座席に身体を向けた。秀作の紅玉のような赤い目が目尻の下に手を皿のように添えておこうかと考えるほどに見開らかれており、奏士郎を凝視している。
「治る……完治って言ったよな? ホントに治んのかよ、ジジイの腕」
「おお、治るぞ。うちと契約してる治癒の異能力者がいるんだ」
影倚が梟のように首を傾げた。
「孝里クン、どっか怪我してんの?」
「怪我っつーか、後遺症らしい。詳しいことは聞いてないんだけど、前に禍身に襲われて、利き手で物を強く握れねえんだって。昨日、それで階段から落ちそうになったしな」
「ありゃ、重傷だねえ」
子細を知らないが故の何気ないふたりの会話ではあるが、秀作は罪悪感の上昇を感じて胸が苦しくなった。表情が曇り出した秀作を見かねて孝里が二人に制止を希おうとした時、秀作が言った。
「ジジイの腕は、オレのせいだ。一方的にキレて、阿蝉山に逃げた。そこで禍身に襲われて――助けに来たジジイが噛まれた」
「……そういうことか」
奏士郎は低い声で呟いて納得したようだった。
「ど、どうやって孝里の腕を治すんですか? いろんな医者に相談してみたんですけど、無理だって匙を投げ続けられていたんです……すみませんけど、信憑性が……」
「あ、腕を一旦ちょん切ります」
飄々と影倚が答える。「あ、なるほど、ちょん切るんですね」と下田はコクコクと頷きながら反芻し、意味の異様さと異常さにほどなく気付いた。
「……ちょん切る!?」
後続車からクラクションが鳴らされ、慌てて前を向くと信号はすでに青に変わっていた。アクセルを踏みながら、動揺に言葉を詰まらせながらもう一度言った。
「ちょん切るんですか!? 孝里の腕!!」
「ちょん切って、治癒の異能でまた生やします」
「荒治療過ぎる!! ――ハッ! 秀作っ、大丈夫か!」
秀作の顔色は蒼白で目は虚ろだった。
「オレのせいで……ジジイ、腕切断しやがんの……?」
「生えるから! 秀作くん! 僕の腕、また生えるから!」
こんなフォローの言葉を言い聞かせるのは初めてだ――いや、前回もあってたまるか。何? 腕また生えるからって。おかしいよ。
「そうそう、ちゃーんと生やしてもらうから、心配しないで。それに、キミの責任感とか罪悪感も、これですっきりと晴れるでしょ? 孝里クンとキミとで、超WIN WINじゃん」
「四肢の欠損くらいなら再生できるからなあ。いやあ、先生と契約してから無茶がしやすくなったもんだ」
「推奨はしてないよ」
「よりんさんも、そのベロ治して貰ったらいんじゃねえの?」
「ベロ?」
孝里が影倚の口元に目を向けると、彼はにやっと笑って薄く口を開き、血色の良い唇と白い歯の奥の薄闇の中から、舌を這わせるように突き出した。蛇。孝里が連想したのは蛇だった。それは、舌を見せる影倚の動作がまるで蛇ようだったことも理由のひとつなのだが、彼の舌の形状こそが、蛇のように二つ岐れになっていることが最も主因だった。
スプリットタンだ。初めて見た!
孝里は「おぉ……」と驚嘆を漏らして見入った。舌先は離れてくっ付いてを繰り返した後、交互に上下に動かしたり重ね合わせたりと遊び始めた。
「趣味でスプリットタンに?」
「いや、大昔に拷問されて」
Heavy~~~~~~~~ッ。スプリットタンだけに、とか詰まらないことは考えなかった。秀作も下田もドン引きの顔である。孝里は深々と頭を下げた。
「すみません、無神経なこと訊いちゃいました……」
「あはは。無神経かどうかは、実際に訊いてみないと実情がわからないもんだもんね。いーよいーよ。それにまあ、こんなベロでも、房事術の時に便利だしね……」
ボウジ術って何だ? 孝里と秀作は同じことを考えた。初めて聞く術だが、それと舌にどういった関係があるのだろうか。
「すみません、ボウジ術って……?」
「よりんさん、アンタが無神経なこと訊かせてどうするんだよ……」
奏士郎は呆れ顔に苦笑声で言った。
「ハイ、それじゃあ気を取り直して……その六。他の退獄機関や会社に比べて、忌蔵との契約がしやすい!」
「そうなんですか!?」
「うおぉ、孝里クン、急にそんな水を得た魚みたいに飛び掛かって来なくても……自分には抱き締めることしかできないよ」
「忌蔵って……義蔵の言い間違えじゃないですよね!?」
「うん、キ蔵ね。ギ蔵じゃなくて、キね。キ。黎明社は統導家と親密って話したじゃん? だから、退獄界の色んなところに統導家の権限が通用するんだよ。ま、忌蔵の管轄は統導家だから、他所が干渉してきた所で無駄なもんなんだけどね」
それはつまり、瑞里との再開が想像以上にスムーズに行くかもしれない!
孝里は喜色満面に秀作と見つめ合った。
「……だけど、それは黎明社が封印した干戈に限るんだけどね。孝里クン、忌蔵の干戈が欲しいの?」
「は、はい、あの……」
「それって、祈瀬瑞里チャンだよね?」
「知ってるんですか?!」
車内で立ち上がりかけている孝里の腰元の服をグイグイ引っ張りながら、奏士郎が「孝里、座れ座れ。危ない」と言って鎮めようとしている。
「もちろん。彼女を忌蔵に封印したのは黎明社だからね。それに、苗字の漢字って『祈』るに瀬戸際の『瀬』でしょ? 一緒じゃん。音はよくある響だけど、漢字は珍しいからね。双子の片割れがいるって話は知ってたんだ――キミたちのお母さん……美縁チャンの子どもだしね」
「え……お母さんの知り合いなんですか?」
「知り合いだよ。だってあの子、黎明社の卒業生だから」
孝里は母親のことをまったく知らない。干戈となったことは知っているものの、宮地佳奈子ノ太刀や苛燐のような人型の姿は一度たりとも見たことが無い。顔は思い出せる。実家のリビングには、笑みを浮かべる顔写真が飾ってあったから。父も、母のことを語らない人だった、訊ねてみても、困ったようにはぐらかされるばかりで。
「キミのお父さんのことも知っているよ」
「――……え」
「あんなことになるなんてね」
影倚そう言って、悲痛を交えたえ笑みを浮かべて、眼差しには憐憫を湛えた。誰のための悲哀だ? ――目の前にいる僕に向けられているんじゃないのか?
確信してしまった。支塚影倚は知っている。祈瀬双子の『あんなことになってしまった』父のこととは、令架地獄顕現災害で日澄よすがに殺害された架空の父ではなく、日澄よすがその人のことを言っているのだと。




