0 管轄外ならバトンタッチ
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
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金曜日は酒の匂いが濃い。酒は、抑圧した喜怒哀楽の封印を解く飲む鍵だ。自我の解放は心地好く、煽る酒の量は、どうせ明日から休日だしとタガが外れて増えていく。だがしかし、泥酔した酔客でさえも、路地裏で一休みしようとか、パーキングエリアに停めた車内の中で一晩過ごして帰ろうとか、そんなことは考えない。酩酊の奥深くであっても、一縷の警戒心だけは、しかと胸に戒めている。
しかし、犠牲者は毎週現れる。よって、土曜日は血の匂いが濃い。歓楽街から数分歩いた先にある、都会の高層建築物に敷地を凝縮されたかのような小さな公園の男子トイレの中で発見された変死体も、見つかったのは土曜日だった。
事件発生の入電を受け、新人刑事を引き連れて現場に向かった中年刑事が現着すると、すでに立ち入り禁止の黄色と黒のホログラム規制線が展開されており、その奥で鑑識が作業を行っていた。
周囲を見渡してみると、遊具が閑散と設置されていた。未就学児でもすぐに飽きて帰りたがるだろうし、遊び場を探して彷徨う小学生でさえも鬼ごっこやサッカーをしないほどに狭い。設置されているのは、虎と熊を模したスプリング遊具のみ。人工の肉食獣たちは、対面に立てられたドーム状の公衆トイレをじっと見つめている。
スプリング遊具の塗装はまだ新しく、バネの部分も錆びていない。老朽化による怪我人の発生を考慮して、新たに設置された新品だろう。となれば、「《《あれらは目撃者にはならないだらろうな》》」と、中年刑事は落胆した。
僅かに肩を落とした先輩刑事に気付いた新人刑事が、顔を向けて問いかける。
「岡村さん? どうしたんですか?」
中年刑事は岡村という。そして、この新人は宮本といった。
「ああ、いや……あそこに虎と熊の遊具があるだろう。付喪神が宿ってるんなら目撃証言を訊けたんだが、見た限り新品でよぉ。ちょっとがっかりしただけだ」
「ああ。都知事が、数少ない子供の遊び場の安全性を高めようってことで、老朽化した公園や小学校の遊具を新品と交換しましたからね。付喪神が宿ってる遊具はどうするんだって世論が、今は盛んですよね。俺的には、子供と触れ合えるような場を設けて、交流させてやった方が良いと思います。遊具の付喪神は、子供好きですから」
宮本もちらりと視線を向けた。かつて、自分も動物を模した遊具で遊んでいた懐古の記憶が、胸の奥から暖かく蘇ってくる。しかし、すぐに顔を顰めると鼻と口元を覆う。柔く風が吹いていた。その風は、公衆トイレの方角からふたりに向かって吹く風で、血の臭いを乗せていた。
ホログラム規制線をすり抜けて、ふたりは発見現場である男子トイレの中に入る。水色のタイル張りの壁と、表面の粗い灰色の床、天井はくすんだ白色で、落ちる寸前の線香花火のように蛍光灯の光が明滅している。だがその上から、鮮烈な赤色が重ね塗りされている――血だ。
被害者の男は、発見当時のまま、床に倒れていた。岡村は遺体を見下ろし、視線で様子を検めると、確信した声音で呟いた。
「やっぱり、禍身による捕食死体だったか」
入電を受け、出動命令を受けてから現着するまでの間に、車内で立てていた予想の合致に嘆息する。
「やっぱり、とは……わかっていたんですか?」
宮本の眉間には汗が滲み、今にも一滴になって流れそうだ。
「まあな。人間の加害で発見される遺体よりも、禍身加害による遺体の方が多いからな。どうせまた、って思ってたんだよ」
岡村は個室に背を向けてしゃがみ込み、遺体に手を合わせた後、さらに自己分析を始める。
狭い男子トイレに入れる体型、そして遺体が残っているということは、きっと犯人は大型ではない。遺体の腹部は食い破られ、見下ろした箇所に内臓は入っていない。ぽっかりと空いた空洞を覗き込み、上半身の内部を確認すると、やはりそこにも内臓が無かった。
衣類から考察するに、被害者はサラリーマン。東に数分歩けば歓楽街があるので、そちらで酒を飲み酩酊していた可能性がある。帰り道か、寄り道か、それともあまりにも酔い過ぎて彷徨っていたのかは定かではないが、恐らく吐き気か尿意を催して、この男子トイレに用を済ましにきたのだろう。そして、禍身に襲われ、腹を食い破られて内臓を完食された。
考え込んでいると、宮本が、
「岡村さん、そこ気を付けてください」
と、岡村の足元から少し逸れた場所を指しながらいった。指先が示す方向を辿ってみると、そこは背後の個室の床だった。焦げ茶色の物体がいくつも転がっている。腸を喰った際に絞り出したであろう排泄物だった。
「ああ、マジでひでぇ」
言いながら岡村は立ち上がり、宮本を連れて外に出た。充満した血と排泄物から逃げ出したかったのだ。宮本は新鮮な空気を欲して深呼吸をしたが、さほど距離が離れているわけではないので、濃厚な臭気を肺で味わって咽こんでいた。
「こ、これって、俺たち警察も調査を進めるんですか?」
「身元の調査は俺たちだが、それ以外は外注――というか、本職が担うな。一般機関の手に負えるもんじゃねえ」
「そうですよね……それでは、やはり彼らが……?」
「そうだな。こりゃあ、もう――」
警察車両の奥に複数台の黒塗りの車が停車したのが見えて、岡本は言葉を切った。事件を嗅ぎ付けたマスメディアが集り出したか、と警戒の表情になる。
後部座席のドアが開いて、きっちりとスーツを着こなした男女が厳かな表情で降りてくる。岡村は、彼らの装備を注視した。
彼らは、帯刀する者とアクセサリーを目立たせる者がいたが、胸元に社章バッジと腕章を付けていた。それだけで、彼らの身元が判明する。マスメディアではない。むしろ、こういった事件における専門的なプロフェッショナルが来た。
「噂をすれば」と内心で独り言ちていると、彼らの内のひとりの男が先行して歩いてきた。その威風堂々とした佇まいを見て、強者だと感じる。男の腕章には「退獄師」と記されていた。社章バッジを移せば、菱形の中に下半分は菊、上半分は鋭い射光を伸ばした太陽が半分の分け目を合わせるように合体した模様をしていた。
男がふたりに会釈し、ホログラム規制線を通り抜ける。その瞬間、黄色と黒の光は、男に触れた部分から赤い光へと侵食され始めた。ホログラムの帯の中を流れていた「警視庁」の文字はノイズがかって分解され、別の文字が黒文字で形成され始める。
「――禍狩」
人を喰らう禍身関連の事件・事故・現象を専門的に扱い、討伐を担う機関がある。そこに属する者たちは、肉体の死後、武器の形をとって転生した干戈という人魂武器を相棒に、命を賭して戦う護国の兵。
「やっぱり来たな。菊泉区から、わざわざご苦労なこって。間もなく俺ら刑事に向けて、撤退命令が出るだろうよ」
仕事を奪われたという悪質な心地に陥ることはない。我々では到底、対応が敵わない事柄の事件なのだ。
禍狩。日本政府・国家防衛退獄庁。 退獄機関二大巨塔の片割れ。
宮本は、岡村に車へ戻るよう促した。
「これの現場はもう、警察の管轄じゃなくなった。これからは――退獄師の領分だ」
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