表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/33

25 青猿-勧誘

 日華がガチャポンでダブらせたというヤンキー風向日葵の謎キャラクターが吊り下がった鍵をポケットから取り出して解錠する。回転式のドアノブを回して扉を押し開くと、キィと軋んだ音が鳴った。玄関は一人分のスペースしかないほどに狭く、そして暗い。奏士郎を待たせないように急いで靴を脱いで、感覚で覚えた距離を進み、壁を撫でて照明スイッチを探した。突起に触れて、それを押すと、何度かの明滅のあとパッと玄関が明るくなった。扉が閉まる音がして、奏士郎の足音がゆったりと追いかけてくる。孝里は四畳半の居間に入り、テーブルの上に置いてある照明のリモコンで天井の証明を点けた。


「お、藺草(いぐさ)の香り」

「暖房つけますね。ちょっと効き始めに時間がかかりますので……先にシャワーでも浴びてきますか?」

「いいのか?」

「はい。あ、でも着替えが……」


 奏士郎の体格に合う服装は、当然ながら孝里は所有していない。どうしようかと考えていると、苛燐が指輪から人型へと戻った。


「アタシが買ってきてあげるわ。鈴ヶ谷の行きに通りがかったスーパーでいいわよね?」

「ああ」

「でも、お金……」

「奏士郎」


 苛燐は奏士郎に手を差し出す。


「財布、出して」

「はいよ~」

「えっ!」


 持ってたんですか!? と目をひん剥いている間に、奏士郎はジャケットの内ポケットから黒革の長財布を取り出して苛燐に手渡した。苛燐は財布を受け取ると、くるんとその場で回った。青白い火の粉が苛燐を取り巻いて、一瞬火事を心配する。周囲に焼け焦げを残すことなく晴れると、そこには露出の高い和洋折衷の着物から、ジーンズスキニーと胸元に開閉可能なファスナーが付いたネイビーのVネックセーターに着替えた苛燐が立っていた。右手にはツヤを放つ黒のハイヒールを持っている。


「行ってくるわ。孝里、何か食べたい物とかある?」

「あっ、えっ、いいえ! 晩ご飯は済ませているので」

「じゃあ、明日の朝ご飯の分を何か買って来るわね」


 そう言うと苛燐は引き留める間も与えてくれず、モデルのように踵を返すと颯爽と玄関でハイヒールを履いて出て行ってしまった。階段を下りるハイヒールの踵の硬い音がしないのは、きっと空を飛んだからだろう。徒歩で信号待ちしながら向かうよりも、信号に従う必要のない飛行の方が行き帰りの到着は早いはずだ。人前に下り立って驚かさなければいいのだが……。


 孝里は奏士郎に向き直る。騙したことへの後ろめたさがあるのか、目を合わせるとじんわりと逸らされる。


「す、すまん……本当は、ちゃんと財布、持ってました……」

「そうみたいですね……」

「でもあの、現金が無いのは事実だぜ? 入ってるのはカードだけだ」

「そうなんですね……」


 溜め息を吐く。まあ、住み家に上げてしまったものは仕方ない。それに、泊まってもいいと最初に持ち掛けたのは自分だ。一晩だけという約束だし、朝が来て鈴ヶ谷の誰かが迎えに来てくれれば、それでお別れの人だ。明日の孝里は休日で、鈴ヶ谷に向かう必要は無い。たった数時間の関係。孝里はそう思うことで諦めることにした。


「こ、孝里、すまん。騙して悪かった……」

「いいですよ。そんなに落ち込まないでください」


 奏士郎はしゅんと気と肩を落としてしまった。ツリ眉がハの字のようになって、美貌も相まることで哀れに見える。

 浴室に案内して、シャワーのお湯用蛇口を捻る。寒かったら湯船に溜めても良いと提案したが、奏士郎はシャワーで満足だと言う。


「スーツの洗濯はどうします? 居間に乾燥機があるので、明日には乾くと思いますけど……」

「いいのか? それじゃあ、頼みたいな。実は今日、ちょっと気まずかったんだ。あの工場で一晩寝てたし、ちょっと臭くなかったかなってよ」

「大丈夫です。良いにおいがしてました」

「そりゃよかった」


 だはは、と陽気に笑う。感情がコロコロと変わる人だ。喜と哀と楽。残り怒でコンプリートだが、完成させたくないなと考える。人をわざわざ怒らせるような趣味は無いし、彼は怒ったらすごく怖いだろう。奏士郎が脱ぎ始めたので、孝里は居間に出た。電子ポットに水を入れて加熱を始める。鼻歌が聞こえて来たが、何のメロディーかはわからなかった。

 

 押し入れの襖を開いて、下の段から乾燥機、上の段から布団一式を下ろす。伸縮式の物干し座をを伸ばして室内干しの際の定位置に引っ掛け、その下に加湿器を置いた。孝里のベッドから小さなテーブルを挟んだ位置に布団一式を広げれば、部屋の床はほとんどを埋め尽くされた。見慣れた光景だが、人が違うだけで少し緊張する。気を紛らわせるためにテレビを点けた。どこのテレビ局かは知らないが、禍身による新しい殺人事件を報道している。近日中に、廃工場の禍身のことも報道されるだろう。


「あ、報告書」


 禍身に遭遇した場合は、それがどんな禍身であったのかを退獄組織に報告する義務がある。通常は口頭でも構わないのだが、孝里は一応退獄組織に関係する仕事に就いて、事務室も鈴ヶ谷の中だ。請け負いとの取り決めで、禍身の目撃または遭遇時は報告書に記載して提出することになっている。それに今回の場合は、二つの町にまたがって行動していた禍身だ。相手方への禍身討伐完了の伝達をしなければならない。安西や藤田は戦っていないし、現在立松が対面しているのは爆散した死骸だ。子細を知るのは孝里と奏士郎主従。退獄師とはいえ外部の人間にさせる作業ではないので、孝里が行わなくてはいけない。つまりはこれで、奏士郎との関係が数時間延長されたことになる。しかし、黎明社と鈴ヶ谷の共同任務の詳しい内容も気になるので、それでもいいか。

 

 抹茶ミルクパウダーを入れたマグカップを回しながらお湯を注ぐ。スプーンいらずの方法だ。テーブルにメモ帳を開いて、廃工場での出来事を箇条書きで書き記していく。退獄師としての報告書作成の練習だと思って真剣に取り組んだ。


 書き終えたのと同時に、苛燐が戻って来た。出迎えに行くと、彼女はLサイズのビニール袋を二つぶら下げていた。片方には食材がたくさん入っていて、もう片方は衣類が入っている。


「おかえりなさい。寒くなかったですか?」

「ただいま。寒暖にはあまり左右されないのよ……奏士郎はまだシャワー中ね?」

「今上がったぞ~」


 浴室から機嫌のよい声が聞こえてくる。


「届けてくるわ」

「はい」


 食材が入った方のビニール袋を受け取って、孝里はそれをキッチンに持って行った。ポテトチップスやアーモンドチョコレートなどのお菓子も入っている。緑茶ミルクのパックジュースが現れた時は驚いた。自分以外でも飲む人がいるんだな。少し好感度が上がる。ドライヤーの音が響く中、冷蔵庫に冷蔵物を詰め終わると、二人分のマグカップを準備する。インスタントの緑茶パウダーを入れ、やはりこれもマグカップを回しながらお湯を注いだ。テーブルに持って行くのと同時に、センターパートの分け目が無くなった奏士郎と苛燐が戻って来た。奏士郎に合うサイズが無かったのか、スウェットの上下はつんつるてんだ。

 

「はぁ~。スッキリ爽快。あっ、布団に緑茶まで。やっさし、ありがとな」


 奏士郎は布団の上に胡坐をかいた。部屋の中を見渡しながら、何か言いたげに口をもごもごさせていたが、やがて開いた。


「年齢の割に、食欲も物欲も性欲も感じない部屋だな」


 孝里の部屋は整然とされており、色味も少なく物悲しい雰囲気だ。お菓子やカップ麺などをいつでも食べれるように備蓄しているわけでもないし、図書館から借りて来た数冊の小説があるくらいで、ゲーム機などの娯楽品があるわけでもない。唐突に宿泊することにしたが、エロ本を慌てて隠すようなこともなかった。十代なんて、一番性欲に興味を抱く年代のはずだろ? 奏士郎は、孝里はすでに枯れているのではないかと心配になった。


「あまり、欲しいと思うことがありませんので……」


 孝里は苦笑しつつ答えた。秀作や日華も不評の部屋だ。ボロいし質素過ぎると言われるが、孝里はこのくらいが落ち着く。物が煩雑としていると、視界が騒がしいと感じる。

 

「僕も浴びてきますね」

「おう。いってら~」


 明日、鈴ヶ谷に行く予定が無ければ軽く浴びる程度で済ませたのだが、流石に全身を洗ってではないとモラルが無い。全身を洗ってバスタオルで拭きながら、今日は三回もシャワーを浴びたなと思い返す。髪を乾かして居間に戻ると、孝里のリハビリ用のハンググリップを使いながら、奏士郎がスマホでメールのやり取りをしていた。きっと黎明社だろう。


「コレ、軽いなあ」


 干戈の身体能力逸脱の恩恵を受けた退獄師にとっては軽いものだろう。しかし、孝里と同じ年代の男性にとっても、きっと物足りない硬さであることは確かだ。

 

「あはは……でも、僕にはそれで限界なんです」

「マジ? 理由聞いてもいいか?」

「三年前に禍身に襲われて、右手に後遺症が」


  今日だけで二度も右腕について言及するとは思わなかったな、と気疲れを隠すように微笑むと、奏士郎は孝里の右手を掴んで持ち上げ、長袖を捲った。露わになった手首から肘までを(おか)す皮膚の隆起。夥しいほどの歯型で形成されたその傷痕を奏士郎は気味悪がるだろうと思ったが、その予想は外れていた。


 角度を変えながら、まるで鑑定するような真剣な眼差しで傷痕を観察する。苛燐も同様だ。ふたりで美貌を寄せ合っては離れてを数回繰り返したのち、袖を引き下げられてそっと腕を下ろされた。退獄関係者、しかも安西たちが慄くような有名な組織に所属しているふたりの見解はどうだったのだろうか。

 

「一度斬り落とせば……」

「そうね、斬り落とせば……」


 ……斬り落とせば?


 あまりにも不穏な言葉に、孝里は氷像の如く硬直した。ふたりは二言三言交わして、孝里に向き直った。


「孝里、それ、治るかもしれないぞ」

「き、斬り落とせば……ですか……?」

「ああ! 黎明社は治癒の異能家系の医者と契約しててな。負傷から日にちが経過なけりゃ、どんな創傷も治してくれる。流石に欠損系を治すには数日が必要だがな」

「そ……そうなんですか!? 治るんですか!? 僕の腕!」

 

 奏士郎のその言葉に、不穏なあの言葉が一気に天の思し召しのように思えた。孝里は前かがみになって、縋る声で何度も確認した。奏士郎は目を細めてにっこり笑いながら鷹揚に頷いた。孝里は高揚で泣きそうだった。


「……黎明社に来るならな?」


 誘惑的な声で奏士郎は持ち掛けた。表情が強張っているように見えるのは、自分の勢いがあまりにも激しかったからだろうかと孝里は考えてピタッと口を噤む。彼方の方から置いてけぼりにしていた冷静さが追い付いてくるにつれ、勢いのまま舌先まで飛び出していた「行きます!!」の一言が引っ込んでいく。


 そうだ、慎重に考えないといけない。上手い話には裏があるものだ。孝里は自分戒めて、興奮の熱を深い息と一緒に体内から追い出した。


「治療費はいらない。黎明社の一員になれば、手当てですべてが賄われる。衣食住の保証もある。寮があってな、最初は学生寮に住むことになるが、寮母の化け狸や働いてる化花(あだばな)(花の妖怪)たちはみんな優しいし、飯も美味い。学生寮は川沿いに建ってるんだけどな、春夏秋冬で木々の色も咲く花々の移ろいも見事なもんで……そうそう、費用とか心配だろ? 生活費や寮費と学費に制服代なんかも気にしなくていいぞ」


 にこにこしながら一生懸命黎明社のアピールをしていた奏士郎だが、冷静さを取り戻した孝里の様子に急激に熱を冷まし、目に臆病な影を滲ませた。


「……どうした? 黙り込んで……」

「当たり前でしょ、奏士郎。性急過ぎるのよ」

「いやだって、善は急げって言うだろ。今なら入学式にも余裕だし、切断した腕の再生期間とリハビリの期間と訓練を加算して丁度いいくらいだ。ただでさえ初動が遅れてんだぜ。他のガキが雛鳥なら、孝里は殻の中の半熟卵だぞ。」

「他の奴らに卵を温められたくないってことでしょ。まあ、その気持ちはわかるわ。卵は自分で孵したいもん」

「だろ?」

「でもだからって、孝里にとっては展開が急すぎるわよ。そうよね? 孝里。」


  苛燐は口で訊ねながらも、同意を強制するような眼光を笑顔の形に細めた。 孝里は従順に従うことにした。


「はい」

「ほ~らね。時間が必要なのよ。でもね、孝里、こう言っちゃなんだけど……」

「はい?」

「お前が黎明社に来るのは確定事項よ。返事がなくとも連れて行くわ。与えるあげるのは覚悟を決める時間だけ。この町でのうちの任務が終わったら出立よ。さっさと終わらせるから、荷物を纏めてこのオンボロアパートの解約手続きをしておきなさい。満期じゃないだろうから、解約金が発生するわよね? 経費で払ってあげる」

「えっ!? そんな急にですか!?」

「ふふ。アタシたちにとっては、好機逸すべからず、よ」


 結局、苛燐も奏士郎も似た者同士なのだろう。孝里は上機嫌に緑茶を飲み干すふたりをポカンと見つめることしかできなかった。


 僕が、黎明社――退獄組織に行く? 腕の後遺症で、どこからも門前払いを受け続けてたのに。唐突に舞い込んできた退獄師になるチャンスと瑞里と再会できる確率の急接近と急上昇に、再び高揚感がフツフツと沸騰し始めている。


 好機逸すべからずと苛燐は言ったが、それは孝里としても同じことだ。またと無いチャンス。治療の為とはいえ、後遺症ごと腕を斬り落とされるのは流石に恐怖心が粟立つが、今後のことを遠い目で見渡して見れば、たかが短期間のことに過ぎないものだと理解できる。


 誘いを受けるべきだ。孝里の本心が囁く。しかし理性が押し退けて説き伏せてくる。危険すぎるだろう、と。


 黎明社がどんな組織なのかは知らない。だが、神志名白呂という黎明社の社長が、日澄よすがを拘束した人物だということを今さっきになって思い出すことが出来た。記憶の虫食いが疎ましい。日澄よすがのことはすべて調べ上げられていることだろう。きっと家系図も。双子の実子がいることは知られているはずだ。苗字は変わったが、下の名は本名。加えて、もしも瑞里と再会したら、きっと子どもだとバレてしまう。そうなると、自分たちがどうなってしまうのか。封印? 不穏因子として処刑? どちらにせよなんにせよ、良いイメージが湧かない。


「まあ、今日もはもう寝ようぜ。明日は早いし……何時くらいに迎えに来るっつってたっけ?」

「八時半よ」

「あ、僕も今晩のことを報告書に纏めないといけないので、一緒に行きます」

「そうか!」

「明日も、よろしくお願いします」


 苛燐は奏士郎の右手人差し指で輪になった。布団に潜り込んで、リモコンで照明を消す。


 どうして奏士郎は、自分を黎明社に勧誘しようと思ったのだろう。疑い始めると止まらない。だが、もしもただ単純に勧誘してくれているのなら、と期待を完全に捨て去ることも出来ない。


「孝里、おやすみ。また明日」


 明日の遠足を心待ちにするような弾んだ声が、床に滞留する闇の中から聞こえてきた。崖の際のようなベッドサイドから少し頭を上げて奏士郎の顔を探す。輪郭が見えたので、それに向かって頭を下げた。


「おやすみなさい」


 ふふ、と微笑んだ吐息を漏らして、奏士郎は寝息を立てることもなく静寂に沈んだ。壁際に体を向けて、孝里も目を閉じた。


 ゲテモノ揃いの、黎明社。僕はきっと、ゲテモノよりもさらに悪いモノであるはずだ。でも、僕たちを迎え入れてくれる場所だったら……奏士郎が評価するような優しい人たちばっかりだったのなら、少しは生きやすいのだろうか。瞼の中に浸透する夜闇が、徐々に濃さを増していく。思考が靄がかって、孝里はいつの間にか、何も考えなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ