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24 青猿-ボロアパート

 タクシーを呼んで、先ほどとは違う道で帰る。廃工場前には処理用車が数台停められているはずだ。特殊清掃会社と処理用車は別の請け負い会社なので、きっと立松が手配したことだろう。清掃の様子は気になったが、わざわざ通れば邪魔になる。少し遠回りで乗車料金も高くはなるが、安西が経費で落としてくれると言っていたので懐にダメージはない。そう、懐には。


 運転手のおじさんは、只者ではない様相の美壮年に畏縮していた。奏士郎の顔の傷はまるで輩で、服装もそうだ。孝里が少し怯えた様子なのも相まって、内心では何か事件の片棒を担いでいるのではないかと心配になっていることだろう。しかし、ふたりを乗せた場所が退獄会社鈴ヶ谷の玄関前だったので、わずかながらも事件の可能性を排除しているようだ。


 苛燐は奏士郎の右手人差し指で銀色の輪になっている。中心に孔雀の尾羽が一枚刻印されていて、その中に彼女の虹彩と髪色を想起させる孔雀青の宝石が光っている。


 奏士郎はメールを打っているようだった。画面は最大限暗くされ、加えて横から見ても内容が知られないように覗き見防止フィルムが貼られているので、宛先も内容もわからない。あまり不躾に見続けていても失礼なので、窓の外に顔を向けて流れていく闇を眺める。沈黙の気を紛らわせるように考えるのは、廃工場で感じた奏士郎への鼓動。懐かしさ、嬉しさ、寂しさ――あれはいったい何だったのだろうか。誰かに似ている要素もない。顔に傷跡がある知り合いだっていない。声だって初めて聴く甘くてセクシーなテノールだ。だが、第二の鼓動は確かにこの男に反応した。そもそも、この第二の拍動自体がいったい何なのか、どうして自分の中にあるのかもわからないが、とにかく自分への警報機にとして役立ってくれていることだけは確かだ。


 嫌な意味の鼓動ではなかったから、信用してもいいのだろうか。しかし、今まで人間に対してこれが作用することは無かったという疑点が、孝里の警戒心を解かせない。


 パチ、と軽い音がして、奏士郎がスマホを下ろした、電源を落とした音だったらしい。両手を組んで腕を前に伸ばして気持ちよさそうに背伸びをすると、孔雀青の柔和な眼差しを孝里に向けた。


「今日は疲れたなあ。時間もずいぶんと遅くなっちまったし……」

「あ、もう十時近かったんですね……」


 居酒屋から逃がされた時は慌ただしかったので、いったい何時だったかのか確認をしていなかった。


「そういえば俺、孝里の家泊めてもらうことになったけど、布団足りるか?」

「はい。僕の友だちが時々泊まりに来るので、もう一式用意してあるんです」


 秀作は阿蝉山での事件後、孝里と和解してからは頻繁に泊まり込んでは孝里の世話を焼いた。家政婦から習った料理を振る舞ったり、リハビリの補助をしたりと甲斐甲斐しいものだった。入浴の手伝いを申し出られたこともあるが、流石に病院でその程度のことはできるほど回復したので退院できたのだ、懇切丁寧にお断りした。気にしなくても良いと伝えるが、気にしてしまうのが罪悪感というものである。中学二年生になった頃から宿泊の頻度は減ったが、それでもなくなったわけではない。禍狩受験の前日と、合格発表日の前日も泊まっていった。あのボロアパートの一室が秀作の第二の憩いの場になってくれたのならば嬉しい限りだが、やはり安寧だけが理由ではないのは確実だ。阿蝉山は秀作のトラウマの地となってしまって、他に拠り所が無いようにも思えてならない。


「へえ、仲が良いんだな」


 奏士郎は自分の身内のことのように喜んだ。


「そういえば、何で響が憧れなんだ?」


 表情は飄々としているが、探りを入れる声音は不自然に高かった。鈴ヶ谷での会話をずっと心に引っ掛けていたらしい。おそらく、ずっと訊きたくて悶々としていたのだろう。


「鳳越甲一級退獄師は、父の一番推しだったんです。僕は小さい頃からずっと布教されてて……それで好きになったんですよ」

「一番推し? 芸能人みたいだな」

「あはは、でもまあ、芸能人みたいですよ。退獄師の何とかランキング~とか、結構あるじゃないですか」

「ああ、恋人にしたいランキング、抱かれたいたいランキング、とかな?」

「あれって、退獄師のみなさんはどう思ってるんですかね?」

黎明社(うち)の奴らは滅茶苦茶面白がってるぜ。お前だけは絶対に恋人にしたくない、とか、見てくれに騙された人たちが可哀想、とか。世間の総評を真っ向から否定してる。孝里の父ちゃんは、何で響のことを?」

「それは……わかりません。でも父は、鳳越甲一級退獄師が今みたいに有名なるよりも前から、ずっとファンだったらしいんです。だから、僕が生まれるよりも前からってことになりますね」

「そうなのか……」

 

 以降は会話も疎らに、タクシーは孝里が住むボロアパートに到着した。代金を支払って領収書を受け取って振り返ると、一つの明かりもついていない真っ暗な建物を奏士郎が見上げていた。呆然としているようだ。人の気配は皆無だし、階段は錆で赤茶けて穴が空いた段がある。流石に廃墟と呼ばれるほどに老朽化していないが、それでもやはり建物はが年老いている。


 去るタクシーを見送って奏士郎の隣に並ぶ。


「……レトロっつーか、風情があるっつーか、味があるっつーか、ノスタルジーっつーか、何つーか……」


 孝里は苦笑した。ボロ屋を対寧かつ直接的に表現しない優しさだが、言葉を迷っている時点で本心が見え透いている。ここまで言うのなら、素直に「ボロいな!」と言ってくれる方がスッキリする。


「正直にご感想をどうぞ」

「ごめん、めっちゃボロい。黎明社所有の建物でも、ここまでのモンは無いな、築百年やら二百年以上の建物よりも新しいはずなのに、一番古びてる。おっと苛燐、黙っとけよ。お前は俺以上に口が過ぎるからな」


 指輪の青い宝石を押さえて言う。きっと、苛燐だったらもっとボロクソに罵っていることだろう。

 

「あはは……室内もレトロで風情があって味があってノスタルジーですよ。中に入りましょう」


 歩き出した孝里の後ろを、返事をしながら奏士郎が着いていった。奏士郎の体重で階段が抜けないか心配だったが、不思議なことに階段に差し掛かった瞬間から下駄の足音がしなくなった。そのことに興味が湧いて振り返ると、奏士郎はきょとんとした顔をした。


「どうした?」

「いえ、あの……足音がしなかったので……」

「ああ、階段が抜けたら大変だろ? 階段と足の裏の間に結界を張ってるんだ。結界術の応用だな」

「! そんなことができるんですね……!」

「結界術は物理効果や現象だからな。攻撃や血膨破裂の飛沫を防ぐだけじゃない。空中を歩いたり、走ったり、縄跳びもできるぞ」

「すごいなあ……!」


 孝里の顔が華やいだ。安西も結界術を使えるが、そんな用途で使っている姿を見たことが無い。


 「まあ、熟練じゃなきゃこんな芸当はできねえよ。あとは、退獄師の能力の強さだったりな。異能持ちならまあ、よほど弱くない限りは使えるけど、一般出自の退獄師には、訓練を頑張り過ぎねえと結界を一瞬だけ張るくらいしかできないなあ。保持には能力がいるんだよ」

 「そうなんですね。踏み心地ってどんな感じなんですか?」

「踏んでみるか?」

 「えっ?」


 思いがけない提案に孝里はまごついた。興味本位で訊いただけなのに、いきなり実践を持ちかけられるとは、そんなつもりはなかった。遠慮が表情に表れる。しかし奏士郎は、孝里の様子を別の意味が由縁していると考えたらしい。


「怖くねえよ、ちゃんと張るって。ほら、一段下りてみろ」

「……いいんですか?」


 高揚を押さえられず、期待に口角が上がる。奏士郎はうんうんと頷いた。


「いいんですよ」

「……そ、それじゃあ……」


 孝里は心と血流が逸る。恐るおそる左足を踏み出した、一応右手で手すりを掴んでおく。奏士郎を疑っているのではなく、空中に立つという未知の感覚に、自分の三半規管が乱された時に縋りつける物を確保しているのだ。

 

 あまり深い幅ではないが、足をどこまで下ろせばいいんだろう。そう考えていると、いつも感じている深さの半分くらいの位置で、アスファルトのような硬く平面なモノに右脚が乗った。足の裏から黄金色の光が波紋のように広がり、結界の範囲の果てで消える。孝里の体重のほとんどは右脚にかけられているのだが、地面を踏んでいるかのように確固たる安定感がある。しかし視覚的には空中を踏んでいるので、やはり三半規管が乱れて体がふらついた。グッと右手で手すりを握り込んで――弛緩。体は前のめりに傾いた。


 「おっと」


 奏士郎が大きな掌を孝里の胸骨に当てて押し止める。元の段に立った孝里は、気恥ずかしさに苦笑した。


「す、すみません……」

「だはは。まあ、初めて見えねえ足場に立つとこうなるよ」


 行こうぜ、と促されて、孝里は振り向いて残り僅かな階段を上った。奏士郎の足音は、やはり聞こえてこなかった。

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