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21 進路相談。

 ――四か月後。義務教育の最終学年たる中学三年生の十二月。進路希望調査の最終確認のため、教師と生徒との面談が、放課後の三年生の教師で行われている。


「祈瀬、普通の高校を受験するつもりはないか?」


 孝里は、担任の言葉を俯いたまま聞いていた。机の上の調査票には第一志望しか書かれていない。進学か就職かの○記入項目は未記入だが、学校名・企業名の枠には「退獄師」と震えた字で書かれている。


 未記入はあれども、孝里の中の指針が明確であるという証左だ。一辺倒に目指すものはただ一つである。だからこそ、担任は困っていた。


「僕の志望は、変わりません」

「……しかし、だな」


 担任は言葉を選んでいるのか、それとも言葉が見つからないのか、言葉を詰まらせた。教師生活二十年目というベテランの教師であり、他のクラスメイト達の進路調査の際には厳しい言葉をかけて現実を叩き付けて多くの生徒を泣かせてきたこの担任に、気を遣わせてしまったことに申し訳なさが募る。


 ふたりの間の無言を、窓から差し込む夕陽の光芒が照らす。きらきらと光りを瞬かせる誇りが、まるで担任が考慮して口にするのを躊躇った言葉達が死に際に放つ命のようだった。その眩しさに、孝里はカーテンを閉めようと右腕を伸ばした。


 袖がわずかに下がり、隆起した手首の肌が見える。重なった歯型。四か月前に発生した事件の遺産。担任はその傷痕を見つめる。


「……」


 カーテンが閉められる。孝里が振り返る前に、その背中に堅く目を瞑って決心する。担任としての義務と、ひとりの子供を守る大人としての責務を果たすべく腹をくくって、勇気を出して、孝里にも現実を突き付けるために。


 孝里は椅子に座り、まっすぐ顔を上げて担任と対面した。意志の強い両者の目が、合う。


「その腕では、干戈を振るえないだろう。お前の、あの八月の事件の後遺症で――物を強く掴めなくなる、後遺症を負ったのだから」


 事件から四日が経って、孝里は目を覚ました。地元の市立病院ではなく、車で一時間ほどの距離にある大学病院に搬送されていた。白い天井に照る陽光と、吊り下げられた包帯とギプスに巻かれた腕と点滴が、最初に見た光景だった。検温と血圧を測りに来た看護師が孝里の目覚めに気付いて、「自分のお名前はわかりますか?」とゆっくり質問して、孝里は「祈瀬孝里です」と答えた。


 親戚のいない孝里の保護者代わりでもある安西が呼ばれて、総会から帰って来ていた鈴ヶ谷優作が駆けつけてくれた。優作は孝里に土下座して、謝罪の言葉を繰り返した。「大変申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉が多くて、孝里は疑問に思いながら――後に主治医から話を聞いて、優作が繰り返した謝罪が事件に巻き込ませてしまったことだけではなく、後遺症のことも言っているのだと理解した。


「はい」

「日本において、干戈の割り合いは刀剣が七割を占める。つまり、お前とマッチングする干戈が刀剣体である確率が高い」

「はい」

「退獄師は知っての通り、戦闘職だ。……その身をもって、世のため人のために戦わないといけないんだぞ」

「はい。もちろん、把握してます」

「先生が初めて担任を受け持った時の生徒がひとり、退獄師になった。七年前の地獄顕現災害で殉職した。戦闘に特化した訓練を受けた人物でさえも、命を落とす職業なんだぞ」

「はい」

「物を強く掴めないということは、武器を振るえないということ。退獄師を志すにあたって、致命的なマイナス点だ。受験資格要項にも、戦闘に支障を来す身体障害のある者は、そもそも受験自体が不可能だ」

「はい」

「……祈瀬、お前はどうやって退獄師になるつもりなんだ?」


 言葉を尽くして何とか志望を変えようとする担任に、孝里はすべてを肯定した。言われたことすべて、知らないわけがなかった。だが、引き下がるわけにはいかない。


「利き手を変えます。右から左へ。……練習も始めてるんです」


 担任は進路調査票を見下ろした。震えた、歪な字。左手で書いた字だったのか。


「……どうして、そこまで固執する?」

「……僕にとっては、退獄師になることは夢で、義務なんです」


 担任は眉間にしわを寄せた。夢はわかるが、義務とは?


「どういうことだ?」

「火事から救われた子供が消防士に憧れるように。運転違反者を追う白バイ隊員に憧れた子供が同じ職業を目指すように。それと一緒なんです。僕の父は退獄師で、母は父の干戈でした」

「お母さんが……そうか。形は?」

「太刀でした。もともと、父の背中を見て育ったので、将来は退獄師になることが夢でした。でもそこに、夢だけでは追いかけることができない理由ができてしまいました。僕の双子の片割れも、七年前の災害で干戈に転生したんです」

「そう、だったのか」


 教師といえど、すべての事情を知っているわけではない。祈瀬孝里には両親がおらず、古いアパートで地獄関連被害者遺族助成金制度を利用して一人暮らしをし、保護者代わりを、安西昇という来年中頭部に進級してくる女子生徒の父親が担っているという情報しか知らなかった。


「名前を、瑞里といいます。身体の弱い瑞里はずっと入退院を繰り返していて、彼女の将来の夢は、僕の干戈になることでした。瑞里は一足先に夢の半分を叶えた」


 叶えざるを得なくなった、という方が正しいのだろうか。


「残りの半分は、祈瀬の干戈になること、ということか。そして、双子さんの契約者になることが、祈瀬の義務」

「はい」


 しばしの沈黙。担任が厳かな顔で黙り込んでいる姿が、孝里にはあまりにも苦しそうに見えた。


「……しかし、退獄師という職業は、誰もが一度は憧れ、そして挫折する職業だ。祈瀬、お前は、他の誰よりも挫折しやすくなる。その腕のせいで。――鈴ヶ谷秀作のことを、いつかは恨むことになるかもしれないぞ」


 担任が無理矢理意地の悪い言い方をした。秀作を引き合いに出してまで、こんなことを言わせてしまったという罪悪感が、賽の河原で積み上げられていく石のように、こつこつと募っていく。


 前方の出入口、閉じられたスライドドアを、孝里は見つめた。しかし、すぐに担任へと向き直る。担任は、一般高校のパンフレットを数枚机に並べた。退獄師養成学校のパンフレットとは雰囲気の異なる、平和で楽しい、一般的な青春の様子を切り取った写真が載った鮮やかなものだった。


 担任が自分にこちらの道を歩んでほしいのだという切望は、確かに伝わって来る。送り出した生徒を喪った経験のある人だ。二度と失いたくないと願う人の厳しさが、とても胸に暖かい。孝里は微笑んだ。


「僕、医者から腕に後遺症残るかもしれないって聞いた時、すごく怖くなりました」


 安西が「どうにかなりませんか。どうにもできないんですか」と言い縋る姿に、息がうまくできなくなるほど胸が痛んだ。


「努力でどうにかなるかもしれないってリハビリを頑張っても、思うようにいかなくって、すごく焦りました」


 穏やかで陽気で、優しい社長が、今にも吐きそうなくらいに号泣しながら土下座する姿が脳に焼き付けられている。病室の扉の奥で、呆然と立ち竦んでいる日華と、目を溶かすように涙を零す秀作の、幽霊のように蒼白い顔が想起される。祖父へ向けられていた目が、ゆっくりと孝里に向けられて――自分はいったい、どんな顔で秀作の顔を見たのだろう。彼はそのまま逃げ出してしまって、それからは会えていない。


「先生に退獄師への道を諦めろって言われている今、すごく恨んでます」

「……」


 担任が先の発言を後ろめたそうに目を逸らした。だが孝里は、逸らされた担任の目を引き戻すために、力強く言葉を続けた。


「でもそれは、秀作君に対してじゃあありません」


 担任は、孝里の思惑通りに、再び孝里と向き合った。


「禍身が現れなければ。そもそも七年前、日澄よすがが地獄を顕現させなければ。莫大な数の禍身が脱獄しなければ。もしかしたら起きなかったことかもしれない。巻き込まれてしまっただけのあの子を、どうして僕が、恨むなんて見当違いなことをしなければならないんでしょうか?」


 ――すべては、日澄よすがが悪いのに。


 そう言葉を続けた孝里の冷徹な眼差しに、担任はそれが自分に向けられたものではないと理解していてもなお、ゾッと怖気立つものを感じずにはいられなかった。優しく朗らかな――少し自分不信が目立つ少年という小中一貫の全学年・全教員の共通認識のある人物が、祈瀬孝里だ。


 退獄師を目指していると初めて聞いた時、抱いたのは心配だった。彼が戦場に出て戦う? ずいぶんと普段の性格によらない、過激で苛酷な目標だと思ったものだ。どちらかというと、孝里は退獄師の後援や民間人の避難誘導などを行う忍備役の方が適任だろうと。だって――


 禍身殺しの人殺し、とも呼ばれるような職業を、孝里が全うできるなんて、思っていなかったから。


 今は人食いの異形でも、前身は人間だ。退獄師の仕事は、姿を変えた人間との殺し合いなのだ。


 祈瀬孝里は、底なしに優しい。今まで世話してきた生徒の中でも、特に抜きん出るほどに。だから、禍身に対して元は人間だったという事実が躊躇わせてしまうのではないかと思っていた。あの夏の事件があるまでは。


 ――だが、戦える人間だった。物理的にも精神的にも。戦えなければ、あの日、彼は喰い殺されていた。


 担任は、祈瀬孝里という人物への認識を改める。


「……すまない。さっきの発言は、絶対に言ってはいけないことだった」


 だが


「先生は、それでも祈瀬に、この進路を薦めることはできない」


 他人よりもずっと苦しい道のりを歩ませることは、人生に苦難困難が必要だとしても、孝里にとっては救いのない、「成功」や「達成」というゴールテープを切ることのできない道を征かせるのと同じことだ。それなら、すぐ背後に張られた「棄権」や「諦め」というゴールテープの方へと後退させた方が彼のためだ。それになにより――生きていて欲しいから。


 孝里が禍身に後遺症を負うほどの被害に遭ったと知ったクラスメイト達が、「しかしこれなら、祈瀬は退獄師になって死ぬ可能性が無くなったんじゃないか」と安堵したことを知っている。


 お前に、生きていて欲しいと願う人々は多いんだよ、祈瀬。


「……」


 孝里が再び俯いた。


「……わかりました。先生、僕、決めました」


 受容の意思を見せた孝里に、担任はホッと安堵の息を吐いた。


「そっ、そうか、それじゃあ、どこの高校に進学する? お前は内申点もテストの点数も優良だから、どこでも目指せるぞ。ああでも、先生的には、ここが――」


 担任は孝里の進学先として一番おすすめの一校のパンフレットを拾い上げた。


「僕、就職します」


 それを、彼が受けとることは無かった。


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