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20 粉となり砕ける。

 宝物庫に落雷したのかと思うほどの衝撃と音が轟く。倒れ込むように秀作へと覆い被さり、目を瞑って片腕で顔を防御すると、前方から叩きつけてくるような無数の感触があった。


 ――駄目だ目を開けッ!


 危機感に怒鳴り付けられて目を開く。観音開きの扉が破壊され、破片が飛び散っていた。閂として取っ手に通していた木刀は真っ二つに折れて、扉の残骸の中に混じっている。


 破壊された扉の向こう。月光が何かの影の輪郭を照らしている――禍身だ。


「み、見つかった……!」


 ふたりは互いを引きずるように、狭い宝物庫の奥の壁へと背中を預けた。一秒の時間稼ぎにしかならない距離だ。


 出入口は塞がれた。宝物庫には扉以外に損傷はなく、つまり子供一人が抜け出せるような穴も無い。特攻符も使い果した。木刀も真っ二つ。魂縛符はどちらかが禍身の直接的ではない死に陥らなければ、ただの紙切れだ。生存のためのすべての可能性が失われた。


(安西さん、安西さん、安西さん……! お願いします、早く来てください……!)


 呪文のように安西の名を唱えて希う。


 大きな目が、まるで左右に回転するパチンコのスロットのように忙しなく孝里と秀作を左見右見している。迷い箸のようなことだろうか。今なら踊り食いを待つ魚介類の気持ちがわかる。緊張で吐き気を催し、恐怖で全身が傷むほどに硬直し、生への渇望で涙が滲む。被食者という立場を強制される腹立たしさが、臓腑を燃やしながら広がっていく心地――それでも成す術がないという絶望。


 これまで禍身に喰い殺されてきた数多の被害者たちも、同じ感情を抱いて死んでいったのだろうか。喰い殺されてしまえば、輪廻転生の機会は皆無になるという知識を嫌でも思い出して、痛みに呻吟し、助命を乞い、死の間際に絶叫するのだろうか。否、想像せずとも、これから実体験することだ。


 月光の輪郭が揺らぎ、禍身が倒れ込むように突っ込んできた。揺れる宝物庫の中を、再び濃い闇が満ちる。


「うわっ!?」

「秀さッ」


 秀作の悲鳴が聞こえた瞬間、孝里は足払いをかけられて尻もちをついた。ズルズルと秀作が引き摺られていくのが音でわかる。


「待て、やめろ!」


 孝里は飛び起きた。禍身がわずかに後退し、月光が差して――禍身が小さな口を大きく開いて、秀作の頬に食らい付こうとしているのが見えた。


「――」


 脚に力が籠った。背骨と肋骨が軋んで、息が詰まるほどの激しい痛みを主張した。掌で床を押す。爪先で床を蹴った。そして――禍身との距離が一気に縮まり、大きな目の黒い鏡のような角膜に、歯を食いしばっている自分の形相が見えた。


 左腕で秀作の身体を押し離す一方で、右腕は禍身の口と秀作の顔の間の空気を殴りつけるように突き出した。


 秀作は目を見開いた。生白い腕に小粒の歯が食い込み、血を弾け飛ぶ。


「ジ」


ごきん。ばきん。混ざり合う音。右腕から身体中と響く衝撃。小粒の歯が皮膚を突き破り、肉を潰して、骨が折れ、割れ、砕ける。腕を生暖かいものが這い、肘から飛び降りていく。


「あぁああぁ……ッ」


 悲鳴が途切れるほどの激痛。禍身が秀作を投げ捨て、孝里の腕をしっかりと握って捕まえる。スイカの早食いのように孝里の手首から肘の間を何度も噛む。動脈が噛み切られ、夥しい量の血液が禍身の口底へと、盃に注がれる酒のように溜まっていく。


「いだっ、やめ、あぁッ! 放、放せェ……ッ!」

禍身は寄り目で孝里が苦痛にもがく様を見ていた。やがて右腕が痙攣し始め、脱力していく。右手はいくつもの歯型で隆起している。噛まれる度に、どれかの指がピンと伸びた。


「やめろぉっ! ジジイを離しやがれっ!」


 秀作が自分を羽交い絞めにして後ろへと引っ張る。だが孝里はそれに反して、左手で禍身の眉間を押し、足に力を込めて、前へと踏ん張る。


(す……少しでも隙間を作らないとッ)


 秀作だけでも逃がさなければ。秀作だけでも……。その一心で。


痛みで意識が朦朧とする。二の腕を掴まれて血が絞り出された。


「おっさん、早く来てくれ! 佳奈子さんっ、助けてくれ! ジジイが死んじまうッ! 誰かっ、誰かっ、ジジイを助けてくれよ早くッ! 誰か――」


 ――誰かッ!!







「――うちの子たちに何してやがんだこのクソ野郎がぁッ!!」


 怒号、その刹那、禍身の頭が直角に折れ曲がる。側頭部に、憤怒の形相で宮地佳奈子ノ太刀を柄まで深く突き刺した安西が姿を現した。禍身に喰いつかれたままの孝里の身体は勢いに流されて宙に浮く。だが背中に腕が回された感触のすぐあとで、白銀が翻った。


「孝里を離しやがれ!」


 鈴ヶ谷の退獄師である藤田が禍身の顎の筋肉を断ち切った。口が緩んで、腕が開放される。力無く落ちてぶらぶらと揺れる腕を、秀作が捕まえた。


 まったく力が入らない。蜘蛛の死骸のように丸まっている自分の掌にゾッとする。


「止血する! 縛るから痛いよ!」


 ネクタイで二の腕を縛られ、到底面積の足りないハンカチが撒かれた。すぐに血が染みて、藤田の掌が真っ赤になった。


 町内に出没した禍身に背中を裂かれていた忍備役の立松も、自分の治療を後回しにして駆け付けてくれていた。彼もハンカチを押し付けて加勢する。だがやはり、足りない。


「ふたりとも、酷い怪我だ。早く病院へいかないと……」

「遅くなってすまない、よく持ち堪えてくれたね」


 生きてて良かった。と、大の大人が声を震わせるものだから、孝里と秀作もやっと安堵できた。目が潤んで、落涙。


「……いいえ、いいえ……。来てくれて、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……」

「く、来るのが遅せぇよ……」


 ズン、ズンと、まるで重低音のように、痛みが響く。痛みを何とか和らげようと、深呼吸を繰り返した。この方法に効果があるのかはわからないが、冷静な思考を呼び戻すことはできた。


 高松と藤田が深刻な表情で孝里の右腕を診察し、目配せした。


「よくもふたりに大怪我させた挙句、爺さんの拝殿ぶち壊しやがったなァッ!」


 安西が宮地佳奈子ノ太刀を振り上げ、頭部を袈裟斬りに両断した。失敗した福笑いの完成品のように、頭部が斜めにずれ落ちる――急速に全身が膨張し、赤い水疱が豊満に実る。


 立松が孝里を、藤田が秀作を抱えて、宝物庫へ逃げ込んだ。破壊された扉の両側へと別れて隠れたその瞬間、ばぁんっと水気を含んだ破裂音が空気を叩く。


 バケツ満タン四杯分の血が宝物庫内に飛び込んだ。小さな赤い波が揺らぎ、温かく生臭い熱が、ぬめりけを持って身体中にまとわりついた。


 血膨破裂――禍身の死の証明たる現象だ。


 禍身が死んだ。討伐された。あんなにも猛威を振るい何度も命を脅かした禍身が。怒りの一太刀によって呆気なく。断末魔も無く、悲鳴も無く――誰一人として食い殺してやることも出来ずに死んだ。


「おいっ、ふたりとも! 孝里、秀作っ!」


 至近距離で禍身の血液や肉片を浴びたはずの安西は、返り血に塗れぬ姿で転がり込んで来た。縋り付くように秀作を抱き締めると、そのまま孝里を抱き寄せる。


「よかった生きてて。喰われちまったらどうしようかと、あぁ、よかった。本当に……」


 安西はきっと、幼い頃に目撃した氏神と狛犬たちの御神骸の光景を想起せずにはいられなかっただろう。


「破壊された拝殿、画面の砕けたスマホに貼り付けられた使用の痕跡を残す特攻符、誰のもんかもわかんねえ血の着いた短刀を見つけた時は心臓が止まる思いだった」


 どちらかが、魂縛符を使わざるを得ない状態になってしまったのではないかと。


 遠く、救急車の音が聞こえてくる。


「通報しておいたんだ。あれに乗って病院に行くぞ。まずは、山から降りねえとな」


 今後の対応のために立松が現場に残り、四人は下山を始めた。秀作を安西が、孝里を立松が背負う。小走りの振動、胸に触れる暖かさと鼓動、大人達の話し声に。全身を苛む激痛の中、安心が心を解していく。


 乗り捨てていた自転車を横切り、橋を渡って廃線バスの所々錆びたベンチに腰掛ける。隣に下ろされた秀作が、背もたれに背中を付けないよう、僅かに前かがみになっている。


 前方から明るく刺す月光。照らされる右腕。もはや張り付いてるといっても過言では無い二枚のハンカチ。


(――あの拍動はなんだったんだろう)


 警報機のように、禍身が接近するとらもうひとつの心臓のようなものが拍動するあの感覚。しかし、宝物庫で禍身の接近に気付かなかった時のように確実性があるものではないらしい。


 瞼が重い。気だるくて、悪寒のような薄ら寒が背筋を這う。思考を巡らせようにも、頭の中がモヤかかってしまう。


(疲れたな……少しだけ、目を閉じておこう)


 これからの事を、今考えている余裕が無い。ずっと命の危機に晒されてら身体ともに激しく疲労困憊している。


 目を閉じる――こちらに向かって来ているはずの救急車の音が次第に遠のいて行き、孝里は落下の感覚

最後に、深い闇の底に沈んだ。


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