16 秘密を君に。
「僕が退獄師を意地でも目指してる理由を教えるよ」
「んなもん知ってる。干戈なった双子とまた一緒に暮らすためだろ」
「うん。それも理由だよ。僕の双子、瑞里って言ってね、今はまだ蔵にいるんだ」
「しつけえな、知ってんだよ!」
「うん。それで瑞里はね、忍備役では絶対に契約できない干戈なんだ」
「……あ?」
「【忌蔵】に封印されてるんだよ」
荒んだ気配が凪いで、困惑へと切り替わった。孝里は自分の動悸が聞こえているのではないかと思うほど、拝殿の中は静寂に包まれる。秀作は、孝里の言葉の意味を懸命に解そうと思考を働かせていた。しかし、あまりにも高負荷が掛かり、息を詰まらせ、吐いてという動作を数回繰り返したのち、
「……は、ぁ、忌蔵? あ? 待てよ……じゃあ、その瑞里って奴……お前の双子……」
――罪人なのか?
問いかけられた。
孝里は少し戸惑った。傍から見聞きしただけならば、そう認識される。瑞里が封印されている忌蔵は、罪のある干戈を収容している封印用建造物なのだ。
退獄師と契約を結んでいない干戈は、日本退獄界の主上一族が管理する通称:【蔵】に封印されている。そしてその蔵は二種類あり、何を基準にして区別されているのかというと、善と悪だった。
善の蔵は【義蔵】と呼ばれ、生前に罪状の無い一般的な干戈を収容している。通常、退獄師のほとんどはこの義蔵の中の干戈から一名とマッチングし、契約を結んで主従関係となるのが通例だ。安西の干戈である宮地佳奈子ノ太刀も義蔵出身だった。彼女は普通に生きて交通事故で死んだ、何の罪もない、けれども大した善徳もない人間だった。ただ罪を犯していないから善人、それだけで義蔵へと送られて後の相棒を待つ。
であれば――ということだ。義蔵が大雑把な基準で善人を収容する蔵なら、忌蔵は悪性の干戈を収容する蔵なのである。罪人の全員が、すぐに魂ごと処刑されてしまうわけではないという事実が、この忌蔵の存在によって判明している。制度の廃止や撤廃を求める声が上がるものの、それでも残り続けているのには理由がある。忌蔵にいるのは、血統の権力者の関係者や、情状酌量の余地のある罪人だった。
殺人や性的暴行を一度犯せば、一般市民ならば確実に干戈になることなく処刑されているが、血に権力が流れているせいで消滅されていない卑怯な魂がある。それは、政界や退獄界の重鎮の血族であることがほとんどだ。建前は情状酌量の余地があるとして収容されている。処刑しないのは、外聞が悪いからだ。血族から死刑囚が出たと認めることになる。それは弱みになり、露見すれば権力が瓦解する危険性があった。すべては保身、保守のためなのだ。
国民たちからは当然この不正に反対する声が上がる。しかし、忌蔵制度の廃止の要望は、干戈の人権を考慮する声によって守られ、二分していた。
情状酌量。これが適応される干戈がある。
例えば、通り魔の襲撃に抵抗した結果、恐怖心による過剰防衛によって殺してしまった場合。
例えば、継父によって虐待されている我が子を守るために、咄嗟に殺してしまった場合。
これらが情状酌量により、即刻の処刑を免れているケースだ。社会奉仕活動及び刑罰として、職務義務と期間を与えられる。忌蔵は、そのための契約者が表れるまでの一時的な牢獄の役割でもあった。
自己や他者を守らざるを得ない状況により殺人を犯した被害者でもある魂の末路が、輪廻転生も叶わぬ消滅など、あまりにも惨い。哀れみの心を持って、人々は第二の死までの猶予を与えた。与える価値のある命だった。
――だが、瑞里は。
「……あの子は、世間にとって……退獄界にとって、罪人になっちゃうのかな。理不尽な理由で、そうなっちゃったとしても。でも、……確実に、君にとっての罪人にはなってしまった」
「オレにとっての罪人?」
うん、と言いながら頷いた。「どういうことだ」と答えを急かす秀作の言葉を、孝里は素早く遮って声を重ねた。
「日澄よすがの干戈だったんだ」
「――」
秀作の鋭い目が大きく見開かれた。瞳孔が小刻みに揺れはじめる。
「七年前の令架地獄顕現災害で、瑞里は日澄よすがの襲撃を受けた。最初、僕は眠っていて気付かなかった。怒鳴り声がして、やっと起きたんだ。それで目を開いたら、家が壊れてて、地獄の空が見えて。瑞里は首を絞められてて……それで、それで――」
バチ、バチ、バチ。脳裏で記憶が火花と共に連射する。
赤い空が。
黒い雲が。
地獄が顕現していて。
禍身が。
人々が。
悲鳴が、怒号が、絶叫が。
血塗れの父が。
瑞里を縊る父が。
母ではない、見覚えのない太刀を持つ父が。
瑞里が。
干戈として生まれ変わった瑞里が。
日澄よすがを捕えに来た人々を斬って。
斬って。
血が飛沫上がって。
エコバッグが汚れて。
瑞里が、僕を標本の虫のように太刀で突き刺して。
そして彼女の魂は、穢れてしまって。
孝里は言い訳を言い募るように、早口で続けた。
「瑞里は人を斬って、僕を刺したんだ。干戈は、たとえ非同意や未契約だったとしても、持ち主の使用や指令によって殺傷を行った場合、破壊か封印指定を受ける。瑞里はあの日、八歳だった。殺されて、干戈になったんだ。だからきっと、情状酌量措置が取られて破壊はされていない。されてちゃいけないんだ。きっと忌蔵に封印されてるはずで、でも、忌蔵の干戈と契約できるのは退獄師に限定されてる……だから僕は」
渇望と憎悪、そして悲哀。普段の穏和でお人好しの孝里からは決して想像できない眼差しを向けられて、それが自分宛ての感情ではないと理解していながらも、秀作は息を呑んだ。肌に微弱な静電気が駆けるような痛みが走る。
「どうしても、瑞里が欲しいんだ。唯一の家族だからっていう理由もある。そして、あの子と一緒に、日澄よすがに復讐するためにも」
親子としての幸福だった記憶は血みどろで見るに堪えなくなってしまった。父への憧れは復讐へと堕落し、退獄師になりたいという将来の夢は義務や責務として背中に杭のように突き刺さっている。みっちりと隙間なく突き刺さっているものの、血が溢れて止まらない。血を踏み締めて歩く道には、赤い足跡を残していく。それでも仕方ない、構わない、もうどうにもならない。
自分の人生を見限らねばならないのはみじめだが、今なお、当時の地獄顕現災害の二次災害は続いている。解き放たれた禍身からの殺傷被害や行方不明者数は深刻で、狩っても狩ってもキリがない。しかし人的被害には収まらず、戦闘による周辺環境の損壊への復旧作業、交通規制による大渋滞、広範囲に飛散する破裂した禍身の死骸の清掃作業などが積み重なる。
国内の日澄よすがへの憎悪は増すばかり。七年前、地獄顕現地であった故郷が壊滅し、住民もほとんどが死亡したために、自分と瑞里の存在を知る者はいないだろうと孝里は推測している。知人が生存している場合、孝里と瑞里の存在は白日の下に曝され、瑞里は破壊処刑をするよう国民が訴えかけるだろうし、孝里に至っては嬲り殺しの可能性だってある。だが現時点では、人の態度の変化や不審者の気配など、不穏な予兆はない。
日本は連帯責任社会だ。親が起こしたことの責任を肩代わりするのは、子供の役割であると、誰もが当たり前に思っている。それが責任ということで、義務なのだ。




