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13 あの夏の御神骸。

※グロテスク表現あります。

 安西は氏神によく懐いていたらしい。安西は祖母と母親のみの家庭で育った。祖父も父も生まれた頃にはすでにおらず、氏神のことを祖父のように思っていたのだという。魔法瓶に熱い緑茶とスーパーで買った茶菓子を買って、濡れ縁に腰掛けて、二頭の狛犬と遊び回る子供たちを眺めながら味わうのが楽しみだったそうだ。


 その日も同じように、緑茶と茶菓子を持って神社へと向かった。夏だった。茶菓子はアイス饅頭で、溶けきらないように急いで神社へと走っていた。木々の緑が輝くように鮮やかで、木漏れ日が眩しく、土のにおいを掻き消すような血腥さが鼻腔を犯した。赤い川が階段から流れ落ち、夏の気温と日差しに煮え腐って悪臭を放っていた。


 初めに見つけた死骸は、二頭の狛犬だった。毛皮を剥がされて死んでいた。傷だらけの赤い肉に剥き出しになった白い牙が映えていた。赤い岩が転がっているようだった。


 幼い安西は氏神の姿を探した。吐き気のままに嗚咽しながら周囲を見渡していれば、布に巻かれた木の枝や根のような物体があちこちにばら撒かれているのに気付いた。屋根や木の枝に乗っかっている物を脳内で組み合わせていき、それが氏神の形になって完成した時、警鐘のように鳴き喚く蝉の声が脳を叩いた。蛙の鳴き声のように、その場に嘔吐し、眩暈に抗えずに膝をついた。二番着の子供が絶叫するまで、安西はへたり込んだまま何もできなかったらしい。


 誰かが通報して、鈴ヶ谷の退獄師達が駆けつけてきた。凄惨な現場に絶句し、忍備役たちが狛犬と御神骸の撤去と現場清掃は禍身用の特殊清掃員に任せても良いのかと深刻な顔で話し込んだ。鈴ヶ谷はこの町にとって余所者ばかりで形成された集団だったので、氏神たちがこの町にとってどんな存在かを知らなかったので悲しむことも嘆くこともなく職務を全うし始めた。まだ若かった鈴ヶ谷優作が、安西を抱きしめて視界をそっと隠した。汗のにおいがしたという。人も神も、血の臭いは同じだったという。


 安西はあの日の光景を思い出すとき、まるで静止画が点滅するように頭の中に浮かび上がってくるのだと言っていた。何度も意識が遠のいたのだろう。目を覚ますたびに氏神と狛犬の死骸がそこにある。 持ち去られた狛犬たちの毛皮はどこにあるのか。氏神はなぜ殺されたのか。誰が殺したのか。何もかもが不明のまま、解決もしなかった。神殺しがあったという真実だけが、この町に残り続けている。


 安西が退獄師を目指したのは、その事件がきっかけだった。犯人を見つけ、復讐し、毛皮を取り戻すために。

 

 憧れや正義感だけではなく、悲しみや恨みなどのが将来の夢を定めるきっかけになることがある。秀作と安西はどちらとも、禍身に――地獄に関するもの共に大切なものたちを奪われたという負の遺跡が共鳴し合っている。

 

 この阿蝉山は、二人にとって意志を共有する場所だ。純粋な正の感情で退獄師を目指すことができなかった仲間同士が、過去と未来を慰めるための聖域。尊敬する人と、生意気なクソガキだが心根が優しい少年の大切な場所を、氏神が愛した町人の血で、重ね塗りなんかしたくはない。


「秀作君、僕だよ」


 闇に目を凝らして、拝殿内を見渡す。やはり何も見えなくて、孝里は木刀を持ったまま腕を伸ばした。少し屈んで、闇を手さぐりに歩く。木刀の切っ先が家具に当たってカツンと音を立てた。


 空気はひんやりとしている。昼間の猛暑が嘘のようだ。死の権化の気配が山に蔓延しているからだろうか。


 ギ、と古い床が軋む音がして、何かが床を擦ったのが、足の裏から微々たる振動として伝わってきた。孝里は闇に紛れる第二者が後退りしたのだと直感する。


「……秀作君?」

「……」

「……秀作君、だよね?」

「……」


 その人物は何の返答も返さないが、それによって秀作だと確信した。彼は気まずいと思ったり、申し訳ないと自責や悔悟の念を抱くと、こうして黙り込んでしまう。傍からばいじけているようにも見える。秀作があの言葉を気にしているのはわかりきっていた。言ってしまって後悔している。そして無様に逃げ出した結果、禍身が出没したこの阿蝉山から身動きができなくなり、それが今度は自己嫌悪を漲らせている。


 孝里は膝立ちになって、秀作に手を伸ばしたが、巧いこと避けられる。秀作の目は闇に慣れて、孝里の挙動のひとつひとつがよく見えているのだろう。孝里の目も少しずつ冴えてきた。しかし薄い輪郭がぼんやりとわかるくらいで、彼が今どんな表情をしているのか、ましてや怪我の有無を確認することができない。


 秀作がまた動いた。距離を取られている。孝里は膝立ちになって迫ったが遠く、四つん這いで逃げる秀作を追いかけて行く。狭い拝殿内は、すぐに果てへと到着する。秀作は部屋の角まで追い詰められてしまった。孝里は秀作の前に塞がって、じっと目を凝らす。


 目が、合った。と、秀作も感じたのだろう。俯いて逸らされる。


「大丈夫だった? 怪我はしてない?」

「……何でここにいる」


 まだ怒りのこもる声。孝里に対してか、それとも自分に対してかはわからない。


「君のことが心配だったからに決まってるじゃないか。町の方で禍身が出たんだ。しかも六体。家に電話したら、まだ戻ってないって聞いてね。絶対にここだって思ったんだ」

「放っておけばよかったじゃねえかよ」

「放っておく? どうして? 君を放っておく理由が、僕には無いよ」


 バシッと音が上がって、左の二の腕に痛みが走った。それはじんわりと熱を持って広がる。平手で叩かれたのだ。


「オレはテメエの、その善人ぶった態度が気に食わねえ!」


 両肩を突き飛ばされて尻もちをついた。がらんと木刀が床とぶつかり、掌が圧迫されて痛んだ。


「秀作君」

「何言われても、何されても笑って受け流すことが美徳だとでも思ってんのか!?」

「そんなこと思ってないよ」


 だが、美徳とは思ってはいないが、そうすることで平穏に事が解決するのならと、自分の痛みを諦めている自分がいる自覚があり、図星を付かれた心地になった。


「じゃあキレるくらいしろよ! 理不尽だろって、意地悪だろって! 明らかにオレが悪かったのに、何でテメエは謝った!?」

「……ごめん」

「だから謝ってんじゃねえよ!」


 秀作はそうがなり立てるものの、孝里には謝罪の言葉しか浮かんでこない。だって自分の存在がこの子を傷付けてしまったのだから、と。《《秀作が自分に行う言動のすべては正当で、傷付く権利はない》》と本気で思っているから。


 打ち付けた尻よりも、押された肩よりも、鈍い痛みを主張するのは心だった。


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