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11 その禍身、人型たる罪過。


(ひ、人型だ……ッ!) 


 禍身は裸体。痩せぎすで背は低く、三つの関節がある腕は蛇のように長くて引き摺っている。掌の行方は落ち葉や茂みに隠れて見えない。異様に肥大化した頭が、まだ首の座らない赤ん坊のように不安定に揺れている。左右前後にこねくり回されるかのような頭は周囲の木の幹に衝突し、幹を揺らして葉を慣らしていた。


 ごつ、ざわざわ……ごつ、ざわざわ……。毛髪が枝に絡んで引き千切れていく。孝里は戦慄したまま動けなかった。人型の異形の姿による外見的恐怖心がそうさせるのも理由ではある。しかし、ただ見た目だけが恐ろしいのではない。あの禍身が人型たる由縁が、恐ろしいのだ。

 

 孝里は、その禍身が生前犯した罪を悟った――強姦、もしくは殺人である。


 人型の禍身は、生前殺人を犯した者が成る姿だ。獣や虫、魚型の禍身の罪状は軽いわけでないが、しかし強姦と殺人はやはり、それらとは一線を画している。退獄機関が介入している現代の司法において、殺人・強姦は干戈を用いた処刑に処される。それは死後、地獄に堕ちて干戈になり、再び現世で悪事を重ねることができないようにするためだ。だが、あの禍身が現世に存在しているということはつまり、刑事司法から逃れ、干戈による魂の破壊を免れたということ。


(きっと、自殺したんだ)


 事件現場において、被害者の遺体の傍に加害者の死骸が転がっていることは、よくある。干戈によって魂の破壊から逃れるためだ。発見された頃にはすでに、被害者は天に昇り、加害者の魂は地獄に堕ちている。そうなれば、被害者が生前に干戈転生願書に署名していたとしても干戈として転生させることは不可能だし、加害者の魂を追って八つ裂きにすることも同様に不可能。加害者からすれば、勝ち逃げも同然だろう。醜悪で、卑怯。生前も死後も、人々を不快にしかさせない。


「 どこかなっ? どこかなっ? 」


 禍身は機嫌よく言葉尻を跳ねさせながら何かを探している。孝里はスマホ画面の明かりを最低限まで暗くし、安西にメールを宛てた。「しゅうさく あぜみやま まがつみ」と主要なワードのみの簡潔な文章。送信して、息を潜めた。


 一刻も早く、秀作を見つけて避難しなければならない。孝里は後退しながら静寂を保った――地面から突き出た石に躓いてたたらを踏んでしまうまでは。踏んだ声だが折れ、足の裏が地面を踏み鳴らす。よろめいてぶれた視界を体勢を立て直すことで正常化させたが、それは最悪の事態を目視させることとなってしまった。


 禍身はすでに振り返って、孝里を見ていた。懐中電灯代わりのスマホのライトが、禍身の顔に当たって全貌を露わにしている。中年くらいの男の顔で、目と鼻は頭部と同様に巨大だった。だが口に関しては、普通の人間のサイズだ。アンバランスな造形。生々しく艶めく目に、孝里は呆然とした自分の姿が写っているのが見えた。


「 あぁああぁぁああぁ~~~~~っ 」


 まるで、かくれんぼで鬼が獲物を見つけたかのような天真爛漫で無邪気な歓声を上げて、禍身は突進してきた。頭部に引っかかった枝葉がしなって音を鳴らす。柔い地面は禍身の足音に揺れて、孝里の焦燥を急き立てた。深く濃い木陰がら生白い星のような物が飛び出して来る――それが、今まで隠れていて確認できなかった禍身の掌だと気付いた時には、すでに眼前にまで迫っていた。


 中指の腹が孝里の額に触れた――鷲掴もうとしたのかもしれない。視界はもう闇しか見えていなかった。だが、孝里の身体も咄嗟に動いていた。木刀上に突き出すと、柄頭が禍身の手首に触れる。その瞬間、赤い雷が花のようにバチバチッと音を立てながら鮮烈に開いた。


「 あぎっ! 」


 禍身の手首は爆ぜ、露出した骨に肉が食べ残しのように残留しているのが見えた。傷口から、溶岩のように粘り気のある血がドロリドロリと垂れ落ちていく。木刀に貼られた特攻符の一枚が、端から火の色が縁取るように内側へと侵食していき、やがて焦げたように黒ずんだ。効果を発揮して消費されたのだ。


「 あぁああぁあ……ッ いだいぃ、うわぁ……いだいよぉ……?」


 禍身は喚くが、すでに再生が始まり始めている。肉がミミズのように伸びて骨を這い、対面から伸びてきた肉と絡み合って癒着していく。


(い、今のうちに!)


 禍身は、自分の再生が面白いのか夢中になっている。孝里は立ち上がった。障害物となる物が撤去されている参道を馬鹿正直にまっすぐ進めば追い付かれる。そこまで速度があるわけではないが、長い腕が脅威となる。


(山の中を進めば!)


 真っ向勝負なんて命知らずな無謀は考えない。干戈以外で立ち向かうことへの危険性は重々理解している。特攻符は傷を負わせることができるだけの、避難や逃走の時間を稼ぐための使い捨ての道具に過ぎない。たとえ短刀に貼り付けて心臓を一突きにできても、討伐への有効手段には成り得ないのだ。遁走こそが最大の防御。林立する木々が禍身の巨大な頭と腕を妨害してくれるはずだ。


 孝里は正規ルートである参道から外れて足を埋めるほどに柔い腐葉土の上を駆けた。急勾配を飛び降りて、獣道を往く。


 いつの間にかサイレンは止んでいた。未だに女声のアナウンスは鳴り続いていたが、その内容は警告とは別で、戦闘終了による平和の再来と、帰宅し日常の再会を促す内容だった。


『 ――町内に出没した禍身は 討伐 されました。―― 』


 年季の入った拡声装置からのハウリングが山の中を木霊する。まだだ、まだ禍身はいる。この山に。人型の――人食いの殺人鬼がここにいる。


 安西は気付いてくれただろうか。すでに向かってくれているだろうか。期待を抱けばすぐに不安へと反転していく。


「秀作君、無事でいてくれ……ッ!」


 ひとりの少年の焦燥に気付くこともなく、一足先に平穏に戻った町が、夜に沈んだ。

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