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9 武器庫


 (――阿蝉あぜみ山だ)


 それは、孝里の中で絶対的な確信だった。窓から身を乗り出して、左側へと捻る。禍身の出現場所とは正反対の方向に、一粒の明かりも灯さない山影がそびええている。当然、山の中に何があるのか見えるわけではない。だが、秀作は確実に、阿蝉山にいる。


(きっと、あの寺に向かったんだ)


 思い当たる場所といえば、そこしかない。むしろ、そこ以外にない。孝里はキースペースから鍵を取り、事務室を飛び出すと廊下を駆けた。後ろから、日華が慌てて追いかけてくる。だが、速度は遅い。豹変したかのような孝里の不可解な行動に目を丸くしている。


「お兄ちゃん!? 何してるの!?」


 階段を二段飛ばしで駆け下りていく。日華は追い付けないと悟ると、上階から声を張り上げて問いかけてきた。孝里も声量を強めて返答する。


「秀作君を探しに行ってくる!」

「お父さんがここにいなさいって……」

「うん。でも、他に禍身がいるかもしれない」

「だからこそ言われたんだよ!」


 安西が鈴ヶ谷の事務所で待てと言ったのは、町を襲撃している六体の禍身の他にも、別の禍身がいるかもしれないと危惧したからだ。そのことは、孝里も充分に理解している。普段であれば、従順に指示を遂行するものの、今回ばかりは背く決意をした。


 秀作が阿蝉山に向かったのは、自分のせいだ。孝里は自分を恨んでいる。


「秀作君、僕のせいで家に帰らなかったんだ。僕が……傷付けちゃったから」


 強気で生意気で粗暴な退獄師志望の秀作であっても、まだ子供だ。深まっていく夜の気配と、不気味に鳴り響くサイレン、感情の無いアナウンスと、爆発音。まだ小学六年生という子供の心には、巨大な不安となって重く圧し掛かるはずだ。阿蝉山には住宅はない。あるのは、朽ちた廃寺だけ。だが、その廃寺は秀作がこの町の住民の中でも最も大切にしている場所だった。


 孝里は施錠された一室のドアを解錠し、中に入った。窓のない部屋の中は真っ暗で、廊下から差し込む電照の光が、孝里の影を濃く床に伸ばした。壁に手を伸ばし手探りでスイッチを探ると、片切スイッチの感触が三つ並びにあったのですべて押した。


 天井の証明が付き、部屋の内部が照らされる。――そこには、刀剣、そして銃火器など、数は少ないものの武器が保管してあった。鈴ヶ谷の武器庫である。干戈ではないので、人の魂から成った物ではなく、ごく一般的な、けれども一般的には流通していない武器である。空いたスペースがあるのは、今日巡回中だった退獄師たちが装備しているからだ。


 どの武器も、干戈を喪った場合の対禍身戦を想定して保管されているものだが、真剣や銃弾であっても、一時の行動妨害を与えられても有効的な殺傷にまでは与えることができない。小型の禍身であれば立ち向かえるかもしれないが、死なないのであれば無効と同然である。なので、主要で使用される目的は――致命傷を負った者にトドメをさすことだ。


 しかし、ただ殺すのではない。禍身によって殺害された者の魂は完全に破壊される。つまりそれは、魂の完全なる消滅を意味する。そうなれば輪廻転生は叶わず、その者は完全に世から失われてしまう。そうならないように、魂が、まだ残っているうちに、無垢の刃でトドメをさすのだ。そして――


 孝里は短刀を一振り保管棚から取り、壁際の机の引き出しを引いて、中から札を一枚取り出した。文字のようで落書きのような、梵字でも漢字でもアルファベットでもない不思議なモノが墨で書かれた御札だ。


 魂縛符こんばくふと呼ばれる、この世に魂を留めるための御札だ。これに、肉体が死亡してしまった者の魂を封じ、後に干戈として転生させることができるようになる。


 もしも、秀作が死にかけていたら。と、不穏で不謹慎な想定を見越し、これらを装備しておくことにする。


 最後に必要な物を取りに部屋の奥に進むと、壁に横向きに掛けられている鞘袋を下ろした。房紐を解いて口を開くと、中身を取り出した。それは木刀だったが、これにもまた、魂縛符のように不思議なモノが書かれた御札が三枚貼ってあった。書かれているモノは魂縛符とは異なっており、これがまた別の効果をもたらす道具だとわかる。


 特攻符とっこうふだ。禍身に比較的有効的なダメージを与える効果がある。しかし、《《比較的》》と弱気な補足があるように、その効果はせいぜい数秒間の足止めを可能にできる程度の威力しかない。一撃に一枚を消費し、大型犬や小さな子供ほどの大きさならば体の一部を損傷させて、逃走に有用なくらいの時間は稼げるだろう。しかし逆に、禍身の体格が巨大であるほど効果は低い。一度にすべての札を消費するか、一枚ずつ消費するかは、使用者の無声言霊によって変わる。使い勝手は微妙だ。


 だが、孝里にとっては、これが最大の武器になる。


 バタバタと運動音痴を察せられる遅い足音が近付いてくる。日華だ。


「お兄ちゃん! 社長おじいちゃんの許可がないと……」

「うん。でも、社長は今いないから」


 通常、退獄師と忍備役以外がこの武器庫に備えられている道具を使用する際は、社長である鈴ヶ谷優作(ゆうさく)の許可が必要となる。しかし、彼は現在、年に数回、禍狩主催で不定期に開催される全国退獄組織長総会に出席しているため不在だ。会社や機関の規模がどれほどのものでも、参加は義務化されている。本人は震えるほど参加を拒否したがっていたのだが、秘書と干戈に連れられて行った。「怖いなあ……あの御方は今回いらっしゃるのだろうか……お優しいからいらっしゃって欲しいけど、来ないで欲しい気持ちもあるなあ……お土産買ってくるからねえ……」とぼやきながら車に押し込められている姿を思い出す。


 とにかく、優作はまだ帰って来ない。不在の間に大事な孫息子が死んでいたなど、そんな結果にはさせない。


「お叱りは受けるよ。殴られたっていい」

「……」


 日華は、母親似の目で孝里を見上げている。孝里の決意の真偽を探るかのように。ここで、少しでも迷う素振りを見せれば、彼女は食い下がってはくれない。日華だって秀作のことが心配でたまらない。本当は、自分だって探しに行きたいくらいに。だが同様に、孝里のことだって心配なのだ。


「絶対に、秀作君と一緒に帰って来るよ。余裕があったら、コンビニでプリンも買って来るから」


 孝里は腰を曲げて微笑んだ。


「……何それ」


 日華も少し笑顔を見せた――すぐ、不安に掻き消されたが。


 陽は沈みかけている。あと一時間もすれば、夜闇が覆うだろう。そうなれば、危険性は急上昇する。鈴ヶ谷から阿蝉山の麓までは、自転車を飛ばしても十五分ほどかかる。それから表参道から山を登って本堂に着くまでが二十分。走ればまだ縮まるだろうが、それでも時間がかかってしまうのがもどかしい。


(それでも、最善を尽くす)


 孝里は決意をあらたにし、日華の頭に手を乗せた。


「阿蝉山の廃寺があるのはわかるよね?」

「う、うん。三年生くらいまで、秀ちゃんと何回か遊びに行ったことがあるよ」


 なら、もう三年ほどは遊びに通っていないのか。


「秀作君は、そこにいる。あの子は、何か悲しいことや嫌なことがあると、いつもあそこに隠れるんだ。今日もきっといるはず。だから、迎えに行ってくるね」

「……あのね、お兄ちゃん。秀ちゃんね、お兄ちゃんが嫌で阿蝉山に行ったわけじゃないよ」

「え?」


 日華は秀作の幼馴染だ。孝里よりもずっと付き合いが長く、そして彼の人柄により詳しい人物である。


「秀ちゃんね、お兄ちゃんに酷いこと言っちゃった自分に怒ってるの。あの悲しそうな顔、見たでしょ?」


 再びリフレインする、秀作の怒鳴り声。


 ――お前なんか来なければよかったんだ!


(……)


 あの時、秀作はショックを受けたような顔していた。だが、その理由は? 心の内を暴露してしまったことか、それとも、自分が孝里を傷付けてしまったことへの自覚と罪悪感からか。


(……結局は、自分が傷付けたことに変わりはないじゃないか)


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 秀作への罪悪感と自己嫌悪がたまらない。孝里はおくびも見せずに、逞しく笑ってみせた。


「大丈夫、わかってるよ」

「絶対、無事に戻って来てね、ふたりでだよ」

「うん。安西さんにメールしておいてもらえる?」

「わかった」

「ありがとう」


 孝里はたちまち屋外へ飛び出し、自前の自転車を跨ぐと、山影がさらに濃くなった阿蝉山へ向けて漕ぎ出した。三度目の爆発音が鳴る。しかし、二度目よりかは遠い響きだった。

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