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8 阿蝉山-3


 秀作の中でトラウマとして刻み付けられてしまったその出来事は、秀作の孝里に対する言動の悪化を訝しんだ日華が、夏休み中の登校日に秀作と距離を取り始めていた当事者たる田島に直接話を訊ねに行ったことによって発覚した。田島が語ったのは退獄師の命を軽んじる発言を省いた自己保身的な経緯だったが、他のクラスメイトたちがやんややんやとしっかり彼の発言の補足をし、全貌が判明。自分の父親の命を軽んじる内容でもあったため、当然日華は激怒した。日華は孝里にも詳細を説明し、最近気が立って荒んだ様子の秀作の異変の経緯を知った。


 なるほど……最近、怪我をして警戒する野良猫感がやけに増してたのはそういうことか。


 人間不信の、手負いの子猫。孝里は、最近の秀作にそんな幻影を重ねて見ていた。しかし、自分だけならばまだしも、幼馴染である日華相手にも毛を逆立てるような態度で接するので、学校で何かあったのだろうということは推察していたのだ。しかし、ここまで秀作の心を傷つけるような内容だったとは。孝里にとって田島という少年は、明るくて活発で何事にも興味を持つ子供という印象だった。それが今回は悪い方へと転じたらしい。普段の言動が顰蹙を集めていたとはいえ、厚意を無碍にされた挙句に知人である退獄師たちを軽んじる、命を懸けて守られる立場の一般市民たちの認識を目の当たりにし、深く落胆したことだろう。


 そして、怪しむようになった。日華と孝里も、内心ではそう思っているのではないかと。


 掠れた吐息を漏らして微笑んだ孝里を、秀作が気色ばんで睨んだ。「社長の孫だからって媚び売ってんのか?」そんなバカげた勘違いへの肯定と嘲笑だと受け取られてはたまらないと、慌てて弁解の言葉を走らせる。


「違う違う、違うよ、違う。君に媚び売るなんて、そんなこと思ってないよ。だって僕が君に媚びを売ってどうなるの?」

「どうにもしねえよ」

「そうでしょ? 社長に媚びを売っても同じことだ。社長は真面目で優しいからこそ、近道をしないし、許さない」

「近道?」


 孝里は頷いた。


阿諛追従あゆついしょうして権利や権力を買い、実力に伴わない力を得ることだよ。そんなものはいずれきっと持て余すし、自分を破滅させることになる。自力で強くならないと、正当な評価に自分を守ってもらえなくなるんだ。退獄師なんて、まさにそれでしょう? 偽りの評価を信用されて宛がわれた任務は、当然実力と伴わない。そうすると、どうなる?」

「等級不一致で死ぬ」

「うん。だけどまあ、媚び売ってズルした退獄師達は権力者に守られるから、実力等級以上の任務は任されないだろうね。僕は、あんまり不誠実なことをしたくないんだ。基本的に、最大限、善良な善人でいたい」

「……ハッ。じゃあお前、自己満足でオレに優しくしてくれてんだな。やっぱり自己犠牲的な偽善野郎じゃねえか。いいか、偽善者は、無条件に優しさを振りまいてるわけじゃない。心の中では、同等以上の何かしらの対価を望んでる。物でも気持ちでもな。控え目に傲慢なんだよ、お前みたいな奴らはな。お前、オレに優しくすることで、オレに何を返して欲しいんだよ」


 秀作の表情は嘲笑に歪んでいるが、気配や言葉に熱が帯びていた。彼は怒りの炎を少しずつ広げ、盛らせていく。孝里は少し、呆れた心地になった。そしてそれは秀作を見つめる眼差しへと露わになった。


「君は、案外メンタルが強くないよね」

「は?」

「外面は強気なんだけど、内面は繊細っていうか、寂しがり屋っていうか……小生意気な可愛げがあるっていうか」

「はあ!?」


 拳を作る秀作の手を掴んだ。何度も悔しさや苦しさ、悲しみや怒りを握り締めてきた、孝里の掌で覆ってしまえるほどに小さな拳。


「まずは、君に媚びを売ることで得られる利益が無いことを、理解してほしいんだ。僕は、他の人の協力を得ながらも、自力で強さや立場を確立させていかないといけないっていう自覚があることもね」

「……」

「それに、これが一番重要なんだけど、僕は……僕と日華ちゃんは別に、何かお返しが欲しいわけでもない」

「じゃあ、何でお前は、何の利益も無いのにオレに関わってくるんだ」


 癇癪の滲んだ声音だった。孝里の手を振り払おうと力が込められている。力の源は怒りと悲しみと苦しさで、孝里も年上としての甲斐性を捨てて必死に力を込めた。


 喧嘩の全貌を日華から聞いた日、「傷付いたね」と言い合った。それは、秀作が受けた善意への中傷と、親や知人の命を蔑ろにされたことも含まれていたが、一番心に突き刺さったのは、秀作が自分たちまでも不信していることだった。


 「私、秀ちゃんの幼馴染なのに!」と日華は目に涙を滲ませながら憤懣した。


 孝里は、寂しくなった。今、ここで、自分が秀作のことを何だと思っているのか、何のつもりで接しているのかを、把握させてやりたいという意欲に満ちた。


「だってさ! だって僕たちっ、友達じゃないか!!」

「ハッ。暴言吐いたり叩いたりする奴が友達だって? お前、ドエム? くそっ、離せやこのクソジジイ!」

「ドエムというわけでもないんだけどっ!  っていうか、自覚あるならもうちょっと僕に優しくしてくれないかなあ!? 親愛が欲しい! 親愛が!」

「親愛とかキッッッッショ」

「そこを何とか! そこを何とかさ! 友達で、同じ志を抱く同志として……ね? ……信用、して欲しい」


 孝里の懇願を最後に、ふたりは月光の明かりの中で見つめ合った。ずいぶんと目が慣れて、霞のような月明りが広がって、互いの顔がやっと見えるようになった。秀作の目は腫れていて、いつもより目付きが鋭くなっている。服は土で汚れているし、半袖の袖に落ち葉がシンボルマークのように引っ掛かっている。


「……信用できねえよ。テメェ、オレに隠し事してんだろ」

「……」


 隠し事。孝里の中で浮かび上がるのは、《《ふたつ》》の内緒だ。


「おっちゃんには打ち明けてんのに、オレには隠してる。テメェこそオレを信用してないのに、何でそうも傲慢なことが言えるんだ?」


 傲慢。さっきも言われた。秀作は言い募る。


「テメェ、不誠実なことはしたくねえって言ったけど、最大限善人でいたいって言ったけど、それってオレ以外に対してか?」

「違う!」

「違わねえよ! 現実! 今! そうだろ!?」


 ついに秀作は右手の自由を得て暴れ出した。腕に向かって拳を何度も振り下ろして殴打するものの、孝里は一層握力を込めて抵抗している。秀作は握り込まれた拳が軋む痛みに、顔を歪めて孝里の手首を掴んだ。さらにその手を孝里に掴まれ、完全に拘束される。


 だが、孝里はすぐに手を放した。具合が悪そうにぐったりと俯く。事実、具合が悪かった。秀作への罪悪感が天元突破していて、頭痛と吐き気で今にも倒れ込みそうだった。目に溜まった涙が眩暈のように視界を揺らめかせる。見えるものはほとんど月光の中に差した自分の影で暗かったが、それでも目が回るようだった。


 ――ひとつだけ。


 決意を灯す。ふたつある秘密のうちの片方を打ち明けよう。そしたら、秀作君は僕のこと、少しは信用してくれるかな。


 友達だから、大事にしたい。同志だから、大事にしたい。小学生の頃の友達は全滅した。中学にも友達はいる。自分が地獄顕現災害の生存者だと知ると「汚染者」と呼んで揶揄ってくる他の学年生や大人から庇い立ってくれる優しい人たち。彼らのことも当然、もちろん、確実に大切だ。だが、最終的な目的が共通である秀作のことは、友達としても、同志としても――被害者としても、突出して大事なのだ。


 嘘で守れるなら隠し通すつもりだった。あざむき続けてでも傷付けたくなかった。だから、安西にひとつの秘密事へ協力してもらったのだ。安西から指導を受ける上で語った退獄師への志望動機。その延長線上で語った、七年前の事件の中で起こったもうひとつの事件。


 秀作の息切れが、やがて落ち着いていく。潜めるような呼吸に変わった時、孝里がおもむろに顔を上げた。


「僕が退獄師を意地でも目指してる理由を教えるよ」

「んなもん知ってる。干戈なった双子とまた一緒に暮らすためだろ」

「うん。それも理由だよ。僕の双子、瑞里って言ってね、今はまだ《《蔵》》にいるんだ」

「しつけえな、知ってんだよ!」

「うん。それで瑞里はね、忍備役では絶対に契約できない干戈なんだ」

「……あ?」

「【忌蔵きぞう】に封印されてるんだよ」


 荒んだ気配が凪いで、困惑へと切り替わった。孝里は自分の動悸が聞こえているのではないかと思うほど、拝殿の中は静寂に包まれる。秀作は孝里の言葉の意味を、自分が知りうる退獄師の知識の中から色々な物を引用して懸命に解そうと思考を働かせていた。しかし、あまりにも高負荷がかかり、息を詰まらせ、吐いてという動作を数回繰り返したのち、


「……は、ぁ、忌蔵? あ? 待てよ……じゃあ、その瑞里って奴……お前の双子……」


 ――罪人なのか?


 と、問いかけられた。


 孝里は少し戸惑った。傍から伝聞を受けただけならば、そう認識されるのが当たり前だ。瑞里が封印――収容とも呼べる待遇を干戈に強いる忌蔵は、罪状ある干戈を集めてある建造物なのだ。


 退獄師と契約を結んでいない干戈は、日本退獄界の王族である統導家が管理し、そして仕える十二の名家が護衛を務める通称【蔵】に封印されている。そしてその蔵は二種類あり、何を基準にして区別されているのかというと、善と悪だった。


 善の蔵は【義蔵ぎぞう】と呼ばれ、生前に罪状の無い一般的な干戈を収容している。通常、退獄師のほとんどはこの義蔵の中の干戈から一名とマッチングし、契約を結んで主従関係となるのが通例だ。安西の干戈である宮地佳奈子ノ太刀も義蔵出身だった。彼女は普通に生きて交通事故で死んだ、何の罪もない、けれども大した善徳もない人間だった。ただ罪を犯していないから善人、それだけで義蔵へと送られて後の相棒を待つ。


 であれば――ということだ。義蔵が大雑把な基準で善人を収容する蔵なら、忌蔵は悪性の干戈を収容する蔵なのである。罪人の全員が、すぐに魂ごと処刑されてしまうわけではないという事実が、この忌蔵の存在によって判明している。制度の廃止や撤廃を求める声が上がるものの、それでも残り続けているのには理由がある。忌蔵にいるのは、血統の権力者の関係者や、情状酌量の余地のある罪人だった。


 殺人や性的暴行を一度犯せば、一般市民ならば確実に干戈になることなく処刑されているが、血に権力が流れているせいで消滅されていない卑怯な魂がある。それは、政界や退獄界の重鎮の血族であることがほとんどだ。建前は情状酌量の余地があるとして収容されている。処刑しないのは、外聞が悪いからだ。血族から死刑囚が出たと認めることになる。それは弱みになり、露見すれば権力が瓦解する危険性があった。すべては保身、保守のためなのだ。


 国民たちからは当然この不正に反対する声が上がる。しかし、忌蔵制度の廃止の要望は、干戈の人権を考慮する声によって守られ、二分していた。


 情状酌量。これが本当の意味で適応される干戈がある。


 例えば、通り魔の襲撃に抵抗した結果殺してしまった場合。


 例えば、継父によって虐待されている我が子を守るために、咄嗟に殺してしまった場合。


 これらが情状酌量により、即刻の処刑を免れているケースだ。社会奉仕活動及び刑罰として、職務義務と期間を与えられる。忌蔵は、そのための契約者が表れるまでの一時的な牢獄の役割でもあった。


 自己や他者を守らざるを得ない状況により殺人を犯した被害者でもある魂の末路が、輪廻転生も叶わぬ消滅など、あまりにも惨い。哀れみの心を持って、人々は第二の死までの猶予を与えた。与える価値のある命だった。


 ――だが、瑞里は。


「……あの子は、世間にとって……退獄界にとって、罪人になっちゃうのかな。理不尽な理由で、そうなっちゃったとしても。でも、……確実に、君にとっての罪人にはなってしまった」

「オレにとっての罪人?」


 うん、と言いながら頷いた。「どういうことだ」と答えを急かす秀作の言葉を、孝里は素早く遮って声を重ねた。


「日澄よすがの干戈だったんだ」

「――」



 秀作の鋭い目が大きく見開かれた。瞳孔が小刻みに揺れはじめる。


「七年前の令架地獄顕現災害で、瑞里は日澄よすがの襲撃を受けた。僕たちは病院にいて、突然爆発が起こった。僕は気を失っていた。怒鳴り声がして、やっと起きたんだ。それで目を開いたら、地獄の空が見えて。倒れる瑞里と日澄よすがの傍に立つ瑞里がいて…それで、それで――」


 バチ、バチ、バチ。脳裏で記憶が火花と共に連射する。

 赤い空が。

 黒い雲が。

 地獄が顕現していて。

 禍身が。

 人々が。

 悲鳴が、怒号が、絶叫が。

 血塗れの父が。

 母ではない、見覚えのない太刀を持つ父が。

 父が僕に怒鳴って命じて、瑞里が。

 干戈として生まれ変わった瑞里が。

 瑞里の身体があって。

 日澄よすがを捕えに来た人々を斬って。

 斬って。

 血が飛沫上がって。

 家族三人の笑顔を描いたエコバッグが汚れて。

 孝里を刺せ、と父が瑞里に命令して。

 瑞里が、僕を標本の虫のように太刀で突き刺して。

 そして彼女の魂は、穢れてしまって。


 孝里は言い訳を言い募るように、早口で続けた。


「瑞里は人を斬って、僕を刺したんだ。干戈は、たとえ非同意や未契約だったとしても、持ち主の使用や指令によって殺傷を行った場合、破壊か封印指定を受ける。瑞里はあの日、八歳だった。殺されて、干戈になったんだ。だからきっと、情状酌量措置が取られて破壊はされていない。されてちゃいけないんだ。きっと忌蔵に封印されてるはずで、でも、忌蔵の干戈と契約できるのは退獄師に限定されてる……だから僕は」


 渇望と憎悪、そして悲哀。普段の穏和でお人好しの孝里からは決して想像できない眼差しを向けられて、それが自分宛ての感情ではないと理解していながらも、秀作は息を呑んだ。初めて。祈瀬孝里を怖いと思った。肌に微弱な静電気が駆けるような痛みが走る。孝里が放つ殺意だ。


「どうしても、瑞里が欲しいんだ。唯一の家族だからっていう理由もある。そして、あの子と一緒に、日澄よすがに復讐するためにも」


 親子としての幸福だった記憶は血みどろで見るに堪えなくなってしまった。父への憧れは復讐へと堕落し、退獄師になりたいという将来の夢は義務や責務として背中に杭のように突き刺さっている。みっちりと隙間なく突き刺さっているものの、血が溢れて止まらない。血を踏み締めて歩く道には、赤い足跡を残していく。それでも仕方ない、構わない、もうどうにもならない。


 自分の人生を見限らねばならないのはみじめだが、今なお、当時の地獄顕現災害の二次災害は続いている。解き放たれた禍身からの殺傷被害や行方不明者数は深刻で、狩っても狩ってもキリがない。しかし人的被害には収まらず、戦闘による周辺環境の損壊への復旧作業、交通規制による大渋滞、広範囲に飛散する破裂した禍身の死骸の清掃作業などが積み重なる。


 国内の日澄よすがへの憎悪は増すばかり。七年前、故郷であり地獄顕現地だった短野県の小さな町が壊滅し、住民もほとんどが死亡したために、自分と瑞里の存在を知る者はいないだろうと孝里は推測している。知人が生存している場合、孝里と瑞里の存在は白日の下に曝され、瑞里は破壊処刑をするよう国民が訴えかけるだろうし、孝里に至っては嬲り殺しの可能性だってある。だが現時点では、人の態度の変化や不審者の気配など、不穏な予兆はない。


 日本は連帯責任社会だ。親が起こしたことの責任を肩代わりするのは、子供の役割であると、誰もが当たり前に思っている。それが責任ということで、義務なのだ。


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