8 唸る町
だからこそ、孝里は瑞里の最大の味方として、一足先に夢を叶えた――叶えざるを得なかった、待ち続ける彼女を迎えに行くのだ。
四か月後の十二月中旬。退獄師養成学校の併願校受験が待ち受けている。その一週間後には、第一志望の受験だ。さらに二か月後の二月に合格発表が行われる。
現在における、第一の目標は「受験合格」。そのために日々、努力を積み重ねている――秀作に邪魔だと怒られてしまうくらいに。再び陰鬱とした気が甦ってきたが、何とか振り払い、今後の計画の見直しを続ける。二校とも県外を選んだ。どちらも名門ではないが、 無名でもない。退獄師養成学校のほとんどは寮生活が義務化されているので、この町を離れるのは確実だし、安西父娘や秀作、鈴ヶ谷の職員たちとも距離ができる。秀作も、自分の存在を気にせず訓練に集中できるだろう。
第二の目標は「干戈契約」。入学して最初に行うことは、禍身などの地獄関連事件・事故・事象に一番密接な関係となって共に立ち向かう干戈を選ぶことだ。つまりは、バディや相棒というものを作ることをいう。退獄師と契約を結んでいない干戈は、日本退獄界の重鎮たる十二の家が管理している蔵に封印されている。孝里はそこへ赴き――瑞里と再会を果たすのだ。
そして、第三の目標は――
疾走する荒い足音がドアの向こうを駆けていく。ただならぬ様子に、孝里も更衣室を飛び出して追走した。忍備役の立松の背中だった。鋭利な物に裂かれたかのような三本線が縦に入り、血が広がって尻まで真っ赤だった。立松は階段を駆け上がり、二階の事務所のドアを転ぶように開くと、目を丸くする同僚たちに向けて怒鳴った。
「おいっ、大変だ! 禍身が出た!」
「はあ!?」
「数は六体。退獄師二名が現在応戦中。すまない、スマホを壊されて。場所は――」
花火のような爆発音がして、窓の外から黒煙が噴き上がった。日華が小さく悲鳴を上げる。周囲からも低い「うおっ」と驚愕の声が跳ねた。爆発地点までの距離は五キロほど先だ。そこはこの過疎化の進む柳谷町でも、比較的車両や通行人の往来が多い場所だったはずだ。おそらく、すでに負傷者もいることだろう。最悪、死者も。
「秀作がちゃんと帰ったか確認取れ! あと警報!」
安西が指示を出すと同時に、事務員ふたりが迅速に行動に移していた。ひとりは自分のスマホの画面を指で打ち、もうひとりは警報装置を起動した。町中の屋外拡声装置が一斉に唸り声のようなサイレンを鳴らした。犬の遠吠えが混じる。
『――柳谷町 緊急警報です。 現在 町内にて 禍身が 出現いたしました。 外出中の方は ただちにシェルターへ避難 または 建物から絶対に 出ないでください。 繰り返します――』
女声で録音されたナレーションが、サイレンと交互に響き渡っていく。退獄師たちが緊張の面持ちで制服を着直していく。鈴ヶ谷の社章を背負った安西が、闘気と正義感に燃ゆる眼差しの宮地に手を差し出すと、彼女は叩くように掴んだ。その瞬間、宮地の全身が赤い煙に包まれた。煙が晴れると、そこには宮地の姿はなく、安西の手には一振りの赤鞘の太刀が握り締められていた。
「安西さん!」
鈴ヶ谷家へ連絡を取っていた事務員は、顔から血の気を引かせていた。悪い予感がする。
「秀作ちゃん、まだ戻ってないって!」
「――っ」
一同が息を呑んだ。
「ここから歩いて十分もかからないだろ!? あいつ、どこに――」
安西の不安を煽るように、再び爆発が起こった。甲高い悲鳴の合唱。距離が、鈴ヶ谷社に近付いている。戦況によっては、戦闘範囲が広がる可能性がある。しかもそれは、人間同士の戦いではなく、化け物と超人的な身体能力を得た退獄師との戦いであるため、拡大のスピードも速くなる。
禍身の数は六体。人間や獣がそういう形成を作るように、元々人間である禍身も集団となって狩りをすることもある。ふたりだけで応戦している退獄師たちが心配になった。安西が苦し気に歯を食いしばっているのが見えた。秀作を探しに行くか、戦場へ赴くかを迷っているのだ。だが、決断は早かった。
「日華、孝里! この戦闘が終わるまで、ここにいろ!」
「で、でも、秀ちゃんは?!」
「先にあっちの禍身を倒さなきゃならん! ……いいか、自分たちで探そうとは考えるな! 孝里、日華を頼んだぞ!」
柳谷町の守護を担う鈴ヶ谷の退獄師たちは、次々と窓から紺色に狭まる夕暮れ空の中へと飛び出して行った。礼儀正しい出入りなどしている状況ではない。非戦闘員である事務員たちは、負傷した立松の簡易的な治療を行っていた。戦闘が展開している今、病院にすら連れて行くこともできない。
「秀ちゃん、そこにいっちゃったの……?」
日華はソファに座り込み、俯いた。煙のにおいがする熱い風が部屋の中に入り込む。警報と悲鳴が、絶え間なく町中に響いている。




