蘇り
深夜。
人のいない山道を歩き、悠は先輩から聞いた地元の神社にたどり着く。
苔むした鳥居、静まり返る社、風もないのに木々がざわめいていた。
「……お願いだ。凪を……返してくれ」
その言葉を呟いた瞬間、境内に不気味な光が灯る。
空気が震える。風もないのに、木々がざわめく。
『代償として、お前の”彼女との記憶”を一つずつ奪う。彼女が一日を生きるたびに、お前の中から一つだけ、彼女に関わる記憶が消えていく』
声が聞こえる
悠の呼吸が止まる。記憶が……消える?
『それでも、願うか?』
迷いはあった。けれど、それ以上に――
「……それでも、会いたい。凪に……もう一度、笑ってほしい」
一瞬、神社全体が音もなく震えた。
その瞬間、悠の視界は白く染まり、世界が一度、終わった気がした。
⸻
眩しい朝日が、カーテンの隙間から差し込む。
聞き慣れたはずの目覚ましの音に、悠は目を覚ました。
「……ん、なんか……頭、重いな」
二日酔いのせいか、それとも――夢のせいか。
昨夜の神社、あの光、あの声。
そして、最期の記憶。
「……凪……?」
呟いた名前に応えるように、キッチンからカチャリと音がした。
悠は顔を上げる。
その瞬間――
「おはよ、悠。朝ごはん、作ってるから」
そこに、確かに凪がいた。
エプロン姿で、いつものように微笑む彼女。
何事もなかったように、「ただいま」と言うように。
「……な、凪……?」
言葉が喉に詰まる。涙が溢れそうになる。
夢だと、そう思いたかった。けど違った。
確かに彼女は、今ここにいる。
「なにどうしたの?」
クスクスと笑う彼女を見て、
泣きそうなのを我慢した。
彼女には昨日のことは言えない
悠は一瞬、フッと冷たい風が吹き抜けたような感覚に襲われた。
神の声が脳裏に蘇る。
“彼女が一日を生きるたびに、お前の中から彼女との記憶が一つずつ消えていく”
「悠?」
凪が不思議そうに首を傾げる。
その仕草に、悠は思わず微笑み返した。
「……なんでもない。おかえり、凪」
彼女は笑って「へんなの、ただいま」と言った。
その笑顔が、悠の中に残っているうちは――
彼は、何度でも、彼女を迎え入れるだろう。
ーーーーーー
「あれ、お前――ちゃんと生きてるじゃん。」
オフィスのパソコンの前で無言を貫いていた悠の背中に、軽快な声が落ちる。
声の主は東雲。紙コップのコーヒーを片手に、にやけた顔で立っていた。
「金曜、あんだけ飲んでたのに。二日酔い、大丈夫だったか?」
その言葉に、悠は手を止め、しばらく黙ったまま画面を見つめた。
ほんの数秒。けれど、永遠のように長く感じる沈黙だった。
「……ああ。」
そう答えた声は、驚くほど乾いていた。
東雲は眉をひそめて悠を覗き込む。
「なにその顔。大丈夫そうに聞こえねぇけど。」
「……凪が、事故に遭ったんです。」
その一言に、東雲は表情を失った。
まるで時間が止まったかのように、空気が凍りつく。
「……え?」
「土曜の朝、買い物に行った先で……即死だったそうです。」
悠は、無表情のまま言葉を紡ぐ。
だけど、手元の震えだけが真実を物語っていた。
「……ごめん……知らなかった。」
「……いいんです。俺、……神社に行ったから。」
「……え?」
東雲が一歩、近づいた。
「……あの夜、先輩が話してた神社……」
「まさか、お前……」
「行きました。……行って、“会わせてください”って願った。そしたら、――叶った。」
東雲が息を呑んだ。
「……凪、今、生きてます。何も知らずに、俺の隣にいてくれてる。」
「……代償は?」
「……俺の記憶です。凪と過ごした思い出が……一日一つ、消えていく。」
静寂。誰も何も言えなかった。
「昨日の凪は、笑ってました。“またどっか行こうね”って言ってた。……でも俺は、その『また』が何のことなのか思い出せないんです。」
「……」
「怖いんですよ、先輩。毎朝、何を忘れたのかもわからないまま目を覚ますんです。」
その言葉に、東雲は初めて、悠の中にある絶望の深さを見たような気がした。
「でも、それでも……俺は、凪に“もう一度会いたかった”んです。」




