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3/3

3.筋トレ

 暗くなってきた時間。


 キャンプ場は元々備え付けてある、いくつもの夜間照明が点灯し、ほんのりいい感じに明るい。周りはお酒を飲んで盛り上がっている大人達や、子供同士で集まって遊んでいたりして賑やかだ。


 私達三人も、だいたいの片付けが終わり外でのんびりと過ごしていた。


「碧、そろそろ温泉に行こうか?」

「温泉、早く行きたい!」


 温泉には日帰りで何回もふたりで行ったことはある。碧は温泉も好きみたいで、温泉に行った日は早く眠ってくれるぐらいにはしゃいでいる。今日は一日中はしゃいでるから、いつもみたいにおしゃべりしないで横になったらすぐに眠ってくれるかな?


「じゃあ、私達温泉に行ってきますね」

「……自分も行こうかな? 温泉は近くにあるけれど、途中暗い道もあるのでふたりの盾になりますね」

「た、盾ですか?」

「あ、護衛の方がいいですかね? 懐中電灯も持っていくので光にもなれます!」


 お兄さんが自信満々に言った。

 お兄さんが護衛に? たくましくて頼りになるお兄さん。


――不安だったキャンプ。だけどお兄さんに色々助けてもらって、お兄さんの存在自体ががエンタメで。私は現在、純粋な気持ちで楽しませてもらっている。


「もう本当に色々とありがとうございます。今テントに戻って温泉に行く準備してきますね」

「はい、自分も準備します」


 お互いにテントへ戻った。


 碧のパジャマと私の寝るとき用に持ってきた部屋着。それとふたりの下着にタオルや歯ブラシ、お湯の中に入る時に髪をお団子にする髪ゴムとか……あと、温泉のあとは完全すっぴんで過ごそうと思ってたけれど、お兄さんいるからちょっと私、乙女モードかな? とりあえず、眉毛とアイライナーだけ描いておこう。 


 必要なものをエコバッグにまとめると、温泉に向かう。


 向かう途中、暗闇の中一列に歩く道があったのだけど、お兄さんは懐中電灯をつけて先頭を歩き、後ろを何回も気にしてくれていた。本物の護衛だと周りが錯覚しそうな程に、お兄さんは護衛のようだった。


 碧と一緒に温泉を堪能した後、和室の休憩室へ行く。髪の毛が半乾きなお兄さんが、座ってスマホを見ていた。入口にある水をコップに入れてから中に入ると、お兄さんが私達の存在に気がついた。いつもと何かが違う、大人びたお兄さんの雰囲気。目が合うと、どきっと私の心臓が大きな音をだす。


「女性のところ、混んでました? こっちは数人しかいませんでした」

「私達のところも空いてました。お湯が何種類かあったから、全部碧と一緒にゆっくりまわれました」

「良かったですね! 碧ちゃん、温泉楽しかった? どのお湯が一番好きだった?」

「露天風呂がお湯の中いっぱい歩けたから楽しかったかな」


 露天風呂は誰も人がいなくて貸切状態だった。大人にとってはそんなに深くは感じないけれど、碧にしたら結構深くて、そして広く感じると思う。歩くだけで楽しくなるの、分かる気がする。


「お兄さんも露天風呂、いっぱい歩いて楽しかった。同じだね!」


 お、お兄さんも!?


「また行きたいな。お兄さんもまた一緒にキャンプと温泉に来ようね!」

「いいよ!」


 いいんですか?


 多分、社交辞令的な返事かな?

 だけど明るくそう返事をしてくれたことが嬉しかった。


 実は私も、今この時だけではなく、またお兄さんと一緒に過ごせたらいいなと思っていた。私の心の声を代わりに届けてくれた碧。よく言ってくれたね! ありがとうありがとう……と、心の中で何度も呟いた。


 話をしながら、三人で何度も微笑みあって――。


お兄さんと出会ったばかりだけど、この風景を周りが見たら、幸せな家族のような感じなのかな?って、なんだか心が弾む。


 少し休憩した後、テントに戻った。


 テント前まで来た時、空を見上げるとひとつひとつの星がはっきりと綺麗に瞬いていた。


「あ、碧、空見て! 星が凄く綺麗だよ」

「わぁ、めっちゃ綺麗!」


 碧は赤ちゃんの頃の夜泣きが凄くて。でもそんな時に外に出て星や月を眺めると、毎回ではないけれど、泣き止む時が結構あった。最近もたまに一緒に星や月を眺める時があって、碧は毎回じっと見つめていた。


「綺麗ですね」と、お兄さんも空を見上げた。


 三人揃って無言で星を見つめていた時「ねぇ、碧ちゃん! あそこに見える星の並び方、紐つかむおじさんに見えない?」とお兄さんが大きめな声で言った。


「どれ? 全然分からない」

「お兄さん、多分へび座とへびつかい座のことですかね?」

「……そうかもです! 碧ちゃん、あそこの星は――」

「どれ?」

「肩車したら見えるかな? 碧ちゃん、おいで?」


 いつの間にか碧とお兄さんの心の距離も縮まっていた。仲良く笑いながら話をしているふたりを見つめると、どうしてだろう、涙が出てきた。ふたりに涙がバレないようにそっと手で目尻を拭った。


 星も見終わり、あっという間に私達の就寝時間になる。お兄さんと過ごせる時間に限りがあることを意識すると、切ない。


「もしもトイレ行くの怖いとか……何かあったらいつでも声をかけてください!」


 お兄さんは、テントの中に戻る時も気にかけてくれた。微笑み合うとテントの中へ。


 碧は寝袋の中に入ると、予想通りにすぐに眠った。

 碧の可愛い寝顔を確認すると、今日一日の幸せを思い出しながら、私も眠りについた。


***


「ねぇ、なんかお兄さんの変な声聞こえない?」


 早朝、碧は寝袋に入ったまま私をとんとんとして、起こしてきた。


「碧、おはよ。変な声?」


 私は座って、外に意識を集中させてみる。「ヴッ」とか「よし」とか、本当にお兄さんの変な声が聞こえてきた。本当にお兄さんの声なのか不安になってきて、何か別の生き物だとかだったら怖い。碧を守れるように「そこから動かないで待っててね」とお願いする。それから数センチだけ入口を開けて微かな隙間から外を覗いてみた。


 見える範囲内には誰も何もいない。

 

 テントの入口をそっと開け、顔を出して外を見ると……いた!


 朝日を浴びながら草むらの上で腕立て伏せをするお兄さんが! 目が合うと、真剣な表情だったお兄さんの表情は一瞬で柔らかくなり、笑顔になった。


 朝日を背景に優しく微笑むお兄さん。

 お兄さんは休むことなく、腕立て伏せを続けている。お兄さんのリアルな筋トレ風景と爽やかな笑顔のダブルパンチ。


 私の胸の鼓動は早くなる――。


 まだ寝起きでぼやけた脳内にはその光景は眩しすぎる。そして私は今、完全に化粧してなくてすっぴん。


 慌てて顔をテントの中に戻すと、入口を封鎖した。


「ママ、どうしたの? 大丈夫?」

「いた、お兄さんが……」

「いたの? 外に出たい!」

「まって、やばい。私まだ化粧してないし、お兄さんにすっぴん見られたら、恥ずかしい。それに今、お兄さん、撮影中かも。落ち着いて?」


 落ち着いた方が良いのは私の方だろう。

 というか、もうすでに今、顔をはっきりと見られてしまった気がするけども……。


 とりあえず、ウエットティッシュで顔を拭き、メイクを始めた。


 ちょうどメイクが終わったタイミングでテント越しから「もう撮影終わったので大丈夫です!」と声がした。


 またふたりの会話が丸聞こえだったのかな、恥ずかしい。そんな気持ちを噛みしめながら、着替えた。


 外に出るとお兄さんは両手を上にあげ、スクワットをしていた。


「お兄さん、おはよ!」

「碧ちゃん、おはよう!」


 碧は満面の笑みを浮かべ、明るい声で挨拶をした。そしてお兄さんの横に並んで、動きを真似する。並んで筋トレをしている姿は、眺めているだけで癒される。


 眺めていると、まさかのダンスを踊り出した。碧が幼き頃、テレビ越しに観ていた、あの、毎日子供番組で踊っていたダンス。


 お兄さんと碧がこのダンスを並んで踊っている。その光景を観覧できるなんて、あの頃は全く想像できなかった。私はふたりを客席でそっと見守る気持ちになりながら、凝視した。


 しばらくすると、筋トレやダンスに飽きたっぽい碧が私の隣に来る。


「ママ、お腹空いた」

「そういえば、まだ食べてなかったね。朝ご飯、食べよ!」


 お兄さんの動きが止まり「あの……」と、あらたまった様子で話しかけてきた。私はお兄さんを見つめ、続く言葉を待つ。


「朝ご飯、何の予定でしたか?」

「パンを食べようかと」

「消費期限いつまでですか?」


 パンの袋を見て確認してみる。


「明後日まで大丈夫です」

「もしよければ、これからインスタントラーメンをカセットコンロと鍋で作るので、一緒にどうですか?」

「ラーメン食べたい!」


 私よりも先に碧が返事をした。


「じゃあ、お願いします」


 更にお兄さんからしてもらったことが積み重なっていく。ありがたい気持ちと、なんだか申し訳ない気持ちも。


「コーヒーも飲みます?」

「あ、はい。ありがとうございます」


 お兄さんはテキパキと朝ご飯の準備を始めた。


 朝ご飯が終わって少し経てば、もう帰る時間。

 お兄さんと離れる時間――。


 私はそっと、小さくため息をついた。

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