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2.出逢いと焼肉

「だいち……」


 自分の口から、自分の声とは思えない風切音のような声が出た。


 だって、今、目の前にいるのは――。


「そうです、大地です。知っていてくださって嬉しいです」


 笑いながら彼は言った。


「あ、あの、いきなりこの世の者とは思えない声で、呼びすてしてしまってごめんなさい」

「いえいえ、大丈夫です。それよりも、テント、大丈夫ですか? 良ければお手伝いさせてください」

「……ありがとうございます」


 明るくはきはきと、爽やかな口調で話す彼の名前は、加賀谷大地さん。年齢三十二歳で私より三歳若い、元子供番組の体操のお兄さん。碧が生まれてから数年、彼の体操する姿をほぼ毎日見ていた。どこからともなく湧き続けてくる心の孤独を感じていた産後の時期に、お兄さんの洗練されていてキレのある体操と、あどけなくて天然な言動のギャップに、癒される毎日だった。


 お兄さんはテキパキとテントを立て始めた。


「碧、体操のお兄さんだよ」

「うん、知ってるよ。こないだ筋肉番組でお兄さん走ってる時に、ママが格好良いって何回も言ってたお兄さんでしょ?」


 この会話は、テントを立てている最中のお兄さんに多分丸聞こえな予感がして恥ずかしくなる。お兄さんは気付かないふりをしてくれているのかな? 黙々と作業を続けている。


――テレビの中のお姿と変わらずに、いや、それ以上に格好良い。


 私はずっと彼に見とれていた。

 するとお兄さんが釘をカンカン打ち出した。


「あっ、そっか。テントを地面に固定するための釘を打つ、トンカチのようなものも必要だったんだ……」と呟くと「そうですね」と、お兄さんは微笑みながら返事をしてくれた。碧との会話よりも小さな声だったのに返事を……ということは、さっきの会話もやはり、聞こえてしまっていた?


 でも、格好良いのは真実で――。


 そう考えているうちに、テントはあっという間に完成した。


「ありがとうございます。本当に助かりました」

「いえいえ、自分は隣で過ごしてるんで、よろしくお願いします。そして何か困ったことがあれば、いつでも言ってください。キャンプは慣れているので!」


 キャンプは慣れてるって、沢山キャンプをしているのかな? お兄さんはアウトドアがとても似合うイメージだから、毎日キャンプしてるのとか想像できちゃう。


「分かりました。ありがとうございます。そしてこちらこそ、隣、よろしくお願いします!」


 私がお礼を言うと、すっとお兄さんはしゃがみ、立っている碧と同じ高さになって視線を合わせた。


「お兄さん、隣にいるから、よろしくね!」


 続けて碧にも話しかけるお兄さん。

 碧はにこっとして静かに頷いた。


 テレビの時と変わらない優しさ――。


「碧、荷物取りに行こうか?」


 今持ってきた、ふたつの寝袋と買い物袋をテントの中に入れて、テントの入口のファスナーの持ち手ふたつをダイヤル式のワイヤーロックで一緒に止め、テントが開かないようにすると、碧と一緒に車に向かう。


 なんとなく振り向くと、お兄さんも付いて来ていて、目が合った。


「あっ、自分も車に用事があって」

「そうなんですね」


 微笑み合うとお互いに自分の車の元へ。

 ボストンバックの肩紐を肩にかけ、重たいから更に両手で持ち、テントを立てた場所に戻ろうとした。ほんの少し歩いたところにお兄さんがいて「荷物を持ちますよ」と言い、持ってくれた。


 軽々と片手でバックを担ぐお兄さん。お兄さんは今、白い半袖Tシャツを着ていて、ふと、袖からはみ出る腕の筋肉が気になった。とにかくモリモリしていてすごい。


 ちょっと触れてみたくなる筋肉。

 

――本人を目の前に、触れたいだなんて。私ったら何を考えているの?


 お兄さんは、荷物をテントの中まで運んでくれた。


 再びお兄さんにお礼を言うと、テントの中に碧と入る。丸まって収納されていた寝袋をふたつ広げてその上に座り、荷物の整理をする。


 まだ暑い時間帯だったから入口を開けていると、お兄さんが「夜ご飯はお決まりですよね?」と、覗き込んできた。


「はい、さっきスーパーで買ってきたお弁当を食べる予定です」

「あの、良ければ、これから肉を焼くんで、それも食べます? 祖母の家から送られてきた、美味しい肉なんですよ。椅子も余分に持ってきているので良かったらこっちに。いや、なんか自分、ナンパ師みたいな感じっすね。すみません、お邪魔ですよね……」


 お兄さんからの突然のお誘いに動揺していると「食べたい……」と碧が呟いた。


「ナンパ師だなんて、全く思わないですし。碧も焼肉を食べたそうにしているので、とてもありがたいです。でも、お兄さんの分、足りなくなりませんか?」と質問すると「問題ありません!」って答えてくれた。


「じゃあ、お言葉に甘えて少しだけお肉をいただきます」

「今から火をおこして焼くんで、焼けるまで休んでいてください」

「ありがとうございます」


 まさかのお兄さんが焼いた肉を食す。奇跡という言葉が頭の中心部に宿る。


 そもそも焼肉だけではなく、テントが隣同士なこと自体が奇跡。碧も楽しそうだし、本当に来てよかった――。


 手伝いたい気持ちもあったけれど、足でまといになりそうな予感しかしなくて、素直にしたがった。


――お兄さんって、体操のお兄さんを辞めてからは、何をしているんだろう。テレビではたまに見かけるけども。


 お兄さん情報を細かく知りたい。


 お兄さんが私たちのテントから離れて肉を焼くための準備を始める。そっとお兄さんにはバレないように、碧と一緒にスマホでお兄さんのブログやSNSのチェックを始めた。ちなみに最近は、筋肉番組で年齢と、プロテインはソイ派な情報は得ていた。


 ネットの情報収集により、得られた情報はいくつかあった。番組や舞台に出演する仕事を今はしているということ。そして卵焼きが好き。


 あとは、全国のキャンプ場を巡り、筋トレ動画を撮るのが趣味らしい。それを日々ブログとSNSにアップしていた。


「今日も筋トレするのかな? リアルで見たいかも」

「ママ、見たいの?」

「見たいけど、でも多分、私達が見ていたら、お兄さん筋トレやりづらいよね……」

「じゃあ、こそっと見てみる?」


 碧は楽しそうに、ニヤッと悪巧みな表情を見せてきた。

 邪悪なる表情をする碧も可愛いと思う。


「こそっとじゃなくて『見せてください!』って直接言おうかな」


 そんなこんなでこっそり盛り上がっていると、肉の焼ける香りがしてきた。


「そろそろテントから出ようか?」


 何かこっちからも渡せないかな?と考えながら、今日スーパーで買ったものが全て入っている袋ごと持って、外に出る。


「あ、ちょうど良いタイミング! もう食べられますよ」


 お兄さんは肉を焼く姿も爽やかだった。


 脚が長いバーベキューコンロの上に乗っている焼き網。そこには炭火で焼かれていて美味しそうな肉達が無造作に置かれている。


「肉だ! やった!」


 碧は焼肉を見て飛び跳ねた。


 お弁当と小さなペットボトルのお茶をふたつずつ袋から出すと、用意してくれた椅子にそれぞれ座った。その時、私はお弁当に卵焼きが入っていることに気がついた。


「あの、お兄さん、卵焼き食べます?」


 お兄さんは私のお弁当の卵焼きをチラ見する。


「いや、でも……いいんですか?」


 断られるかなと思いきや、卵焼きを受け取ってくれることになった。


「まだ私の割り箸、口つけてないのでこれ使ってお兄さんのお皿に乗せますね」

「ありがとうございます。実は卵焼き大好きで――」


 知ってます!と心の中で叫びながら私は立ち上がり、お兄さんのお皿に卵焼きを入れた。


「私のもいる?」

「いや、いいよ! 碧ちゃんには沢山食べて大きくなってほしいから、碧ちゃんが食べて?」

「うん、分かった! 私も卵焼き好きなんだよね」


 碧が聞くと、お兄さんは優しく断っていた。碧も卵焼きが好きなのにお兄さんにあげようとして優しい。


「碧、それ食べきれる?」

「多いかな?」


 お弁当を選ぶ時「ママとお揃いがいい」と言って、碧は私と同じ卵焼きやウインナー、そして漬物と鯖の入ったお弁当を選んだ。残したら私が食べようと思っていたけど肉もあるし、食べられないかも。


「もし食べきれなさそうだったら、その分自分のお皿に乗せてくれれば、何でも食べます」

「私も碧のまでは食べきれなさそうなので、ありがたいです! 碧、お米半分ぐらいお兄さんにあげたら、あとは食べれそう?」

「うん。食べれるよ」


 お兄さんのお皿に、碧のお弁当のお米を半分乗せた。


「お兄さん、無理して食べなくても大丈夫なので」

「無理はしないですよ。食べ物は全部、自分の筋肉になる予定なので」


 そう言いながらお兄さんは腕を曲げてムキムキポーズのサービスショットを見せてくれた。


 お兄さんからふたり分の紙皿を受け取ると、椅子に再び座る。


「そういえば、肉の中で苦手なのとかあります?」

「いいえ、ふたりともないです」

「良かった! じゃあ、お皿の上に豚と牛、両方乗っけますね」

「ありがとうございます」


 お兄さんはトングで肉を掴むと私達のお皿の上に肉を乗せてくれた。


「美味しい」と、肉を口にした碧は満足している様子。私も一口、食べてみる。


「美味しいです! 外で焼肉なんて久しぶりすぎて……こういうのも、良いですね!」

「ありがたい反応を……誘って良かった!」


 和気あいあいとした雰囲気で、私達はご飯タイムを過ごした。

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