芦屋翔と藤田香里
芦屋乃彩27歳、覆面作家。
「芥川賞受賞を果たした覆面作家、月海彩つきうみあやという肩書きがありながらも、大阪市梅田ファッションビルLUCUAの9Fブック&カフェに併設されているスターバックス蔦屋書店でアルバイトをしながら、平凡な日常を過ごす趣味のない独身」
芦屋翔21歳、大学3年生。
「最近、箕面市の実家が無くなり両親は海外旅行へ旅立つ。今年の秋から、新大阪駅付近に姉が購入した2LDKの分譲マンションへ居候することになったゲーム、漫画、アニメが好きな大学生」
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11月15日の金曜日。22時に姉が帰宅した。
「ただいま」
「お邪魔しますー」
「おかえりーって、香里さんやーん」
「翔君久しぶりやなぁ、乃彩がどうしても帰らんといてーって言うから泊まりに来たんよ」
「姉ちゃん香里さんのこと好きやもんなー」
「言うてへん。先お風呂入るわ」
「お湯溜めてるよ」
「頼んでへんのに」
「帰り遅いからお疲れかなー思って」
「相変わらず出来る弟やなぁ。うちの召使にならへん?」
「香里さんになら顎で使われても良いです」
「適当におもてなししてあげて、ほなお先に」
「翔君うち温かいお茶飲みたいなー」
「はい喜んで、そこ座っててくださいー」
香里さんと会うのは高校生以来だった。昔から変わり者の姉と唯一親しくしてくれる人で、姉も心を許している数少ない他人である。
「香里さん今も漫画好きです?」
「好きよ、翔君も相変わらずなん?」
「僕も変わらずです、どうぞ」
「ありがとっ、今は何見てるの?」
「3週目のうる星やつら見てますよ」
「うわーええなぁ、高橋留美子先生にハズレなしやもんなー」
「今でも最終話で泣きます」
「一生かけて言わせてみせるっちゃ」
「今際の際に言ってやる」
「あかん、うちもこのセリフだけで泣きそうなる」
「あはは、香里さんは何見てます?」
「4週目のデスノート」
「うわーいいですねー、ちなみに推しは?」
「エルと言いたいところやけど、今はジェラスかな」
「わっかるぅ、人間に恋をした死神」
「そうっ、ほんま可愛いねん」
昔から香里さんは腐女子とまでは言わないが重度のオタクである。ただ僕とは違って陽気なオタク。
僕が初めて香里さんに会ったのは小学生の時で、中学生の姉が珍しく連れてきた友人が藤田香里という美少女であった。当時から香里さんは髪が長く、眉を隠す前髪があった。若干のタレ目で幅の広い二重瞼、色白の肌、手足は長くて子供の僕が見ても凛とした女性だと感じた。
初めはとても緊張して上手く話せなかったことを覚えている。しかし、香里さんは口を開くと気さくで漫画やアニメのことを教えてくれた。僕が漫画やアニメが好きになったのは香里さんへの憧れからである。
藤田香里は僕の初恋だった。
「香里さんゲームしません?」
「ええよ、何する?」
「最近はもっぱらスプラトゥーンなんですけど」
「ええやんっ、私Switch持ってきてるから一緒にやろ」
「あはは、Switch持ち歩いてるとか流石です」
「せやろ、ルール何?」
「今はガチアサリですね、良いですか?」
「ほな、うちはパブロ使うわ」
「うおー心強いですー、僕はリッターで援護しますね」
「背中は俺が守ってやるぜ」
「ハイキュー烏野高校の守護神、西谷夕」
「せいかーいっ」
それから姉がお風呂から戻ってくるまで、香里さんとひたすらスプラトゥーンをしていた。
「やばー、香里さん上手すぎる」
「最高XP3,500やねん」
「嘘!? ほんまに?」
「ほんまやよー、うち反射神経鬼良いねん」
「それ履歴書に書いても良いくらいの実績ですよ」
「そんな世の中になったらさぞ楽しいやろーなー」
「ユーチューバーなりません?」
「スプラの配信で?」
「絶対伸びますよ、顔出したら確実に」
「うちなー、不特定多数に媚びるの苦手やねん。特定の人ににゃんにゃんするのは得意やねんけど」
「へえ、意外ですね」
「意外な魅力やろー、うわおっナイスー」
「香里さん褒められたー嬉しいーっ」
「えらい仲の良いことで」
「せやねーん、乃彩もやるー?」
「いいわ」
「姉ちゃん変わってー、僕もお風呂行くわー」
「えーうち先に入りたいー」
「香里さんの後とか変なこと考えてしまうから僕が先に入ります」
「おお、そういうことをあまりハッキリ言うでない」
「僕まだ香里さんのこと好きなんですから、ほなお先にー」
「魔性の女やな」
「翔君まだあのネタ使うねん、可愛いわー」
「あれネタちゃうで」
「えー?ほんまにー?」
「ほんま。弟は本当の気持ちをあえて表に出して隠すねん」
「せやな。知ってる」
脱衣所の扉を閉めてから2人の会話が微かに聞こえた。
シャワーを浴びながら香里さんに告白した記憶を思い出す。
高校2年生の体育祭に姉と香里さんが来てくれた。僕はその時、本気で香里さんが好きだった。姉の目を盗んで香里さんを誰もいない教室へ誘い出して告白した。
「翔君?どないしたん?」
「あのっ」
「なにー?ってか、久しぶりに教室とか来たわー」
「僕、香里さんのこと……」
「うちのこと、好きなんやろ?」
「え?」
「翔君いっつもえらい優しくしてくれるし、誕生日プレゼントくれた時もあったなぁ」
「……好きです。本気で好きです」
「ありがとう。でも、うちは乃彩の友達やねん。翔君は大切な友達の、大切な弟君やねん」
「……なーんて、確かに香里さんのことは好きやけど、僕はまだ子供ですもん。その辺はちゃんと弁えてます」
「嬉しいよ、ありがとう」
「あはは、やめてください。でも、僕が大人になったら、ちゃんと告白しても良いですか」
「うち、モテるねん」
「知ってます」
「あはは、ほんまにそうしてくれるなら、良い男になってな」
あの時、香里さんの顔を見て告白を断られると察した。だから大人になったら、と希望を引き伸ばすような真似をした。
そんな格好悪い僕の頭を撫でる香里さんには、どれだけ手を伸ばしても、どれだけ背伸びをしても届かない気がした。
「お先でした。お風呂浸かってないんで、香里さん浸かってください」
「そんなん気にせんよ。乃彩のシャンプー良い匂いで好きやねん」
「好きに使って、バスタオルと着替えも置いてあるから」
「助かるわぁ、ほなお借りしますー」
どうやら2人でスプラトゥーンをしていたらしい。きっと姉はまた上達しているのだろう。
「香里さん、上手やろ」
「せやな、熟練度が違うわ」
「なぁさっき、香里さんなんか言うてた?」
「なんかとは?」
「いや、僕がまだ好きやねんって言うたから」
「別に何も」
「そっか」
「まだ少しだけ待ってみよかなーとは言うてたけど」
「え? それ、ほんま?」
「なんで嘘つくねん」
「……僕は今、大人?」
「成人してるからな」
「ちゃうよ、香里さん基準で見たらどうやろ」
「子供やな」
「なんでなん」
「包容力と応用力がないから」
「……応用力ってなに」
「うーん、香里の言葉を使うとユーモアやな」
「ユーモア……ユーモアか」
「どんな雰囲気や場合でもユーモアで解決できる能力のことを応用力と言うてるねん。知らんけど」
「いや分かる。なるほどな。包容力はそのままの意味なん?」
「違うな」
「むずいな」
「うちの自由を制限しないで互いに幸せを相乗させることのできる力を包容力と言うねん。って昔言うてたわ」
「言わんとしていることは分かる」
「あいつ面倒くさいねん」
「姉ちゃん、僕のこと指導してや」
「断る」
「なんでやねん。こんな一途で健気な弟に一肌脱いだろうと思いませんか?」
「思わんし、その姿勢が格好悪いし」
「もーそんなん無理やんかー」
「紅の豚のDVD貸したるわ」
「大人になる?」
「理解できるようになったら少しはなるんちゃう?知らんけど」
大人と子供の違いをよく分かっていない僕が、香里さんに大人になったらもう一度告白すると約束した。
香里さんはまだその約束を覚えてくれていた。
「ちなみにやけど、香里が好きな俳優はブラッド・ピットやで」
「一応確認しますけど、どの作品が好きなんでしょう」
「ジョーブラックをよろしく」
「……僕、金髪似合うかなー」
「無理やろ」
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芦屋乃彩の日常