芦屋乃彩とラーメン
芦屋乃彩27歳、覆面作家。
「芥川賞受賞を果たした覆面作家、月海彩つきうみあやという肩書きがありながらも、大阪市梅田ファッションビルLUCUAの9Fブック&カフェに併設されているスターバックス蔦屋書店でアルバイトをしながら、平凡な日常を過ごす趣味のない独身」
芦屋翔21歳、大学3年生。
「最近、箕面市の実家が無くなり両親は海外旅行へ旅立つ。今年の秋から、新大阪駅付近に姉が購入した2LDKの分譲マンションへ居候することになったゲーム、漫画、アニメが好きな大学生」
**
芦屋乃彩は食べ物の中でもラーメンが特別好きである。
「店は決まってるの?」
「希望は?」
「うちはどこでも」
「人類みな麺類にしよや、LUCUAの地下にあるねん」
「名前が攻めの姿勢やな」
「系列店みんな変な名前やねん」
「例えば?」
「くそおやじ最後のひとふり」
「さらに攻めやな」
「ラーメン大戦争とかもある。行ったことないけど」
LUCUAのB2Fにあるバル&Foods。名前の通り幅広い飲食店が集まっているフロアである。
「うちお酒飲みたいかも」
「そうする?」
「乃彩は予定ない?」
「明日午後出勤やから」
「そか、先にラーメン食べよ」
「少し並ぶと思うけど良い?」
「25分までなら」
「行けると思うで」
人類みな麺類の列はあまりに長くなるため、他店の邪魔にならないようにフロアの入り口手前に並ぶ。列の最後尾に並ぶとスタッフからメニューを渡される。
「原点、ミクロ、マクロ、どんなネーミングセンスしとるねん」
「Mr.Childrenのアルバムと同じ名前やねん」
「なんでなん」
「社長がファンなんやろ」
「へえ、うちミクロにするわ」
「焼豚選べるで、厚いか薄いか」
「薄い方は煮卵付いてくるねんな。乃彩は?」
「原点に薄切り煮卵」
「じゃあうち厚切りに、変え玉、ビール」
「ここ前払いやから、先注文しときや」
それから15分後、フロア内の列へ案内される。そこで注文を確認され、その10分後入店する。
「めちゃ店内奥行きあると思ったら鏡や」
「私も初めて来た時思った。これも戦略なんやろな」
「お先に生ビールが2つですね、ラーメンはもう少々お待ちくださーい」
「ありがとうございまーす、ほな乾杯」
「乾杯」
私がラーメンを好きになったのは母の影響である。昼夜問わず、父が家を空けている日に母はよくラーメンを作ってくれた。特に味のこだわりも無く、主に袋麺で乾麺の時もある。具材は冷蔵庫にある余り物を使って作られるなんの変哲もないラーメンを、母は楽という理由だけで使っていたのではなく、お米よりも麺が好きな人であった。私もその遺伝子を引き継いだのだが、健康のために普段家では控えている。
「お待たせしましたー!こちらミクロと原点になりますー!替え玉はまたスタッフにお声かけください」
「はーい、変な器やな」
「せやねん。いただきます」
「いただきまーす」
人類みな麺類はこれまでも何度か来店したことがある。職場から御堂筋線の改札までの道のりにB2Fへ降りられるエスカレーターがあるので、帰宅後の料理が面倒な時はバル&foodsのフロアを利用する。
ここはラーメン屋の他にも、海鮮居酒屋や和食だけでなく異国情緒豊かな飲食店が立ち並ぶ。下手にLUCUAの外へ出るよりずっと確実に美味しい食事へありつけるため気に入っている。
「すみませーん、替え玉お願いますーっ」
香里は昔から食事のスピードが早い。
「美味すぎる」
「そんな慌てて食べやんでも麺は逃げへんよ」
「乃彩が上品過ぎるねん」
「普通やと思う」
香里が替え玉を食べ終える頃に、私も一杯のラーメンを食べ終える。店を後にする足取りは程よいアルコールで軽快に心地良くなっている。
「美味しかったなーっ、乃彩はグルメさんやね」
「また、ラーメン店開拓しに行こな」
「ハシゴしたいな」
「ラーメン屋ハシゴはしんどいわ」
「うち4店舗くらいなら行ける気がする」
「香里は胃袋が強靭やねん」
「乃彩さん、うちお魚食べたい」
「良い店あるよ。絶対並ぶけど良い?」
「空腹も落ち着いたしええよ」
同じフロアにある魚屋スタンドふじ子の列に並ぶ。ここはいつも並ばないと入店できないほど人気の海鮮居酒屋である。
「凄い人気なんやなぁ」
「ここ安くて美味しいねん」
「乃彩にそこまで言わせる店かー」
「なんの評価基準にもならんけど」
「乃彩嘘は言わんやん。気を使った感想も言わんけど」
「そんなことないよ」
「うちが毎年誕生日に焼いてあげてたカップケーキのことを異形のホットケーキって言うてたの覚えてますか?」
「本当のことやん」
「確かに平く焼くか、カップに入れて焼くかの違いやけど、そこは気持ちやん。平たいより立体的な方が特別感増すやろ?」
「ほんまにどっちでも良い」
「酷いと思いません?」
「誰に共感を求めてるねん、そっち誰もおらんで」
「嬉しかったやろ?」
「嬉しくはあったよ」
20分ほど並んで魚屋スタンドふじ子へ入店する。今日はそれほど待たずに入店できた気がする。
互いにビールと、私はいつも気に入って頼む生タコ塩ごま油と本ごぼう揚げと、香里は3品ほど本日のおすすめから注文する。
「かんぱーい」
「乾杯」
「うまっ、大衆感あって良い店やん」
「カウンター席あるからひとりでも来やすいねん」
「ええなー、箕面にも欲しいわー」
「今キャンプ場で働いてるらしいな」
「そうそう、スノーピークっていうキャンプグッズメーカーが運営するキャンプ場で働いてる」
「なんでキャンプ場なん?」
「うーん、ほら前は普通に事務仕事してたやん?」
「楽しそうに働いてたやん」
「まぁ別に楽しいねん。けど、ある時ふと考えてん。自然の豊かさに触れながら仕事できたら心も豊かになるんやろなーって」
「それで転職したんやろ?」
「そっ」
「行動力が凄いねん。それは器用やから出来ることや」
「せやねーん、うち何でもそれなりに出来てしまうから転職も苦にならんのよ」
「素直に羨ましいと思う」
「乃彩はひとつのことを長く深くタイプやもんな、このタコ美味いで」
「好きやねんここのタコ。私は小説しか書けへん。コミュ力も環境適応能力も乏しいから生物としては最弱やねん」
「作家は令和に生きる人として最強やと思うけど」
「そう?」
「今ってさ、映像制作技術が物凄く発展してると思うねん。CGとかアニメーションもそう、でもそれらは元となる原作がないと何もできひんし、その原作が駄作なら映像化してもしょうもない作品になると思う」
「映像制作技術が優れすぎて原作を超えてくるパターンもあるけどな」
「それは結果オーライの話やんか。とんでもなく良い原作を映像で再現することができないのが問題やと思うねん。それが今はほとんど原作通りかそれ以上に再現できるわけやんか。せやから乃彩の仕事は小説だけにとどまらず、アニメやドラマ、映画も全て飛躍させることのできる核やねん。ほんまに世界を震撼させることが不可能でない職業やねん」
「酔うてきたな」
「うちは乃彩の仕事が大好きやねん」
「ありがとう」
「どーいたしましてー」
作家という仕事は、どこか俳優と似ている気がする。自分が生み出したキャラクターになりきって言葉を綴るからである。当然、表情で演じることも出来なければ声色から仕草も実際には演じることはできない。でも、それらを脳内で演じて言語化することは出来る。
最近見たNetflixのドラマ。地面師たちのとあるシーンで、リリー・フランキーさんが演じる辰さんの死に際の表情演技には面食らった。
言葉ひとつ発していないのに、家族が人質に取られている切迫感と、自身が死に際に立っていることの恐怖と後悔が恐ろしいほど伝わる演技力。
月海彩は自分に足りない表現力を目の当たりにした。
「ここマジ美味すぎ」
「せやろ」
「乃彩と食べるからより美味しいねん」
「せやろ」
「今日泊まっていい?」
「嫌や」
「なんでやねん」
「なんでやねん」
「帰るのめんどくさいもーん」
「箕面まで御堂筋線繋がったやろ」
「まだ乃彩と別れたくないねーん」
「メンヘラするなや面倒くさい」
「なー?いいやろー?」
「ほな、明日の朝ごはん作ってな」
「じゃあ乃彩は珈琲淹れてな」
「じゃあってなんやねん」
「乃彩の珈琲楽しみやわぁ」
「あんたは、相変わらず甘え上手やな」
「にゃん」
「三十路手前でそれは痛々しいで」
「辛辣なー、まだ職場の先輩はうちのことヨシヨシしてくれるねん羨ましいやろ」
「キーウィはにゃんにゃんせんでも丁寧に扱われるねん羨ましいやろ」
「今からでもやる?キウイ&キャット」
「やらへん」
**
芦屋乃彩の日常