芦屋乃彩と藤田香里
芦屋乃彩27歳、覆面作家。
「芥川賞受賞を果たした覆面作家、月海彩つきうみあやという肩書きがありながらも、大阪市梅田ファッションビルLUCUAの9Fブック&カフェに併設されているスターバックス蔦屋書店でアルバイトをしながら、平凡な日常を過ごす趣味のない独身」
芦屋翔21歳、大学3年生。
「最近、箕面市の実家が無くなり両親は海外旅行へ旅立つ。今年の秋から、新大阪駅付近に姉が購入した2LDKの分譲マンションへ居候することになったゲーム、漫画、アニメが好きな大学生」
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11月15日の金曜日。藤田香里と20時にスターバックス蔦屋書店で待ち合わせをしている。18時30分。アルバイトを終えてエプロンを外す。
「乃彩さんお疲れさまですー!昨日はありがとうございましたっ」
「こちらこそ」
「昨日トップガン見ました」
「そう」
「面白かったですっ」
「良かった。ミッションインポッシブルも見てな」
「うぉおお」
「なに」
「乃彩さんが最低限以上の会話をしてくれたと思って」
「なんやそれ。お先です」
「お疲れさまですーっ」
先日のこともあり瀬戸君とは多少気まずくなってしまうかと心配していたが、彼は私が思うよりもメンタルが強いのかもしれない。もしくは鈍感か。前者であることを願う。
約束の時間まで蔦屋書店を見て回る。こうして週に何度も店内を歩くが全く飽きそうにない。
いつものように新刊コーナーにある小説を手にとって冒頭を読む。その時ふと、月海彩の小説も同じように見られているのだろうと考える。私は読者の気持ちで月海彩の小説を手に取った。
中田浩信氏と共作した【薄墨の雲と子望月】冒頭1行目の文章。
「薄墨の雲漂う夜空に輝く子望月。絶望と希望の狭間で、人はなぜ人であるのだろうか」
タイトルもあらすじも決まっていない真っ白な世界に生み出された一文であった。
芥川賞受賞と大きく書かれたパッケージが無ければ、この小説を手に取る人はどれだけ減るのだろうか。
芥川賞受賞の帯がある限り、恐らく【薄墨の雲と子望月】に綴られた月海彩の言葉が純粋に読者へ届くことはないのだろう。
どうやら凄い作品らしい、という先入観は言葉の捉え方を優しくしてしまう。
作家の誰もが、世の中を震撼させるほどの作品を一度は生み出したいと躍進する。それは決して容易なことではない。だから自己満足の世界へ飛び立ってしまった方が楽なのだ。ある程度の地位と名誉があれば、その後は高みの見物をしていれば良い。大いに結構。賢い選択である。
しかし、同時に作家という肩書きではなく、文筆評論家と名乗るべきだ。それが、血反吐滲む想いで言葉を綴る作家たちへの敬意である。
月海彩は己の変化を恐れている。
作家の才能のほとんどは儚い。
打ち上げ花火のように大きく華やかに舞い散る才能か、線香花火のように小さく繊細に弾け散る才能か。
多く作家が長きに渡り執筆を続けることが困難である理由は、その才能を二度は使えない場合がほとんどである。
月海彩の才能は複葉機である。最新の航空機でも、一瞬の美を飾る花火でもいけない。低速でも大きな揚力を得られる複葉機であり続け、時間をかけて運転技術を磨き、天候を知り、どんな言葉の空も自由に飛ぶことのできる繊細で応用的な熟練した才能で執筆したい。
「月海彩はなぜ作家であるのか」
「うちな、小説読むと脳が思考停止するねん」
「おるなら声かけてや」
「なんや独り言呟いてたから、久しぶり」
「相変わらず元気そうやね」
「乃彩は相変わらず、元気そうやね」
「なんやねんその間」
「元気というにはフラットなテンションやから」
「早かったな、約束の時間まで30分あるけど」
「ほんまやな、うち漫画と雑誌みたいねんけど」
「いいよ、私まだお腹空いてへんし」
月海彩の小説を閉じて、いつからか隣にいた藤田香里に着いていく。漫画コーナーの最新刊を物色する香里の後ろで今話題と書かれた漫画を手に取る。
「チェンソーマンの新刊でてるやーん、嬉しー」
「なんなんその物騒な漫画」
「チェンソーの悪魔と人間が混ざった主人公の話」
「面白い?」
「ゾクゾクするねん」
「へえ」
「乃彩は漫画読まんの?」
「読まないこともない」
「好きな漫画は?」
「別にないけど、弟が大体の漫画持ってるからたまに読むねん」
「あー翔君元気してるー?」
「相変わらず。今一緒に暮らしてる」
「実家無くなったらしいもんなー」
「なんで知ってるの」
「翔君がインスタのストーリーにアップしてたの見てん」
「今はなんでもインスタグラムやな」
「乃彩もしたらいいやん」
「いいわ」
「あ、それ面白いで」
「忘却バッテリー、野球の話?」
「そうそう、最強と言われるバッテリーのキャッチャーが記憶喪失になるねん」
「なんで?」
「知らん、うちも途中までしか読んでない」
「絵は見やすいな」
「キャッチャーが記憶喪失になって野球のやり方も忘れてしまうんやけど、めちゃくちゃアホになるねん」
「香里が好きそうな設定やな」
「好き、アホくさいのたまらん」
「1番好きな漫画は?」
「ぐ……せめて、せめてジャンル分けさせて」
「弟と同じ反応するねんな。漫画好きはみんなそうなんか」
「数多くの名作をジャンル分けせずに順位をつけさせるなんて悪魔の所業や」
「そこまで深く考えて質問してへんよ」
高校で寮生活をしている時、ルームメイトであった藤田香里のスペースには漫画やアニメグッズで溢れていた。若干私のスペースまで侵食していたが、むしろ余らせていたので気にならなかった。
今も昔も、小説はそれほど多く所持しているわけではない。本当に気に入ったものを10数冊。それは今でも変わらずに持っている。ある意味でそれらの小説は月海彩の師であると言える。
「乃彩におすすめするとしたらハイキューやな」
「なんでなん」
「うーん、ストーリーもキャラクターも凄く魅力的で、努力家な主人公と天才ライバルがいるっていう定番やねんけど、全ての試合に必ずテーマがあって、この試合は勝つんやろなって分かっていても、そう終わるんかー古舘春一先生さすがやなーって関心してたら、そこ負ける!? って度肝抜かれる展開も容赦なく組み込んでくるねん。あと純粋にバレーボールが好きになる」
「急に饒舌なるやん」
「かなりコンパクトにまとめたけどな。読み手の体感やけど、一切手抜きされていない作者の熱意が伝わる作品やねん」
「読者にそれ言わすのは、ほんまに凄いことやな」
「せやねん」
「月海彩さんの小説も、読者にそう思われたら嬉しいな」
「うちは乃彩の小説好きやで」
「ありがとう」
「大好きやで」
「違うねん、そういうの求めてるわけじゃない」
「知ってるよ。世界を震撼させるのが月海彩の野望やもんな」
「作家として闘志を絶やさないようにするために掲げてる野望やねん。ある意味で成し遂げることはできひんと思うよ」
「うちも欲しいなー、人生を捧げるような野望」
「例えば?」
「せやなぁ、小さな町を独立国家にするとか」
「なんでなん」
「自由に暮らせるやん」
「保険とか保証とか、日本の恩恵を受けられへんで」
「それは困る。けど、今の日本ワンピースの世界とそんなに変わらんと思うねん」
「知らんけど」
「つまりな、うーん、簡単に言うと、貴族が絶対という意識を植え付けられてるから、リスペクトもクソもない貴族に搾取されることを疑問に思わなくなってるねん。ワンパンで倒せそうなジジイに目の前で友達が痛めつけられていても、逆らえないという意識があるから何もできないみたいな」
「ワンパンで悪を成敗できる国を作りたいということ?」
「そうそう」
「ええな、分かりやすくて良い国や」
「せやろ?老害は国のウイルスやねん。って職場の店長が言うてた。あかん喋りすぎてお腹空いてきた」
「ラーメン行こ、それ買っておいでや」
「うん、待っててな」
日本は良い国だと思う。でも言い訳が上手な国であるとも思う。日本語は言葉の難易度が高い分、熟知している人たちは難しい言葉で逃げ隠れするのが上手い。
とはいえその難易度の高い言葉のおかげで、作家は表現の幅が広がっている。良くも悪くも言葉は使いようである。
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芦屋乃彩の日常