藤田香里
芦屋乃彩27歳、覆面作家。
「芥川賞受賞を果たした覆面作家、月海彩つきうみあやという肩書きがありながらも、大阪市梅田ファッションビルLUCUAの9Fブック&カフェに併設されているスターバックス蔦屋書店でアルバイトをしながら、平凡な日常を過ごす趣味のない独身」
芦屋翔21歳、大学3年生。
「最近、箕面市の実家が無くなり両親は海外旅行へ旅立つ。今年の秋から、新大阪駅付近に姉が購入した2LDKの分譲マンションへ居候することになったゲーム、漫画、アニメが好きな大学生」
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高校3年の秋。全学年が学園祭の準備で賑わっている。
そんな中、藤田香里は家庭科室に忍び込みパンケーキを焼いていた。
「ほんまに何してんの」
「これ今日のお昼ご飯やねん、乃彩の分も焼いてあげるわ」
「いらん、怒られるで」
「うち水島先生と仲良いから、怒られへんよ」
「コミュ力の無駄遣いするな」
香里は鼻歌を歌いながらパンケーキを4枚焼き上げ、紙皿に積み上げた。リュックから取り出したはちみつとバターをトッピングしたかと思えば、フォークとナイフも持参していた。
「4次元ポケットか」
「残念ながら3次元ポケットやねん。リュックの中で割れてしまった卵が悲惨なことになってる。見る?」
「いいわ、不快な気持ちになりそう」
「ふーん、ほんまにいらんの?」
「いらん」
「なんでいらんの?うちの味嫌いになったん?」
「メンヘラするなや、めんどくさい」
「ひどいなー、もういいわ1人で食べますから」
家庭科室の先生が使うテーブルでホットケーキを食べている香里の横に座る。藤田香里は昔から自由気ままに生きている。その万能なコミュニケーション能力を駆使して、あらゆる場で自由を主張する。それが許されるのだから凄いと思う。
仮に私が同じような発言や行動をするとして、周りの人はそれを不快だと感じるだろう。なぜなら、私は人の心が綻ぶ原理を知らない。
「そういえばさっきな、廊下で乃彩に告白するねーんって言うてる男子いたで」
「どうでもええ、あんたのせいや」
「うちのおかげや」
「まだ勝手にエントリーしたこと許してないからな」
「ええやんか、食費浮いたことやし」
「ダメージがデカすぎるねん」
「芦屋乃彩は美人さんやから、どのみちモテる運命やってん」
「そこそこでいいねん。平凡が崩壊するほどモテるのは鬱陶しい」
「贅沢な人やなー」
「あんたにだけは言われたくない」
藤田香里と芦屋乃彩は、中学生から始めたテニスでダブルスを組んでいた。それなりに良い成績を残して京都の高校へ推薦入学する。香里も私も寮生活になり、奇跡的に2人1組に振り分けられる部屋も同じだった。
この3年間ほとんどの時間を一緒に過ごしているが拒絶反応が起きないのは奇跡と言っていい。私にとって香里は少し不思議な存在である。
「んまかったー、ご馳走様でした」
「早く片付け、先生に見つかるよ」
「こらー、藤田&芦屋」
「ほら見つかった」
「ずーっと隣の部屋にいました、なにを優雅にホットケーキ焼いて食べとるねん」
「焼いたのも食べたのも香里です」
「水島先生、髪切った?めちゃ可愛いなぁ」
「あら、分かる?藤田は人の変化にすぐ気がつく子やなぁ」
「うち、水島先生みたいな大人になりたいから、いつも見てるねん」
「また上手いこと言うて、紅茶くらいしかないよー?」
水島先生はいつもそう言って、私たちに紅茶を入れてくれる。水島京子、恋愛経験豊富な32歳教師。独身。
私も水島先生のことは好きである。見るからに青春ドラマに影響されて色っぽい系の教師を演じているところも可愛く見える。
「これ飲んだら学園祭の準備に戻りなさいよ」
「ありがとーっ」
「ありがとうございますー」
「あんたら、ほんまに仲いいなぁ」
「腐れ縁です」
「うちら腐ってへんよ」
「あはは、2人とも全然違うタイプやのに上手いこと噛み合ってるわ。それに美人2人が一緒におるから男子はいつもソワソワしてなぁ、ほんま青春やわ」
「香里みたいなんが恋愛無双するねん」
「乃彩はキウイやねん」
「意味分からん」
「知らん?キウイって鳥、愛くるしい見た目してるねん」
「それキーウィや」
「イントネーションは知らんけど、ただ存在しているだけで人を翻弄してしまう力を待っているってこと」
「それやったら可愛いという人間のエゴだけで守られている飛べない鳥より、猫と言われる方が嬉しい」
「猫ほどあざとくないねん」
「なんやねんその偏見」
「あんたら見苦しいで、モテのなすりつけあいして」
「やめよこの話題、深く掘るほど傷を負う」
「猫はうちや」
「異論はないよ」
「キウイ&キャットってユーチューバーになろーや」
「ちなみにやけど、何系なん」
「うーん、やっぱルーティーン系やろな」
「想像しただけで寒気する、却下」
「なんでやねん、うちらのナイト&モーニングルーティーン絶対バズるで、なあ?水島先生」
「いいなあ、面白そうやんか」
「ほらーさっそくファン1人ゲットや」
「日常を犠牲にしてまで得たい何かがないねん」
「言い方悪いわ、日常に付加価値をつけてお金を生み出すねん」
「あんた1人でしい。グッドとフォローしてあげるわ」
「うちひとりぼっちでは何もできやんのよー」
「昨日バックパッカーなろかな言うてたやん」
「バックパッカーはひとりじゃないやんか」
「ひとりやろ基本」
「色々な人に巡り合っていくのがミソやんか」
「ベースはひとりやで」
「総合的に沢山の人やねん」
「めんどくさいな」
「ひっど」
「はい、この辺でお開きにしましょうか。そろそろ青春してきなさい」
「せやな。ご馳走様でした」
「水島先生また来るわなー愛してるでー」
「もう少し来る頻度落としてもええよー、さようならー」
家庭科室を後にして教室へ向かって歩く。みんなそれぞれの出し物の準備に勤しんでいる。私たちは特に何もしないので適当に友達の準備を手伝ったり手伝わなかったりする。
「なー乃彩」
「なに」
「うちら、卒業したらお別れやなー」
「せやな」
「寂しいなー」
「遊べるやん」
「うちさ、寮生活も結構好きやねん。寝る時も朝起きても乃彩がいて、そりゃあ鬱陶しい時もあるけど、ずっと幸せやねん」
「あんたは正直者やな。普通ルームメイトに鬱陶しいとか言わんで」
「終わってしまうなー高校生」
「しんみりしたい気分なん?」
「別に、あっ!2組たこ焼き屋さんの試作してるやーん!そろそろ塩気が欲しいと思ってたとこやねーん」
スキップをしながらたこ焼きの匂いに釣られる香里の後ろ姿。相変わらず綺麗に伸ばしている黒髪は、毎朝丁寧にアイロンをしている。洗面台の取り合いになって朝から喧嘩をすることもある。
部活に明け暮れてお互いにヘトヘトになって、髪を乾かしあったりもした。私の髪の方が短いので労力のバランスがおかしいのだが、それでも良かった。
香里は私の誕生日に必ずカップケーキを焼いてくれた。たぶんホットケーキミックスだけで作っているから、味はホットケーキそのもの。でも、嬉しかった。
私もプレゼントを用意した。カップケーキは作れないからアクセサリーを選んだ。ショッピングモールで2千円ほどで買える安物なのに、香里は今も大切にしてくれている。たまに学校に付けてくるので、ひとつは没収されていたらしい。
「乃彩ー!佐藤の実家たこ焼き屋さんやねんてー!めちゃくちゃ転がす上手やねーん!」
2組の教室からひょこっと顔を出して、向日葵のような笑顔を見せる藤田香里。
大学へ行けば1人暮らしが出来る。それは嬉しいはずなのに、いつまでも香里とルームメイトでありたいと思っている。
「私も食べたーい」
「佐藤焼いてくれるって!はよおいでー!」
青春というものを、私は特別扱いしたいと思わない。でも、かけがえのないものではあると思う。
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芦屋乃彩の日常