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芦屋乃彩の日常  作者:
2/10

月海彩

芦屋乃彩あしやのあ27歳、覆面作家。


「芥川賞受賞を果たした覆面作家、月海彩つきうみあやという肩書きがありながらも、大阪市梅田ファッションビルLUCUAの9Fブック&カフェに併設されているスターバックス蔦屋書店でアルバイトをしながら、平凡な日常を過ごす趣味のない独身」


芦屋翔あしやしょう21歳、大学3年生。


「最近、箕面市の実家が無くなり両親は海外旅行へ旅立つ。今年の秋から、新大阪駅付近に姉が購入した2LDKの分譲マンションへ居候することになったゲーム、漫画、アニメが好きな大学生」

**


芦屋乃彩あしやのあに平凡な日常を教えてくれた月海彩つきうみあやという作家を誇り思っている。

11月10日の日曜日。今朝、近所のセブンイレブンへ珈琲を買いに外へ出る。群青の空に雪色の雲が漂う。秋の乾いた風も心地が良い。

今日は小説を書いて過ごす予定だが、こんな日に部屋でこもっているのは勿体無い。


「おかえり」

「やっと起きた」

「ふにぁぁあーあ……寝不足やねん」

「どうせ遅くまで起きてたんやろ」

「昨晩のスプラは激アツやってん、冴羽獠ばりのエイム操作で全勝や」

「誰やねんそれ」

「嘘やん、シティーハンター知らん?」

「あぁ、鈴木亮平さんか」

「知ってた?鈴木亮平さん、冴羽獠が俳優を目指したきっかけやねんで」

「なんで詳しいねん」


1時間でも5時間でも、弟はひとりで遊んでいられる。アニメ、ゲーム、漫画、お洒落もそのひとつ。多趣味なことは羨ましいと思う。

芦屋乃彩から月海彩が消えてしまったら、私は平凡を見失う。それが怖いというには大袈裟だが、弟は複数ある趣味のひとつが消えたとしても、また新しく見つける。その平凡は、まるで永久機関のようである。


「姉ちゃん暇なんやったら一緒にスプラしよや」

「暇ちゃう。今日は月海彩やねん」

「そっか、気分転換したなったら言うてよ」


月海彩は普段、自室のノートパソコンでひたすら画面と向き合って小説を書いている。脳内に駆けるストーリーを文章に起こすための最適な環境は、無音で薄暗い部屋である。

しかし、今朝の気分も相まって外へ出ることにした。

もしかするとカフェで執筆するかもしれないので、一応ノートパソコンをリュックへ入れて歩きやすいスニーカーを履いた。


「行ってきます」

「いってらっしゃい」


新大阪駅から御堂筋線に乗って梅田へ出る。LUCUA屋上にある風の広場から、壁に花があしらわれた3フロア分の階段を登り天空の農園へ辿り着く。

野菜などが栽培されている小さな畑が見えるベンチに座りスマホを開いた。

スマホでも小説は書けるが、タイピングの方が早いので執筆はノートパソコンをメインにしている。しかし、キャラクターとストーリー構成を勘案してイメージを膨らませる段階ではスマホの方が使いやすい。

一昨年芥川賞を受賞した【薄墨の雲と子望月】から、しばらくは10万字を超える長編小説は書いていなかった。10万字の言葉で伝えたいテーマが無いのだ。

しかし、そろそろどうだと出版社から圧がかけられていることも事実。とはいえこればかりは、月海彩の頭上に特大びっくりマークが飛び出るほどの閃きが訪れない限り執筆しても意味がない。

それからしばらく、スマホでSNSを覗いたり、キャラクターの名前を考えてみたり、秋の風が吹き抜ける小さな畑を眺めたりして閃きを待つ。


「秋、畑……芋、さつまいも」


さつまいもを売り歩く中年の話。

さつまいもを食べて変身する中年の話。


「私は中年のストーリーを書きたいんかな」


空を見上げて息を吐く。

アイディアに尽きると、才能とはなんだろうか、などと無意味なことを考える。

月海彩が作家デビューしたのは、大学3年の春である。初めて応募した新人賞が佳作に選ばれたことがきっかけであった。

当時、無名の月海彩を拾ってくれた編集者、中田浩信なかたひろのぶ氏は今も担当編集者として尽力してくれている。

才能とは何か。その問いに答えを出すとするのなら、きっと成功への道のりに立ちはだかる障害物を避けるためのアイテムである。

小石に躓かないように、壁に衝突しないように、溝に落ちないように、その道のりをサポートしてくれるアイテム。

基本的にはラッキーなのだ。目の前の障害物に適応できる才能があるかどうか。人は必ず才能を持っているが、それで乗り越えられない障害物が現れた時点で才能というアイテムは無力化する。

私の才能は、複葉機である。空は飛べるが空気抵抗が大きく高速飛行ができない。しかし、月海彩はこの才能をとても気に入っている。


「この空を悠々と飛んでいたい。追い越し追い越されを気にせずに、悪天候になれば無人島にでも着陸して休息を取りたい。ポルコ・ロッソのように、自由に空を飛びたいのだ」


気分転換にはなったが、やはり青空の下で執筆はできない。私は基本的に根暗である。この場合なにを暗いとするのかは難しいところだが、この性格を楽観的とは言えないので根明か根暗の二択であれば、根暗である。

それから1時間ほどベンチに腰掛けて風に吹かれた。静かな空に深く息を吐き、瞼を閉じて季節の匂いを感じる。こうすると月海彩のスイッチが切れるのだ。

天空の農園を後にして、LUCUAダイニングからアルバイト先であるスターバックス蔦屋書店に足を運んだ。


「あれ、芦屋さん!お疲れさまですー!」

「お疲れさまです」

「本、見に来たんですか?」

「そう、帰りにまた寄ります」

「はーい!」


アルバイトの瀬戸颯太せとそうた君は、弟と同じく大学生である。気さくな性格で不機嫌な様子を見たことがない。

スターバックスを囲い込む円形の梅田蔦屋書店を、私はとても気に入っている。まるで本の森を散歩するかのような気分で店内を歩いていられる所が良い。

いつものように新刊の小説を眺めながら、直感的にそれを手に取り冒頭を読む。ストーリーの始まりはとても重要である。どれだけ内容が良くても、掴みを失敗すれば読者はガクンと減るだろう。

私は小説が好きだ。しかし、ここ数年新刊の小説を読んでいない。というより読めないのだ。それは決して他の作家を侮辱しているわけではない。そうなった理由が自分でも分からない。

ただ、小説が好きであるという気持ちはここにあって、その想いに従い本屋へ足を運ぶ。

パッケージが素敵だ。タイトルが斬新だ。冒頭はプレゼントボックスのように興味をそそる。

素敵なストーリーが溢れる世界になって欲しい。と月海彩は心から願っている。そうすれば、世界中の人は希望に満ちて、笑顔に満ちて、より多くの人が心に小さな太陽を宿すだろう。小説はその可能性を秘めている。


「幸福とは平凡である」


冒頭を読み終えた単行本を元に返して、またゆっくりと本の森を歩く。

月海彩の名前が目に留まる。別に自分の作品を手に取りはしないが、心の中で密かに、「私やねん、これ」と優越感に浸る。

実績とは信頼であり、優越感である。故に結果というのは重要なのだ。自尊心を高めると共に、実力を証明するアイテムとなる。

ひと通り本の匂いを満喫して、スターバックスの列に並ぶ。

そろそろ空腹が暴れ出す頃だ。


「良い本、ありました?」

「良い悪いではないねん。トマトモッツァレラ&バジルチキン 石窯フィローネ1つと、キャラメルトフィースコーン2つ」

「はーい、ドリンクはいかがなさいますか?」

「コールドブリューのトールを2つ、全部お持ち帰りで」

「僕が作りますねっ」

「お願いします」


スターバックスの紙袋を持って家に帰ると、弟はゲームをしていた。


「ただいま」

「んーおかえりなさいー」

「これ、スコーンと珈琲」

「え!? ありがとう!めちゃくちゃ甘い気分やったから姉ちゃんが天使に見えるわーっ」

「天使よりポルコ・ロッソに見えてくれた方が嬉しいねんけど」

「なにそれ」

「紅の豚や、知ってるやろ」

「実家で金曜ロードショーの録画を狂ったように見てたな」

「それ、面白いん?」

「スプラトゥーンは神ゲーです。戦略、テクニック、反射神経、全部使うから頭悪い人は弱いねん」

「あんた弱いんか」

「めちゃくちゃ普通です」

「そんなドヤ顔して言うセリフとちゃうよ」

「やってみる?もう今日は、月海彩さんは終わってんやろ?」

「また夜になったら動き出すねん。今は仮眠してるだけ」

「なんなんその世界観」


ゆっくりでいい。小説は逃げないから、ゆっくり迎えに行ってあげたらいい。

それが、月海彩のスタイルである。


**

芦屋乃彩の日常

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