ブーケの中のおやゆび姫
仕事帰りの雨の夜。濡れた靴を憂いて俯くと、それが視界に飛び込んだ。
雨でぼやけた街明かりでもそれが花束だと分かったが、念のためスマホのライトで確認する。
結婚式で花嫁が投げたはずの綺麗なブーケが側溝の上にぐしゃっと転がっている。
誰かが落としたのだとしたらこんなに大切な物を落として可哀想に。
名前の入ったカードなどが添えられていないだろうか。
ブーケの包みをそっと手に取る。
バラとかユリとか、見た事のある花ではない。
花びらが大きく開く花や穂みたいになっている可憐な花、球状の花など、珍しいが綺麗な花が束ねられている。
なんで落としてしまうのかなと、落とし主に疑問が湧く。
「お兄さん、ありがとう」
間近から声がして、ブーケの持ち主が拾いに来たのだと思った。だが誰もいない。
「私はここよ」
目の前は塀だし後ろは車道だ。左右も人通りが無い。
「もう。ブーケの中を見て」
ブーケの中央の一番大きな花に何かがちょこんと座っている。
茎と同じような色だがそれは動いた。
「私は植物の精霊よ。人間にはアルラウネって呼ばれているの」
花の上に座るそれを見ておやゆび姫の童話が脳裏によぎった。
親指よりは大きいが花に座る姿が似ている。
「人間が摘んだ花に紛れ込んでしまったわ。お家に帰らないと。王子様との結婚式の前日だったのに」
アルラウネのおやゆび姫がしょんぼりする。只事ではないと察する事ができた。
「結婚式の前日に居なくなってしまったということか」
「そうなの! 誤解されて王子様が他の人と結婚式をあげたらどうしよう!」
よく分からない生き物だ。
だけど、結婚式のブーケから出て来て、結婚式前日にはぐれたと言った事に胸がざわっとした。
なんという不運だ。
しかもブーケは道端に落ちているし。
他人事ながら嫌な予感がするものだ。
「失踪してすぐに他の人と、ってのは流石にないんじゃないの」
言葉を信じようとして不安を抑えるように涙ぐむ生き物が気の毒だ。
「だけど帰れずにしばらくしたら、ありえるかもしれないわ」
「家はどこ?」
ぐすっと生き物が涙を一粒拭った。
「あなた達がリースフラワーと呼んでいる花よ」
「どんな花?」
「真上から見ると花が輪になって咲いているように見えるの。本当にリースみたいに。咲いている場所は限られるわ」
「分からないな」
「お願い。元の場所に帰りたいの。私一人じゃ無理だから助けて欲しい」
結婚式だと思えば他人事ではなく、この可哀想な生き物に協力してやりたいのだが、その花の場所が分からない。
「助けてやれるか分からないけどその花を調べてみるよ」
生き物がぱあっと明るい顔になると道に置いて行かれたブーケの悲哀が影を潜め、華やかになったみたいだ。
ブーケを持ちマンションの前に行くと生き物が驚いて上を見ている。
「あなたはこんなに大きなお屋敷に住んでいるの? まるで人間の王子様だわ」
「違う違う」
面白くて笑ってしまい、次の言葉まで少し時間がかかった。
「この部屋の一つを借りてるんだよ。みんな一部屋ずつ借りてるよ」
生き物は自分が面白い事を言ったと自覚したらしく、少し恥ずかしそうにした。
ロックを開けるのもエレベーターで上がるのも、生き物は驚きながらきょろきょろしていたが再び何かを聞いてくる事はなかった。
部屋に入り電気を点けた。エアコンで暖房を掛けようとリモコンに手を伸ばし、はっとした。
「暖房がかかっていると枯れる?」
きょとんとしたが、今度は生き物が笑い出した。
「人間が使う空調くらいでは死なないわ」
「ならよかった」
念のため低めの温度に設定した。
「ありがとう」
生き物は感謝してくれたみたいだった。
一番大きな花瓶にブーケの全ての花を活けた。生き物は真ん中にした。
「素敵な模様ね」
いつのまにか生き物は移動して花瓶の縁から下を覗き込んでいる。
動けるのだと初めて気づいた。
上半身は植物らしい緑色で、髪の毛が葉っぱみたいだ。
顔立ちは人間の女性みたいだ。
小さな手がある。
腰から下が花になっていてその下はさらに小さな花や葉がドレスみたいについている。
脚は見えないが動き方からしてドレスの下にありそうだ。
「俺は今からご飯を食べるけど、君は何かを食べるの?」
「花や虫を食べるけど、しばらく食べなくても平気よ」
「虫を食べるのか」
「ご馳走だからたまにしか食べないわ」
ブーケがよく似合う見た目なのに意外だ。
冷蔵庫から作り置きのおかずと冷凍のおかずを取り出す。
それらとレンジでチンするご飯を順に温めて夕食の完成だ。
「それなあに?」
「肉巻きアスパラだよ」
生き物が作り置きのおかずに興味をしめした。
「一つ食べるか?」
「いいの?」
生き物が嬉しそうにテーブルに移る。
その姿は花一本だけの花束みたいに見える。
両手でアスパラを槍みたいに持つと、横から咥えた。
案外歯が丈夫らしくぱくぱくぱく、とスムーズに食べている。
「おいしいわ」
だが肉に差し掛かるところで迷いを見せた。
「肉は食べられないか?」
「なんの肉なの?」
「豚だよ」
「食べた事ない……。おいしい?」
「おいしいけど、もしかして体に合わないかな?」
「食べた事がないから分からない。……仕方ないわね」
生き物がそのままの勢いで豚肉ごとアスパラを食べる。
「大丈夫か?」
「駄目そうだったら途中で残すから大丈夫よ」
そのまま全て食べてしまった。
「ご馳走様!」
肉巻きアスパラ一本で満足したらしく、来た時よりゆっくりと花瓶に帰った。
豚肉は大丈夫みたいだ。
食事を終えてパソコンを開くと生き物は興味深そうに側に歩いて来た。
排気口に驚いて慌てて走って避ける。
マウスと俺の手元に来た。
「これはなあに?」
「パソコンだよ。リースフラワーだっけ?」
そうよと頷く生き物を視界の端に収めつつ、画面に打ち込んでいく。
出てきた画像は可憐だ。
円みたいな草の真ん中には花がなく、外側にだけ花が連なる。
まさにリース。
珍しくてその土地にしかないらしい。
オーストラリアのパースだ。
「オーストラリアかあ……」
「遠い?」
「地球の裏側だよ」
「裏側?」
少し話すと、生き物も地球という存在は知っていると分かった。
そして、もう二度と故郷に帰れないと思ったようで座り込んでしまった。
ドレスの花の一つ一つまで元気がなくなったように見える。
「結婚式の前にいなくなって、もう二度と会えないなんて。悲しい……」
「相手も心配してるだろうなあ……」
「ええ。とても優しい人だから……」
励ましたつもりだったがますます悲しい気持ちにさせてしまったようだ。
これ以上言葉を重ねるのはかえってよくないだろうな。
ネットによると、オーストラリアの野生の花々はワイルドフラワーと呼ばれており日本の結婚式のブーケにも使われるそうだ。
「業者さんに摘まれてしまったのか?」
「ええ。花の面倒を見に行ったら大規模に花を摘んでる人間がいて。いつもは避けるのだけど……」
「間違って混ざってしまったのか」
「ええ。そもそもどうやってここまで来たのか分からないの。暗い所にしばらく閉じ込められていたらこっちに来てたの」
彼女に飛行機などの乗り物の存在を教えると、納得してくれた。
「では、乗り物に乗れば帰れるの?」
返事に迷った。
俺がこの生き物を持ってオーストラリアに行けばいいのだろうか?
そうなのだと分かるだけに即答できずにいた。
なんとなく察したらしく、彼女はちょこんと立ち上がった。
「お礼を言うのを忘れていたわ。私はプロテアの花の精霊。あなたは何というお名前なの?」
「山田翼だよ」
「どっちが本当の名前?」
下の名前がどちらかと聞いているのだと分かった。
「翼だよ」
「本当にありがとう、ツバサ」
「いえいえ」
プロテアが頭を下げたので俺も会釈した。
「これからどこに行くか決めるまでご厄介になってもいいかしら?」
「いいよ」
「ありがとう!」
プロテアは花瓶に戻って眠った。
花瓶を捨てずにいてよかった。まさか役に立つなんて思っていなかった。
結婚する従姉妹に渡す花束を買いに行った花屋で彼女と出会った。
出身が同じで話が弾み、半年後に交際を始めた。
彼女は花の仕事をしていただけあり、この部屋で一緒に住むようになってからいつも花瓶に花を飾っていた。
「なんで行ってしまったんだろうな」
電気を消すと思わず呟いた。
絶対に見た事のない花が来たのに花が好きな君がいないなんて勿体ない。
離れてからは一切花を飾っておらず、空の器だけが残っていた。
プロテアは俺より早く起きていて、ブーケの花の悪くなった部分を取っていた。
面倒を見ると言っていたのはこういう事だろう。
「おはよう」
「うん。おはよう」
朝からしゃきしゃきしているプロテアの方から挨拶してきた。
花を扱う手際の良さは、体の大きさこそ違うが彼女を思い出させる。
「ツバサはこのお花を取っておきたい?」
「どうして?」
「食べ頃になったら食べてもいい?」
「食べるのか」
「ええ。お花は主食なの」
「なるほどなあ。食べてもいいよ」
嬉しそうに安堵している。
花瓶に飾ると最後は燃えるゴミになるので、食べる方がかえっていいかもしれない。
彼女も捨てるたびに少し悲しそうだった。
彼女がいたらプロテアと仲良くしただろう。やはり勿体無い。
一週間かけてプロテアがブーケを全て食べた。
「これでいいか?」
仕事帰りに買った花束を見せるとプロテアが喜んで花に駆け寄る。
「とっても綺麗ね」
おいしそうとは言わないようだ。しばらく花を眺めて愛でている。
「これを見てたのか」
プロテアはインターネットで世界の植物を調べて気に入った物を印刷する遊びをしている。キーボードを慎重に歩き回って入力する姿が可愛い。
オーストラリアと検索した痕跡を見つけて悲しくなる。
「早く花瓶にいけないと」
プロテアが一本を抱えて花瓶に挿す間に俺が残り全てをいけた。
「これにする」
プロテアは終わりが近い花から食べる。
「今日は豪華なのね」
いつもよりスーパーで多く買った惣菜とビールの缶に注目された。やはり気になるよな。
「プロテアに花束を買ったら俺も色々食べたいと思って」
「じゃあ今夜は二輪食べようかしら」
プロテアは花びらを一枚一枚千切ってから丁寧に巻いて食べる。
花びらと茎を交互に食べる。
人が漬物を摘む頻度で花の中央のおしべやめしべを食べる。
俺はいつもと違いパスタサラダを食べる。俺の好物ではない。
花束を選んでいるとどうしても思い出してしまった。
「オーストラリアに帰ろう」
プロテアが驚いて食べかけの花びらを落とした。
「結婚前のお嫁さんがいなくなったら王子様が心配している」
「でも、もう諦めたかもしれない」
「そんなはずがない!」
一生気にするはずなのだ。
「プロテアはどうしてそう思うんだよ」
プロテアが花をテーブルに置いて俺に向き直った。
「もともと身分が違う。私は花の世話係だったから。王様と王妃様は許してくださったけど、好ましく思わない人もいた。他の人を貰うかもしれない。それを望む人は確かにいる」
「でも肝心の王子様は? 例え結婚できなくても生きていると知りたいんじゃないのか?」
「王子様が他の人と一緒になっていたら、辛くて」
「もしそうなら他の所へ移ればいいよ。またここに戻るか?」
無言のプロテアはしばらくして俺が食事を再開すると、控えめに花を食べた。
二輪食べると言ったが結局一輪しか食べず、プロテアは花瓶に戻した。俺はビールを開けない事にした。
「本当にいいの? オーストラリアに行くには時間もお金もかかる。私のために?」
「調べていたんだな」
「……ええ」
プロテアが俯く。そんなに小さく俯かないで欲しい。最後の彼女を思い出す。
「俺もオーストラリアに行ってみたいと思っていたんだ。ついでだよ」
本当に前から思っていた。彼女がオーストラリアに行きたいと言っていたからだ。
「大丈夫?」
「一ヶ月後でもいいか?」
「ええ」
嬉しそうだが前面に押し出さず、控えめに佇んでいる。
「三泊四日がいいかな。ネットで調べるのを手伝ってくれるか?」
「分かったわ」
できる事があると喜んだ様子でプロテアは嬉しそうな姿をようやく表した。
言葉の表現ではなく本当に花が喜んでいる。
なんで彼女はここにいないんだろうな。
こうして、俺達は一ヶ月後にオーストラリアに行くため準備を始めた。
「また後で」
「暗くて狭いけど頑張れよ」
「大丈夫!」
プロテアはキャリーの中にブーケごと入った。蓋が閉まる直前まで手を振り合った。
オーストラリアへ。
海の上の雲の塊のさらに上を鉄の羽で飛ぶ。
まるでおやゆび姫を送るツバメだ。
ご覧いただきありがとうございます。