4 ふつうの人間の男だったら
写真は今でも一枚も持ってない。そりゃもう、ないの、ないのってさんざん突かれてきたわよ、学科の連中に。
挙句の果てには「会ってみたい」とかね。「麻衣さん、今度その彼氏連れてきてよ~」みたいなノリで、秋ごろは私も一番気が立ってたから、「あんたら、人の彼氏を何だと思ってんのよ! 見世物じゃないんだからねッ」なんて、いちいちブチ切れたりしてた。
河童のこと何にも知らないくせに、珍しいってだけでハエみたいにたかってくる人たちがその頃本当に不快だった。私は「ふつうだ」「同じだ」を連呼したし、他方では河童について言われてきたことがいかに間違ったステレオタイプかということを河童博士よろしく周りに講義したりしていた。
そしたらある時、こんな風に言われたんだ。それまでほとんど話したこともなかった学科の子から、何かの講義でたまたま近くに座った時に出しぬけに。「麻衣さんの彼氏のことだけど」って、彼女は真っ直ぐな目で私を見つめて、綺麗な声でこうのたまった。
「今までわりと、彼氏との写真を見せびらかす方だったよね。今度の彼をみんなの好奇の目から守りたいって思うのは、麻衣さんが彼を隠したいと思う気もちの裏返しじゃない? 心の奥の奥の方では、やっぱりふつうじゃない、人様の前には出せない彼氏だって、恥ずかしく思ってるんじゃない。彼が河童でさえなければ、ふつうの人間の男だったらこうじゃないのにって」
――ぐうの音も出ないって、このことね。
ズレてる。完全にズレてる、って強烈に思いながら、彼女になんて言い返していいかわからなかった。
私の中では、彼を晒し者にしたくないことは、自分にも彼を低く見ているところがあるってことと同じでもなければ表裏でもない。写真を撮らないのも、うまく言い表せないけど、彼の容姿に何か否定的な感情を本当は抱いているからというのとは断じて違う。
だいたい、河童でない河僂耶って何さ。
それこそ意味不明なんだけど。
現実と何の接点もない綺麗な高見に立って目は上を向いたまま想像で物事を捉えるから、そんなトンチンカンな観念論みたいなことが恥ずかしげもなく言えるんじゃないの?
彼女のことを知らなかった私は、講義の間中鼻息も荒くずっとそんなことを考えていた。
でも、学校でそういうことがちょいちょい起きるのも、実はそんなにたいしたことではなかったんだ。一番問題だったのは、私の進路のこと。もともと大学だけあっちで、卒業後は東京に戻るつもりだった。だから当然、就活も東京でするつもりでいたんだけど。
河僂耶のことが問題だった。こればっかりは、ふつうのカップルみたいにはいかない。
結論からいえば、河僂耶との遠距離は無理だなって最初から確信していた。電話もメールもできないし、河僂耶が新幹線で東京に出てくるなんてことも考えられない。必然的に私が通うことになるだろうけど、それは続かないって、自分の中ではわりとはっきりしていた。かといって、まさか彼を連れてきて東京で一緒に暮らすわけにもいかないし。
それなら彼を選んであっちで就職するか。――別れてもいいつもりなんて微塵もなかった。けれど、迷わず残る決意をさせないのが、彼の煮え切らない態度だった。
短い秋が過ぎ去ろうとする頃になっても、彼との仲は相変わらずで、まさにその相変わらずだということが私を焦らせた。河童と人間では時の流れる速さが全然違うんだということを知っていたら、私もああまで深刻に悩まなかったかもしれない。でもそれはずっと後になってからわかったことで、その頃はただただ、彼との関係に一ミリの進展の気配すら感じられないことがいたずらに私の不信感を掻き立ててゆく感じだった。
そんな時に、追い打ちをかけるようなことが起きた。