第38話
「ラウル、今日はどっか遊びに行こうか?」
窓の外に映る爽やかに晴れた青空を眺めながら、私はテレビの前でゲームのコントーローラーを持ちながらしかめっ面をしているラウルにそう声をかけた。
ジニアさんの前で猫の姿で散歩に出かけるのも嫌らしく、ラウルはここ数日外出していない。一人で家にいる間は勉強しているようだし、休日くらい気分転換に外へ遊びに行こうと思ったのが、当の本人はそれどころではないようだ。
「いけぇ!大紅○氷○丸!!」
「ゲームの技を叫ぶなっ!!!」
勝ち誇った笑みで某ゲームの必殺技を繰り出しているラウル。すっかりその世界にひたっているらしい。私のツッコミなど気にせずに、何やら勝利のガッツポーズを決めている。
「久しぶりの外……いいですねぇ」
「のわっ!?」
お子様モード全開のラウルに小さくため息をついた私の耳元で、突然現れた気配と共に嬉しそうな呟きが聞こえ、思わず叫び声をあげた。
現れたのはラウルを密かに護衛しているジニアさん。姿を現さないだけでずっとそばにいるとわかってはいるが、いきなり出てくるとさすがに驚く。
「外出はいいですねぇ。外に行けば可愛らしい若い女性が沢山……。目の保養と心の癒しになりますねぇ」
そう言って、細い目をさらに細めて朗らかに微笑むジニアさん。
「人から姿が見えないと、こんな時便利なんですよねぇ。何処から何を見ても怒られない」
「……何を見るんですか?」
「それは、見ていて楽しくなる場所です」
「倫理的に問題ある事はやめてくださいね……」
じとっと半眼でジニアさんを横目で見つめる私を見て、コントローラーを置いたラウルが小さく笑みを浮かべた。
「気を使わずとも良いぞ、ヒナタアオイ」
「え?」
「近頃家からでておらんからそう言ってるのであろう? わが国でも城の外に出ることも少なかったし、別にオレはかまわんのだ。こちらの世界も結構見てまわって飽きてきた所だ。それにジニアがいたら、気になってヒナタアオイも楽しめないであろう」
穏やかに笑んでそう言ったラウルが、私は少々心配になる。ジニアさんがいるとわかってから、なんだかだいぶいい子になっている。いい事といえばいい事だが、無理してないか気になった。
「そう言うラウルが気を使ってない?」
「おや、葵さんは本当に素直ですねぇ」
ラウルの本当の気持ちを汲み取ろうとじっと緑色の瞳を見つめた私の横で、ジニアさんがクスクスと笑い声を漏らした。眉根を寄せてジニアさんを見た私ににっこりと微笑み、口を開く。
「今のラウル様の言葉を正しく翻訳すると、『今日はゲームしたいから外には出たくない』ですよ、葵さん。それをいかにかっこつけて正当化するかが、ラウル様の腕の見せ所といったところでしょうか」
「えぇ!?」
まさかそんな……と思ったところに、ちっとラウルの舌打ちが聞こえて、どうやらそれが事実だったらしいと悟る。半眼で睨む私の視線を気づかぬ振りして、再びゲームのコントローラを握り締めているラウル。
「もー、ラウルっ。たまには外に出ないと萎れるわよっ!」
「だから、以前からあまり外出はしないといっているではないか。まぁ、城と比較するまでもなく、この家はオレの自室より狭いがな」
むっとして投げたクッションをよけながら、艶やかに笑うラウル。
心配して損したかもしれないと思っていると、形のいい唇をゆっくりと開く。
「それに、外だろうが室内だろうが、どこにいてもヒナタアオイが傍にいるならそれだけでよいぞ、オレは」
「んなっ……」
続けられた予想外の言葉に、思わずかぁっと赤くなる。言った本人は照れた様子もまったくなく、当たり前のような顔をして私を見つめている。度々思うが、本当にどんな育ちをしたらこの歳でこんな事をさらりと言えるだろう。
「お子様に翻弄される女子高生……。見ていて楽しいですねぇ」
「楽しくないですっ!」
「だれがお子様だ」
それぞれのツッコミを気にすることなく、いつの間にか勝手に注いだお茶を朗らかな笑みを浮かべながら口に運んでいるジニアさん。たまにしか姿を現さないものの、その度に人をおちょくって遊ぶのはどうにかしてほしいと思う。
深々とため息をついていると、ラウルはコントローラーを置いてとことこと私の隣へやってきた。そして、覗き込むように私を見つめる。
「そんなに外に行きたいのなら、付き合ってやってもかまわんぞ?」
「ん、私も別にどうしても出かけたいわけじゃないんだけどね」
逆に気を遣わせてしまったらしいラウルに微苦笑を浮かべると、すっくと立ち上がるジニアさん。
「それでは参りましょう! 乙女達の溢れる街へ!!」
「えっと、とりあえず一人で夕飯の買い物だけ行ってくるね」
「それが無難だな」
一人趣旨がおかしい人に二人して冷めた視線を送る。
まずはこの人をどうにかしないとラウルとゆっくり出かけることも適わないが、今はその術が思い浮かばないので無理に一緒に出かけることもないだろう。それに、美味しいご飯におやつでも用意してあげる方が、ラウルにはいいかもしれない。
そう自分に言い聞かせ、すぐに行動に移した。手早く出かける支度をして、玄関へ向かう。
「すぐ戻るけど、ゲームばっかりしてないでよ。あと、火の元には気をつけてね」
「相変わらずいちいち小言がおおいのう、ヒナタアオイは」
少し不服そうな顔をしながらも、いってらっしゃいと言うようにひらひらと手を振るラウル。その横で、ジニアさんは残念そうな顔で私を見送ったのだった。
「えーっと……、これで買い忘れはないわよね」
小さく独り言ちながら、私は両手にぶら下げた荷物の中を思い出して確認する。
せっかくの休日でまだ時間も早いから、今日は手の込んだ料理とたまには手作りデザートでもつくろうと、いつもよりも多めに買い込んでしまった。どう見ても一人暮らしの買い物の量じゃないが、まぁ、たまになら周りの人にも怪しまれないだろう。
思ったより重くなってしまった荷物を両手に持ちながら、家までの道を少し早足で戻る。
嘘かホントかはわからないが、傍にいてくれるだけでいいと言ってくれた事が、じわじわと私の心に染み渡っていた。
誰かに自分の存在が必要とされるのはすごく嬉しい事だと、知らずのうちに浮かぶ微笑が教えてくれている。だから、少しでも早く帰ろうと無意識のうちに足早になっていたのだ。
「!?」
そんな私の腕を誰かが突然ぐいっとつかみ、私は声すらあげられずに驚きでただ目を見開いた。その私の目の前を、猛スピードの車が走り抜けていく。
「君はもう少し周りに気をつけて歩いた方がいいみたいだね、日向さん」
すぐ後で聞こえた柔らかな声に、私ははじかれた様に振り返った。
私の腕をつかんで微苦笑を浮かべていたのは、何度見ても見惚れてしまう美青年の阿須田さん。
「あまり車が通らない道だからって、気をつけなきゃ駄目だよ」
「あっ、はい。ありがとうございました」
驚きで呆然としていた私は、優しい微笑みに我に返って頭を下げる。
最初に出会った時に続き、今回も助けられてしまった。
「あの……」
何かもっとちゃんとしたお礼を言わねばと阿須田さんを見上げると、ふいに細くて長い綺麗な指先が近づいてきて、思わず言葉を飲み込む。
その手は、ラウルのくれたピンで止めた私の前髪にそっと触れ、そしてすぐに離れていった。
優しく触れたその感触にどぎまぎしていると、ふわっと微笑む阿須田さん。
「小さな枯葉が、日向さんの綺麗な髪に触れたかったみたいだね」
そう言うと、とってくれたらしい枯葉を吹き抜けた風に運ばせた。
セリフだけ聞くと気障に感じるが、阿須田さんだと何の違和感もないのがすごい。
思わずぽやっと見つめる私に、再び手を差し伸べる阿須田さん。
「荷物重そうだね。持つよ」
「え、いやっ、でもっ悪いですしっ」
「気にしないで。ちょうど予定の時刻まで暇になって時間をつぶしてたところだし」
「でもでもでもっ」
さすがにそこまではしてもらえないと、荷物に手を伸ばした阿須田さんから逃れるように数歩下がる。
そんな私を、困ったように見つめる優しい瞳。
「そんな嫌がらなくても……」
「え、いえ、嫌なのではなく申し訳ないのでっ。だって、二度も助けていただいたのにろくなお礼もしてないうえ、そんなっ……」
うろたえまくりの私を阿須田さんは一瞬きょとんと見つめたが、少ししてクスクスと笑い出す。自分でもおかしい態度をとっていると自覚しているので、かぁっと顔が赤くなった。
「日向さんは可愛いね」
「ふぇっ!?」
さらにぼわっと赤くなる私に柔らかく目を細める阿須田さん。
「お礼、か。別にそんな事気にしなくていいんだけど、そうだな、じゃあ、今度一緒にどこか遊びに行こうか?」
「へ?」
「それがお礼って事でどう?」
にっこりと微笑む阿須田さんにどう答えていいのかわからず、ただ見つめ返す。
呆けたような私に、微笑だけを返す阿須田さん。
「え……と、でも、それって全然お礼になってないような気がするんですけど……」
「そんな事ないよ。素敵な子と出かけるだけで、男は十分に嬉しいものだからね」
「…………」
爽やかな笑みでさらっとそう言われ、私はただ赤くなる事しかできなかった。そんな私を優しく見つめていた阿須田さんは、ふと何かに反応したかのように笑顔を一瞬消した。そして、微苦笑を浮かべる。
「ごめんね。ちょっと呼び出しがかかったみたいだから、今日はこれで」
「え、あ、はい」
マナーモードで着信でもあったのだろう、ジャケットのポケットに手を入れながら謝る阿須田さんに短く答えると、彼は長い足を来た方向とは別の方に向けた。
数歩進めると、その背を見送っていた私を振り返る。
「また、連絡するね」
「あ、はい。今日はどうもありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げた私にもう一度微笑んでから、足早に去っていく阿須田さん。
去っていくその後姿を見つめながら、私は小さくため息をついた。
「そうだよね……社交辞令だよね……」
私の連絡先など知るはずもない彼から連絡が来るはずもない。
ちょっと舞い上がった自分を少々恥かしく思いながら、私は再び足早に家に向かったのだった。
2013.4.21 11:52 改稿