第29話
「それじゃ、行ってくるね。いい子にお留守番しててよ?」
玄関で靴を履き、振り返ってそう言うと、玄関まで見送りに来たラウルはこくんと頷いた。
「うむ。言われなくてもわかっておる」
昨日蓮に小言を言われたからか、今朝はちゃんと起きて家事も手伝ってくれた。どうやら、少しは気が引き締まったらしい。
「じゃ、行ってきます!」
答えるように手を上げたラウルに手を振って外に出ると、鍵を閉めた。
空を見上げると、爽やかな青空が広がっている。なんとなく心も晴れ、軽い足取りで学校へ向かった。
ラウルが来てだいぶ経つが、いつの間にか慣れてしまったこの生活。
ラウルと真実の愛を芽生えさせて魔法を解く事が目的だが、改めて考えるとかなりの無理難題な気がする。
確かにラウルはまれにみる美少年だし、ピンチの時にはカッコイイ所を見せてくれる。
だが、相手はお子様だ。いずれはいい男になるとしても、今はお子様。
普段は可愛らしい少年で、好きは好きだが弟に対する気持とさして変わらない。柳くんから助けてくれた時などはちょっとドキッとしたものの、あんなピンチがしょっちゅうあっても困る。
そもそも、あの年齢の子供を本気で好きになるのは、ちょっと危ない人な気がする。
かといって、普通に解くには難しすぎて何年かかるかわからないらしい。
「うーん、どうしたもんだろ」
思わず独り言ちた時、突然ぐいっと腕をつかまれた。体が後に傾きかけた所で、とんっと何かに当たる。ふわりと鼻腔をくすぐるやわらかな香り。いい匂い、と、のほほんと思った瞬間だった。
目の前をもの凄いスピードで車が横ぎった。
ぼーっと考え事をしていたし、一車線しかない住宅街でそんなスピードで走ってくる車がいると思ってもいなかったので、全く気付かなかった。一歩踏み出していたら、ひかれていたかもしれない。
「危なかったね」
頭の上で、心地の良いテノールの声。
はっとして振り返って見上げると、深いセピア色の瞳と目が合った。柔らかく目を細める、彼。
「怪我がなくてよかった」
「あ、ありがとうございます!」
ようやく今起こった出来事が頭の中で全て繋がり、慌てて身体を離すと頭を下げた。
車の近づく音にも気づかずぼーっと歩いていた私を、この人が助けてくれたのだ。
「当たり前のことをしただけだから、気にしないで」
顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべ、目の前の彼はそう言った。
その笑顔に思わず見惚れる。
切れ長なのに優しげな瞳、すっと通った鼻筋、上品な口元に綺麗に並んだ白い歯。少し癖のあるオリーブ色の髪がふわりと風に揺れると、心地よい香りが運ばれてくる。小さな顔に、引き締まっていそうだけど華奢な身体 足はどんだけ長いんだと計ってみたくなるほどで、まるでモデルのような体形だった。年齢は、自分よりも少し上だろうか……。
「あの……」
何か言おうと声を出したものの、ドキドキしていて何を言おうとしていたのか忘れる。目の前にいる人が素敵すぎて、思考回路が正確に働かなくなっていた。
「それじゃ」
戸惑う私にもう一度微笑みを向けると、彼は短くそう言って踵を返して歩いていった。
その後姿を、私はぼうっとしばらく見つめていた。
「で、軽く遅刻したわけだ」
朝の出来事を報告すると、桜子は呆れたようにそう呟いた。私は少し顔を赤らめる。
「だってさ、その去っていく後姿も綺麗だったんだよ! 背筋がすっと伸びてて、足運びもゆったりとしてて綺麗で、あの人、絶対モデルか何かやってるって!!」
「でも普通、遅刻するほどその余韻に浸ってぼーっとする?」
「……しません」
冷静な眼差しの桜子につっこまれ、がっくりとうな垂れる。
でも、それほど素敵だったのだ。危ない所を助けてくれ、なんでもない事のように去っていく彼。
年頃の女の子がときめいてもしかたないと思う。
「面食いだねぇ、葵も」
「顔じゃないよ! 行動とか、雰囲気が素敵だったの!」
「まぁ、最近子供のお守りしてるから大人な雰囲気にうっとりしたんだろうけど」
クスリと笑う桜子。私の動揺を楽しんでいるようだ。
「しかし、王子に引き続きライバル登場か……」
「王子のじゃなくて?」
ふっと楽しげな微笑を浮かべた桜子にそう突っ込むと、背後でげほげほと咳き込む声。振り向くと、他の男子と話していた蓮が激しくむせていた。そして、何か言いたげな眼差しをこちらに向ける。そう言えば昨日、自分の正体は絶対に桜子には言わないでくれといっていたから、それを思い出させようとしているのかもしれない。
大丈夫だよと言う意味を込めてニッコリ笑うと、何故か蓮は深々とため息をついた。再び桜子の方を向くと、笑いを必死に堪えている姿。
「まぁ、そのいい男にまた会えるかどうかわからないし、ライバルってほどでもないか」
桜子は笑いをかみ殺しながらそう言った。私の突っ込みは見事にスルーされている。
「そ。恋心じゃなくて憧れみたいな感じ? 素敵だったなー」
思い出してまた微笑む私を見て、桜子は何かを思いついたようにほくそ笑む。
「何?」
「いや、昨日テレビで催眠術の番組やってたんだけどさ」
突然話しが変わって首を傾げる私に、桜子は楽しげに話を続ける。
「葵って単純だから簡単にかかりそうじゃない。王子が大人に見えるような催眠術かけたら面白いかと思って。面くいな葵が大人な王子に動揺する様が目に浮かぶ」
「おいっ!」
主に前半部分につっこむ私。
桜子は自分の想像にひとりくすくす笑っている。
「でも、大人な王子見てみたくない?」
「それは……」
確かにちょっぴりそう思う。ラウルがもし大人……とは言わなくても、同じくらいの年齢だったら、意外と魔法を解くのは簡単かもしれないと思わなくもない。
見た目も中身も少し成長したラウル。
今朝会った人のように、素敵に成長しているだろうか?
出来る事なら数年後ではなく、今見てみたい。
チャイムが鳴り授業が始まった後も、私はぼんやりとラウルの数年後の姿を思い描いていたのだった。
2013.4.17 18:34 改稿