第23話
朝起きると、まず腕に抱いて眠っている黒猫の額にそっとキスをする。安らかな寝顔の王子様が現れたところで、起こさないようにそっとベッドを抜け出すと身支度を整え、朝食の準備をする。匂いにつられて降りてくる事もあるが、だいたいは声をかけて王子様を起こして共に朝食をとり、後片付けを一緒にし、それから登校する。
それが、ラウルが来てからの私の朝の習慣。
しかし、慣れというものは人を堕落させるらしい……。
「ちょっとラウル! いつまで寝てるの!!」
がばっと布団をはぐと、ラウルは温もりを求めるように体を丸めた。まぶたは一向に開く気配が無い。
「ご飯片付かないでしょ! 早く起きて!!」
「むぅ……」
「むぅ……じゃ、なーい!」
ラウルは不機嫌そうに眉をひそめながらゆっくりと目を開けると、仁王立ちで怒鳴っている私をちらりと横目で見る。
「ヒナタアオイ……。そんなに怒ってばかりでは早く老けるぞ……」
「寝ぼけながら何言うかっ!」
びしっと文句を言う私をよそに、ラウルは再びうとうとと瞳を閉じた。
ラウルが我が家にやってきてから早数週間。
柳くんに襲われそうになったり、屋上から落ちそうになったり、桜子にばれたりというハプニング類は最初の頃だけで、後はいたって平穏な日々だった。
そのせいか、ラウルは最近だらけ気味だ。私にくっついて学校に来てみたり、近所を散策したり、家でゲームをしたり漫画を読んだり、気ままな日々を送っている。
このままでは卒業試験が終わるどころか、駄目な子供一直線な気がする。
「もう! 朝ごはん抜きだからねっ!!」
全く起きる気配のないラウルにそう言い捨てると、私は乱暴にドアを閉めて階下に降りていった。二人分用意した朝食を、やけになって二人前食べる。食器を片付け、歯を磨き、家を出ようとしたところで、ゆっくりと階段を降りてくる音が聞こえてきて私は階段を見上げた。
パジャマ姿まま、ラウルは眠そうに目をこすっている。
「もう行くのか?」
「もうって時間じゃないわよ」
「そうか……気をつけてな……」
ぼうっとしたままそう言うと、ラウルはリビングに入っていった。
小さくため息をついて、私は靴を履く。そして、ドアに手をかけた時だった。
「ヒナタアオイーーー!!!」
人の名前を大声で叫びながら、玄関に向かってかけてくる足音。大きな瞳をこれ以上ないくらい見開いたラウルが現れる。
「オレの朝食がないぞっ!!」
「起きないから食べちゃった」
「なぬっ!!??」
怒っていると思わせたくて冷たい表情を浮かべていた私だが、ラウルがあまりにも衝撃を受けているので思わず笑いそうになる。
「起きているではないか!!」
「今はね。さっき起きないから朝食抜きって言ったでしょ?」
「聞いておらん!」
「いつまでも寝てるからよ」
必死に笑いをこらえつつ冷たく言い放つと、ラウルは唇を尖らせる。
「育ち盛りなのだ!」
「遅くまで漫画読んでるからでしょ」
「こ、こちらの文化の勉強をしているのではないかっ」
「夜しなくてもいいでしょ? 育ち盛りなら、規則正しい生活しなさい」
「……ほんとに口うるさいのぅ」
ぼそっと文句を言うラウルを、静かに睨み付ける。ラウルは不服そうに私を半眼で睨み返すと、ぷうっと頬を膨らませた。
「しかし、食事を抜くのはよくないぞ! これで成長が遅れたらどうしてくれるのだ!」
「一食くらい大丈夫よ。これに懲りて、明日からちゃんと起きなさい」
「大丈夫ではないっ!!」
「しょうがないわね」
わざとらしく小さくため息をつくと、私は靴を抜いてキッチンへ向かう。とたんに、ぱぁっと顔が輝くラウル。 後をついてきたラウルの前で、私は牛乳をお皿に注いだ。
「ヒ、ヒナタ……アオイ?」
嫌な予感がするとばかりに、顔を強張らせるラウル。床にお皿を置きニッコリと微笑んだ私から反射的に逃れようと後退ったが、私は逃さずにラウルの唇に口付けた。
「はい。ご飯。よかったねー、ラウル」
「ふにゃーー!!」
怒ったように鳴いたラウルに微笑を向けてから、私は颯爽と家を出たのだった。
「葵、子育てしてるの?」
学校からの帰宅途中、朝の出来事を話すと、桜子はクスリと笑いながらそう言った。
「だって、最近だらけすぎなんだもの。たまにはびしっと厳しくしないと!」
「でも、王子ともあろうお方がお皿にそそいだ牛乳が朝食じゃ、さぞかしご立腹でしょうね」
「甘やかしすぎだからいけなかったと思うの!」
「はいはい。頑張るのもほどほどにね」
びしっと答える私の頭を、笑いながらなでる桜子。どうやら、朝から少々ご機嫌ななめの私をなだめてくれているようだ。
「どんな事も楽しいと思ってやるのがうまくいくコツ。イライラしなさんな」
「……うん」
素直に頷いた私の頭をぽんっと優しく叩く桜子。爽やかに微笑むと、片手を挙げる。
「じゃ、私はバイトあるから。またね」
「うん。バイト頑張ってね!」
去っていく桜子の後姿をしばらく眺めてから、私は吐息をつく。
少し意地悪しすぎたかもしれない。
きっと、背に腹は替えられないと牛乳の朝食をすませているだろうけど、お腹は空いているだろうし、不機嫌なままだろう。
「しょうがない」
そう独り言ちると、私は今夜はご馳走にしてあげようとスーパーに向かった。
「ただいまー」
家に入りそう声をかけたが、ラウルからの反応は何も無かった。まだ怒っているのかと思いながら、とりあえず買ってきた食材を冷蔵庫にしまう。キッチンに置かれたミルクを注いだお皿は空になっていた。
「ラウルー?」
名を呼びながら、家の中を探す。
あまりに反応が無いので寝ているのかと思ったが、どうやら家の中にはいないようだった。気晴らしに外に出かけているのだろう。
「ま、いっか」
食事の用意をしておいしそうな匂いを漂わせていれば、きっとそのうち帰ってくるに違いない。そう気軽に思って、着替えをし、黒猫姿のラウルが入ってくる場所は決まっているので、そこを気にしつつキッチンに立った。
下ごしらえはどんどん進み、もういつでも食べられるように準備がされても、ラウルは一向に帰ってこない。日は落ち、気温も下がってきている。いつもなら、とっくに帰ってきている時間だ。
「まだ怒ってるのかな?」
もう何度目かもわからないくらい時計を確認した後、私はエプロンをはずしてソファに座った。
黒猫ラウルのための入り口を見つめても、帰ってくる気配はない。まさか、実は家の中で寝ているのではないかと家の中をもう一度探してみる。しかし、やはりラウルはいなかった。
いくら機嫌が悪かったとしても、こんな時間まで帰らないのはおかしい。家で不貞寝するくらいが関の山だ。
だんだんと不安が募る。
道に迷って帰れなくなった? 誰かに連れて行かれた?? まさか、事故にあって……。
いたたまれなくなった私は、気がついたら家を飛び出していた。
2013.4.17 15:39 改稿