第22話
「ふぅん、そう」
事の顛末を全て話し終えると、桜子は一言そう漏らした。
大して驚いた様子も見せないのは、さすがと言う所だろうか。
「もう少し驚くとか、疑うとかしようよ」
「いきなり話だけ聞いたら葵を病院に連れて行くところだけど、自分の目で見たことは信じる主義だから」
「病院って……」
膝の上でぐっすり眠っているラウルの頭を撫でながら、私は苦笑いを浮かべた。
私も最初はラウルを妄想壁の強い子供かと思ったりもした。そして、目の前で変身されようとなかなか受け入れられなかった。
余裕の笑みで目の前の信じられない現実を簡単に受け入れられる桜子は、私とは大違いだ。さらには、魔法が使えると聞いた時点で、責任を持ってフェンスを直せと有無を言わせぬ笑顔でラウルに命じた辺り、桜子は大物だと思う。
おかげで、こちらの世界ではあまり魔法が使えないラウルは疲れ果ててお昼寝中だ。
「ま、便利でいいじゃない」
「いや、そういう問題じゃないと思う」
桜子にとっては異世界からきた王子様も大した問題じゃないらしい。
「見知らぬ男の子と一緒に住んでたら周りに疑われるだろうし、いつまでも家に置いておく訳にはいかないでしょ。かといって、追い出せないし」
「そうは言いつつも、一緒に暮らすの楽しそうだけど? 葵、ブラコンだし、弟いるみたいで嬉しいんじゃないの」
楽しげな笑みを浮かべる桜子。私の心境をちゃんとお見通しである。
「まぁ、確かに一人よりいいかなーとはちょっと思い始めたけど……」
「いいじゃない、害はなさそうだし。年頃の男が出入りしてたらそりゃ近所もおかしな目で見るかもしれないけど、弟みたいな子がうろうろしてようとたいして気にとめないって」
「そうかなぁ? 学校行かないのおかしくない?」
「直接聞く人なんてほとんどいないって。勝手な想像は、勝手にさせとけばいい」
桜子はあくまで気楽に考えているようだ。でも、確かに悩んだ所でしょうがない。ラウルは魔法を解くまでこちらの世界にいるだろうし、あちらの世界に人間を見つけようとしているのかも怪しい。当分の間、ラウルと同居するしかないだろう。
「それに、美味しい話だと思うけど?」
「は?」
桜子が目を細め、意味ありげに笑ったので私は首をかしげる。どこがどう美味しいのかよくわからない。桜子は風に揺れる髪をかきあげながら、きょとんとする私を見てクスリと笑った。
「だって、よく考えてみなさいよ」
「何を?」
桜子は不思議そうな私から眠っているラウルに視線を移し、ラウルのやわらかな髪を指でそっともてあそぶ。
「成長したら、葵好みのいい男になると思わない?」
「へ?」
「今も十分美少年だけどさ、あと数年もすればきっと相当かっこよくなると思うけど」
「たぶん、そうだろうね」
とりあえず相槌をうった私に、桜子はまだわからないのといった視線を向ける。
確かにラウルは美少年で、間違いなく将来は美形の青年になる事だろう。でも、それが何だというのだろう?
「葵はさ、このぼうやと真実の愛を芽生えさせなきゃいけないんでしょ?」
「そういうふざけた魔法らしいけど……」
「王子様って事は、お金持ち。しかも、文句なしの美形。成長途中のお子様なら、今から自分好みの男に育て上げる事も可能。好条件の夫じゃない」
「ちょっと待てー!!」
思わず叫んだ私をよそに、桜子は楽しげにラウルを見つめている。
「逆紫の上大作戦ってとこかな」
「私は光源氏じゃなーいっ!!」
力いっぱいのつっこみに、膝の上のラウルが小さく唸る。起こしたら可哀想だと慌てて口をつぐみ、優しく頭を撫でてあげるとラウルは再びすやすやと寝息をたて始めた。そんな私を、桜子は楽しそうに眺めている。
「もう、桜子ってば。何言ってるのよ」
「何か問題ある?」
声を潜めて文句を言う私に、悪びれない桜子。
「問題ありすぎでしょ。だいたい、異世界よ、異世界!」
「外国と大して変わりないって」
「変わるからっ!! だって、魔法とか!!」
「超能力だと思えば大した問題じゃないって」
平然と言ってのける桜子に、がっくりする私。桜子と話していると、本当にたいしたない気がしてくるから恐ろしい。
「だって、魔法が使えて見知らぬ国にいる以外、何も変わらないんでしょ。だったら大して問題ないと思うけど? 大切なのはそんな事じゃないし」
「え?」
「愚かな男から全力で葵を守った。それだけで十分。ま、今日の事でちょっと減点だけど、悪気があったわけじゃなさそうだしね」
私は自分の膝元に視線を落とし、ラウルの寝顔を見つめる。
小さな体で柳くんに向かっていったラウル。猫の姿でも必死に私を助けようと思っていたラウル。
確かに、異世界の住人とかは関係なくその心は嬉しかった。
「桜子ってさ、すごいよね」
「何が?」
「器が大きい気がする」
「今頃気づいた?」
冗談っぽく微笑む桜子だが、心底そう思った。ラウルをあっさり受け入れたのも、それぞれの持つ能力とか、住む場所とか、きっと桜子には大した問題じゃないのだ。心根が良いならば、それでいいに違いない。
「姐さんって呼んでいい?」
「って、既に呼んでるでしょ」
くすくすと二人で笑いあう。
頼りになる友達がいて、私は幸せ者だと心から思う。
ラウルは少々桜子に怯え気味だが、そのうちきっと仲良くなれるだろう。
穏やかな寝顔を見つめながら、微笑んだ時だった。屋上へ繋がる階段を軽やかに上ってくる足音が聞こえる。
「葵」
桜子が警戒したように名を呼んだのを合図に、私は眠っているラウルにそっと口付けをする。眠ったまま、黒猫の姿に戻るラウル。
「おーっす!」
入ってきたのは、予想はしていたが蓮だった。鍵が閉まっているはずの屋上に上がってくる者は限られている。
「なにやら楽しそうだったみたいだけど?」
笑い声が階下まで漏れていたのだろうか、蓮はにこやかに尋ねた。そんな所に気づくより、落ちそうになった時に気がついてくれればよかったのに……とか、思わなくもない。
「葵は面食いだって話をしてたの」
「ちょっ! 桜子!!」
非難の声をあげる私の隣に、片手にパックジュースを持った蓮が納得顔で腰をおろす。だらりと垂れたラウルの尻尾を、空いている左手で遊ぶ。
「確かに、ひまわりって見た目で騙されるよなー」
「蓮まで!」
自覚はしているが、人に言われるとちょっと傷つく。拗ねて唇を尖らせると、桜子が意味ありげに唇の端をあげ、目を細めて蓮を見つめる。
「見た目重視じゃなくなれば、助かる人もいるのにねぇ」
「何それ?」
きょとんとした私の横で、持ってきたパックジュースを飲みかけていた蓮がゲホゴホと咽る。
「ちょ、大丈夫? 蓮」
「だ、大丈夫」
咽て涙目になっている蓮を見て、おかしそうに肩を揺らす桜子。そんな幼馴染を半眼で睨んだ蓮を、いつの間にか目が覚めた黒猫はざまあみろと言わんばかりにみゃーと鳴いたのだった。
2013.4.17 15:27 改稿