第21話
何やらご立腹なラウルを眼前にしながら、背後で桜子が息を飲む音が聞こえた。ラウルが猫から人へと変身する瞬間を見られたに違いない。
「ヒナタアオイ! いったい何を考えておるのだ!」
「いや、それは私の台詞だから」
がなるラウルにそう言い返す。
人前で変身するなと、散々言い聞かせてある。柳くんとの時は、変身する瞬間はちゃんと隣の部屋に隠れていたのに……。
「あのように危険な真似、何故したのだ! 怪我だけでは済まなかったかもしれんのだぞ!!」
「うわ、さらりと無視だし」
「オレが何度もその手を離して自分だけ登れというのに、無視しおって!!」
「いや、猫語わからないし」
私のささやかなつっこみは、まるで聞こえていないかのように言葉をぶつけてくるラウル。でも、どうやら私のためを思って怒っているらしいので不快な気分はない。
「たとえそれでオレが怪我をしなくとも、ヒナタアオイが怪我をしたら嬉しくなどないぞ! そんな細い腕で、無理をするでない!! 女子の手は力で何かを守るためにあるのではない、その温もりで優しく包み込み、心を守るためにあるのだぞ!」
その歳でどうやったらそんな台詞が出てくるのだろうと思いつつ、怒りつつも僅かに震えているラウルに気づく。暴れていたのは、落ちるための恐怖ではない。私を守ろうと、ラウルなりに必死だったのだろう。助かったものの、もし落ちていたらという不安な思いが今も拭えず、震えているに違いない。
私は背後の桜子を気にしつつも、ラウルをそっと抱きしめた。
「心配かけて、ごめんね」
「……わかればよい」
きゅっと私の背を掴みつつ、ほっとしたような声を出すラウル。ようやく落ち着いたのか、私の言葉も耳に入るようになったようだった。
「でもラウル、私だって大切な人は守りたいんだよ。ラウルだって、私のこと守ってくれたじゃない」
「オレは男だからな。女のヒナタアオイを守るのは当然だ」
「だけど、私だってラウルが危ないと思ったら助けたいんだよ。だから、危ない事しないでね」
私の言葉に、ラウルは小さく唸る。自分のせいで危ない目にあった事を思い出したらしい。
「何を言う。オレは別に自分で自分の身は守れるぞ」
「魔法使えなくても? 猫の姿でも? 落ちてちゃんと着地できたわけ?」
「そ、それは当然でき……うみょ!?」
ラウルの語尾が突然おかしくなる。一瞬なんでだろうと思ったが、私のすぐ後ろに人の気配があり、その理由が思い当たった。
「助けてもらったら、まず『ありがとう』じゃないのかな? ぼうや」
「みゃみふぉひゅゆ!!」
桜子のクールな声に、意味不明なラウルの叫び。しゃがんで抱きしめていた私の肩ごしに出たラウルの頬を、桜子がぐにっと左右に引っ張っているらしい。
私はラウルを抱きしめていた手を解くと、桜子の腕をよけながら二人の横に立った。
「だいたい、私の葵を危ない目に合わせておいて、ずいぶんと偉そうじゃないか……」
ニッコリと微笑みつつもどす黒いオーラを放っている桜子に、ラウルは可愛い顔を引っ張られながら反論の言葉を飲み込んだようだ。固まったまま、視線で私に助けを求めている。
「ずいぶんと面白い体質してるようだし、マスコミにでも売ってあげようか? それとも、どっかの研究施設に売ってマッドサイエンティストにでも解剖されてたいかな? どっちにしろ、いいお金になりそうね」
「桜子……、それくらいで勘弁してあげて?」
私の言葉が合図かのように、桜子はラウルの頬を掴んでいた手を離す。と、瞬間移動かと思うくらいの勢いで私の背後に隠れるラウル。
「な、なんだあの者は! 人攫いか!?」
ひしっと私の背中を掴みつつ問うラウルに、苦笑する。桜子の脅しがものすごく効いているようだ。
「大丈夫よ、ラウル。冗談だから」
「そんなわけなかろう! 目が本気だぞ!!」
「怒っているのは本当だけど、売るとかは嘘だから」
「……ホントか?」
そう言って私の背後から恐る恐る顔を出し、桜子を見つめるラウル。そんなラウルと目が合うと、再び冷笑を浮かべる桜子。
「いや、半分本気だけど?」
「!?」
びくっとして私の背後に再び隠れるラウルを見て、桜子は声を出さずに笑っている。
「桜子姐さーん」
苦笑する私に、桜子はようやく普段通りの表情に戻る。
桜子は頼りがいのある優しい人だが、時々こうやってからかって苛めるのがお好きなようだ。
「さて、冗談はさておき」
「……ほんとに冗談か?」
桜子の言葉にこっそりつっこんでいるラウルに思わず笑いそうになりつつ、次にくるであろう話題にどう答えようか考えをめぐらす。しかし、猫が人へ変身する理由付けをすぐに思い浮かぶわけがなかった。私だって、最初は受け入れがたい事実だったのだ。
「何、その生き物?」
「生き物とはなんだ!!」
威勢良く言い返したものの、ラウルは背後に隠れたままだ。時たま見せる王子としての風格はどこへ行ったのだろう。
「女の影に隠れて震えてる奴のどこら辺が男なのかな? ぼうや」
「うぬっ……」
痛いとこをつかれたらしいラウルは悔しそうに声を漏らすと、意を決したように私の横に立って桜子をきっと睨み付ける。でも、私のスカートをきゅっと握っている辺り、まだ桜子に怯えているらしい。
「あのね、ラウル。びっくりしてて覚えてないかもしれないけど、桜子は私たちの命の恩人だからね?」
「!?」
今気づきましたと言わんばかりに、はっとして私を見上げるラウル。パニックに陥っていて、よくわかっていなかったらしい。しばしどうしたら良いのか困惑したような表情をしていたが、きゅっと唇を噛むと桜子をまっすぐに見つめる。
「ヒナタアオイを救ってくれた事、礼を申す」
そう言って静かに頭を下げたラウルに、桜子はようやく微笑を浮かべた。頭を上げたラウルは、その表情を見て恐怖が和らいだらしい。
「葵にもちゃんと言いなさいよね」
「うむ。確かに、そうだな」
落ち着きを取り戻したのか、ラウルは頷くと私を見上げた。
「助かったぞ、ヒナタアオイ。だが、もう無茶はするなよ」
「はいはい」
微笑む私に、ラウルは満足したように頷いた。いつものラウルに戻ったようだ。
「で」
桜子が、話を元に戻そうと、強調するように一言発する。
「なんだか面白そうな事態になってるみたいだけど……、きっちり説明してもらおうかな? まだ、休み時間はたっぷり残ってるしね」
威圧的な微笑を浮かべた桜子に、私は覚悟を決めて全てを話し始めたのだった。
2013.4.17 12:37 改稿